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コメント
31,9432019-06-10 23:00:16/road/suyama/main2.html [コメント一覧]10
ぐるぐるマークがついているのでNTT柱ですね。
31,9442019-06-11 00:26:18/road/suyama/main2.html [コメント一覧]8
軽トラでも四駆でなければ空回りしそうな雰囲気の写真が続きますが
坂の勾配がハッキリわかる真横からの写真は撮っていないのですか?
つづら折れなら撮れそうな気がしますが距離が取れなかった?
31,9452019-06-11 00:53:35/road/ypr54/main2.html [コメント一覧]10
大江町は、左沢町と漆川村の新設合併で出来ていますが、漆川村は本郷村と七軒村の合併で出来ています。七軒村の中心地が貫見で、今の姿からは想像もできませんが、古くから地域の拠点としての集落でした。現在は主に最上川の支水系ごとにまとめられた昭和の合併の影響から東西の往来(112や県道27)がメインとなっていますが、それ以前は朝日町大暮山から貫見を通過して間沢へ縦貫する往来もそれなりにあったようで(現に、以前貫見の南に松保という集落があり、集落単位で集団で麓へ移住しましたが、その際に選んだのは大江町の中心地の左沢ではなく、朝日町の中心地の宮宿でした。当時の往来的に宮宿の方を選ぶのが自然だったためです)、その名残からの県道指定であったのかもしれません。

さて、本県道については、20年ほど前は普通にカブで走れる程度の道であったと記憶しています。

久しぶりに、今年5月11日に沼山側からアクセスしましたが、通行止めとなっていました。ちなみに14年11月に貫見側からアクセスしていますが、同年7月の豪雨により数箇所に土砂崩れが起こったため通行止めとなっていました。おそらくそれ以来ずっと通行止めのはずとの複数の地元民談があります。

大江西川境界での稜線で見られた地図に無い林道ですが、東へ向かうと楢山という集落をへ至る道と思われます。こちらも20年ほど前まではカブで普通に走れる程度の道でした。

途中で通過された大鉢は以前は小学校(冬季分校)があるほどの集落ではありましたが、麓への移住を促す町の政策等もあり、昭和中期には廃村となっています。最近の地図にはまったく載っていませんが、54から分かれて大鉢を経由し同町内月布(貫見の東側にある集落)へ至る生活道路があったはずです。

途中で通過された小柳も1889年の町村制施行前までは小柳村として一村を成していた規模でした。
31,9462019-06-11 01:22:32/road/isone/main7.html [コメント一覧]10
観音不気味‥
31,9472019-06-11 15:23:46/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
沢間からここまで、一気に読んでしまいました。
嶺線林道という文字を目にした瞬間、塩那と同じにおいがしました。こういうものを作りたい、実現できるかもしれない、というエネルギーがある時代だったのかもしれませんね。
31,9482019-06-11 17:07:55/rail/waga2/main9.html [コメント一覧]1
破壊行為につき-10点
31,9492019-06-11 19:21:38/road/suyama/main2.html [コメント一覧]10
青ヶ島よりはマシな坂か。
雨天通行不可能ぽい(ラリー車を除く)。
31,9502019-06-11 21:19:10/koneta/koneta_122_1.html [コメント一覧]10
年貢や税金の取り立て、兵隊の確保の必要から行政は絶対隠里であろうが把握していないはずはないのだが。
遺物(死んでいるとは限らないが他に言いようがない)からしてかなり最近まで人の出入りはあったようだが。
31,9512019-06-12 07:07:28/road/suyama/main2.html [コメント一覧]10
最新版のゼンリンweb地図によると、旧道が出口・入口に通行止めマークがあるものの、全区間はっきりと表示されています。
そして、次回区間には隧道の表示が(^^)/
31,9522019-06-12 10:04:00/road/suyama/main2.html [コメント一覧]9
なんかこの道、生きてますね。。。
31,9532019-06-12 10:19:57/road/suyama/main2.html [コメント一覧]10
新城市が用意したA型バリケードになってるってことは
少なくとも2000年代後半位までは現役だったのかな?
31,9542019-06-12 17:34:10/road/komuro/main4.html [コメント一覧]9
現在市川市に住んでますが千葉NTに買い物に行くときこの場所を必ず通ります。
ただ速度が出ているのでじっくり見たことがなかった。これは北総線でいかないと全体が見えないですね、こんど行ってみますね。
31,9552019-06-12 18:47:48/road/suyama/main2.html [コメント一覧]10
国会図書館にある「地質調査所月報. 5(12)」という文書に、この道のコトが書いてありますね。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9615137
>巣山は国鉄飯田線の三河大野駅の東方数kmにあり,(第1図参照)この問に2っの自動車道があるが,常設の交通機関はない。道路のうち,細川を経由するものは巣山の西に急坂があつてやや不良であるので,貨物自動車の通行には阿寺を迂回する道路の方がよい。

国鉄バス資料室
西天竜線時刻表(遠江二俣−三河大野)
http://cortina.hakuba.ne.jp/~tsubame/jnrbus/jikoku/nisitnry85c.pdf

