http://yamaiga.com/mini/214/ の公開中コメント一覧

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コメント
26,2922017-08-16 22:44:40/mini/214/main.html7
ここ歩行者、自転車はどうしてるんでしょう?
とても通りたくないですが…!?
車でなら通ったことがあるかもしれませんが、すみませんあまり覚えてないです…。
26,0462017-07-08 23:03:42/mini/214/main.html8
向こうからおデブさんが来たら密着しながらやり過ごすの?(;´Д`)イヤー
21,7852016-02-06 01:07:25/mini/214/main.html9
ただのふざけた細い歩道にも実は理由があったかも…そういうのいいですなあ。考えさせてくれる
21,4252016-01-13 23:44:01/mini/214/main.html8
いつも楽しく拝見させていただいています。
さて、静岡県道10号線の件です。
正直、子供の頃何かの郷土資料で読んだような記憶がある程度のかなりあやしい情報ですので、あまりお役に立たないと思いますが、以下のような話であったと思います。

芝川町の北部に稲子という地区があるのですが、ここには大きな砂利採取場があり、昭和40年代初めの全国的な建設ラッシュのときも稲子地区から大量の砂利が供給されていたそうです。
そのため芝川駅前を通る県道10号線はひっきりなしに砂利を満載したダンプが通行し、深刻なダンプ公害が発生したそうです。(旧道をダンプが数珠繋ぎになって走る写真を見た記憶があります。)

ダンプ公害を解消するにはバイパスを建設しダンプを迂回させる必要があるわけですが、旧道のある身延線東側は既に建物が密集しているうえ、芝川駅前付近は断崖になっており、新たに道をつくる余地など全く、必然的に西側を通すしかないわけですが、西側にしても芝川駅と王子製紙(当時は芝川製紙だったと記憶しています。)の土地は直接接しており、王子製紙の土地はそのまま富士川の川岸まで続いており、道路を通す余地など無い状態。

そこで静岡県、芝川製紙、国鉄が話し合い、境界線上の土地をバイパス建設のため提供することにした。

という事であったと記憶しております。

話し合いと書きましたが、このあたりの詳しい経緯については全くわかりません。ただ現在バイパスが通っている土地の大半はもともと国鉄の土地だったらしいです。

重ねてお断りいたしますが、子供時代に資料を見たというおぼろげな記憶でしかありませんので、まったくの覚え違いである可能性もあります。
ご参考程度にお読みいただければ幸いです。

