アクシデント100連発! 「クラッシュ・アン・バーン」
2001.2.23
 
雪の下りを甘く見てはいけない
五城目町小倉温泉 2002.11.14発生!
危険度:30% 危険あり     屈辱度:70% かじかむ指に、後悔。     
 

 秋田では、冬は、誰も山チャリなどしない。
なぜならば、山には雪が積もり、チャリではとても踏み込めないからだ。
しかし、雪山のつらさ、雪道の危険は、味わった者にしか分からないし、その上、ひと夏を越えるころには、すっかりと忘れてしまう。
ゆえに、毎年幾多の登山者が、各地で雪山で最期を迎えるのだと思う。
少なくとも、私に限って言えば、毎年雪が降り積もると、ワクワクしながら山に入り、そして、安易な旅立ちを、例外なく後悔するのだ。
そして、この出来事を経てやっと、シーズンオフとなる。

 私は、今年もおんなじことを繰り返した。
写真のような、“完全防備”(異様ないでたち)で、山に挑む私であったが、予想外のカウンターパンチを食らうことになった。
それはまだ、雪山というほどの場所ではなく、民家の、軒先での出来事であったのだが…。

 秋田では、今年は例年になく初冠雪が早かった。
しかも、県都においては2回目の冠雪が、一晩にして5cm以上も積もった。
こんな日に、私は、本年の最終計画を発動したのであった。
 その計画は、明らかに雪深いことが予想される、国道285号線秋田峠旧道を経て、上小阿仁村、そして、森吉町に至る計画であった。
しかも、この日の夕方からは仕事があり、半日で終了せねばならないという強行軍であった。
ただ、計画延長は、もし雪がないならば、楽勝で半日で終了できるものに違いはなかった。
万全の防寒対策に身を固め、いざ出陣。

 予想通りの展開が私を待ち受けていた。
県都を離れ、北上するにつれ、その積雪は見る見るうちに増えていったのだ。
そして、断続的に降り続ける雪に、合羽からはみ出した部位、つまり、足や手が、どんどん、極寒地獄へと没していった。
普段はあれほどにお手ごろに見えた森山が、白亜の峻嶺のように吹雪の中に霞んで見えるころには、すでに私は、後悔の二文字を感じ始めていた。
それは、まだまだ、スタートラインにたったに過ぎない、五城目町でのことであった。

 弱気になってきた私は、ひたすらに先を急ぐことを止め、少し寄り道をすることにした。
2001年夏の大雨の後、大規模な地盤崩壊のおそれが高まり、避難生活を余儀なくされている一帯がある。
その名を、小倉温泉といい、あまりメジャーではないと思うが、立派な宿もある。
この地が、私を誘った。

 私は、この立ち入り禁止区域内で、すごい物を見た。
それは、崩れ落ちる土砂でも、埋没した何かでもなかった。

 すごーい急な登りである。
しかも、シャーベット上の雪が路面を覆っており…、とてもとても、漕いでは上れなかった。
押して上った私は、まもなく、関係者に発見されないよう、物陰からこっそりと、雪の中休まず続く法面の補強工事を見守った。
が、それだけであったので、少し期待はずれな気持ちにのまま、引き返すことにした。




 …。

 この下りは、ヤバイ。
そう直感した。
ブレーキなんていうものが無駄であることは、いくら半年ぶりに見る雪道でも、忘れてはいない。
ならばここは、押して上ってきたのだから、押して下ろう。
となるのが、正解であろう。が、ご察しのとおり、そう、私はここで転んだ。
なぜならば、チャリに跨ったまま、ここを下ったからである。

 で、どうなったのか、それは次の写真がすべてを語る。


 私は、あえなく転倒。
しかも、必要以上に勢いがあり、まるでコミカルなポーズのまま(手を前にして床をすべる姿を想像していただきたい。)、チャリとともに滑走したのであった。
無残に曲がった後部泥除けと、ぐっしょり氷水につかった痛々しい軍手が、私が受けた罰であり、雪道をなめた代償である。
この先の旅が、いかに困難に満ちたものであったかは、ご想像にお任せする。

