ミニレポ第245回  JR中央線外郭環状架道橋 現地調査編

所在地 東京都武蔵野市
探索日 2019.03.24
公開日 2019.06.01

都市に埋もれ続ける架道橋


平成23(2011)年2月、読者の一子氏により次のような情報が寄せられた。

情報提供

JR中央線で西荻窪-吉祥寺間に、道路も何もないところに道路を越えるための橋梁構造部があります。
どうやら中央線高架複々線化工事の際に、東京外環道路が出来たときのために準備をしていた様なのです。
場所は武蔵野市立本宿小学校の横です。

右図は、最新の地理院地図で見るJR中央線の西荻窪から吉祥寺までの区間である。(西荻窪駅の位置:マピオン
この駅間距離は約1.8kmあるが、そのちょうど中央に武蔵野市立本宿小学校がある。

この大縮尺の画像だけで場所が分かる人ならば、おそらく地元の人であろうから、ここにこのようなもの……外環道を越えるための橋……が存在していることを既にご存知かもしれないが、一般的には相当知られていない事実ではないかと思う。
私自身、中央線沿線の日野市(現場から約20km)に住むようになって10年以上になるが、この情報を目にしたのはこの一度きりだった。



工事パンフレット(pdf)より転載(一部作者加工)

なお、中央線の説明はおそらく不要だろうが、外環道については多少の説明が必要かもしれない。

東京外環自動車道(外環道)は、わが国の高速自動車国道に与えられた営業路線名(高速道路会社が利用者への案内のために用いている路線名)の一つで、東京都心15km圏を一巡する環状道路として計画されている東京外かく環状道路の自動車専用道路部である。

東京外かく環状道路は、平行する自動車専用道路部と一般道路部の2本立てで計画されており、現在のところ、専用部(すなわち外環道)は、東京都練馬区の大泉ICから千葉県市川市の高谷JCTまでが供用済みである。一般部もほぼ同様の区間が開通しており、その大部分である埼玉県和光市から千葉県市川市までが一般国道298号に指定されている。

少しややこしいかもしれないが、大雑把には外環道=東京外かく環状道路であり、一子氏の情報というのは、将来開通したら外環道になるであろう道路予定地を跨ぐために架けられた橋が、東京都武蔵野市内のJR中央線に存在している という内容である。

表現をより一般化すれば、将来の高速道路と交差するための準備施設が鉄道の側にあるという話であり、結構珍しい気がする。
大抵は鉄道の方が古くからあり、それからずっと後になって計画が誕生した高速道路が交差することが多いから、その準備施設を鉄道側が持つことが起こりづらい。

山行が的には、これまで都会の探索に出向くことはほとんどなかったが、この件はずっと頭に残っていて、情報提供から8年も経った平成31(2019)年3月24日、人生初の都心探索を行った際に訪れたのである。

以下、そのときの探索の模様だ。





2019/3/24 15:39 《現在地》

なんだこいつは?

なんか見たことのない桃色の生き物が幅を利かせているが、ここが西荻窪駅前である。
普通ならレポートの最初のシーンであるから、周囲の風景を丁寧に描写したいが、まあ今回は省略しても平気だろう。
都会にある、普通列車だけが主に停まる下町的雰囲気の駅前という表現だけで、あとは皆様の想像力に委ねたとしても大きく現地と違った印象になることはないと思う。
あまり無理をすると、都会を語る技術を磨いてきていない私の限界を露呈する羽目になるから、さっさと先へ進みたい。




まるで歩行者天国のように人波の絶えない夕前の駅近街路を、自転車に跨がって西進する。
右に並走している連続高架橋が中央線で、複々線の線路が敷かれている。
この辺りの高架化と複々線化は私が生まれるより前の昭和40年代には完成しているらしいから、もう景色にすっかり馴染んでいる感じがした。

情報によれば、この先の高架橋の一部が、外環道と交差するために用意されたものなのだという。
しかし、次の駅までずっと高架橋が続いているはずなので、その違いが見て簡単に分かるだろうかという不安があった。
とりあえず、本宿小学校の横だと教えられているので、そこまで行ってみよう。

どんなものがあるのか、妙にワクワクしてきた。



15:51 《現在地》

駅から400mくらい進むと本田東公園という小さな公園があり、そこで線路沿いの道路がなくなってしまった。
もちろん、適当に街路を迂回して進むことも出来るが、こういう場面では自転車の小回りがとても便利だった。高架下が駐車場を兼ねた歩行者用通路のようになっていたので、これを利用してさらに西へ進むことにした。

本宿小学校まで、もう200mを切っている。
そろそろ何が現われても不思議ではない距離に来ているなどと考えつつ、幾何学的なラーメン橋脚の列の先に目をこらしていくと……

(チェンジ後の画像)ん?