後年(?)、三河大野と遠江二俣を結ぶ国鉄バスの三遠線が開設され、細川と巣山にも止まっていたようですが、やっぱり阿寺経由だったんでしょうねぇ……

しかし……当時の感覚では「やや不良」なんですな……

るくす
31,9562019-06-12 21:46:49/mini/245/main2.html [コメント一覧]5
興味深かったけど、青ヶ島や千頭を10点とすると、どうしても「普通かな。」というのが偽らざる感想で
正直に点数にすると5点くらいになってしまうのがなんか辛い。
ところで現地調査編の製造銘板を文字起こしした表、金属板では「しゅん功」って書いてあるところが「しゅん功手」になってるよ。
2か所。
31,9572019-06-12 23:40:19/road/r127/main15.html [コメント一覧]10
南無谷崎編第2回(3−2)にある高崎隧道、「13」ではなくて「ほ」ですね。補修や改修ですっかり無くなったと思ってたのですが、まだ残ってたんですね、、、懐かしい。
金谷から館山にかけてのトンネル群には(どちら側が起点だったかか忘れましたが)「いろはにほへと・・・・」の文字が順に振られており、勝手に「いろはトンネル」と呼んでトンネルの数を数えたりしてました。確か昭和50〜55年頃の、海水浴に向かう車窓からの記憶です。
31,9582019-06-13 01:57:11/road/suyama/main2.html [コメント一覧]10
意外と大正くらいまでの資料は見つかりますが、おそらく昭和であろう自動車道への切り替え時期はよくわかりませんね……

八名郡誌
【秋葉街道】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020197/117
>巣山と細川との間には名を聞いただけでもおぢ気のたつ四十四曲坂がある、馬もろくろく通えぬ難道
>此道が今の県道大野二俣線の前身である

愛知縣八名郡全圖
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087631/2

引き続き探してみますか……
るくす
31,9592019-06-13 02:10:41/mini/244/main2.html [コメント一覧]10
東名高速を通るとよくこういった橋が架かってるなと思うことはありました。付近に信号機があり車が列をなしている場所もありましたが大半は通過する際に車も人も通っていない状態(通過は一瞬だからかもしれませんが)だったような気がします。
こういう背景があったのですね。
架けられたのにほとんど使用されることがなく撤去されるという高速跨道橋に感情があるならどんなにか切ないでしょうね。
31,9602019-06-13 03:02:08/road/suyama/main2.html [コメント一覧]10
とりあえず、市道として管理しているのですね。
31,9612019-06-13 09:59:10/road/suyama/main2.html [コメント一覧]8
【2-2】
>こんな急坂で、未舗装の山道を、古い映画に出てくるようなガタついたボンネットバスやボンネットトラックが、
>けたたましいエンジン音を轟かせながら、黒煙とともに爆走する光景を想像すると、私には滾(たぎ)るものがあった。

世界のどこかでは、今現在もそういう日常があるんでしょうけどね。
ただ、山さ行かねがが世界に羽ばたく日は来ないのかもしれない・・・
31,9622019-06-13 18:15:19/rail/senzu2/main25.html [コメント一覧]10
昔の人はスゲーな!
31,9632019-06-13 22:32:14/road/nagawado/main5.html [コメント一覧]1
我も肝に銘じます。
天狗になると判断を誤る。
これは0点、いやそれ以下です!
採点を1点以下にできないのが、とても残念です。
31,9642019-06-14 01:23:55/road/akimati/main3.html [コメント一覧]10
このシリーズは何度読んでもゾクゾクする。 ところで私のPC環境ではこの動画は見られないのです。ヨッキさん、古めの動画を今と同じYouTubeに置き換えてもらえないでしょうか?
31,9652019-06-14 02:05:56/tunnel/hanokiyama/main2.html [コメント一覧]9
今は崩れてしまってるのでしょうか?
14年も経過してるし、残ってなさそう…。
31,9662019-06-14 04:45:36/mini/245/main2.html [コメント一覧]10
人が住んじゃっているからねーしかたないねー
31,9672019-06-14 13:47:56/road/suyama/main3.html [コメント一覧]10
あれー巨大な橋台が今回最大の驚きということはやっぱりなかったのか……?(誘惑に負けてyahoo mapを見た者)
31,9682019-06-14 17:17:15/road/suyama/main3.html [コメント一覧]10
八昇峠旧道(巣山坂) 第3回に出てきた「石仏」は“馬頭観音”だと思います。馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった近世以降、馬を守ることから、交通安全の意味でも信仰されていた仏さんです。馬が急死した路傍やその難所を無事に越えられるようにと祀られたものと思います。この画像では見えないのですが頭上に馬の頭(顔)があるとすれば確定です。
31,9692019-06-14 19:16:46/road/suyama/main3.html [コメント一覧]9
滝おやじ 石仏は、八手なので庚申塔の青面金剛の可能性もありますが、頭上に馬顔が掘られているみたいですので、馬頭観音みたいですね。肝心の所がぼけ気味で見にくいんで、拡大画像で確認してください
31,9702019-06-14 19:24:52/road/suyama/main3.html [コメント一覧]10
いつも鋭いレポートを見せていただき、ありがとうございます。

「仮設幅員増設木橋」ですが、ズバリ木材切り出しのために、トラックを通すためのものではないでしょうか。

奥三河は杉の植林も盛んで、旧道になってしばらく後に、行われたのではないかと思います  F生
31,9712019-06-14 22:43:58/road/suyama/main3.html [コメント一覧]7
千頭林鉄に比べると
とても整備された道だと思う
31,9722019-06-14 22:52:34/road/suyama/main3.html [コメント一覧]10
楽しんで読んでます。ヨッキさんの好きな明治馬車道、、仙岩峠、清水峠等々、全部好きですよ☺️

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