廃線レポート 定義森林軌道 その4
2004.11.16


 午前8時34分。

二つの巨大木造橋梁を越え、なおも続く軌道跡。

しかし、徐々に軌道敷きは荒れてきていた。
脇を流れる大倉川の浸食は著しく、軌道敷きを消失させつつある。
難所を越えて辿り着く、平坦地。


 そして、

遂に切り開かれる、 新 領 域 !



大倉川橋梁 対岸
2004.11.3 8:12


 危険な崩壊地を一つ潜り抜けたばかりだというのに、またも軌道敷きは危険な状況となった。
谷側は大倉川の清流が接し、山側は石垣を乗り越えて落ちた土砂が、軌道敷きを斜面に変えている。
崩壊から長い時間を経ているらしく、多数の植生が斜面にもあって、全身フル活用でじっくりと進んでいく。

こういう場面になると、くじ氏との間で短い言葉のやりとりをする。

 私:「そろそろ下でねーが?」

 くじ氏:「…。」

私は理解する。
まだ行けるのだな。と。
彼のルートファインディングは上手だ。
基本的に、彼を先頭にしておけば、全員が通れるコースを上手く見つける。
私は、後続のペースを見ながら、先頭のくじ氏と後続との距離を調整する。
そう言う役回りが、自然と定着しつつあるようだ。




 そこから1分も行かぬうちに、再びさらに酷い崩落地が現れた。
私は、この先は軌道敷きが完全に消失していることを、木々の合間から微かに見た。
くじ氏は、そこに隧道がある可能性を考えたらしい。

ここで、僅かではあるが、二手に分かれる。
崩落地の全容を確認するために、軌道敷きを棄て、川へと降りる断崖へ向かう私と。
なおも軌道敷きを追従するくじ氏、細田氏である。
私は、一人崖にへばり付く途中、今まで歩いていた場所が、実は地上ではなくて、木製の桟橋上に大量の土砂が積もった地形であったことを、知った。
写真には、ほんの僅かだが、斜面に中空を成す材木の桟橋が写っている。



 私はいち早く大倉川へと降りた。
そして、早瀬を渡渉し、S字に蛇行する流れの、穏やかな中州に立って、軌道のある岸辺を見渡した。

写真で細田氏がへばり付いている断崖の、もう少し左まで確かに軌道は通じている。
だがしかし、くじ氏もその端点に辿り着いたとき、即座に不可能と判断し、川へと降りてきた。

それでは、カメラを左に向けてみよう。
と同時に、皆様には、軌道敷き発見クイズを攻略して頂きたい。
果たして、あなたは次の2枚の写真の中に写るたった一つの軌道の痕跡を見つけられるか?!
制限時間は、20秒。 難易度は、Aだ。




 何とも酷い軌道消失崩壊であった。

河川の線形がもたらした、不可抗力的な崩壊である。

ここで、2度ばかり渡渉を強いられるが、再び軌道敷きが岸辺に現れるのは、すぐだった。
早速川から上がり、森へとはいる。



 依然安定しない天候。
当日の気温は、約12度ほどと、濡れた体は立ち止まる度に凍える。
紅葉も既に終わりかけで、冷たい雨に震えているようだ。

大崩落地をやり過ごして、再び軌道跡が現れたのは、閑散としたブナの森の中だった。
真っ直ぐと続いていくかに見える軌道跡。
持参した地形図と照らし合わせると、間もなく南進してきた本流と、東進してきた戸立沢とが合流する地点と思われる。
私の神経は、ここでは大局的なルートファインディングに注がれることになる。
なぜならば、この先の軌道敷きは、現在地点よりもおそらく50m以上も高い位置に現れる。
それは、事前に航空写真でリサーチした結果導き出された結論だ。

 高低差50メートルの軌道

ヘアピンカーブの連続か、或いは…?



 高度差 
2004.11.3 8:50


 出発から1時間11分経過。

軌道は、細い木々が点在する笹原で、突如不鮮明となった。
写真は、振り返って撮影している。

当然、この先の軌道敷きとして期待されるのは、山際へ登っていく道なのだが、それらしいものは見あたらない。

合点が行かぬ気持ちのまま、ゆっくりと前進を続けた我々だが、まもなく轟音に遮られた。



 大倉川の本流が、行く手を阻んだのである。
足元には、鮮明な石垣が鋭角に形づくられており、橋台を連想させたが、細部は異なる。
また、対岸にはそれほど険しい地形ではないのに、一切人工物が見あたらない。
このまま川を渡って前進することは、本流から離れて、戸立沢の遡行を開始することを意味する。

だが、航空写真で見た軌道跡と思われる痕跡は、戸立沢沿いではない。
間違いなく、轟音轟かせるこの本流の上流に、しかも、河床からはかなり離れた高所に、出現するのである。
なお、轟音の正体は、すぐ上手にある古い砂防ダムであった。

我々は、辺りをよく見回した。
軌道が大きく高度を稼ぐ方法としては、私が知りうる限り、二つ。
そのどちらかの、痕跡はないか?!



