アクシデント100連発! 「危険行為報告書」



己の命が、片腕にぶら下がるとき!
1999年6月1日
恐怖度:100% 命を失う恐怖を数分間感じた。     
危険度:100% むしろ、生きていられたことが奇跡。     
 国道108号線松ノ木峠は、かつて新道のトンネルが開通する以前、どんな地図にも「凄まじい悪路」という、なんかマジな表現であらわされていた。
とにかく、本当に凄まじい険路であったらしい。

 その道が旧道化し朽ちつつあると聞いて黙っていられるはずもなく、県南の果てであろうとも、遂に日帰りを強行した。(帰りは輪行したが)
松ノ木峠の旧道は、予想外に立派な道であった。
もちろん、狭い部分もあったが、舗装していたのだ。
古い地図の情報は誤りであった訳だが、ここで、大変な恐怖を味わうことになった。

 旧松ノ木峠の道は、由利郡鳥海町西久米集落に始まり、雄勝郡雄勝町院内銀山に至る、最大高低差400m余りの急峻な12Kmである。
峠には、いつの頃からか一本の松の古木が聳え、旅人を導いたという。
旧道からこの松を確認することは出来ないようだが。

 西久米集落を発って、2Kmで、道は二手に分かれる。
一方は、すぐ脇を通う新道に降りる道でもう一方が、本線だ。
そこで道は、巨大なゲートで封鎖されている。 即ち全面通行止め。
「臨むところだぜ。」とばかりに、ゲートの脇をするりと突破!さすがチャリ!
楽しくて仕方がない。
道は予想に反して舗装されていて、一車線だが大型車でも通れる幅がある。
なぜ通行止めなのだろう?やっぱ崩落があるのか?
しかし、かつて幾多もの廃道を突破してきた俺にとっては、崩落など、チャリを担いで、ものの3分で攻略できる、些細な障害という認識でしかなかった。
しかもここは舗装されている。如何に崩落により道が寸断されていようとも、そこさえ過ぎれば、あとは朽ちた廃道に苦しむこともなさそうだった。
「やっぱ、旧国道はちょろいぜ。」
俺は、九十九折になった坂道を、じっくりと登っていった。

 所々、ガレているところがある。
ゲートが出来て以来、全く車の往来は無いようで、国道の頑丈な法面も、いたるところにほころびが見えていた。
アスファルト上には、大小の岩石が散らばり、いよいよ、それらしくなってきた。
「…この先、大きな崩落があるのではないだろうか?」
予感していた。
 新道の工事が進んでいるというのに、これほど立派に改良された旧道。
しかし、折角のその道が通行止めのまま放置されている…。
復旧が現実的でないほどの超弩級な崩落を想定するしか、この不思議な旧道を理解できなかった。


 そうして、それ・・は、突然現れた。
まるっきり道が消失していた。
しかし、こういう光景は過去に何度も見たことがあった。
今回は、今までより少し距離が長いと思えたが、それは引き返す理由にはならなかった。
…というか、どんな崩落があっても引き返すことは、決して考えなかったに違いない。(これは明らかに未熟な行為だ!)
悪い癖で、山チャリがエキサイトしてくると、もはや引き返すことが出来なくなってしまうのだ。

 俺は、一息入れると、すぐにチャリを右手でひく感じで、自分を斜面側にして、ガードレールより少し左の辺りに、立ち入った。
始め、大きな石がごろごろしている感じで、容易に進めた。
ただ、余りガードレールよりに進路を取ると、万が一滑ったときにすぐに滑落すると思い、できるだけ、チャリを引き上げるように、斜め上を目指した。
ここまでは順調であった。
しかし、見れば見るほど、凄まじい崩落である。
ここでもう一枚写真を撮った。余裕があったらしい。


 写真を見てもらえれば分かると思うが、この位置から少し先より、小さな瓦礫が非常に密に斜面を埋め尽くしている。
この部分に一歩踏み込んだ瞬間、事態の深刻さに気付いた。
少し足が埋まるなどして、十分にバランスを取りながら進めると思ったが、それは甘かった。
あまりに密な瓦礫は、ただの斜面に等しかった。
しかも、足場も手がかりも、それ自体は小石であるから、あまりに、脆くたよりなかったのだ。
十分な足場も手がかりもない状態は、初めてだった。
すぐに一歩引こうと思ったが、右手はチャリを支えていたし、そのチャリが方向転換を邪魔した。
「引き返せない!!」

 このとき、初めて、墜落を真剣に恐怖した。
足元を見ると、3m余りの瓦礫の斜面の下は、もはや道路ではなく、がけだ。
100mくらい眼下には、新道の松ノ木トンネル入り口に次々と車が吸い込まれてゆくのが見えた。
ミニチュアのように!!
車内には平和な時間が流れているのだと、恨めしく思った。
ここに、こんな無人の廃道に、こんなバカが居るなんてことを、誰が想像できようか。
自力脱出以外はなかった!

 しかし恐怖で足がすくんだ。
一旦、体を斜面に横たえ、心を落ち着かせ、この斜面突破のための、命のルートを懸命に探した。
そうしている内に、チャリを支える右手が痛くなってきた。
チャリを落とせば、命は助かるだろうとも思ったが、その一歩は結局踏み出せなかった。
「…もしここでチャリを失えば、ただ事ですまなくなる。」
無事に、チャリといっしょに、何事もなかったように帰宅せねば、もう山チャリにいけなくなるような気がした。
「チャリと一緒に無事に帰らねば、俺の山チャリはここで終わるッ!!」
今考えると信じがたいが、このとき、自分の命と、“山チャリ”を等価交換しそうになっていた。(本当にアホだ。)

 もう動き出すしかなかった。
進路を可能な限り上に取り、万が一の墜落時にも少しでも生還のチャンスを得られるようにした。
それに、10mくらい上には、まだ崩れていない崖が見えており、そこには手がかりも、足場もありそうだった。
一歩一歩進みたかったが、あまりに脆弱な足場はそれを許さなかった。
バランスの取れたと感じられるその一歩まで、がむしゃらに、生への足掻きを続けた。
数歩に一歩、少し安定する場所があった。

 先ほどの写真を見ると、終わりの方に、倒れた生木が見えるが、そこにたどり着ければ、生還は硬かった。
最期の数歩も、全く気が抜けなかったが、いよいよ緊張に絶えられなくなりそうだった俺は、火事場のクソ力とばかりに、チャリを片手にしたまま、走った。

 生還した。

 結局、15分間かけて、ここを突破し、遂に、旧松ノ木峠の完走をなしえた。
しかし、全く嬉しくなかった。
己の無謀さが、本当に情けなくて、青い顔のまま、写真も撮らずこの場を後にした。

 俺は、ここで命を失っても文句は言えなかっただろう。


 これ以降、命を大切に、走ることが、俺の山チャリの、一つ目にして唯一のルールとなった。