廃線レポート 定義森林軌道 その2
2004.11.13


 『鉄廃ショック』から一週間。

私は、探険の盟友二人と共に、念願の現地入りを果たした。

鮮やかな紅葉を濡らす、雨。
霧に煙る船形連山の峰々。

軌道跡を転用したらしい廃車道を歩くこと、僅か13分。
廃橋 は里山と深山とを分け隔つ砦のように、眼前にその巨躯を示したのである。

早くも、私がこの地を目指した、その最大の目的に、取り組むときが来た。



仙台市青葉区定義 大倉川橋梁
2004.11.3 8:09


 これが、廃車道の終点である。
そして、その終点の先は、大倉川の川原へ降りる小道が真っ直ぐ続いており、そのまま轟音を上げる大規模な砂防ダムに通じている。
また、終点の広場の向かって右側。
大倉川の削る断崖に対し、ゆるくカーブしながら対岸へと架かるのが、目的の巨大木橋である。

写真は、駆け寄るようにして橋へと正対したくじ氏の姿。
しばし硬直している。



 まずは、私がこの時そうしたのと同じように、橋の置かれている環境を、整理してみてみる。
この行動はそのまま、

 この橋が渡れるかどうか?
 この橋を渡るかどうか?

を決定するための、第一のリサーチとなる。

まずは、橋の袂にまるで、この偉大な遺構の案内板であるかのように設置されている、地図である。
これはおなじみの、林道の路傍などにもよく見られる、鳥獣保護区の案内板であり、橋については単に、「歩道の点線が川を渡るように描かれている」だけであった。

なお、その点線が、この先どこまでどの沢伝いに伸びているかというのも、この後の軌道踏査のヒントだ。
もっとも、案内図が描かれたのは昭和54年頃と思われ、既に軌道が廃止されて久しい時期のものだ。



 そして、橋の袂でいま来た道を振り返る。

ここが広く整地されているのは、砂防ダム工事によるものなのかも知れない。
特に、軌道の痕跡と思われるものは見あたらなかった。

軌道とは全く関係ないのだが、茂みの中に、一本のトラロープを発見した。
トラロープというのは、よく工事現場などで立入禁止区域を囲うのに使われていたりする、黄色と黒のツートンのナイロン地のロープのことである。
実は、長さ20mのトラロープは、今回もくじ氏のリュックの中に入っていた。
危険な場所を通行するのに利用する建前だが、今まで使った試しはなく、行けると感じたら即フリー状態で突き進んでしまうのが、いつものパターンだ。

話が脱線した。
トラロープである。
このトラロープ、誰がなんの目的でここに捨てていったのかは分からなかったが、後ほど、ちょっと活躍する。



 また、袂から上流を見ると、砂防ダムが視界の中央に来る。
ダムより上流は、まるで信州上高地のような、明媚な川姿となっている。
ダムの堰堤上まで踏み跡が鮮明であり、堰堤を渡って対岸へ行くという橋梁迂回路は、至って普通に利用可能と推定された。

この段階で、まあ喜ばしいことなのは間違いないのだが、橋を渡らなければ先へと行けないというシチュは、否定された。
すなわち、わざわざ、明らかにリスキーな橋を渡ることの理由付けは、薄れたのである。
だが、私はこの橋の先に行くことも目的だが、なにより、橋が渡れるのかどうかを納得した上で、渡れるなら渡りたいのだ。
このロマンを解せない方は、大変申し訳ないが、このまま「その3」へ進んで欲しい。




 砂防ダムよりのさらに先の山並みを遠望する。

そこには、船形連峰の峰々が重なり合っているのだが、この天候ではせいぜい、一番手前の山襞のシルエットと、その一つ奥の微かな陰影を捉えるので、精一杯である。
この光景を見ての感想は一つ。

 ああ、なんて幻想的で、美しいのだろうか。

細田氏も、いたく感激して、「うつくすぃー」を連呼していた。
私も同感である。




 さて、再びご対面。

今度は、熱狂を抑え、実際に橋が渡れるかどうかの、リサーチを行う。
まずは、見た目であるが…。

原型を、非常によく留めている。
レールは取り外されているが、それ以外は、殆ど現役時の姿のままではないだろうか?
構造、特に渡るに際して直接触れることになる上部構造に関して言えば、なかなかの安定感を感じる。

