95年のキャンプサイクリングは、劇的なフィナーレを迎える。
三日目には、我々は誰一人として濡れていない場所が無いほに濡れていた。
結局全く天候の改善せぬまま、旅は日程上の後半戦に突入していた。
八幡平から比内町に移動し、ここではじめてカッパを購入。(もう遅い)
今思うと、余りに無謀だが、その目的地は白神山地の奥地「藤里町くるみ台国設野営場」にあった。
しかしながら、連日到着予定時間を大幅に超過しており、この日は、ついに計画の変更を迫られた。
目的地変更「鷹巣町田代岳キャンプ場」。
峠一本分計画は縮小された。それでも容赦なく夕暮れが迫ってくる。
最後に人家があった集落でキャンプ場までの道のりを尋ねていたのだが、そのオヤジの発言とは余りに食い違う現実がそこにあった。
田代岳に向かい一直線に切れ込んでゆく薄市沢の濁流に沿い、急で、荒れ果てた林道(薄市林道)を登ってゆく。
あっという間に日は落ち、あたりは真っ暗になった。
もはや天の堰は壊れてしまったらしい、降り止まぬ雨は一際強くなり、頭上の木々の葉っぱで集められ、大きな大きな水滴となって降り注ぐ。
道は続いている。
か細いチャリのライトでは、全然先が見えない。
心細さは頂点に達そうとしていた。一人なら、間違いなく発狂するであろう状況…。
結局キャンプ場が現れたのは、林道を小一時間(何が、15分だ!オヤジぃー!)も走った後、その林道の終点においてであった。
しかしそれは、期待していたものと余りに違った。
そこにあったのは、閉鎖された山小屋一軒と、出ない水道。真っ暗な辺りに人一人いるはずも無く…。
「こんな場所に泊まっては、命が危ない。」
そう思ったのだろうか…、誰からとも無く、ある意見が出た。それが一瞬にして全員の総意となった。
それは、「今すぐ家に帰ろう」という、他愛も無い単純な意見。
何だ、退却かと思われるだろうが、考えてみて欲しい、そのとき我々があった場所は、秋田市から最も離れたような白神の奥地である。時はすでに7時を回っていただろう。どう考えても、100Kmはある。家にたどり着いたとしても、間違いなく明日の明け方以降であろう…。
それでも良かったのだ。
ただその時は――くさい言い方になるが、生活の、家族のぬくもりが、欲しかった。
その目的のためなら、残りの全ての体力をささげても良いと、考えたのだった(少なくとも俺はそうだった)。
夜通し走りぬいた我々は、(途中いろいろあったが…、ホットドリンクが欲しくてたまらなかったこととか、保土ヶ谷の財布紛失、直後の着替え落としと、それに伴う一時パーティ解散、川となった国道で足首まで水に浸かったこと、忘れもしない俺の居眠り運転事故、寒くて侘しかったきみまちでのトンネル内食事休憩、富根では歩道の無い国道を避け農道に立ち入りさんざん迷ったこと、夜明け前もはや(睡魔で)動けず道端で仮眠を取ったこと(俺だけ?)、そして、雨がついに上がり、夜明け。
長い長い、充実とはまた違うんだろうけど、忘れられない夜だった。
能代。
晴れ。
八竜。
晴れ。
そして、やっと表題の「宇宙人の足事件」である。(ホント長かった。)
何の事は無い、ふと靴と、靴下を脱いで見たら、己の足が、脳みそのような模様というか、しわくちゃな形状と化していたということ。
色はモヤシ色。
唖然となった。
もう完全には元に戻らないんじゃないかと、まじめに怖くなったが…すぐ戻った。
しかし、未だかつて、あそこまで肉体へのH
20飽和実験を試みた奴がいたであろうか!!というほどの、有様であった。
それを見て誰から言い出したか、ついた名前が、「宇宙人の足」。言い得て妙なり。
ちなみに、この旅はもうちょっと続くのであった。
メロン祭りオヤジ、ホリプロロングターボ!、さらには保土ヶ谷もまけじとターボ(俺既に鈍行各駅停車)、なぜか、遠回りして船越の中古ゲーム屋”JUMP”に寄り道(俺、セガサターン用ソフト「クロックワークナイト 上巻」購入。クサッ!)、二田から出戸浜までの異様に遠く感じたこと…、…
帰還。
晴れ。
全員無事。