その38仁別森林鉄道跡 仁別地区2003.11.13撮影
秋田市仁別



 今回も、秋田市に住む人に送りたいローカルネタである。

秋田市周辺に住み、そこで育った山チャリストにとって、仁別地区というのは、思い出深い地だと思う。
秋田市街に最も近い「本格的な」山岳道路群の起点としても、周辺の山間に縦横無尽に伸びる林道たちを攻略する起点としても、多くの山チャリストが経由し、補給し、生還を喜び合った地だと思う。
少なくとも、私はそうだ。

そして、これはここ仁別に限ったことではないが、馴染みの土地に、新しい道、新しい空間を発見すると、なんとも得した気分になる。
自分だけの場所を見つけたような、そんな子供じみた喜びを得られるものだ。
今回紹介するのは、私にとっての、そんな場所である。

だからこそ、ぜひ、仁別を知り尽くしたと考えている人たちに、ご覧頂きたい。
あなたは、こんな場所が存在していたことを、知っていただろうか?





 当サイトでは意外にも初公開かも知れないが、秋田市の山チャリストならみんな知ってる、ちょっと謎めいた隧道。
私も、中学生の頃にはじめてここを走った時からしばらく、この小さな素掘り隧道は永く謎の存在だった。
何が謎なのかというと…、 ま、その話は、また今度。

まずは、この隧道の脇に伸びる自転車道を進みましょう。
もうすぐ、本自転車道の終点、仁別だ。



 自転車道の終点の地、仁別。
ここが旭川沿い最上流の集落であり、太平山の登山基地としても、山チャリストの補給地としても、近年では市民の憩いの場としても、お馴染みだ。
私もこの景色はもう、嫌というほど見てきた。
このすぐ先に待ち受ける急な上りが多くの山チャリストに入山を意識させる、そんな場所だ。
だが、最近林鉄にかぶれている私としては、この広場が以前は仁別森林鉄道の仁別駅跡だったことや、尾根を越えて隣町の杉沢に伸びていた奥馬場目支線との分岐点だったなどの事実が、以前とは違う興奮を与えてくれる。




 仁別の集落は、旭川本流とその最大の支流である仁別沢の出合いである狭い盆地に、ひしめくように立地している。
これでも秋田市内であり、集落内だけを見れば、意外に「宅地」という感じ。
しかし、今回の“発見”は、この集落内に初めて踏み入ったことから、もたらされた。
山チャリストにとって、道路沿いの商店や自販機は利用価値があるが、狭い集落の路地に入ったことはなかった。
そこが、盲点だったようだ。

試しにちょっと踏み込んでみたところ、旭川に架かる橋の傍に、ご覧の様な古い砂防ダムを見つけた。
この、全体的に丸味を帯びた石組みの重厚なフォルム。
平凡な住宅地には不釣合いな景色だが、なんとなく見覚えがある。



 よく観察すると、約2kmほど下流にある「藤倉水源地」とよく似ている。
藤倉水源地というのは平成8年に国によって国内初の近代化遺産に指定を受けた給水用ダムであり、明治36年に建設された後、70年間余りに渡って秋田市民の水がめとして活躍していた。(こちらのサイトに詳しい)
あちらはもっと大規模なダムであり、これとは形状こそ違えど、雰囲気が似ている。
確証は無いが、多分、同時期の竣工物ではないだろうか?

すぐ上流に旭川ダムが稼動しており、水源地同様、本来の役目(砂防と思う)は終えているものと思うが、人知れず民家の裏手にこのような“近代化遺産”の一端が残されてたとすれば、ひとつの発見である。



 だが、今回の発見は、これだけではなかった。

橋を渡り対岸に渡ると、さらに上流に続く道が、あった。
なんとなく、廃っぽい“いい”雰囲気。
そそられたので、進んでみることに。
ちなみに、左下に見えるのが、古い砂防ダムである。



 古びた農機小屋の脇を過ぎると、その先にはもう建物は見えない。
旭川の清流沿いにやや幅のひろい道が続いている。
路面に刻まれた轍はどれも古く、か細い。
降り積もった落ち葉は、今秋の物だけには見えず、いわゆる廃道となって久しい道のようだ。

集落と目と鼻の先に発見された新しい廃道。
それだけでもアツイのだが、この道にはまだ秘密があった。



 路傍に数本棄てられていた鉄棒は、レールだった。
これは、最近私が入れ込んでいる森林鉄道の物に間違いないだろう。
なんといっても、ここには半世紀前まで膨大な軌道網が存在していた。
それらの中心的本線だったのが、先ほども名前が登場した仁別森林鉄道だ。
最初に触れた“謎の隧道”も軌道関連だったし、ここまで私をいざなった自転車道も、元を辿れば軌道跡である。
仁別と森林鉄道は、切っても切れない深い関係にあった。