なんか、形の違う橋脚が見えてきた!




15:52 《現在地》

西荻窪駅から西へ進むこと約650m。

駐車場として使われている高架下に建ち並ぶ、大木のような橋脚たちの列に、

明らかに形の違う、空頭高の低いものが現われた。

それはさながら門であり、私を、その先の“大広間”へと誘ったのだった……。




これは鉄橋だ!!!

川でもないのに、なぜ突然ここに鉄橋がッ!!

まさに一子氏の言うとおり、ここで外環道との立体交差が計画されていたのか?!

一見して高速道路にイメージするような空頭高はなく、駐車場の車でさえ窮屈そうに見えるのが、不自然ではあるが……

明らかにこれまでとは構造も印象も異なる高架橋が、ここに存在している!




ここはいったい……。 これは振り返った風景だ。

複々線であることを物語る、4セットの重厚なプレートガーダー(PG)桁が、隙間なく空を塞ぐ。

明らかにこれまでより橋脚の間隔が広く、いかにも多車線の道路を敷いて欲しそうな幅だ。

道路を夢想することにかけてはプロである私の想像力を、執拗にくすぐってくる。



だが、一子氏が、「道路も何もないところに」と、これの立地について書いていたとおり、高架橋の左右両側には高速道路の気配など全く感じられないのである。

これは高架下から北側を撮影しているが、すぐ外にテニスコートがあって、フェンスのために出ることは出来ない。

なお、テニスコートという土地利用は、将来の道路用地としての低利用状況を連想させるかも知れないが――




地理院地図(→)で見るこの周囲には、高速道路を新たに開通させる余地はないと断言できるほどに、住宅が密集している!

ここは、東京都心から西へ15kmも離れていない、大都会の中なのだ。
西荻窪駅は東京23区の杉並区にあり、次の吉祥寺駅は武蔵野市である。この場所は僅かに武蔵野市に入ったところで、東京という都市の拡大してきた歴史を振り返れば、この辺りも茫洋たる武蔵野の原野だった時代が当然あったのだろうが、いまとなっては大昔の話だろう。

この高架橋の先へ、西へ行こうとすると、次の写真――



おおおっ!

同じ規模のPG橋が、もう1径間ある!

つまり、この橋は連続2径間のPG橋だ!

しかし、次の高架下の空間は、四方の全てに「私有地だから関係者以外立ち入り禁止」を記すポスターが貼られた高いフェンスがあり、唯一の扉も施錠されているので、立ち入りが出来なかった。

前後はともに駐車場として利用されているなかで、ここにだけ日の当たらない乾いた土の地面が閉じ込められていた。
それは、役目を果たせる未来を真面目に待ち続けているようにも、全てを諦めた世捨ての境地にいるようにも、どちらの姿にも見ることができた。

なお、こちら側の駐車場のそこかしこに、(株)ジェイアール東日本都市開発の文字があり、この土地を実質的に管理しているのが、将来の外環道の道路管理者になるべき人々ではないことも伺えた。




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

高架下風景の仕上げに、全天球画像をどうぞ。

高速道路の本線のスケール感を、生身の身体で味わったことがないので、今ひとつ実感が湧かないが、
たぶんこれは、こちら側の高架下だけで片側3車線、反対側の高架下にもやはり3車線を取れるくらいの広さがあると思う。
というか、一般道の車線幅だったら、こちら側だけで余裕で4車線道路が敷設できるくらいは広い。

でも、先ほども書いたように、天井の低いことは気に掛かる。
一般道路でも、こんなに低いガードでは幹線道路になり得ないだろうし、
開通時には地面を掘り下げるつもりだったりしたのだろうか?


