http://yamaiga.com/koneta/koneta_140.html の公開中コメント一覧

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コメント
5,4392010-11-02 20:53:35/koneta/koneta_140.html10
このページはなんなんでしょうか?ミニレポからリンクが張ってありません。
12,1792013-03-21 23:52:29/koneta/koneta_140.html10
人が作った道は数十年で自然に飲み込まれますが、自然のダムの爪痕は数百年を経ても、植生を許さない・・・凄いものです。でもそれに立ち向かった先人達がいた。良い話を聞けました。
12,1802013-03-21 23:55:02/koneta/koneta_140.html10
こういう発見があるのはとても面白いですね!
12,1812013-03-22 00:37:25/koneta/koneta_140.html10
いいお話でした!ありがとうございます!

ところで、レポに出てきた『町営駐車場』ですが、GoogleEarthで見ると何かプレハブのような建物が林立しているように見えます。湯西川ダムの工事関連の建造物でしょうか?
12,1822013-03-22 00:48:38/koneta/koneta_140.html10
素晴らしい。出色のレポートだと思います :-)
12,1832013-03-22 01:58:33/koneta/koneta_140.html10
いい話でした。折しも会津藩の統治する地だったとは。そんなことがあったとは。静かな後味を残す、いい話でした。
12,1862013-03-22 02:55:26/koneta/koneta_140.html10
藤原町にとっては「伝説でないと困る」理由が、何かあるのでしょうね。
戊辰戦争のときに会津の人達の幾等かは入れ替わっているとも聞きますし。

橋梁や随道や踏切には現在の字名とは異なる名前が残っていたりする時は、「何かある」と見た方が賢明そうですね。
藪を刺突して 寝ている蛇を呼び起こすことが適うのは オブローダークラスタのみw
12,1872013-03-22 10:54:44/koneta/koneta_140.html10
美しくそして哀しい音楽を聴いているような思いにさせられました
素晴らしいレポです
12,1882013-03-22 12:52:56/koneta/koneta_140.html10
読んでいて、ちょっと切なくなりました。
12,1892013-03-22 13:26:30/koneta/koneta_140.html10
そこの蕎麦や美味しいらしいよ
12,1902013-03-22 15:34:22/koneta/koneta_140.html10
感動しました。
六左衛門さんを橋の名前に残した関係者の皆さんの心意気に感服です。
そしてそれに気付いてこうして発信してくださったヨッキれんさんに感謝。
12,1912013-03-22 18:43:22/koneta/koneta_140.html10
大地震で山が崩れて川を堰き止め後に決壊して大洪水を発生させた地だったのは何故か知っていたが
この下流の鬼怒川の景観が大洪水に由来する物と知っていれば
東武鬼怒川線〜野岩鉄道の車窓を見る鉄道マニアの目が変わるかも
12,1932013-03-22 20:10:37/koneta/koneta_140.html10
素晴らしい。

この橋に名付けた人のセンスに脱帽です。
12,1942013-03-22 20:15:30/koneta/koneta_140.html10
しんみりしますね。
こんな話は結構好きです。
12,1952013-03-22 22:05:01/koneta/koneta_140.html10
橋に名前を付けた人も感動したんだな
12,1962013-03-22 22:25:00/koneta/koneta_140.html10
日本のどんな場所にも人の生活や苦闘の跡が刻まれていることを教えてくれる良いルポですなあ。
12,2022013-03-23 09:21:35/koneta/koneta_140.html10
昭和54年頃から平成10年頃まで、妻の実家の会津若松に帰省する時にこの道を使っていました。当時は六左の墓のある高くなった部分にベンチがいくつかあったような覚えがあります。高くなった部分の反対側にほぼ駐車場の幅いっぱいに、いわゆるドライブインがあり、軽食やおみやげを売っていました。子供連れで休みを入れながらの帰省だったので、五十里湖は必ず休憩する場所となっていました。その後、磐越自動車道が関越の新潟からつながったため、ほとんどこの道は使わなくなっていました。今はまったく面影がないとはいえ、懐かしい思いで見せていただきました。また、いつもながらの資料に基づいたきちんとした考察、見事でした。
12,2042013-03-23 13:23:30/koneta/koneta_140.html10
UPありがとうございます。凄く面白かったです。
いま、湯西川に気軽に行けるようになったのはこんなに古い歴史と多くの人の苦難の上に成り立ってたんですね。
これからはここを通るだけでも感慨深くなれそうです。
12,2092013-03-23 22:17:26/koneta/koneta_140.html10
長らく写真だけのシークレットページでしたけど、ようやく完結しましたね。
10点です。
12,2132013-03-24 12:18:38/koneta/koneta_140.html10
えぇはなしですなぁ。知られざる廃道の発掘と並んで、知られざる地方史の発掘もよろしくお願いします。
12,2202013-03-24 17:39:56/koneta/koneta_140.html10
いいレポでした。
五十里湖にこんなドラマがあったなんて知らなかった。
12,2282013-03-25 14:06:24/koneta/koneta_140.html10
忘れていた頃に公開されたと思えばこんな結末だったのですね。
この公開までの長い時間を待った甲斐のある心に沁みるお話ですね。
12,2392013-03-26 02:31:36/koneta/koneta_140.html10
すばらしい!このレポが何故5年も放置されていたのか理解に苦しみます!!
12,2502013-03-26 14:34:49/koneta/koneta_140.html10
大変感動いたしました。感無量のレポートです。再び訪れた際の、雨の景色がヨッキさんの文章と重なり非常に印象的でした。レポートの一連の流れは、もう廃道の神様に愛されてるとしか思えないです。
12,2692013-03-27 14:43:03/koneta/koneta_140.html10
この話はとても感動した…。ヨッキさんがレポしなかったら永遠に知らなかったと思う。
12,3482013-04-01 20:08:03/koneta/koneta_140.html10
まだこの駐車場が現役の時にこの史跡を見ました。
自然災害の恐ろしさを感じさせる場所です。
何も知らない人には何の変哲もない峡谷に見えますが。
確か休息所になっていて、ドライブインみたいのがあったように記憶しています。
12,4862013-04-13 12:50:10/koneta/koneta_140.html10
武家社会はそんなことで切腹だったのだなあ。
12,5582013-04-21 15:33:58/koneta/koneta_140.html10
高木六左衛門ら工事に携わった人たちと、彼らの事跡を伝えてくれた今回のレポに敬意を表して
12,6992013-05-13 22:02:59/koneta/koneta_140.html10
涙が・・・
13,8922013-09-22 01:50:04/koneta/koneta_140.html10
会津中街道の廃道めぐりをしていました。
篠竹のなかに今でも1間幅の街道が眠っています。
中街道もこの天災に翻弄された歴史を持っていて興味深いです。

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