ついこの前までは、主幹国道7号の通う橋であった。
竣工は、昭和13年。
歴史あるこの橋の上には、バス停があった。
そのバス停の名は、「秋田大橋」。
河口間近の太い雄物川を一跨ぎにする長大な秋田大橋、その隣に、ちょこんと。
大橋の隣にある、小さな小さな橋。
だから、それは、秋田小橋。
この小橋は、もともとが、川に架かったものではなかった。
通うのは、単線の鉄路。 羽越本線の工業用支線である。
しかもそれは遠い昔に廃止されていた。
長く、草生した小さな溝を越えるためだけに、そこに在り続けた、けなげな小橋は、
ついに、その生涯を静かに終えたのだった。
21世紀初めの年の出来事である。
老朽化した秋田大橋の架け替えの情報を聞いた時から、私は、この小橋の安否が気がかりだった。
新しい大橋の供用が開始され、旧橋がまもなく撤去されると聞いた2002年2月末、小橋の様子を見に行ってみた。
以下はその際に撮影した写真である。
![]() | ![]() 茨島側から、秋田大橋袂の景色。 右側が、新設されたばかりの現道で、撮影時の立ち位置は、旧道敷地が、広い歩道と化した場所だ。 秋田小橋が写っているが、どこかお分かりいただけるだろうか? 次の写真と比べてみてほしい。 |
![]() 小橋の袂に行ってみる。 しっかりと現存しているように見えるが、実は、写真に写っている範囲の右側、本来、反対側の欄干のあるべき場所は、既に現道や街路樹の植え込みに侵され、原形をとどめていない。 ぎゃう!! 小橋は、半身を失っていた!(涙) | ![]() 親柱には、しっかりと竣工年度が。 現存するもう一個の親柱(すなわち、左の写真の奥に写っているもの)には、「あきたこはし」の文字が。 「秋田小橋」と、もうひとつ「羽越本線」(←確かそう書いてあったと思う。でも曖昧。)の銘板はいずこへー!(涙) |
![]() 気を取り直して、下を覗いてみると…。 なんとすっかり下草が刈られ、しかも、よく均されているっ! こんなに広かったのかー、となんか、感動。 これは…、いってみねばっ!! | ![]() 意外と苦労して(人様のお家の庭先を越えて…)、下に到着。 おおっ! この景色は、鉄道廃線以来、長く人の目に入らなかったものではっ! と、また、感激。 前方のトンネル(?)へ進入じゃイ!! |
![]() かなり古くからあったようなバリを越えて、(チャリは置いて)単身進入。 新道の下は、排水溝のようになっていて、これ以上の進入は難しいと判断し(と言うか、興が醒め)、引き返すことに。 最後に一枚薄暗い中、フラッシュを焚いて写真を撮ったのだが…。 …謎の写真が撮れてしまった…、心霊写真といえば、信じてもらえそうな一枚が。 原因不明。 私はとりたててなんとも感じなかったが、霊感があると主張する友人は、『頭が痛いよ』と、ひどく嫌っていた。 見たくない人はそれが吉かと…。 見てみたい人はここをクリック。 | ![]() いったい、この小橋は、どんな思いを秘めているのだろうか…。 |
その報告は、また、次回。