2011/10/24 6:31 《現在地》
夜明け前に一関を出発した私の車は、ほとんど通行量の無い国道342号を西へひた走り、30分も掛らずに沿道最奥の集落となる市野々原(一関市厳美町)に到着した。
祭畤大橋はさらに3kmほど先にあるのだが、ここでなにやら見慣れない大きな看板が、路傍に立っているのを発見。
車を走らせていると間違いなく読み切れない文字数に溢れていたので、一旦車を止め、読んでみた。
その内容は…
「地域を守る建設産業」がメインのタイトルで、「災害復旧工事にご協力願います」がサブジェクトだろう。
走行中の車内からでは、せいぜいその下の「道路使用と通行に関しての御願い」というサブタイくらいまでしか読めないだろうが、重要なのはさらにその下の本文である。
この先は岩手宮城内陸地震震源地付近であり、被災程度が大きい地域となります。災害復旧工事が現在進行中ではありますが、工事関係者はじめ、震災地を視察、あるいは観光の一般者の方につきましても、地域住民の方々が生活しておられますので、マナーを逸脱する行為は絶対に止めて下さい。また、いざというとき道路がなければ、大切なものを守ることは出来ません。交通法規を守るとともに、道路を大切に使いましょう。
このメッセージに対する私の第一印象は、意外性だ。
普段我々が目にする道路が発するメッセージの大半は、道路管理者(例:青看)か警察(例:速度制限標識)からのものである。
しかし、「地域を守る建設産業」と一番大きな文字で書かれている事からも、この看板のメッセンジャーは「道路作りをする人々」である。
道路管理者や警察が語らないことを敢えて訴えている割に、「マナー」や「交通法規」を守れというメッセージは抽象的過ぎる気もするが、とまれ最も訴えたいことは赤文字の部分であろう。
一瞬思った「この先では災害復旧工事こそが正義である」は行きすぎた曲解だが、この先に彼らが死力を尽くしている世界があることは、十分に伝わってきた。
それはさておき、敢えて前説では触れなかった本件の重要キーワードが、ここで早くも現れた。
「岩手宮城内陸地震」である。
最近はメディアに名前が出ることも少なくなったが、私が前回探索した3年後の平成20年6月に祭畤のすぐ近くを震源地とする、マグニチュード7.2の大地震が起きた。
気象庁に岩手宮城内陸地震と名付けられたこの地震では、岩手、宮城、秋田、福島の4県で23名の死者行方不明者が出ており(岩手県は死者2)、重軽傷者は山形県も合わせて426人に達している(住家被害も多数に及ぶ)。
この地震の最大震度は6強(宮城県栗原市 ほか[なお、栗原市は平成23年の東北地方太平洋沖地震でも唯一最大震度の震度7に見舞われた])で、一関市街も震度5弱を観測した。
そして、震源が内陸の山岳地帯であったため、山崩れの被害が多発した事が特筆される地震であった。
同地震によって道路も大きな被害を受け、特にこの国道342号の被害が大きく、市野々原〜秋田県境の再開通は2年後の平成22年5月30日であった。
看板があった場所から数百メートル進むと、車窓に異変が現れた。
これまで余り意識していなくて気付かなかった可能性も0ではないが、この風景は仮に意識していなくても目に飛び込んでくる“威力”がある。
市野々原の民家の背後の山で、壮大な規模の治山工事が現在進行形で進められている光景である。
前年(平成23年3月11日)に発生した東北地方太平洋沖地震の影響は不明だが(この一帯は前より大きな震度6弱に見舞われた)、工事の進み具合や先ほどの看板の存在から見ても、大半が4年前を起点とする風景であろう。
国道からも良く読み取れる民家と同じくらい巨大な看板が、ここでも自らの死力を熱烈にアピールしている。
今度の主体は、岩手県農政局だ。
「治山激甚災害対策特別緊急事業」という名称は、これ以上求め得ないほど勇ましく、「くらしを」“戦って”「守る治山事業」といった面持ちだ。
そして今度は同じ場所で、山とは反対側の磐井川に目をやる。
するとこちらも工事中の雰囲気で、見るからに仮設と分かる敷鉄板橋が川を渡っていた。
対岸は妙に緩やかな山であるが、それに似つかわしくない頑丈さで、治山的処方を受けていた。
まさに、固められた山といった感じ。
車を止め、川の水面が見える位置まで近付いていくと、
さらに驚くべき光景に出会った。
な、何だ?!
この川、変だ!!
変な川。
どう見ても、普通じゃない。
まるで浅い運河のようで、明らかに人口河川。
しかし、コンクリートの河道でもなく、両岸は“素堀”である。
それに、人工的な河川にしてはちゃんと谷底を流れているし、別に“本来の河道”があるようには見えない。(その証拠に、上流は“天然の川”に通じている)
勘の鈍い私が事の真相を知ったのは、近くにある解説板のおかげだった(上の写真に写っている)。
対岸に見えた“妙に緩やかな山”は、山崩れの結果出来た地形であり、本来はそこを磐井川が流れていた。
そして山崩れによる河道閉塞と天然ダムの成長を阻止するため、一から開削されたのが現在の河道であった。
このような“地形の大手術痕”を見せられたことで、
2年間も通行止めになっていた国道342号の被害の大きさというものを、初めて私は実感した。
(復旧してからこの道を通るのはこの日が初で、それまで敢えて近付かないでいた)
…というところで、本題の祭畤大橋へ進もう。