
秋田では、冬は、誰も山チャリなどしない。
なぜならば、山には雪が積もり、チャリではとても踏み込めないからだ。
しかし、雪山のつらさ、雪道の危険は、味わった者にしか分からないし、その上、ひと夏を越えるころには、すっかりと忘れてしまう。
ゆえに、毎年幾多の登山者が、各地で雪山で最期を迎えるのだと思う。
少なくとも、私に限って言えば、毎年雪が降り積もると、ワクワクしながら山に入り、そして、安易な旅立ちを、例外なく後悔するのだ。
そして、この出来事を経てやっと、シーズンオフとなる。
私は、今年もおんなじことを繰り返した。
写真のような、“完全防備”(異様ないでたち)で、山に挑む私であったが、予想外のカウンターパンチを食らうことになった。
それはまだ、雪山というほどの場所ではなく、民家の、軒先での出来事であったのだが…。
秋田では、今年は例年になく初冠雪が早かった。
しかも、県都においては2回目の冠雪が、一晩にして5cm以上も積もった。
こんな日に、私は、本年の最終計画を発動したのであった。
その計画は、明らかに雪深いことが予想される、国道285号線秋田峠旧道を経て、上小阿仁村、そして、森吉町に至る計画であった。
しかも、この日の夕方からは仕事があり、半日で終了せねばならないという強行軍であった。
ただ、計画延長は、もし雪がないならば、楽勝で半日で終了できるものに違いはなかった。
万全の防寒対策に身を固め、いざ出陣。
予想通りの展開が私を待ち受けていた。
県都を離れ、北上するにつれ、その積雪は見る見るうちに増えていったのだ。
そして、断続的に降り続ける雪に、合羽からはみ出した部位、つまり、足や手が、どんどん、極寒地獄へと没していった。
普段はあれほどにお手ごろに見えた森山が、白亜の峻嶺のように吹雪の中に霞んで見えるころには、すでに私は、後悔の二文字を感じ始めていた。
それは、まだまだ、スタートラインにたったに過ぎない、五城目町でのことであった。
弱気になってきた私は、ひたすらに先を急ぐことを止め、少し寄り道をすることにした。
2001年夏の大雨の後、大規模な地盤崩壊のおそれが高まり、避難生活を余儀なくされている一帯がある。
その名を、小倉温泉といい、あまりメジャーではないと思うが、立派な宿もある。
この地が、私を誘った。
私は、この立ち入り禁止区域内で、すごい物を見た。
それは、崩れ落ちる土砂でも、埋没した何かでもなかった。

すごーい急な登りである。
しかも、シャーベット上の雪が路面を覆っており…、とてもとても、漕いでは上れなかった。
押して上った私は、まもなく、関係者に発見されないよう、物陰からこっそりと、雪の中休まず続く法面の補強工事を見守った。
が、それだけであったので、少し期待はずれな気持ちにのまま、引き返すことにした。

…。
この下りは、ヤバイ。
そう直感した。
ブレーキなんていうものが無駄であることは、いくら半年ぶりに見る雪道でも、忘れてはいない。
ならばここは、押して上ってきたのだから、押して下ろう。
となるのが、正解であろう。が、ご察しのとおり、そう、私はここで転んだ。
なぜならば、チャリに跨ったまま、ここを下ったからである。
で、どうなったのか、それは次の写真がすべてを語る。

私は、あえなく転倒。
しかも、必要以上に勢いがあり、まるでコミカルなポーズのまま(手を前にして床をすべる姿を想像していただきたい。)、チャリとともに滑走したのであった。
無残に曲がった後部泥除けと、ぐっしょり氷水につかった痛々しい軍手が、私が受けた罰であり、雪道をなめた代償である。
この先の旅が、いかに困難に満ちたものであったかは、ご想像にお任せする。
ちなみに、実はこのチャリ、ブレーキが前にしか付いていない。
「んな馬鹿な」と、お思いでしょうが、事実である。
後ろのブレーキは…、雪道で唯一頼るべき後ろブレーキは、前回の旅で逝ったままでした。
整備不良のチャリで、安易に雪道に挑んだ結末が、この程度のお茶目な事故で済むところが、馬鹿チャリストの悪運の強さであろうか。
…スンマセン、いい加減、次は直して山行きますよ。