この写真は、上の写真の突き当たりの直前まで進んだ場面だが、道の両側に工事現場があり、工事車両が頻繁に出入りしていた。
この調子だと、仮に橋まで辿りついても工事車両の往来が頻繁で、探索どころではなくなるような予感もあって、私は思わず眉をひそめたのだが…。
ん…。
コーンが通せんぼしてる…?
入口から200mほど進むと、唐突にコーンが行く手を阻んでいたが(上の写真)、それ以外には特に通行止めとも何とも表示は無い。
意に介さず進んで行くと、まもなく道は掘割となって下り出した。
県道が通っているのは湖より一段高い河岸段丘の上なので、これから湖畔へ向けて段丘の斜面を下ろうということらしい。
正面に見える山並みは、間違いなく湖の向かい側である。
10:07 《現在地》
短い堀割を抜けると進路は東向きとなり、地形も右山左谷の急斜面になった。
道はここをトラバース気味に下って行くのだが、自転車のブレーキレバーを充分に引き絞らないとならないくらいの急坂になっている。
しかも、コーンで封鎖されていたせいで車通りは既に途絶えているようで、コンクリート舗装の路面には流水により運ばれた沢山の小石や小枝が散乱すると共に、道の両側の草むらも生長して視界を著しく狭めていた。
まさに「廃道になりかけ」の道の姿であったが、よくよく見るとそういう外装的な部分だけでなく、道の根本についても“綻び”が生じていた。
路肩がベッコベコ!になっている…。
コンクリート舗装路にありがちといえばありがちだが、ガードレールはおろか、転び止めさえ無いこの道でこれは怖い。
封鎖されているのも納得だ。
眼下には、青白い岩木川の水面が見えていた。
こんな道の先にある 橋 は…
廃橋以外考えられるだろうか?
思わぬ収穫の予感に、胸の高鳴りを憶えた。
もう、橋があるならばすぐ近くのはずだった。
しかし、見えなかった。
路肩に茂る草むらを押し分けでもしたら確認できたのだろうが、
敢えてそういう不作法はせず、橋が道なりに現れるのを、待った。
チャリに跨り数秒間待ったところ、結論が出た。
予想外の光景であった。
橋はあった! しかも、2本!!
手前に見える橋が目指してきたものに違いないだろうが、
そのすぐ隣には、一回りどころか、親子ほども大きさの違う橋が、悠然と架かっていた。
新旧の橋が隣り合っている光景ならばそう珍しくないかも知れないが、
今まで並行する別の道の存在を全く意識していなかっただけに、驚かされた。
地図にない橋よ、何事か! …と思った。
なんという、スケール違い!
同じ場所に架されている橋なのに、
“まるでコンクリートの化石”みたいになってる手前の橋に較べて、
目の前で砂利満載のトラックが走り抜ける奥の鋼鉄橋は、別世界の存在のようだ。
こんなに隣接していながら、ここまでのアプローチの道路が少しも重複せず、
橋自体も微妙に勾配が異なっている辺りも、より一層“別物感”を演出していた。
親柱の傷み方が、まず尋常でなかった。
この部分は橋の“顔”であるだけに、その状態は、橋が辿ってきた歴史性を大いに表現しうるのである。
建設当初の形状の軽重もさることながら、その後の破損や、それに対する維持補修の気配などで、色々な事が見えてくると思う。
右岸側橋頭にある2本の親柱の向かって左側は、橋の竣工年を過不足のない内容で伝えていた。
「昭和三十四年十二月竣功」。
昭和34年といえば、目屋ダム竣工(美山湖誕生)の年に他ならず、湖を跨ぐ位置に架かっていることから予想はしていたことだが、ダム工事により生み出された橋だったようである。
右側の親柱は、「川原平橋」という橋の名を教えてくれた。
川原平(かわらたい)は、江戸時代から続く岩木川最上流の村の名前であり、目屋ダムが建設された当時から現在まで、ずっと西目屋村の大字名である。
橋の名は、橋に託された思いの一端を垣間見せる。
おそらくは、ダム湖によって分断されてしまった地区の南北を結ぶものとして、古くから連なる地区の総称を冠したものであろう。
こういう素直な名付けは、田舎の素朴さに通じるように思う。
このように、素性の素直さを感じさせる2本の親柱であるが、いずれも完成後に何らかの手入れをされた様子が見られず、半世紀分の風化をもろに浴びていた。
このことから、本橋は対外的な存在ではなかったと判断される。
最期の時を迎えつつある今に至ってやっと、私に見つけられたのか。
…私は嬉しい。
橋が思いがけず2本並列していたこと。
親柱が見るも無惨な風化した姿をしていたこと。
この2つの“驚き”を先に伝えたが、実際にはそれら以上に強烈なファーストインプレッションがあった。
それは、
えらく狭い橋だ!