具体的には、もし渡るならば絶対にそこを踏み外すわけにはいかないという鉄則の主梁は、平行して3本。
三本ともが断絶している箇所があれば、それでジエンドだが、その様な崩壊があるままで、現状の姿を留めていられるとは思えないので、逆説的に、主梁は無事であると断定したい。
主梁の幅は、約20cm。
平均台と考えれば、決して細くはない。
また、幸いなことに、主梁の表面に、邪魔な犬釘などが突出している場所が少なく、躓きの危険は少なそうだ(これが恐いのだ)。
懸念材料としては、主梁に対し直角方向に、無数の枕木がわたされている。
さらに、かつてはレールに挟まれた歩道部分であったのだろうが、薄板が主梁と平行方向にわたされ、これが主梁を覆い隠してしまっている場所が多い。

枕木は、慎重に避ければ問題ないだろうが(むしろ万が一の転倒時には落下を阻止してくれる期待もある)、この薄板は、明らかに強度不足な上に、かなり邪魔であろうことが、想像できる。
最悪、この板によって主梁に足を置けない事態となれば、ジエンドである。

慎重すぎると思うかも知れないが、これから行おうとする行為が危険なのは、私でも分かる。
つまらなければ読み飛ばして頂いて構わない。 また、そこまでしてなぜわざわざ渡りたいのかと問われれば、「そこに橋があるから」というより他はない。

さらにリサーチは続く。



 橋のメディカルチェックの最終段階として、合計3本の橋脚を持つ本橋梁の、最も手前側の橋脚(下の図中では「第1橋脚」とした)の土台に降りて、主梁を中心にして、対岸までの様子を観察した。
写真の通り、主梁は橋脚部分では2重となっており、より強度的な安心感が得られた。
主梁に使われている材木は、太く、しかも角材となっており、左右に転回する心配も無いだろう。
接合部分などには、太い犬釘が使われており、しっかりと役目を果たしていることが見て取れる。
もちろん、3本の橋脚には傾きや罅はなく、健全なコンクリート橋脚である。

条件は、充分に揃ったと言えるだろう。


 橋梁通行の決心をして、袂で待つ仲間達の元へ、足早に戻る。
あとは、克服すべきは一つ。

恐怖心だけである。

たとえ、物理的な崩落に見舞われないとしても、精神面で瓦解すれば、恐らく橋の上で私は放心し、動けなくなるだろう。
震えから、足元が狂って滑落の線もある。

決行するならば、途中で恐怖に取り込まれて負けてしまうことは、絶対にあってはならない。
そう言う不安を少しでも論理で押さえ込むための、自分なりには細やかな、さっきのメディカルチェックだったのだ。


 「大丈夫だ。行ける。」 そう自分に言い聞かせる。





 決死橋梁への 挑戦
2004.11.3 8:05


 さて、いよいよ渡るゾッと。

…ではない。

じつは、この写真は既に渡りはじめている。
3本ある橋脚のうち、一本目の橋脚の上に立って、撮影している。
袂から1本目の橋脚までは、僅か3mほどであり、枕木の間から覗く地面も、3mほどの高さでしかない。
無論、落ちれば怪我をするかも知れないが、流石にこんな程度で落ちるようでは、完全に渡りきろうなどと願う方がおこがましいというものだ。

ここは、全く問題なく、鳥肌を立てることなく、攻略だ。




 振り返って撮影。

仲間達は、見守っている。

高所恐怖症をまだ完全には克服していないくじ氏には、流石に酷というものだし、細田氏も、私とくじ氏よりは体格がよく、私が仮に渡れたとしても、余りオススメしたいとは思わない。
あくまでも自己責任なのだから、渡ってみようと言うのを止める気はなかったが、誰にも勧めようとは思えない。

