その40主要地方道8号 十和田角館線 先達地区2003.11.19撮影
仙北郡田沢湖町 先達



 小ネタ集として始まったこの「ミニレポ」も、今回でいよいよ40話を数える。
今回のネタ名は、タイトルの通り「主要地方道8号 十和田角館線」だ。
もしあなたが、秋田県に長く住んでいる道路フリークであれば、不思議に思うことだろう。
「そんな道、あった?」
そう感じたなら、あなたは確かな知識をお持ちである。

そう。
2004年現在、秋田県の県道番号において、8は欠番だ。
昭和53年より今までずっとそうだ。
だが、昭和29年に認定された主要地方道8号線は、確かに「十和田角館線」を名乗っていたし、実際にこの両者を結ぶ全長73km余りの道路が、少なくとも帳票上は存在していた。
もっとも、田沢湖町と鹿角市の間にある峠は永く不通であったが。
では、これほど長大な道が、一体どこへと消えたのだろうか?


少し地図を見れば分かりそうなので、種明かしだ。
実は、昭和53年に廃止された主要地方道8号線は、今も名を変えて存在している。
具体的には、角館から田沢湖までは元来国道105号線との重用区間だったので省くが、田沢湖から鹿角市十和田までの道は、国道341号線として利用されている。
廃止というよりは、国道に昇格したのだ。

なーんだ。
と言われそうだが、話はここからだ。
もし、国道に認定される以前の道が残されているのだとしたら、それをどう呼ぶべきなのか?
実質は「国道341号旧線」としてしまっても問題ないだろうが、それでは余りにも味気ない。
そして、そんなことで私を悩ませる旧道が、事実、発見された。

それは、余りにも見捨てられた道だった。





 生保内から始まる国道341号線を北上すること約10kmで、先達地区を通る。
ここは玉川の川岸の道を緩やかな左カーブで通るのだが、ご覧の通り、別に難しい道ではない。
道幅もゆったりととられ、あっという間に通り過ぎてしまう。
だが、林がすっきりと見える秋には、ここに今では使われていない道の姿が浮かび上がる。
車窓からは気が付かないかもしれないが、それは、現道の頭上の崖にあるのだ。

お気づきだろうか?


 その痕跡は、私も今回はじめて発見したのであるが、現道の上部の切り立った崖に、概ね崩れた岩肌となって現れている。
その距離は、約1kmほど。
現道の様子を見る限りは、あのような峻険な場所に道を穿った理由を図りかねるが、現道は川原に大規模な改良を施して通された道のようである。

更に進む。



 徐々に、現道との高度差は縮まってきた。
一体どこで合流するのだろう。
ちなみに、この道を旧道と断定したのは、帰宅後に古い地形図を確認してからだが、現地でもそういう感じはした。
なにせ、写真では分かりにくいが、その道には石垣の路肩が存在しており、更に所々、ガードレールが設置されているのが、見えたのだ。
そしてまた、そのことが、この未知の旧道を実際に走ってみたいと感じた、理由だったと思う。




 旧道と現道との接点を探しながら進むと、まもなく現れた「茶立ての清水」駐車場がそうだった。
ここは、平日でもポリタンクを抱えて給水しに来る人が絶えない人気の清水であり、現にこの日も数台の車がポリタンクを覗かせ停車していた。

余談だが、こことか、あとは同じ沿道の「玉川ダムサイト」などのどちらかでも、道の駅として開業したらいいのになと思う。
国道341号線には、一箇所も無いので。



 「茶立ての清水」駐車場で、今来た方向へ向けて方向転換。
すると、崖際に確かに道の痕跡がある。
ただ、それは下から見た姿から想像されたものより、遥かに、荒れ果てていた。

全く利用されていないのか、入り口からすでに枯れ草に覆われており、私の気持ちを挫けさせようとする。




 旧道へ分け入って、ほんの20mほどで、この有様。
これはもう、十分に断念の言い訳にはなる。
しかも、この旧道区間はとてもメジャーとは程遠いものであると同時に、現道からその全容がほぼ把握できたので、敢えて進入する事の意義も、見出しにくい。
サイトでの公開と言うことも、最近の探索では常に念頭をおいているが、余りにもマイナーと思われる本旧道は、果たしてビジターに興味を持ってもらえるのだろうか?
ぱっと見た感じ、距離は短くとも、この道に入れば、かなりの時間を要するだろう事は、想像が付いた。

…どうしよう。



 でも、結局ここで公開していることからも分かるように、私は探索に踏み切った。
決定打となったのは、下からその存在が知れたガードレールである。
これだけの荒廃の中、どんな状況でそれら遺構が存在するのか、興味があったのだ。

ただし、ポリシーを曲げ(あっけなく曲げたと思われるかもしれないが…、確かに決断は早かった。それだけ―だったのだ。)、チャリは放棄した。
どうせこの旧道を探索して終われば、再び茶立ての清水に戻ってくるので、約2kmほどの徒歩での探索を決意した。

写真は、笹薮にまみれながらも、山際にぽつんとあったコンクリートの側溝の一部?
これは道に比べれば比較的新しいようにも見えた。


 現道との距離は変わらず並走しているが、高度差は大きくなってきた。
この景色は、現道さえなければ、川岸の切り立った崖に張り付く道そのものだ。
しかし、殺気立つほどの荒廃振りである。
この道の荒れは、三重苦である。