 ちなみに、実はこのチャリ、ブレーキが前にしか付いていない。
「んな馬鹿な」と、お思いでしょうが、事実である。
後ろのブレーキは…、雪道で唯一頼るべき後ろブレーキは、前回の旅で逝ったままでした。
整備不良のチャリで、安易に雪道に挑んだ結末が、この程度のお茶目な事故で済むところが、馬鹿チャリストの悪運の強さであろうか。


…スンマセン、いい加減、次は直して山行きますよ。

2002.11.25UP
欠陥道路の罠にハマル!
国道46号線 田沢湖町神代地区 2000.10.19
危険度:60% かなり危険     屈辱度:20% ハマッタ俺に罪は無い     
 この転倒は、かなり怖かった。
いずれここで語る日がくるかもしれないが、これと極めて似た転倒を既に一度経験している。
その時も深夜であったが、トリオのメンバーが居た(転倒したのは俺だけだったが。)
闇夜に起こり易いある種の転倒がある。
それが果たしていかなるものであるか。紹介しよう。

 深夜、俺(ヨッキれん)は一人、国道46号線を岩手へ向けて走っていた。目的地は、小岩井高原だった。
午前2時直前、大曲、角館、西木と経て、田沢湖町神代地区に居た。
10月中旬でも深夜は冷え込む、吐く息は真っ白で、さっき見た電光掲示板には気温6度とあった。
 間もなく道の両脇の家も疎らになり、才津川によって穿たれた狭い谷を、秋田新幹線の鉄路と寄り添うように何度も絡み合いながら登り基調の道へとかわる。
道の回りに人家がなくなったことが、この転倒の間接的な原因といえるかもしれない。
周囲に人家などない山間部の国道には、おおかた歩道など無い。
問題は、歩道がなくなることを、サイクリストにどのように伝えるかだが…。
ここは最悪であった。
 突如、歩道は消滅し、その先には、暗闇があったのだから。
 

 お分かりいただけるだろうか?
俺は突如草の斜面に踏み込み、そのままズルズルと滑り落ち、かろうじて、止まったのだった。
何とかチャリを制御し、うまく横倒しになって転倒したので、全く怪我も無く、それほど痛くも無かった。“軟着陸”だ。
しかし、この写真を撮るために歩道の終わりに立ってみて、ふつふつと怒りがこみ上げて来た。
「何なんじゃこの道は! 殺す気かー!」
うまく止まれたからいいものの、もっとスピードに乗っていたり、操作を誤っていたりしたら、どうなっていたか知れたものではない。
写真でも分かるとおり、歩道の終わりには、全く何もそれと知らしめるようなものは無い。
歩道をチャリで走ってだめな区間だったのかな?ここは?
 ちなみに、無灯火だったわけじゃないので念のため。(もちろん寝てたわけでもないぞ!!)

 国道46号の管理主体である国のお役人さんで、もしこれを読まれた方が居たら、一度現地を調査してみてください。
ちょっと、これは危ないですよ。
このヨッキれんを転倒させちゃうなんて、ほんと危険度抜群ですよ(笑)

 闇夜の危険は、なんといっても、その闇そのものであると痛感できる転倒であった。
2001.2.23
彼は懲りていなかったのか?!
2000/8/18
危険度:80% 居眠り自体が死ぬほど危険!!     屈辱度:100% 居眠り運転は絶対にダメ!!!     
 秋田宮城県境にそびえる栗駒山へと、ヨッキれん単独で日帰りの輪行を決行したその日の帰り道。
既に連続走行距離は、160Kmを超えていた…。
忍び寄る限界が、彼の意識を朦朧とさせ始めていた。
 場所は、秋田県東成瀬村。栗駒の峰々を縦貫する国道398号線はいまだ集落に出会うことも無く、ひたすらに、山中を下っていた。
コンディションは、栗駒に重くのしかかった厚い雨雲からやっと脱出した直後であり、曇り。
真夏であり、蒸し暑かった。