 我々は、大倉川の砂防ダムへと向かうものらしい、小道を見つけた。
それは、ジグザグに高度を稼ぐ、人一人分の幅しかない、大変に急な上りである。
明らかに、これは軌道敷きではあり得ないのだが、もはやこれ以外に道らしき物は見あたらなかった。
藁をもすがる思いで、この微かな踏み跡へと進入した。

もの凄い急登攀である。
果たして、どこへと連れて行かれるのだろう。


 高度差50mを埋める軌道は存在せず、まさかこのよう道の徒歩連絡だったのだろうか?
現実的に考えて、馬はおろか、牛さえも通えないであろうこの九十九折りの急攀路を、背負子の背でもって材木を運搬したとは、想像できないのだが…。

とはいうものの、この上部には、林道などでは説明のつかない痕跡を航空写真に認めていた。
順調に高度を稼ぐ歩行路に期待を込めて、登った。
ひとしきり登ると、九十九折りではない別の斜面が、足元に接近してきたのである。

それは、奇妙な、斜面であった。


 自然に歩行路は、その奇妙な斜面に吸い込まれて消えた。
さらに登るには、この斜面しかないらしい。

この斜面を奇妙だと感じた原因は、妙に滑らかであり、上下方向への見通しが、妙に良いことであった。
…妙に見通しが良いな…。
何となく、釜石で見たアレっぽい印象を持ったのであるが、自然と視線が斜面の終点へと誘われた時、


 私は、絶叫していた。


 なだ!
は!



 それは、奇妙な平坦さを有する斜面の上部に、まるで見下ろすように立ち尽くす、一棟の小屋であった。
その小屋は、いつからこの地で風雨に晒されているのか分からないが、遠目には現役の作業小屋のように見えた。

実際に、この上部では、まだ現役で軌道が稼働しているのでないか?!

そんな馬鹿げた考えさえも、未知の遺構への遭遇は、説得力を持たせるようであった。
そして、2階建てらしい小屋の1階部分には、壁が無く、スキー場のリフト装置の終点のようである。
もはや、勿体ぶっても仕方あるまい。

私も現地を踏査するまで分からなかった、この高低差50m(実際には50m以上ある。地形図で改めて見ると80m程度か)を埋める鍵は、

インクラインであった。




 インクラインとは、一種のケーブルカーであり、動力で台車を動かし、荷物などを運ぶ装置と説明される(国語辞典より)
森林鉄道にも、各地で多数のインクラインが利用されていた記録が残っているが、路線上の一構造物でしかないインクラインは、軌道の廃止と共に忘れ去られ、森林鉄道用として現役のものはないようだ。
例えば、秋田県内でも、二ツ井町の仁鮒事業区のどこかには、東洋一の規模を誇った峰越インクラインが存在したとされるが、度重なる机上調査にもかかわらず、未だ現地を特定できていない。
インクラインは、通常の軌条が敷けない急峻なる地に造られるものだから、その遺構の荒廃も進みやすく、保存性も良くないと考えられる。

そんな中で、本インクラインは、山行ががこれまでに目撃したものの中で、最も鮮明かつ、現役当時の姿を容易に想像させる保存度である!
登るほど、遺構は多く残っていた。
まずは、写真に写る2条の鉄線を含む合計4条の平行する鉄線。
そして、この鉄線の下に埋もれるように残る、大量の枕木である。
鉄線は、レールではなく、枕木が斜面を滑り落ちないための留め金だと思われる。
また枕木の状態より、インクラインの少なくとも上半分は複線であることが判明した。


 興奮を隠せない我々は、息の切れるのも歓喜で紛らわしつつ、一直線に終点らしき小屋を目指した。
進むほどに鮮明になってくる小屋の姿。
だが、思うようにペースは上がらない。
落ち葉が厚く積もったインクライン跡は、これ以上ないほどの天然の滑り台であった。
枕木も、斜面に沿って設置されていて足場になり得ないし、落ち葉に隠れた鉄線を踏もうものなら、驚くほど滑った。

余談だが、帰りは直接インクラインを最後まで下ったが、下半分には鉄線も枕木も殆ど現存しなかった。
回収されたものと思われる。
ちなみに、その降りて辿り着いたポイントは、やはりさっきの登り口の辺りで、下からも微かだが小屋が見えた。
最も、夏草の生い茂る時期では、その視界は望みようもないが。
とにかく、一直線に同じ勾配の斜面が伸びている場所があるので、これが唯一の目印になる。



 インクライン巻き上げ小屋 
2004.11.3 9:04


 これが、インクラインの上端に存在する、巻き上げ小屋(仮称)の全容である。

私が、現役の施設ではないかと思った最大の理由は、インクライン側に向けられた鮮明な4字が嫌に印象的だったからだ。
その文字とは、「安」「全」「+」「第」「一」 

実際に小屋は、まだかなり原形を留めていた。
そう、廃止からまだ数年しか経っていないのかとさえ、思えるほどに。

だが、細かく見ていくと、やはり軌道時代の遺構であったことが納得できる。




 インクライン部分を見下ろした写真。
谷底まで、ずうっとこの下りが続く。
これは、一日に何往復もするのはかなり嫌な、ハードアルバイトゾーンである。
しかも、非常に滑りやすく、帰りなど3人とも転んだ。



