その60ソッケ林道2004.6.30撮影
秋田県仙北郡田沢湖町 玉川



 今回は、林道だ。
「山行が」では、ここんとこかなりご無沙汰だった林道ネタである。
名は、ソッケ林道。

あ、待って。
名前だけの一発ネタだと思った人、待って!
ちゃんと、廃道だからサ。
寄っていってよ、ちょっと。





 国道341号線における、田沢湖町から鹿角市への80km近い山越えルートの前半は、ほとんどダム湖の景色である。

生保内から続く集落が尽きると、間もなく長いトンネル二本が現れる。
2本目のトンネルを出ると、エメラルドブルーの湖が左に現れる。
これが、鎧畑ダムの作る秋扇湖。
さらに、ダム沿いを橋の連続で進むと、ひときわ巨大な玉川大橋を経て、再び車窓はトンネルの連続を迎える。
そして直後、さらに広大な水面が目の前に現れる。

玉川ダムの形成する宝仙湖である。
この先、国道は延々10km近くこの湖の縁を走ることになる。




 平成元年に多目的重力式コンクリートダムとして完成した玉川ダムは、県内最大のダムである。
その貯水量2億2900万立方メートルは、2003年末の時点で日本第5位を誇っている。
堤体に立って湖面を見渡せば、その広がりの大きさに息を呑むだろう。
右岸には国道が点々と橋を繋いでおり、その先は霞んでいる。
天気の良い日ならば遠く八幡平の麗峰を見通せるが、今日のように雲が低い日の眺めは黙らせるような迫力がある。
視界は鈍色の雲と水面に挟まれ、若干の息苦しさを感じながらも視線を遠くに遣れば、そこに立ちはだかる黒い峻峰。
その双耳峰は「男神山」と「女神山」という。

県内で見られる景色の中では、私の好きなものの一つだ。




ダム堤体上の道は一般車通行止だが、歩行者まで制限するものではない。
対岸にはベンチの設けられた小公園もある。
ここを渡ることが、ソッケ林道へのアプローチとなる。
すなわち、もう既に自動車は不可だ。



 100mを見下ろす堤上を渡ると、この小公園にたどり着く。
私は、てっきりここは行き止まりだとばかり思っていたのだが、地図にはこの先、ダム湖に沿って進む道が描かれている。
また、一部の地図には、ダム湖を渡る唯一の橋である男神橋まで繋がって描かれている。
これが通れるならば、一部だが走り飽きた国道を迂回して進めることになる。
それで今回、行き止まりの林道でないならばと、突入を企てたわけである。




 うおっ。
確かに、タイル敷きの公園の隅に、コンクリの斜面に隠されていて見つかりにくい道があった。
ここに一足先に気が付いていた「自己満足の世界」の照井さんは、たいしたものだ。
ただ、彼が午後4時も回ってから進入した真意は図りかねるが…。

まあいい。
そこが彼の良さなのだ。



 さて、ここまで既に2回の通行止ゲートを越えている。
一度目はダム堤体上で、もう一つは上の写真のものだ。
いずれも、抜き差しが人力で可能な簡易な物ではあるが、敢えて突破してくる轍はない。

と、いつもならそう言いたいところだが、今回は違った。
なんと、轍が、しかも新しそうな轍が、所々に残されていた。
しかも、明らかに4輪の物だ。




 再びゲート。
これで三度目だ。
ここまでは、入り口から500m足らず。
しかし、既に廃道寸前というか、路盤はしっかりしているのだが、下草が伸び放題である。
しかも、この日は生憎の雨がちで、タップリの雨露がサワサワする私の下半身を濡らしつつあった。

3度目のゲートの先に、果たして轍は?!



 なんと、まだ轍は続いている。
わざわざ三度もゲートを持ち上げて突破してきたドライバーには、一体どんな目的があったのか?

湖面とはつかず離れず、国道とは対岸を走るこの道は、ダム関連道路なのだろうか。
特に沿線にダム関連施設がある様子はない。
また、少なくとも現在は林道として管理されており(通行禁止という管理状況だ)、まともに利用されている気配はない。
通常の林道と異なるのは、徹底的な法面のコンクリ補強くらいか。
ダムに土砂が落ちて堆積することを嫌ったのだろう。



 下草が伸び放題なのは不快だし、濡れ行く下半身に悲しみと憤りを覚えつつも、まあ路盤自体がしっかりしているので、結構坦々と走れる。
気になるほどの勾配もないし。
また、コンクリが随所随所に「バリッ」と施工されていて、冗長になりがちな湖畔の道にメリハリを付けている。




1kmほど進んできた地点で、ちょっと広場だった形跡。
かつては、普通の砂利敷きの林道だったようである。
ダムの管理上の理由からか、一般車の通行を禁止したことで、こんなに藪となってしまったのであろう。
施工自体は、勿体ないほどに、しっかりとしている。
舗装さえすれば、快適なダム周回路になるかも知れない。


…と言う感想は、ここまでで、おわり。




 広場の先、様相が一変する。
一見しては、藪が心持ち深くなったかな、と言う程度なのだけれど、実際に踏み込んでみると大違いだ。
いつの間にやら頼みの綱の轍も消えており、路面には石ころやら木片やらが散乱し始めたのだ。
その不安定な路面が、藪で覆われ見えない足元に広がっているのだから、チャリには恐い道である。
歩くにも、この藪の濃さだと、相当に不快だろうが。