 彼は、疲労しきっていた。
この日はトラブル続きであった。
スタートから50Km程の地点で、パンクしたのが全ての初まりであった。
そして応急修理セットのゴム糊が乾ききっていて使い物にならなかったという誤算が、決定的にこの日の旅を困難なものに変えた。
ガムテープで何とかチューブの穴をふさいでも走れるのは僅か5分か10分。
空気が抜けてしまうたびに立ち止まり、携帯用の小さな空気入れで汗だくになって空気を入れた。
さらに一時間に2度は工具でタイヤからチューブを取り出し、ガムテープを巻きなおした。
余りの苦痛と苛立ちに、さすがに気が狂いそうになった。
 しかも、この場所に至ったとき、彼はずぶ濡れであった。
やっとたどり着いたこの日の最終目的地兼最高到達高度である須川湖では、猛烈な雨に遭遇し、僅かな休息しか許されなかったのだ。

 国道の長い長い下り道。
車も、本当に疎らで、滅多に出会わない。
それにしても静か過ぎる、真夏の山中がこれほどに無音だろうか?
日付が今日になる直前に走り始めたから、出発から既に15時間が経っていた。
「極限」という言葉が大好きで、辛いときはいつも、「この旅は“極限”と呼べるかなー?」などといつも考えた。
考えながら走っていた筈だった…、

 
 次に気が付いた瞬間、周りを高速に空気が流れる感覚を感じ、焦った。
焦って正面を凝視した彼が目にしたものは、信じられないほど高速に接近してくる道路わきの草むらだった。
実際には、草むらに寄りすぎてはいたが、ほぼ真っ直ぐ走行していたはずである。 しかし、全ての意識を草むらの接近という緊急事態に奪われた彼は、全く冷静にハンドルを操作することも出来ず、全身をこわばらせたまま、青々と茂った雑草たちに絡まっていった。
30Km/h→0km/h。この変化に要した時間は、コンマいくつだったろう。
“物理的に正しく”投げ出された彼の体は、ふかふかした緑のベッドに抱きとめられ全く無傷であったが、体中に哀れな植物達の血液がついて、青くさ-くなった。
 倒れたまま、彼は全てを理解した。
さすがに居眠りによる転倒も回を重ねると、この辺の理解は早い。馬鹿だ。チャリ馬鹿だ。
しかも、笑いがこみ上げて来た。
いいぞ、笑えない転倒をも多く経験してきた彼だったが、この転倒はなかなか可笑しい。
「写真を撮ろう、後でWEBにもアップしよう。」
笑いが張り付いたまま、彼は立ち上がり、ここに掲載した写真を撮り、そして、
空気を入れなおして…再び家路についたのであった。
この転倒を一言で言うと、「さらり」って感じ?かな。


 彼が輪行点のJR十文字駅に到着したのは、それからさらに3時間後のきっかり200Km地点であった。
蒼い小さな残骸が、まだ萎れもせず、後部変速機に絡み付いているのを認めた。

「おつかれさん。」

           『おつかれさん。


2001.2.22
フォームAの恐怖
秋田市大滝山道川林道 1994年頃
危険度:90% 死んでも文句は言えなかった!!!   屈辱度:80% 走行中は運転に集中すべし!    
   トリオは、トリオたる以前より、それぞれのチャリ歴があった。
もちろんそれは、街乗りや、子供らしいちょっとした探険の足に過ぎなかった。
それでも、転倒の経験は豊富にあった。
そんな我々が、初めて遭遇した、危険極まりない、「転んじゃった。」で済まない転倒。
すなわち“クラッシュ!” それがこの事件だった。

 まだトリオにホリプロの参加する前(“トリオ”じゃないか、それじゃ)のことだ。
保土ヶ谷と俺で行った、確かまだ2回か3回目の大滝山であった。
天気も良く、体調も良好、すべてが順調であったのだ。
ルート別徹底攻略に詳しいが、この道川林道の難所はただ一つの峠に過ぎず、その峠も高低差60m程度のものだ。
当時ではそれでも辛かったに違いないが、なんと行っても大滝山である。安心感があった。
…油断が、あった。

