ミニレポート <第80回> 十文字吊り橋 
公開日 2005.7.7 七夕 


 渡らずにはいられない衝動の吊橋、
      その名は、十文字吊橋。
 2005.5.29 AM7:21



 世界遺産白神山地の懐深く、素波里ダムより粕毛林道を10kmほど進むと、一取林道という細道が左に分岐している。
入り口には「奥素波里」と言う行き先が、古い木の標柱で案内されているが、その終点にあるものは、長い長い林鉄跡くらいなものだ。
まさに、我々オブローダーと釣り人専用道の様相を呈している。
一取林道は、荒れたダートで、乗用車ではヒヤヒヤする場所が多いが、入り口から2.5kmほどで、写真の吊り橋が林道脇に現れる。
これより先林道は間もなく終点の広場となる。

 この日、粕毛林鉄の源流部踏査のため、初めてここへ入山した我々、私とパタリン氏くじ氏の3名による合調隊は、威容を誇る吊り橋に釘付けとなった。
特に私は、たまらなく惹かれるものがあった。





 錆が浮き触るのも憚られるような鉄製のタワーが、林道の路肩に立っている。
メインケーブル2本は林道の頭上を跨ぎ、のり面の岩盤へ打ち据えられている。
もとより狭い入り口だが、通行止めと言うことなのか、腰丈ほどの柵が設けられている。

 なんと、この吊橋には立派な名前が付けられている。
その名は、十文字吊橋。この場で初めて知った名だが、耳新しい名にも惹かれるものを感じた。
そして、括弧書きで橋長が書かれているのだが、その全長は51m。かなり長い。
案内板にはその他に、渡れる定員が6名までであることが記されているが、別に危ないから渡るななどと言ったことは書かれていない。




 問題の無い橋かと思いきや、やはり甘くはなかった。
小さな立て札が一本立っており、そこにはやや乱暴にマジックペンで書かれた「この橋渡るべからず」の文言。
歴史を感じさせる「山火事注意」の看板と共に、この橋が元来は杣道(山仕事のための道)だったのだという予感を強くさせた。

確かに、看板の向こうに見えている橋上の様子は、

限界臭をプンプンさせている。

もしこれで現役だったら、俺はどうしようかと思ったほどだ。
だって、現役なら渡れませんなんて泣き言は言えないだろうから。



 来てます。


 良い具合に朽ちています。

 う〜〜〜ん!

 微妙だ!!

渡らないのが常識的な判断だと思うけど、意外にこの橋は安全なんじゃないかって気がする。
元々定員は6人あったわけだし、いくら老朽化していても、まさか橋が落ちるわけはないだろう。
まして、ここは冬にもなれば積雪が3m近くある場所。
私の体重50数キロでどうこうなるわけはないと思う。

 ゴーサインだ!



 揺れは、まあほどほど。
怖いは怖い。
今までの怖さランキングの中でも、定義には遠く及ばないけど、良い線行っていると思う。

 いや、なんか冷静になれるのは、落ちても死なないと思うからだろう。
下には、なみなみと素波里ダムの湖水が湛えられ、落ちればカメラから何からお釈迦になる怖さはあるけど、とりあえず泳げれば死にはしない。
林道で見守るパタさん達も、それが分かっているのか、いつもほど戦慄感がない。
ハイキング気分と言えば言い過ぎかも知れないが、まあ、「スリルが楽しめる程度」の怖さではある。





 そんな風に、怖さの分析をしているうちに、いよいよ岸から体は離れ始めた。
ワイヤーにほつれはなく、やはり橋梁構造自体にはまだ十分な強度があるようだ。
揺れ方にも不安定なところはない。
まあ、全体が僅かに向かって左側に傾いているのは、怪しいと言えば怪しいが。

 この橋の怖さを挙げれば、やはり踏み板が無いことに尽きるだろう。
元々はあったのだろうが、一部を残して消失している。
ゆえに、渡ろうとするものは嫌でも、蒼い湖面を覗き込まねばならない。
そして、自身の体重を預けなければならない桁板が、時に半ばまで腐っているように見えるのだ。
踏み抜きが現実的に起こりうると思えたので、私は保険をかける意味で、常時両足プラス腕1本でワイヤーを握るという渡り方を徹底した。
踏み抜きが起きれば、おそらく腕一本で全身を支えなければならなくなり、湖畔からは“ファイト一発”バリのいい絵が撮れそうだ…。





 また、別の保険として、左の写真のようにワイヤー自体に足を乗せる試みもしたが、これは立ち止まっているときには安心できたが、ここを歩くのは無理があった。
結局、万一落ちたら笑ってくださいというノリで、橋の半ばまで着いた頃からは、堂々と板の上だけを渡った。
長さ51mは、だらだら渡っていては大変な長さなのである。

 それにしても、最近の読者さんの中には、なぜ私がこんな意味のないリスクを冒しているのか、不思議に思う方もおいでかも知れないが、
それは根本的に「山があるから登るのだ」という名言と同じ。
渡れそうな橋があるから、渡ってみたかったという、それだけのことだ。
 ただ、安易に真似はして欲しくない。
自分の能力(身体能力ばかりでなく)を十分に把握した上で、万一落ちても大事に至らない予想があるからやっている。
(ちなみに定義では、落ちない自信があったから渡ったのだが、あれは少しやりすぎた…)



 あれよあれよと渡りきる。

対岸には、林道もなければ、何か施設や案内板があるわけでもない。
かつては何かがあったのかも知れないが、いまや急な湖畔の斜面があるばかりだ。
狐につままれたような気持ちのまま、余り仲間を待たせるわけにも行かず、引き返しに入る。

 ちなみに、粕毛川の上流下流5km以内には、このほか一切の橋は架かっていない。
その意味で、貴重な存在である。



 右岸側から林道のある左岸を望む。

こうしてみると、橋の長さがよく分かるだろう。
そして、その美しさも目を奪い心を揺さぶる。
新緑のまだ淡いグリーンと、峡谷を沈めるエメラルドブルーの湖水。
そして、極限まで贅肉をそぎ落とした吊り橋の、機能美。

 山行が100景(選考準備中)に加わる事は間違いない。



 さて、戻りの歩みを手持ちのカメラで撮影したので、上の三つのファイルを是非ご覧頂きたい。
魅惑の十文字吊橋の臨場感を感じていただけると思う。(ファイル形式はWMV。WindowsMediaPlayerなどで再生できます。)
もう、帰りともなると、テンポ良く渡ることに慣れ、片手はカメラを構えたままでも平然と渡れるようになった。
なんか、空を歩いているような快感があった。

 こうして、私の吊橋体験は終わり、仲間の元へ無事に戻ったのである。

     

 少し上流側の湖畔から見た十文字吊橋の全景。
実際の怖さもさることながら、見た目のインパクトとしては、なかなかこの橋に勝る吊り橋はないだろう。
なんと言っても、踏み板の面積の少なさが強烈なのだ。
まあ逆に、朽ちた桁板が沢山乗っていて、どこを踏んで良いか分からないよりは、歩きやすいというのも現実なのだが、とにかく、怖楽しい橋だった。


 べつに落ちても良いよと言う方は、この夏のスリルを求め、行ってみては如何だろうか?




2005.7.7 七夕 作成
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