        富士宮市在住 シンゲツ
21,4242016-01-13 23:13:37/mini/214/main.html10
バリバリの地元民ですいらっしゃいませw
しかし、残念なことに提供出来るような情報は有りません。
地下道は何度も通った事有るのですが歩道が外に存在するのは
初めて知りましたww。
件の製紙会社に勤務していた(現在は同会社の別工場勤務)
友人にそれとなく聞いてはみます。
21,4202016-01-12 23:13:33/mini/214/main.html10
狭ッッッッッ!!
21,3752016-01-08 11:00:32/mini/214/main.html9
貨物列車用の旧ホーム兼、製紙工場の取り扱い場所で間違いないでしょうね。すでに指摘が多く出ていますが、ウィキペディアによると昭和47年まで芝川駅には貨物列車が発着していたようですし、広い構内と隣接する工場は明らかに貨物列車関係でしょう。貨物列車の廃止後は線路もはがされ、現状になっていると思われます。ということは、トンネルというよりは立体交差やアンダーパスというべきなのかもしれませんね。
県道は計画時期から貨物が続くことを前提にして土地を間借りする形でアンダーパスにしたのでは。もしかしたら、完成したときには貨物列車は廃止されていたのかも…トンネルの銘板など完成時期が気になります。
あと疑問なのは、歩道に張り出したトタン屋根ですね。あれは何の意味があるのか…
21,3652016-01-07 17:57:44/mini/214/main.html8
明らかに貨物線が有ったように見えます。
現地調査なら、駅員さんが何か知っているかもしれません。
21,3602016-01-07 14:13:39/mini/214/main.html10
21,322さんの論文凄いですね!昨日のコメはログ見ずに投下したんで間抜けな内容だ。。21,334さんの時系列を前提とすると富士橋も芝川駅の貨物ホームも同じく短命という歴史の皮肉ですな〜。
21,3572016-01-07 11:03:13/mini/214/main.html10
みなさんの情報収集力に脱帽です。
昔、店舗兼住宅の建物の間にある側溝のような通路を通り、抜け出たところは完全な町工場の敷地(自動車整備関係だったと思います)。そこを抜けて学校へ通っていた、そんなことを思い出しました。
勝手に通り抜けていたわけで、不法侵入ですよね。
学校へ苦情が入り、通り抜け禁止の貼紙も表示され、公道を使うようになりました。
何の役にも立ちませんが、ふと感慨に浸りコメントしました。
てんぱっぱ
21,3522016-01-06 23:48:43/mini/214/main.html9
貨物設備っぽいですね〜。トワイライトゾーンマニュアルの昭和30〜40年代の専用線一覧表当たってみましたが芝川駅に専用線は無かったですが。。一般貨物扱いで紙を出荷していたが原料の到着があったのかな??
21,3492016-01-06 19:40:12/mini/214/main.html10
こうやってみんなで謎解きするのって楽しいですね!
21,3422016-01-06 02:06:41/mini/214/main.html9
21,322さんが引いている論文(p.88)によると、
芝川駅の用地は、四日市製紙の社宅敷地を富士身延鉄道に無償貸与した、とのことですから、
元々は(現在も?)道路も含めてすべて、製紙工場の敷地ということになるのでしょう。
21,3412016-01-05 21:48:46/mini/214/main.html10
あれ、、、何?
by丸山 熙人
21,3392016-01-05 19:52:45/mini/214/main.html7
場所柄,歩道として使うため側溝に蓋をした…感じですね。そもそも歩道は最低でも0.75(最大1.5)必要なんですが…。なんにせよデブ禁止
21,3372016-01-05 15:48:04/mini/214/main.html9
wikipediaの芝川駅の頁に「1972年 貨物の取扱を廃止」とあるので、時期としては合致しますね。
21,3342016-01-05 11:31:00/mini/214/main.html6
四日市製紙が身延線を貨物輸送に利用していた時期があったのは明らかなので、貨物扱のために建てた構造物だとして、
芝川駅の貨物扱廃止は昭和47年のことです。
遅くともそれ以降には王子特殊紙は輸送を貨物自動車に移行したのではないかと思われます。

ここまでしてこの構造物を建てたのは当時まだ貨物扱があったからかもしれませんが(だとすれば非常に短い年数しか使っていない)、
未だにこの構造物を撤去しない理由もまたあるはずです。単に撤去費用がかさみすぎるからかもしれませんが。
当該敷地の権利関係が誰の所有なのか、地上権設定かもしれませんが、はたして所有者は国鉄(JR海)なのか、県なのか、王子なのか。
掘込み部にして車道の方を下にくぐらせるくらいですから、かなり重大な動機があったはずです。
21,3332016-01-05 10:02:23/mini/214/main.html10
http://mapps.gsi.go.jp/map-lib-api/apiContentsView.do?specificationId=462686
昭和36年のこの写真で決まりでは?
地下道はまだありませんが高解像度で見ると工場側からホームに上るスロープが見えます
ということで出荷用の荷役ホーム跡でしょう
県道ができてから実際に使用されたかはわかりませんが
21,3302016-01-05 06:15:00/mini/214/main.html6
このレポートがなければ、世の中に知られる事もなかったのだから、貴重な調査です。しかも、面白い(^○^)。
21,3272016-01-05 00:48:41/mini/214/main.html7
航空写真のMCB611-C6-3を見ると、工場にホーム?へのスロープがありますね。
21,3262016-01-04 23:45:49/mini/214/main.html8
1972年の地図以降に ここに隧道マークができてるのだけれど その年に貨物取扱が廃止されてるんですよね…
それ以前はまずこの県道10号線は 島踏切付近で線路を東に渡って県道25号線のルートを通っていたようです
工場マークはそれ以前からあるけど、どうなんだろう

