国道108号線 鳴子町の旧橋群
歴史の道に残る橋たち
宮城県玉造郡 鳴子町
   
 国道108号線を、秋田県雄勝町から鬼首道路を経て、鳴子温泉へと走る。
鬼首温泉郷を過ぎると、いよいよ国道の脇には青々とした湖面が現れる。
これは、日本人の手による物としては最も古いダムである鳴子ダムによって生まれた荒雄湖である。

 この区間の国道はカーブが続き、アップダウンも激しい。
湖畔にはいくつかの温泉地があり、それぞれが小さな集落にもなっているが、国道の交通量は多く、路傍の小さな温泉地など、全く省みられていないかのようである。
しかし、それ以上に忘れ去られているのが、所々に残る旧道である。




 鬼首温泉郷は鳴子温泉郷と並び、沿線の代表的な温泉地である。
最上町方向へと抜ける県道63号線のバイパスが国道代わりに利用されている部分もあり、国道を走っていたはずが、気が付くと県道に入っていたりもする。
しかし、しばし道なりに走れば、再び国道に戻りもするが。
 そうして国道に戻ると、まもなく荒雄湖が右側に現れてくる。
この先の道は、アップダウンを繰り返し山岳道路の様相を呈する。
言ってみれば、未だ改良されていない国道という感じだ。

 写真の橋は、昭和38年竣工の赤沢橋。
かなり傷みが進んでいるが、現役で利用されている。
この橋の竣工は、ちょうどこの道が国道に指定された時期に重なり、推測だが、この後に紹介する旧橋群は、この国道指定時に廃止されたものが多いのではないだろうか。


 この橋の下は、小さな沢が流れているが、そこに気になる物があった。

一瞬、隧道出現かといろめきだったが、余りにも位置が低い(というか河床その物である)ので、自然に出来たものと思われる。
しかし、不思議な形にえぐられたものだ。
甌穴が長い時間をかけて貫通したのであろうか?





 湖畔の小集落の一つである寒風沢集落に、赤い現道の橋が架かっている。
この橋の袂に、いかにも旧道っぽい道を発見。
しかも道祖神を祭ったと思われる小さなお社が道端にあり、ここが旧道であるは間違いなさそうだ。
旧橋の存在を期待しつつ、この沢沿いの悪路に進入した。


 しかし、道がしっかりしていたのはお社の前だけで、その先はすぐご覧のような廃道と化していた。
残雪ものこり、自転車を置いての探索に切り替えた。
しかし、これで何もみつからなかれば、くたびれ損だ。
結構な労働である。




 やってしまった。
残念ながら、今回は収穫なしだった。
100mほど上流に進んだそこにあったのは、もはや崩壊し、橋台の石組みが微かに叢に覗くのみの廃橋であった。
ほとんど橋が存在していた痕跡はなく、この橋の余命は既に尽きていたということだ。
当然、橋名すらも不明である。

 残念だが、収穫の無い探索は、決して珍しいことではないし、今回はせいぜい10分程度の探索であったから、さっさと気持ちを切り替えて次へ進むことにする。





 なんとなくこの道には旧橋・廃橋の収穫が期待できそうだと感じ始めた私は、そういう目(?)になってあたりを探りつつ走っていたが、探さずとも目に飛び込んできたのが、この巨大なアーチ橋である。
豪快に湖を跨ぐ橋は国道に接してはいたが、まだその短い取り付け部は未舗装で、未供用の橋であることを物語っていた。
簡単なロープでの封鎖もされていたが、こういう場所への突入こそ、チャリの十八番。
何の事前情報もなく地図にも無い道だったが、とりあえず見える範囲での工事はないので、進入してみることにした。

 はたして、この道は何なのか?
どこに通じているのか?
…興奮、してきたぜっ!


 アーチ下部からの眺め。
惚れ惚れするほどの、美しさだ。



 そして、橋上からの眺め。
雪解けの水をなみなみと湛えた湖面は、まるでエメラルドのようだ。



 快適に誰もいない橋を独り占めした後は、すぐさま静寂のトンネルが待っていた。

 相当に規模の大きい道だ。
規格も良い。
これは、やはり国道の新道なのだろうか、などと考えつつ281mの「花渕山6号トンネル」(銘板があった、橋にはなかったのに。)をくぐりぬけてみたが、その先は残雪深く、まだ工事間もないと言う土の道だった。
余り深入りすると、後の計画に響きそうだったので、ここで引き返したが、暫くの後、鳴子町の国道47号線を走っていると、この道のもう一方の端に出会い、これが国道108号花渕山道路といい、荒雄湖畔の狭隘区間の解消を目的に平成20年の完成めざし建設されている延長6k余りの新道だということを、知ることになった。


 さて、この大きな橋から湖面を眺めたとき、北側にもう一本、湖を渡る橋が存在することに気が付いた。
控えめな姿ながら、景色に良くなじんだ吊橋である。
背景となった神室山の山々と、グリーンの湖面、そして景色全体を引き締める吊橋…
私のような写真の素人が撮影してもそれなりに絵になる、そんな場所だ(笑)。
(やはり素人だけあって、おとなしい写真になったが。実際はもっと美しい。)

 つづいて、こちらの探索をおこなった。




 この橋は、軽自動車も通行できる立派な吊橋だ。
しかし、現状対岸の道は半ば廃道のようで、殆ど利用されている雰囲気はない。
それでも橋の前後だけはしっかりと下草も刈られているのは、それだけ観光目的で立ち寄る人が多いということに対する、地元の人たちの思いやりだろうか?