……さて次は外へ出てみるとしよう。外から見る高架橋の姿が気になる。

ただし、出られる方向は南側だけである。



15:53

高架下の駐車場に車を出入りさせるための通路から外へ出た。
そこは問題のPG橋から30mばかり東に戻ったところだったので、外へ出ると改めて前方に。それは見えた!

下から見た印象通り、外から見てもやっぱり、前後のコンクリートラーメン橋とは明らかに区別される橋らしい橋だ!

近づいてみるぞ!!




おぅぉー。

なんか変な声出た(笑)。

だって、隔世の感が凄いんだって、ここ!

まだはっきりと自分の目で正体を確かめたわけではないけれど、高速道路を跨ぐために作られたと言われているような橋が、突然こんな住宅地の真っ只中にぽっつんとあるのって、いくら話しに聞いたとおりだとしても、ナマで見ると、場違い感が半端ない!

それと同時に、この橋には二度と本来の用途で活躍できる日は来ないんだろうなぁというような哀感が、ヒシヒシと私の胸に迫ってきた。
将来の外環道がどのように建設されるかが決まっている今(机上調査編にて後述)、この橋には未来がないと分かってしまっているのだ…。


……それでは、改めまして、もう一度……




ズドーーン!

ちょうど電車もドドーン!!

連続2径間のボリューミィな複々線PGの大迫力よ!!

まさしく、上下線分離の幹線道路が通るんだなって幅だ! 高さはないけど。


そしてここで、待望かつ重大な発見が!!!




キマシタワー!!

鉄道橋といえば、これがなくちゃはじまらない?! 銘板関係。
それも、製造銘板塗装銘板の両方が揃ってるぞ!!
どっちからいく、どっちからいく? それならもちろん、製造銘板から!

教えておくれ、君の名前を!




外郭環状架道橋
けた構型式合成けた
設計荷重KS−16
基礎工鉄筋コンクリート中空杭
基礎根入けた座面から7M20
着手昭和40年3月20日
しゅん功昭和44年1月13日
監督荻窪工事区
施工前田建設工業株式会社
日本国有鉄道東京第二工事局

この名前には、震えたよ……!

そのものずばりじゃん!! 外郭環状架道橋って!

こんなあからさまな名前が与えられたまま、肝心の道が未だにないなんて……。


名前について、一つだけ今と違うのは、現在ではこの道路を「外郭環状道路」ではなく、「外かく環状道路」と呼ぶことが正式になっているっぽいということか。
「郭」の字は今もれっきとした常用漢字なのだが、最近の公式ではすべてひらがなで表現されている。
逆に言えば、この橋が完成した昭和44(1969)年当時には、この全部漢字の角張ったネーミングが正式だったということだろう。

それにしても、完成が昭和44年かぁ… 古 い な ぁ 。

外環道が、計画開始から凄く時間が掛かっている難産の道路であるということは、ご存知の方も多いかと思う。
私もその一人ではあったが、昭和40年工事着手の架道橋が、ここにすっかり出来上がっていて、なお半世紀近くが経ってなお影も形もないという現実を目の当たりにすると、実感がひしひしと。



橋りょう名外郭環状架道橋
位置西荻窪.吉祥寺間 21K369M10
支間22M500
塗装年月1997年5月
塗装回数3回塗
塗装料名(略)
製造会社大日本塗料株式会社
施工者久保田塗装株式会社

ここでの注目は、支間長が判明したことだ。
支間22.5mの2連続PGということならば、全長45mの橋梁ということになる。
この幅なら、6車線の堂々たる自動車専用道路を跨ぐことが出来そうだ。(←後の机上調査により、この認識は誤りだったことが判明するのだが)



狭い街路が橋の南側に隣接並走しており、これを使ってさらに西へ向かうと、すぐに中央橋脚が現われた。

この橋脚までは高架下が駐車場になっているが、この次の1径間分の高架下だけは、私有地とかで、完全に封鎖されている。
外かく環状道路的には、外回り線が利用するはずだった空間ということになろうか。

そしてここにも、製造銘板を見つけることが出来た。
同じ橋に関するものではあるが、さきほどは橋台や橋脚など、下部構造の建設者による銘板、今度は桁の製造者による銘板だ。