 インクライン側から見上げた小屋の一階部分天井。

この小屋の要である2機の巨大な巻き上げローラーは取り外されることもなく、現存していた。
このような遺構を目の当たりにするのも、初めてである。

 「何もかも、みなアツイ!」

某艦長でなくとも、そんな発言をしてしまうだろう。
私は、インクラインという新発見に続く、この現役さながらの作業小屋の出現に、波動エネルギー充填120%だった。



 小屋の1階部分は3畳ほどのコンクリ敷きとなっており、そこには無数の空き缶が捨てられていた。
どれも、新しいものではないが、かといって貴重なほど古い物も見あたらなかった。
せいぜい「ニヤッ」とする程度の発見だった。

頭上に話を戻せば、そこは激アツ。
ワイヤーこそ消えているが、ガッシリとしたローラーはまだ稼働に耐えそう。
野晒し状態であるにも関わらず、天井の材木などは妙に新しく見える。
まるで、築数十年の住宅でも天井裏の壁が新築当時のままなのと、良く似ている。
この2階建ての建造物の主要な構材は木材だが、ローラーなどの大重量物を支える手前、メーンのフレームは全て頑丈そうな鋼材製である。
森の中の平坦地に建てられたことも功を奏し、今まで倒壊せずに残っていたのだろう。



こ、これは、  こつぶだ!

懐かしいこつぶ。

俺の、こつぶっ。

こつぶは、はごろもフーズさんの販売している、ちょっとレトロなオレンジジュースである。





 インクラインと小屋とを結ぶ直線上、小屋から10mほど離れた位置に、写真の構造物がある。

軌道は、おそらくこの構造物の奥へと続いている。
小屋を発ったら、次は向こうへと進んでみよう。

ちなみに、この構造物には中央に一基の静滑車が取り付けられており、小屋の2機のローラーやインクライン上の2台の台車たちを繋ぐ一本のワイヤーが、ここを通されていたのだと推測される。
いわば、小屋のローラーと並ぶ、インクラインの心臓部である。

また、この構造物は上流方向から降りてきたトロッコの停止位置も示していた可能性がある。




 なにせ、この滑車台や小屋の先は、歩きでも容易ならざらん斜度45度の世界だ。
万が一にも、暴走したトロッコがここを突っ切ってインクラインへと突入すれば、その結果は火を見るよりも明らかであろう。

そんな軌道の終端地点らしく、重々しい標識が、掲げられていた。


 っていうかー、
このときの驚きは一歩遅れてきたね。

だって、この標識って、ヤバイくらいレアだ。
これは、昭和33年頃から利用された道路標識の一種なのだけど、良く似たのに「CAUTION」というのがあって、それは今でも古びた林道なんかで見かけないこともない。
でも、さらにその上を行く危険喚起の標識「DANGER」は…架けられたままになっているのは、実は初めて見た。
この「DANGER」と「CAUTION」は後に併合され、現在はビックリマークの標識(その他の危険)となっている。
前に一度、宮城県の海沿いで、ゴミ置き場に捨てられているのは見たが。

ところで、軌道上に道路標識を設置するというのは、どうなんだろう?
有り?
それとも、イレギュラー?


 この先の軌道跡へ、異常な期待感の高まりを感じながら、もう一つやり残したことがあった。
細田氏が辺りを散策しているうちに、小屋の2階部分への進入を企てたのである。

しかし、唯一の入り口に通じる木製階段はご覧の通りで、全く用を成さない。
されど、ジャンプで届くわけもない。
こうなったら、直接鋼材をよじ登るしかない。





 四苦八苦の末、何とか我々二人は薄暗い二階の部屋への侵入に成功した。

木の香りが微かに残る(或いは黴臭さだったのかも)3畳ほどの殺風景な板間が、そこにあった。
部屋の3分の一は巨大な2機のローラーやその操作部分と思われるレバーや、ハンドルで支配されている。
床は意外なことに乾いており、トタンの屋根は未だ雨漏りを殆ど許していない。
窓ガラスも、まだ多くが健在で、寝泊まりしてもそこそこ快適かも知れない。
もっとも、出入りが命懸けだが。

写真は、小屋の2階内部からローラー越しに滑車台を見下ろす。


 ローラーの傍に、ひときわ大きく目立つ、一つのハンドルが。
まるで、回してくれと言っているかのよう。

私は、我慢できない。

おもむろにハンドルを握ると、ゆっくりと力を込めてみた。
まさか回るはず…  アレレ、余裕で回る。
グルングルン回る。
しかも、遊んでいる感じの回り方でなく、ちゃんとグリスが生きている、落ち着いた感触だ。

次にくじ氏にバトンタッチ。
ひとしきり回して遊んだが、幸い、何も変化はなかった。
(外の細田氏に対し罠のトランポリンとかが発動して、どっかへはじき飛ばされたりしていたら、どうしようかと思った。)




 次回は、インクラインの先の上部軌道を、ズズズイッとお伝えする。








その5へ

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