 やはり、派手さはないが、質実剛健といってよい橋だ。




 橋の長さは50mほど、湖面からの高さは20mといったところか。
融雪期の湖は、切り立った両岸の断崖すれすれまで水位を増しており、見つめていると吸い込まれるような感覚を覚える。

 橋の先で道は殆ど廃道のようになりつつも、対岸の林道に接続しているようだ。
この端の探索を終え、再び国道に戻ることにした。

  矢立橋 昭和33年竣工 橋長約50m 吊橋






 工事中の新道との分岐点のすぐ近くにある現国道の神滝橋(昭和40年竣工)も、横に廻ってみて気が付いたが、アーチ橋である。
この橋を渡ると、神滝温泉がある。
渡る最中に、左手の山側に何かの影を見た。
下の写真がそれである。




 葉っぱを落とした無数の木々の向こう、微かだが谷を渡るアーチが見える。
いい感じに森に埋もれた、良い廃橋の予感だ。




 現道の神滝橋の秋田側の袂から、例によって沢沿いの旧道が伸びていたが、廃道と化してから相当の時間を経ているらしく、残雪あり、泥地ありのなかなか困難なアプローチ。
多分、時期によっては雑草により接近はより困難になるだろう。
 道は急な下りで、谷底近くに降りてゆく。
そして、進むこと200mあまり、ついに、その橋は眼前にあらわれた。




 コンクリートのアーチ橋が、ほぼ完全な姿で残存していた。
両岸は切り立った断崖であり、アーチの下、岩肌を増水した瀬が洗っている。
コンクリートが用いられているが、昭和初期の施工を思わせる、重厚なアーチである。
うれしい事に欄干や親柱も残存していたが、さすがに銘板は全て脱落し消えていた。

 気持ちの上では小躍りしながら、慎重に残雪の残る橋を渡り、対岸へ行ってみた。




 しかし、橋を渡るとそこで道は消えてしまっていた。
どうも、崩落で完全に埋まり、崖と一体となってしまったようだ。
この先は再び200mほどで現道に面した神滝集落にたどり着くのだと思うが、チャリを置いてはいけないので、この先はあきらめた。

 更にこの橋を詳しく観察してみた。



 神滝側からの眺め。
崩土や落ち葉が堆積し、手前に写る控えの部分(この部分を持つ橋は古い橋に多いが、名称が分からない)など、欄干の高さまで埋没してしまっているのが分かる。
その上に生えた木は、もう成木になっており、真上だけじゃ物足りないのか、狭い欄干の隙間からも這い出している。

 どれもこれも、この橋の廃れてからの時間の長さを物語っている。
現橋が竣工した昭和40年頃から放置されているのだろう。



 神滝側の崩落した法面に登って撮影。
このアングルから見ると、すでに地形の一部と化してしまっているかのようだ。

 現道に見守られながら、元の自然へと穏やかに回帰してゆくこの橋は、スリルと危険に緊張する場面の多い廃道探索においては珍しく、なんか和みの雰囲気があった。
こんな、やさしい廃景にであったのは初めてのような気がして、しばしこの景色を愉しんだ。



 離れがたい魅力を感じた私は、再び秋田側に立ち、アーチの全貌を観察した。
気になるのは、下部に赤茶けた変色部分が見られるが、これはやはり増水時の水没の証なのだろうか?
すぐ下流にダムがあるので、ありえないこともないが、もしそうだとしたら、凄まじい水位の増大である。
 それにしても、切り立った両岸にこれだけの橋を架けた先人の勇気と苦労には頭が下がる。
もちろん、さっきまで見ていた真新しいバイパスの橋も大変な工事だとは思うのだけど、使っている道具も安全対策も段違いだからね。
そんなこと言っても、今でも橋の架橋は命がけの仕事なのは変らないのでしょうけど。

 橋の上には、まるでそこが小さな地平であるかのような、穏やかな時間が流れている。
でも、その足元に広がるのは、危険な激流だったりする。
それって、きっと橋の本質的な景色なのだ。

 ただ渡って移動するだけなら気にも留めない事だけど、なんか、この橋で過ごした時間はそんなことを感じさせ、気が付かせてくれた。


  旧 神滝橋 竣工年度不明(昭和初期?) 
    橋長約20m アーチ橋





 この先、更に下流へと進んだ。

 季節によっては国道脇に藤が咲き乱れるのだろうか、藤見峠という看板のある小さな駐車スペースの少し手前の蟹沢橋にも、旧橋を発見した。
やはり山側に残されていたその橋は、単純なコンクリートの桁橋で、親柱はおろか、欄干も全て風化してしまっていた。
しかし、近くの住宅の作業道路として未だに利用されている形跡があり、もういい加減楽にしてあげてほしいくらいだ。
それでも橋にとっては、利用されているほうが、幸せなのでしょうか?
少なくとも、設計者や、施工者だったら、いつまでも使われていたほうが嬉しいんだろうな。


  旧 蟹沢橋 竣工年度不明(昭和初期?) 
    橋長約10m コンクリート単板桁





 現役、引退、そしてこれから活躍する橋。

 まるで、橋の一生の博物館のようなこの区間も、いよいよダムサイトが見えてくると、終わりは近い。
その、フィナーレを飾るのが、未だ現役でがんばる古いトラス橋。(失礼、名称は失念)
昭和31年の竣工で、前後の区間ともども2車線ギリギリの狭さである。


 この区間は、いずれ(昭和20年頃?)、現在建設中のバイパスに国道としての役目を譲るだろう。
そのときにはまた、これら橋たちの姿を見に来たいと思う。

 このレポートで、名橋と呼べそうな「旧 神滝橋」がもっと皆様に知られ、愛され、そして竣工当時の姿などが解明されると良いなと思います。



2003.4.26




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