日本国有鉄道
1968(811452)
KS-16 WVB622-2
ケタ 23.9T 303m3
SM-301 4.9T 278m3
桜田機械工業株式会社

いかにも国鉄時代っぽい丸形のプレートに、昭和43(1968)年建造の桁であることなどが記されていた。



さらに進むと、吉祥寺側の橋台へ到達。
再びラーメン橋脚の林立が再開する。やはり高架下は駐車場として活用されている。

そしてこの橋台にも、先ほど見たものと同じ型式の製造銘板が取り付けられていたのだが、その内容から意外な気づきがあった。

外郭環状架道橋
型式2線2柱式
設計荷重KS−16
基礎工鉄筋コンクリート中空杭
基礎根入スラブ下端から7M90
範囲左2径間
着手昭和40年3月20日
しゅん功昭和44年1月13日
監督荻窪工事区
施工前田建設工業株式会社
日本国有鉄道東京第二工事局

この銘板が記しているのは、いま見た鉄橋部分ではなく、その西側に連なる2径間のコンクリートラーメン橋部分のものである。
どうやら先の鉄橋部分だけでなく、このラーメン高架橋も含めて「外郭環状架道橋」という橋梁名になっているようだ。
その先の連続ラーメン高架橋とは少し構造が違っているので、確かに区別は可能である。

ちなみに、この前後の100mほどの高架橋にも同様の銘板があるかを探してみたが、見つけることは出来なかった。
やはりここだけが鉄道サイドにとっても特別な、命名された“架道橋”であるのは間違いない。



(→)吉祥寺側から見るPG桁部分の全景と、(←)周辺の拡大された地図。

外郭環状架道橋は、2径間全長45mのPG合成桁橋(赤い部分)と、2径間の二線二柱式コンクリートラーメン(青い部分)からなり、総延長おおよそ70m。

また、橋はいわゆる“斜橋”(対象を斜めに渡る橋)になっていて、橋台、橋脚、橋桁のいずれもが線路の進行方向と直角ではない。
それはちょうど、土地に刻まれている短冊状地割にみられる路地方向と符合していて、少しでも関係する地権者の数を減らしたかった外かく環状道路が、短冊状地割に沿って計画されていたことが伺えるのだ。



これは吉祥寺側の高架下から見る、封鎖されているPG桁下空間。
橋が斜めに架かっていることが分かると思う。

以上で、橋の周囲のいける範囲は巡ったことになる。
北側は住宅地やテニスコートで私には立ち入りが出来なかった。
あとは橋の上からどういうふうに見えるのかも興味深いが、グーグルの航空写真で見る限り、この橋は目立っておらず、おそらくよほど意識を集中(特に聴覚に)していないと、PGの存在には気付かないかも知れない。
これについては、頻繁に乗車しているベテランのご意見を伺いたいところである。

なお、この辺りの複々線の列車運行頻度は全国屈指と云えるほどのものがあり、日中は2分間隔とかで走っていると思う。架道橋である意義はさておくとしても、本橋の活躍度は計り知れないのである。



16:06 《現在地》

さて、この場所を離れるとしよう。
線路に沿ってここを目指してきたので、離れるときは線路を背にして、おおよそ外環の計画線に沿って南下することにした。

だが、線路沿いの狭い路地をちょっとでも離れればご覧の通り、道路予定地など全くないことがよく分かる。
そこにあるのは、落ち着いた佇まいの住宅地。それが見渡す限りに続いてる。何キロ先までも続いているのである。

いまから五十数年前の昭和41年7月、既に多くの住宅が建ち並んでいたこの場所に、突如として“決定”された、東京を一周する高速自動車道が貫通するというという青天の霹靂的都市計画。
ちょうどその同じ頃、国鉄中央線の荻窪〜三鷹駅間では高架化と複々線化の工事が始まっていた。
国鉄は粛々と架道橋を設備して、未来に備えた。

以来、この橋は、住宅地のただ中に孤立し続けている。




このレポートを隅々まで見ると気付いた人がいるかも知れない。私の自転車が新しくなっている! MTBじゃなく、ロードバイクっぽくなっているじゃないかって。
実は、長年お世話になっている入間市の自転車店バイクピットサイトウさんのご厚意で、格安にて譲り受けた都市探索向け2号機のデビュー戦でした。都会だからメットも被って探索したよ。(絶壁では被らないくせに…笑)


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