二人ともある程度までは見守って、それから迂回して対岸を目指すことにしたようだ。



 かなり雑で申し訳ないが、ここで平面図を用意したのでご確認頂きたい。

我々は、図の左側の袂から、対岸へと向かっている。
現在の私の位置は、「第1橋脚」上だ。
この後、ほぼ等間隔で、2本の橋脚が安心できる足場になる。
進むにつれ、地面との距離は飛躍的に増えることになる。

続いて、第2橋脚を目指す。


 渡り始めて、2分。
進んだ距離は、袂からおおよそ10m。
第2橋脚に辿り着いた。
最大限に慎重に歩みを進めてきた甲斐があり、ここまででは特に恐い思いをすることはなかった。
想定した通りのルートで、着実に進めている。
3本ある主梁のうち、向かって右側(上流側)の物をメーンの足場として、利用している。
その主梁が薄板に隠されている場合のみ、中央の梁を足場に利用した。

橋脚の数的には真ん中だが、まだ橋全体の長さのうちでは、3分の一だ。
しかも、まださらに地上との比高は大きくなる。

しっかりとした感触のコンクリートの橋台に足を付け、気持ちを落ち着かせる。
この先が、いよいよ袂からは窺い知れなかった部分でもあるのだ。
ここから見たところでは、最後の方で枕木が数本浮かんでいるところが、不安といえば不安である。



 振り返ると、くじ氏は既に谷を下りはじめており、細田氏が見守っていた。

この直後、私は早々に「渡り切れるだろう」と判断し、細田氏に「先へ行ってくれていいよー。」と、声を上げた。

大丈夫だ。

この調子でいけば、たいした危険もなく、渡りきれるはずだ。
恐怖は感じるが、心地よい程度だ。




 心地よい恐怖。

これについて、少し説明したい。
別にこの表現は、強がっているわけでも、カッコをつけているわけでもない。
私が変態でないのであれば、結構多くの方が潜在的には理解できる感情だと思うのだ。
例えば、「スリル」と置き換えれば、納得できるのではないだろうか?

私の場合は、スリルも好きなのだが、やはり恐怖に惹かれる所が大きい。
「恐い」と感じているときの、あの独特の現実感が、堪らなく、好きなのだ。
すなわち、死ぬかも知れないなという現実感は、生きている実感でもあるのだろう。

信じられないといわれるかも知れないが、現実には死ぬ危険を冒す愚は、していないつもりだ。
私の中で怖さは感じるだろうけど、本当に落ちたりはしないという自信があった。
本当に落ちてしまうという恐怖は、笑えない。
でも、怖さの部分だけを頂いて、実際には命の危険は侵さない。
それが、私流の恐怖の楽しみ方なのだと思っている。
ここでも、一つのミスで落ちるほどのリスクは侵していない。
仮に転倒しても、よほど不運でなければ、そのまま転落はないと踏んでいる。

だから、渡っているのである。



 渡り初めから、4分経過。

私は、3本目の橋脚に立っていた。

ここに来て、イレギュラーが発生した。
私は、ここまでが順調だっただけに、少し甘く見ていたかも知れない。

3本目の橋脚から、対岸までの距離は、橋全体の半分近くにも及び、これまでとは比較にならないほどの、連続歩行を強いられるのである。
今までは、数歩ごとに、安心な安全地帯があった。(橋脚である)
この精神的な支えは大きかった。

残りは、写真の通り、この直線だけだ。
駆け抜ければ、恐らく10歩くらいだ。
3秒で渡れるかも知れない。

だがだがだが。


 …ガクガクガク

 ガクブルガクブル…  ふ、震えが…。


 次の一歩を踏み出せば、もう安全な場所は、対岸まで一切無い。

しかも、この先は殆どが滔々たる大倉川の淵を渡っている。
比高は、数字で書いても実感が湧きにくいだろうから、ビルの4階くらいだ。

雨で濡れて、少しぬめっている主梁。
薄板が、乱暴に散らかっており、主梁が見えない場所が多い。
自力で剥がしながら、進むしか無さそうだ。

この場所で、恐怖を鎮めるべく、長めに休憩を取った。
足元の川原には、二人の姿。
こっちにカメラを向けている。
スマイルは、ちょっと出せないな…。今は。





 現在位置は、写真中央右の最も大きな橋脚の上だ。

写真の向かって右側から渡りはじめ、左へと向かっている。

もはや、この橋の美しさについては、私などの言葉よりもこの写真が雄弁だと思うので割愛するが、今はとにかく、残りのアーチ部分を渡るのか、止めるのかと言うことである。

ここで引き返しても、誰も責めないだろうな。
そう思う。
もう、充分にやれるだけやったのではないか…?