それはすなわち、草、木。そして、崩れ。
まさしく、全く利用されていない道だ。
古道の風情や旧道の哀愁が感じられないのは、私の未熟さゆえか。



 そして、遂にガードレールの痕跡を発見。
だいぶ高さを増した川側の路肩に、ガードレール用の支柱が点々と並んでいる。
だが、横板の部分が見当らない。
豪雪地ゆえ、崖下に押し流されてしまったのだろうか。

ガードレールの内側に生えた木の幹の太さが、廃止されてからの月日の永さを物語る。



 300mくらい進むと、のぼりは終わって、崖沿いを等高線に従って進むようになる。
荒れは全く収まらず、それどころか、道はますます深い雑木林と化している。
下から見るところ、路肩は石垣で補強されていたが、法面は全くの手付かずである。
これは、もともとそういう道だったのか、あるいは車両交通に耐えうるようにと無理な拡幅がそうさせたのだろうか?
いずれにしても、この廃止区間全域に亘る法面の崩落は、致命的な欠陥だっただろう。

写真は、振り返って撮影。
少し現道とも距離が空いている。
路肩に続くガードレールの支柱に、元主要地方道としての矜持を感じる。
古くから県内有数の湯治場であった玉川温泉まで本路線が通じたのは、昭和27年のこと。
県道指定を受ける、2年前のことだ。
現在でも八幡平を中心とした観光道路としての側面を持つ国道341号線は、初めから観光資源に恵まれた路だったのだ。



 狂おしいばかりの荒れ方。
これは、これまでにチャレンジした道の中では、最悪と言って差し支えあるまい。
累々と積み重なった落石には、既に木々が根を張っており、更に隙間を埋めるように強固な笹藪と、最も厄介な野ばらが繁茂している。
ここは、チャリで踏み込んでこなかった決断を、素直に評価したい。
チャリ同伴では、突破に半日を要するか、途中で気が狂っただろう。



 これから進むべき行く手は、この有様。
こんな道を進みながらも、葛藤があった。
私がチャリを捨ててでも道の探索を優先するようになったのは、比較的最近なのだが、心境の変化があったとはいえ、まだ、自身の探索スタイルの変化に対して戸惑いもある。
チャリをおいての探索は、それまで10年以上続けてきた「自己ルール」を否定するものだし、それにより一気に広がってしまった探索の舞台にも、まだ、「ここからここまでが私の探索対象」という線引きができていない。
現状では、興味の湧いたものには片っ端から突っ込んでいるわけだが。
まあ、それが新しいスタイルとして定着する可能性もある。

一ついえることは、自分の作ってきた「チャリが入れる道限定」、あるいは「チャリを無理やり進入させる」と言うルールが、どれほど探索の舞台を狭めていたのかはよく感じるようになった。
それが、一概に良いことだったのか…?
そこに、葛藤があるのだと思う。



 まだ生きているガードレールを発見!
横板が落ち、半ば崩れた土砂に埋もれながらも、何とかガードレールらしい姿を保っている。
まだ機能している?




 最も現道との距離が離れる場所に来た。
玉川が流れ、そのすぐ脇を国道が通る、山側には杉の植林地が挟まれ、山肌にこの旧道がある。
杉の林の向こうには、現道のアスファルトが見えている。
また、ここにはガードロープの痕跡があった。
肝心のワイヤーは消滅し、赤さびた支柱が数本残るのみだ。




 山肌の微妙な凹凸に従う旧道は、思った以上に長い。
もうそろそろ現道に合流すると予感してから、しばらく歩かされた。
しかも、道の様子は相変わらず。
軍手、長袖、帽子が必須の、いばら漕ぎの道は険しく続く。



 砂礫の山肌は脆く、45度の角度まで崩落しつくしている。
当然、残された道も藪と化し、これならば斜面を歩いたほうが楽だ。

本区間の現道への切り替えは、いつなのだろう?
国道に認定された昭和53年よりは前だろうと言う憶測の元、本稿を進めてきたが、実のところ確信は無い。
ガードレールが存在することから、極端に古いとも考えにくい。
古くに廃止された道では、ガードレールを見た覚えは無い。
何も無いのが普通で、あっても、コンクリートと鉄パイプで作られた、欄干のようなものとか。



 旧道に青いビニルシートの掛かった刈られた雑木の山が現れると、そこから先は改善がある。
浅いが、轍が存在しており、辛うじて現役だと思う。
こうなると、現道合流点まではあとわずか。
相変わらず等高線に従って進む旧道に、現道が登りで近づいてくる。



 やっと見えてきた合流点。
ずっとこのくらいの道なら、問題なくチャリで走破したが、印象にも残らなかったに違いない。

この旧道は、チャリと歩きと言う、二つのスタイルの間で揺れる私の心を、再確認させる道であった。
敢えて、サイト上での人気投票などによる方針の決定はしない。
探索するのは私であり、山チャリは、自分で作るものだから。

いま
飛躍的に行動範囲は、広がった。
言い訳はもう出来なくなった。
ノーエスケープだ。




 現道合流点。



 旧道は、右手の土手のような道だ。
ずっと先の、現道が左にカーブし視界から消える場所の上部に、微かだがさっき歩いた道の崖が写っている。
こうしてみると、意外に距離がある旧道だった。
距離は、旧道の距離で1.2kmくらい。
要した時間は、約20分だった。
体に刻んだ擦り傷は、多かった。
難易度は、高かった。

あとは、歩いてチャリの元へと向かうだけで、本区間の探索は終了だ。




  お ま け



 国道をチャリの元まで歩く最中、山側の旧道下の斜面にこんな岩を発見。


これは…、

「お化け」に見えませんか?

なんともうらめしそうな、右向きの顔が、

ほーら、見えてきた。
 コワッ。


2004.1.5作成
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