橋上のコンクリート路盤には、微かに白く車の轍が残っていたが、その白い部分の外側には、小石ひとつ分くらいしか余地が無さそうだ。
橋の上で車のドアを開けて外へ出ることは、まず無理だろう。
数年前まで本橋は現役だったと思うが、通行規制はあったのだろうか。
しかも、幅員が激狭なのに、橋はかなり長い!
狭さのせいで余計に長さが強調されている部分は多分にあるだろうが、それでも50mでは絶対にきかない。
ひとことで言えば、とっても“ひょろ長い”橋。 ひょろり。
自転車に乗ったまま橋の上に進み出ると、
たちまち空中散歩の心地があった。
橋の上で正面を見据えたときに、視界に占める中空が広ければ広いほど、
逆にいえば橋が狭く頼りなさげであるほど、“空中散歩感”は増大する。
本橋のようにコンクリートの床版を有しながら、なお空中散歩の心地があるというのは、珍しい。
ところで、橋の向こう側の様子がここに来て初めて見て取れた。
向こう側で橋は右の道と合流して、ひとつの“工事用道路”になってしまっていた。
“空中散歩”を感じるには、当然橋自体がある程度高くなければならないが、
本橋の場合は、その点も申し分ない。
地形図に描かれている美山湖の輪郭は巨大だが、近年はそこまで水位が上がることは無く、
眼下には岩木川の幅広の渓谷が、周囲の碧をそのまま映し込んだような水面を湛えていた。
この眺めは、紛れない高橋である。
それゆえに、涼しくもある。
親柱の尋常でない老朽ぶりは見ていただいたが、肝心要の床版についても、縁の方から着実に痩せ細ってきていた。
青色の塗装がほとんど禿げて、無骨な鉄格子のようになってしまった欄干は、ただでさえ体重を預けようとは思えない“華奢さ”であり“低さ”なのに、そのうえ支柱を埋め込んでいる床版が痩せ細っているとあれば、触れることさえなんか気持ち悪い(マジで実感)のである。
さすがに自転車の荷重程度で揺れたりはしないが、コンクリート橋でこんなに覚束ない感じを受けたのは、他に記憶がない。
隣にある橋についても、観察した。
それは仮設橋の定番である「ヒロセ プレガーダー」であり、例えば祭畤橋の仮設橋と同じタイプである。
この時点で、この2本の橋が単なる「新旧」の関係ではないということが明らかとなった。
仮設橋の方は、工事が終れば影も形もなく取り去られることだろう。
その時に、本橋の方がどうなるかについては……
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……………………………………………………沈んでしまう。
いま、この周囲で行われている数々の工事は、全てそのためのものだ。
やがて……平成28年頃といわれているが……
この土地は目屋ダムよりも遙かに巨大なダム……
津軽ダムの完成によって、目屋ダムもろとも「津軽白神湖」の湖底になる。
こんなに河床から高い橋も、“今度のダム”では沈んでしまうのだ。
このこと、つまり「ダム湖にやがて沈んでしまう橋をいまの内に記録しておきたい」ということが、私が今回この地を訪れた理由であった。
それだけに、全く面白みのない橋でも仕方がないと思っていたが、
沈みゆく橋は魅惑的だったのだ……。
しかも、その最大の美点を、私はまだ知らない。