 峠を登りきった我々は、完全舗装で幅の広い下りを勢い良く、道川ダムの湖面に面した管理棟にむけて漕ぎ出した。
この下りは一瞬である。
急であるがゆえに、一気に下れるので、ものの1分で、管理棟に至れる。
しかし、最も急な部分に一つのヘアピンがあるのだ。しかも、下るにつれ次第にRのきつくなって行く最も危険なタイプのヘアピンが。
これならいけると思って突入した速度では、曲がるにつれあっという間にアウトにもってゆかれ、慌ててブレーキングするようなコーナーだ。
この“魔”のコーナーで、保土ヶ谷がクラッシュしたのだ。。
<保土ヶ谷は、この事件に付いてこれまで、余り多くを語ろうとはしなかった。 しかし今回はじめて、私に、その真実のあらかたを、語ったように思う。 ここにその一部を、公開する。>

 先頭を走るヨッキれんと、20mくらいの距離をおき、この急な下りのスリルを楽しむ保土ヶ谷(当時1?才)。
ふと口が寂しくなった。
既に背中のリュックから取り出していた菓子、確かラムネ、を口に運びたかった。
しかし、その菓子は普通に包装されていた。
これを解こうにも、両手は当然ハンドルを握っている。猛烈な下りに、次々に襲いくる急コーナーである。さすがに手を離すわけにも行かない。
そこで彼はひらめいた。ハンドルを支持しながら両手を(正確には指先だけ自由になれば用は足りた)自由にする秘技だ。
 おもむろに彼は、両手をハンドルから離すとすばやくその両肘を両ハンドルに添えた。
姿勢を前に倒し、重心を前方へ移動する。
“フォームA”の完成だ。

 彼がこのフォームになり、いよいよ菓子の封を切ろうとしたその瞬間、魔のコーナーに差し掛かった。
フォームAのままコーナリングすることが出来ないことはとっさに気が付いたらしい。
しかしこのフォームの恐ろしいところは、まず、ブレーキングが一切出来ないこと。 そして、通常の姿勢に戻るためには、一旦両手を離し…という行程が不可欠である点だ。
彼は、徐々にきつくなるコーナーを殆ど曲がることなく、そのままアウト側の白いガードレールに接近していった。
彼はここで考えた。
「もしここで体を横に倒して、路面に横倒しになれば、多分ガードレールに激突する前に止まれるだろう⇒⇒…しかし、すりむいて痛いだろうな。嫌だな。」

 激突した瞬間、彼の体は、一切の痛みを感じることも無く、衝撃すらなかったという。
ほぼガードレールに沿った方向に投げ出された彼の体は、そのまま放物線を描き顔面から、墜落した。
とっさに顔をかばった腕と、かばい切れなかった額の一部を地面に激しく擦りながら彼は止まった…。

 激痛を感じた彼は倒れたまま、その視線に、彼の愛車から転げ落ちた缶ジュースが下り坂を勢い良く転げ落ちてゆくのを捉えた。
取らねば、と思ったそうだが、次に痛いからやめよう、となったそうだ。結局、先に行ってしまったヨッキれんが戻ってくるまでこのまま転がっていようと決めたらしい。

 結論から言うと、幸いにも彼は軽症だった。(額と腕をすりむいただけ)
しかしチャリは、フレームが曲がり(まるで車にはねられたようだった…)、二度と乗れなくなった。
ヨッキれんが、約5分後に現場に戻ると、彼は起き上がっていた。
側溝に転がっている缶ジュースを見つけたが、もちろん彼に何が起きたかすぐには分からなかった。
しかし、聞けば聞くほど、彼の悪運の強さが滲み出してくるように思えた。
だって、彼が墜落した場所は、アスファルトと、ガードレールの隙間のたった数10cmの土の上だったし、何より、ガードレールを飛び越えていたら、そこには切り立った斜面とその奥に青い湖面がしずかに彼を待ち受けていたのだから…。

 我々は、その後何とか家に帰り着いたが、とても苦い思い出になったのは言うまでも無い。
フォームAは、きっと貴方も経験があるのではないだろうか?
しかし、もう絶対にフォームAをとっていけない。
フォームAは、八郎潟のような馬鹿ロングストレート専用のフォームなのだから。

 以上が、“はじめての道”での”はじめての”クラッシュのお話である。
分かったらもう寝なさい。 おやすみなさい。 
2001.2.21