小さい頃からこの道を車で通っていて いつもこの隧道を疑問には思っていましたが、まさか上に何も無いとは思いませんでした^^;
地元なので続レポ期待しています
21,3252016-01-04 22:51:04/mini/214/main.html8
工場に引込み線を建設する予定があったとか
そんな感じにも見える駅の配線ですね
製紙工場に専用線は付き物ですからね
大分数を減らしてますが
うちの県にも大王製紙の専用線があります
21,3232016-01-04 22:04:36/mini/214/main.html7
1988年の空中写真に青い屋根の構造物が有ります。
国鉄時代から駅構内なのではないでしょうか?
21,3222016-01-04 22:00:01/mini/214/main.html10
レポお疲れ様です

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00902/2003/23-0083.pdf
こんな論文を見つけました
芝川付近に四日市製紙(王子エフテックスの前身の一つ)の未成専用線があったようです。
21,3212016-01-04 21:29:37/mini/214/main.html8
まず間違いなく貨物ホームの跡ですね。
静岡県航空写真集「わがまち旋回」(昭和58年静岡新聞社刊)には工場より道路の上へ登るスロープが確認でき、製品らしき物を覆う青いシートが確認できます。残念ながら当時既に線路は剥がされていたようですが構内の形状からして線路が入っていたのは確実です。
21,3192016-01-04 21:13:26/mini/214/main.html10
駅構内と地下道蓋、製紙工場との位置関係をみると、地下道蓋は工場荷役線の跡地ではないでしょうか。全て推測ですが、現道の位置には以前から工場の荷役線があった→新道を計画するが工場敷地と芝川駅が隣接していて新道を設置するスペースがない→少〜しだけ工場敷地を県道に
譲ってください→荷役線のホームがあるから無理!→じゃあアンダーパスにして荷役線の機能はそのままにします!→なら良いよ!→地下道を建設し蓋を荷物ホームとして使用する→鉄道での荷物輸送が衰退し荷役線が役割を終える→廃止になった荷役線のレールは撤去→地下道蓋だけが残る。
こういった流れがあったのではと考えます。県道の路肩がほとんどないのも工場敷地への支障を最小限にしようとしたあらわれではないでしょうか。
検証レポ待っています!



21,3172016-01-04 20:20:16/mini/214/main.html10
何だコレ???
「地下道」は屋根を製紙会社の貨物ホームとして使うに耐えられる頑丈な構造なのだろうか
そうだとしたら資材か製品の鉄道輸送が構想され企画倒れになった痕跡なのだろうが
そうでなければ何故道路を下げて屋根を掛ける必要があったのか
屋根の外側の蓋の上を行く歩道?は夕立に遭ったら工場の屋根が掛かっている所が雨宿りポイントのつもりか
地下道内だと車が気になって落ち着けないだろうから
21,3162016-01-04 20:06:29/mini/214/main.html6
自転車で何回も通過したことがあるけど、気付かなんだ・・・
さすが!
だけど、前照灯とベルが付いていないですね
道交法違反になりますよ
21,3152016-01-04 19:03:37/mini/214/main.html8
県道10号が造られた時期を調べられるといいと思います。芝川には祖母の実家があり昭和30年代に、よく行ってました。その頃には、駅の南側には道はありませんでした
21,3142016-01-04 18:14:15/mini/214/main.html7
王子エフテックス専用の貨物用ホームなのではないでしょうか。

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