そして、私が今いる場所こそが、これまでその所在が確認できていなかった仁別地区の軌道跡である。
仁別集落からすぐ1km上流の旭川ダムまでの区間は、距離が短いこと、宅地化が進んでいることなどから、残存していないと考えていた。
しかし、実際には、ご覧のように非常に良い状態(当時を偲ばせるという点において)で、残されていたのだ。
起点のJR秋田駅裏から仁別まで、さらに仁別ダムから終点旭又までの、ほぼ全区間が自転車道や遊歩道として再整備を受けている本林鉄において、このような放置区間は、むしろ貴重であり、その発見は私にとって喜ばしいことだ。
自身が仁別森林鉄道跡でレールを目撃したのは、これが初めてでもある。




 私の脳に軌道跡の景色としてインプットされている風景に、よく似た光景が広がっている。
所々路肩が落ち、落石と落ち葉に埋もれかけた路面。
岩肌を穿ち、谷底を睥睨し沢に並行する線形。
これぞ軌道跡の景色だ。

こんな近場にもまだ残っていたことが、素直にうれしい。



 脆そうな岩肌には、不思議な筋が存在していた。
軌道を建設する際に始めて地表に現れただろう露頭も、永い間風雨に晒され続け、ボロボロだ。
茶色の筋は、根っこ?

これは、あの人に聞かなければ…?!




 旭川は両岸を切り立った断崖に狭められ、急流と化している。
このような険しい地形が谷底に隠されていたのかと、これまた驚き。
周辺の主だった道はみなこの旭川沿いを迂回し、支流である仁別沢沿いや、或いはこれらを大きく南に迂回する進路をとっているが、本流のこの急峻地形を知るまでは、ダムの迂回だけが目的と考えていた。

ただひとつ、美しい清流ではあるが、違和感を感じた。
水面ぎりぎりに位置する川原までも、妙に苔生しているのだ。
それは、まるで庭園に造られた人造の流れのよう。
普通なら、ときおり増水して洗われたりすると思うのだが、この川の水位は(ダムのせいで)年中ほぼ一定なのだということが分る。



 少し進んだところで振り返ってみた。
かつて軌道を“ズリ(=下りはブレーキを巧みに扱いながら運転したが、過重やレールの状況によって車輪が空転して制御不能になること)”の恐怖と戦いながら降りてきた山師たちが、この景色を見て安堵のため息を漏らしたことだろう。
少し民家はモダンになったかもしないが、その件数や集落の範囲などは、往時と大差ないはずだ。




 楽しい軌道探索だが、長くは無い。
なぜならば、行く手には堤高51.5mの重力式コンクリートダムが待ち構えているのだ。
一際目を引く深い切り通しの奥に、それはまさに壁となって、谷全面を塞いでいる。

この景色も非常に新鮮である。
旭川ダムは昭和47年に完成した洪水・流水調節用のダムで、決して規模が大きいわけではないが、市内唯一の本格的なダムとして知られている。
堤上には自由に立ち入りが可能なのだが、その下流部は、これまで踏み込んだことはなかった。
というか、この荒れた軌道跡を来る以外に、ここへたどり着く術が無かったことを初めて知った。



 まだ発見は続く。
対岸に、謎の坑門を発見。
川に平行してダム堤体方向へ隧道が存在していると思われるが、その坑門前に立ち行く術が無いし、何よりも私を近寄らせなかったのは、その坑門に頑丈そうな鉄の扉が設置されていることだ。
位置的にはダムにありがちな堤体内部に続いているもの、つまり隧道というよりかは通路と推測するが、やや距離が離れており(約50m)、気になる。
ただ、現役で管理されているものと思われ、攻略は難しそうだ。




 そしてこれが、堤体一杯一杯まで接近した写真。
軌道跡の痕跡も、ダム工事時に大きく地形が改変されたようで、ダム手前で切り立った断崖に消えている。
この先の軌道跡はしばし湖底と言うことになろう。
実際の形状は歪なのだが、ここから見るダムは左右対称で格好がよい。
また、決して規模の大きなダムではないが、遮る谷の狭さ・深さと相俟って、その迫力も十分だ。

しばし新しい景色を堪能した後、私は引き返した。

こうして、また一つ発見を重ね、ますます軌道の魅力に取り付かれる私であった。



2003.11.28作成
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