写真には、遠くに男神橋が写っている。
あそこが、今回のレポの終着点である。




 轍が消え、藪状況が一気に悪化した理由が分かった。
道が不通となる人為的でない理由が、そこにあったからである。

なるほど、これか。

私は、荒れの原因が分かったことに納得すると同時に、これを越えれば路面状況が復活する可能性が期待できる崩落点を、好意的に見た。

チャリを押し、または担いで、慎重に挑む。

まずは倒木が第一の障害であり、


間髪入れず、路盤全体の消失した沢。
これが、第二の障害だった。

幸い、えぐり取られた沢には水がなく、幅もないので簡単に突破できた。




 これを越えても、期待したほど路面状況は改善しなかった。
むしろ、堅い土の路面は苔生し、相当に長い期間通行者がなかったことを感じさせる。
この辺りは、やや登り基調で、ソッケ森からダム湖へ急激に落ち込む斜面を巻いている。
ソッケ林道の名もこの森の名から来ているが、そもそもの由来は、分からない。

ソッケって、なんだ?




 ふたたび沢を渡る場面で決壊しており、路盤の大概が失われていた。
これが、第三の障害である。

いや…写真を撮ってないだけで、もっとあったのかも知れないが、まあ、チャリだったら根性だけで突破できるような障害ばかりだ。
廃道ファンには、オススメできるかも知れない。
まあ、あんまり嘗めて取り組むのも危険だと思うが。

ただ、雨上がりや、雨の日はオススメできない。
この日が正にそうだったが、既にパンツまで濡れてしまった。
雨合羽などあってもほとんど無駄だし。(汗で濡れるか、藪に引っかかれて穴が空いて終わり)





 ダムから2kmほどで、「ソッケ林道」とだけ書かれた、素っ気ない標柱が現れた。

あ、引いた?
やると思った?


ここには、かなり大きな見慣れぬ木が生えていた。
写真奥に、その太い幹が写っている。
なんだろう、この木。



 うわー  (←無感動な声)


なんか、いつもなら完全廃道! などと奇声を発しそうな場面だけど、なんかテンション上がらないし。
何でだろうかと考えてみると、まず比較的新しい林道だということ。
歴史の浅い林道が廃道でも、ちょっと萌えられないなぁ。
むしろ、ちゃんと下草刈れよなって、イライラしてくる。

そして、藪が濡れていて、とにかく不快なこと。
こんな日は、藪は駄目だね。
なんか痒いよ。

どこまでも身勝手な考えに終始する私は、廃道で心が荒んでしまったのか。
このままでは、廃道の無法者となってしまいそうだ。



 そんな荒んだ私の走りの前に現れたのは、一人のオヤジだった。

オヤジは、どこまでが道なのかも判然としないような路傍の藪で、一心にフキを刈っていた。
この雨の中、合羽姿でフキを刈るオヤジ。
オヤジは、私がチャリに跨って通り過ぎるのを、まるで絵に描いたような目を丸くした顔で見ていた。

オヤジの通った後の廃林道には、50mおきくらい毎に、ご覧のようなフキの束がまとめて置かれていた。
帰りに回収して帰る魂胆なのだろう。
もろ、轍に置いてあるから、哀れオヤジのフキは、悉く私の轍に踏みにじられたのである。

「ごめん、オヤジ。」
藪が深くて、避けられなかったよ。フキ。
妙に和む、私だった。



 フキオヤジをすれ違ってからも、廃道は長く続く。
まさかオヤジがこんなに歩いてきたとは…。
しかも、フキなど国道の脇にもごまんと生えていたように思えるけど…。

写真の切り通しが、ソッケ林道の最高所である。
ここからはやや下り基調となり、置くに見える男神橋を目指す。




 ダムから4km弱。
遂に最後の難関だ。
この巨大な倒木の先には、フキオヤジのものらしい車が停まっているのが見える。

進路を崖際に求め、藪を掻き分けて進む。
ここで、雨脚が強まる。
心配なのは、デジカメが濡れないかだけだ。
もう、この廃道で体の方はびしょ濡れだった。



 道を埋めた倒木の連なりには、フキが生い茂る。
ここを汗だくで突破したら、やっと廃道は終わる。




 そこに停まっていたオヤジカー。

全開!

余裕綽々で、全開!!

いくら山中でも、この全開ぶりはどうだ。

思わず、車内に置いてある「エメマン(未開封)」に私の悪心が鎌首をもたげた。

オヤジ、車開いてるぞ!全開だぞ!!




 ここから男神橋まではさらに2kmほど。
次第に轍ははっきりと現れ、じき通常の林道となる。




 この辺りには、明通沢という標柱が道路脇に立っていた。
写真の切り通しが名前の由来なのかな、とも考えたが、真偽は不詳。
しかし、立派な切り通しだ。
トンネルになってもおかしくなかっただろう。



 間もなく舗装路となり、そのまま男神橋が現れる。
これを渡れば、国道とぶつかるT字路である。
その正面が、男神山だ。


以上。
素っ気なく終了。



2004.7.6作成
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