これ以上は、私の「恐怖ゲージ」が振り切れて、思いがけないパニックに陥る可能性すらある。
いくら下調べで、橋が落ちないだろうと思えていても、この高さ、この古さは、反則スレスレだ。
素人の私が負けるのも、無理はないだろう。

悩んだ。
私は、かなり悩んだ。

行くべきか、退くべきか。





第3橋脚を、上流側から見上げる図。
以下の写真6枚は、大きな画像にリンクしているので、ご覧下さい。


第3橋脚の土台部分。
片側は柱状節理著しい崖であり、もう一方が渦巻く淵となっている。
どれほど深く埋められているのかは分からないが、もしこの橋脚が洗掘されて少しでも傾くことがあれば、即座に本橋は消滅するだろう。
ここが、本橋にとって圧倒的に重要な、支点である。



アーチ部分の構造を見上げる。
まるで、接ぎ木細工である。
先にこの様子を見ていたら、私は渡ろうとしなかったかも知れない。


真下から、腰まで水に浸かって撮影したアーチ部分。
ここは、恐いのも無理はない。
こんなに下がスケスケなのだから…。



下流側の谷底から、2・3番目の橋脚を見上げる。
緩やかにカーブしているのは、各橋脚で角度を変えているだけの、単純な構造であった。


最後は、下流やや遠目から、その全景。
V字峡を、面白いほど素直に渡ってしまう林鉄橋。
頑丈なガーダー橋ならば、こんなに驚かなかっただろう。
しかし、木橋…。

かつてこれほどの驚きを私に与えた木橋はもとより、林鉄遺構は、無かった。
部分的に森吉以上のアツさだと断言して良い!




 以上、
決死橋梁(山行が名:大倉川橋梁)ミニギャラリーでした。
 → ネタに生きる男。細田氏。


 さて、橋上で流石にマジビビリになってきた私だったが、暫しの休憩中に、仲間達が対岸の森へと消えていく姿を見送るうちに、落ち着きを取り戻した。

橋の強度的には、アーチ部であるこの先が、最も堅牢に造ってあると信じて良いはずだ。
確かに、景色は恐いが、大丈夫。
行ける。

ごー!





 あと、もう少し。

足はガクガク震えた。

こんなこと、松の木以来だ。

一番恐いと思ったのは、この写真に写っている、枕木が大きく傾いている場所だ。
無論、ここでは主梁が無事ではなかったのであるが、流石に立ち止まって撮影している猶予はなかったし、慎重かつ速やかに渡りきることだけに全神経を集中させたので、その部分の写真はない。
また、一枚一枚、薄板をべりべりと剥がしながら、主梁を顕わにして渡っていくのだが、これも、肝を冷やした。
変に力を込めて、なにか橋自体にダメージを与えてしまったら目も当てられないからだ。


スマン。

本橋最大の見所の筈なのに、写真もない上に、記憶もないのだ。
最後まで、駆け出すことなく冷静に渡り抜いたとは思うのだが、渡った直後に脱力してしまい、しばらく足に力が入らないほどであったのだ。


まだまだ…

修行が足りないなー。
これじゃ、自衛官氏にラペリングを習うどころではないかも知れない。
でも、とりあえず、無事に橋を渡った。

ほんと恐かったけど、病みつきかもな…。




 今回の長い長いテキストを、1行に纏めれば、以下の通り。

 8時12分、大倉川橋梁を渡り、対岸へ渡った。

 以上。





その3へ

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