廃線レポート 八幡舘インクライン  序
2005.2.2


 山行がの2005年新ネタ第一号は、釜石にあった。

2005年1月30日(日)未明、私を含め山行が探険隊員数名が、秋田を一台の車で発った。
降り続く濡れ雪に50キロ制限を敷かれた秋田自動車道をひた走り、北上より東北道を経由、出来たての釜石自動車道を走破し、遠野を経て釜石市に至る。
今回の目的は、例年になく多雪な日本海沿岸を捨て、太平洋岸に活路を見いだそうとするものであった。
その中でも、最大の狙いだったのが、この釜石市に眠るだろう、まだ見ぬ鉱山遺構の数々であった。

半年前、あの櫻山運鉱線の荘厳さに魅せられた私は、再度の釜石入りを夢見ていた。
そして、仲間と共にその日を迎えた。

参加者は、往復500km近い運転を一手に引き受けてくれたふみやん氏(卒業・就職おめでとー!)
久々に参加の我らが頼れるアニキパタリン氏(わさびビール旨いすか?)
ヘタレだなんてとんでもない!実は何処へでもついてくるタフガイ細田氏(喰うすか?飲むすか?)
以上3名に私を加えた、4人だ。


仙人峠 計画失敗
2005.1.30 6:00


 午前6時過ぎ、国道283号線が遠野から釜石へと乗り越える仙人峠に到達。
そこに広がっていたのは、私が想像していたのとは全く異なる、冬真っ盛りの峠の姿だった。
甘かった。
完全に、見込み違い。
太平洋岸と嘗めきっていたが、我が過ち。

まさか、これほどの積雪があろうとは。
秋田市よりも明らかに深い、40cm近い積雪に、一面は覆われていた。
とてもこれでは、上部軌道探索どころではない…。

いきなり、今回の最大の目的だった探索は、出来ないことが決定的となった。




 長い仙人トンネルを、車線一杯を占領する大型車について数分をかけて通過する。

トンネルを出ると、やはりそこもまた一面の銀世界だった。
いよいよ太平洋岸ということで、一気に積雪が減ることを期待したが、無駄だった。

仙人トンネルの釜石側に設けられた広い駐車スペースに車を止め、我々は可能性を模索したが、一度この地を探索していた私には、この状況での踏査は無謀であるということが、はっきりと分かった。
もしここに、やはり私とは別々であったが、この地を経験したくじ氏がいたら、きっと同じ答えを導いただろう。

この急峻なる釜石鉱山の山やまは、無雪期ですら容易ではないのだ。
とても、無理である。
急谷に捻り込まれるようなカーブを描き“墜落”していく国道が、はたから見ると非現実的なものにすら見えた。
この地は須く、非日常の世界であるとさえ、私は思っている。



 仙人トンネルが越えてきた山脈。

その斜面には、秋には気がつかなかった道筋が、雪から顔を出す黒い石垣の列として、くっきりと出現していた。

この発見には、嬉しさ半分、悔しさが半分といったところ。
以前探索した時には、笹藪や崩落に阻まれ、殆ど全容の掴めなかった上部軌道の、その延長に間違いない道筋が、そこに現出しているのである。
今すぐに探索してみたいと思うのが、当然である。

だが、それが叶わぬことは、明らかだった。
国道に表示された温度計は、マイナス6度を指し示していた。
おそらく上部軌道にはさらなる極寒と、風雪が、待ち受けているに違いない。
さらには、正確に地表の凹凸を確認できぬ積雪状態で崖に足を踏み入れるなど、自殺にも等しい。

悔しいが、見ただけで、撤収。


 駐車場の真上の斜面にも、石垣は確かに等高線のように伸びていた。
上部軌道と思われるその道筋は、国道の仙人トンネル坑口を高い位置から取り囲むようにカーブして、南北に続いている。

せめてその道上の様子だけでも知りたくて、手袋もせず、私は急斜面に齧り付いた。
そして、何度も足を滑らせながら、特に雪の底で押しつぶされていた笹にはカウンターパンチを大量に食らいながら、なんとか、国道から30mほど上部を通る、その道に辿り着いた。
登るだけで、5分以上も掛かった。

写真は、木々の向こうに見える、駐車場のふみやんカー。
仲間達は、あの中でヌクヌクしている。
手は凍えに傷み、カメラを取り出すのも億劫だった。





 そして、その道を、腿までの積雪に苦しみながらも、まだ見ぬ南方向へと歩み始めたが、ほんの30mも進んだところで、リタイヤ。

遂に間近に現れた石垣に興奮することも赦されない。
そこには、石垣だけを残して急斜面と化した雪原が続いていた。
その斜度は、60度はあるだろう。

万一不用意に踏み込めば、まず間違いなく滑り落とされ、そして…。
崖下はもはや国道などではない。
100mも下だろうか、甲子川が音もなく流れている。

恐いので、これ以上は進まなかった。
やはり、地表が見えていないのでは、自信を持って進むことは出来ない。
それに、寒すぎて、頭がどうかなりそうだよ。



 上部軌道を含めた櫻山運鉱線の道筋は、左図の通りである。
特にオレンジ色の破線の部分が、今回国道から見ることが出来た、上部軌道の一部と思われる部分だ。
そのごく一部だけ、今回実際に歩くこともした。

いずれにしても、まだまだ上部軌道は長そうである。
このあと春になったら、また再調査が必要だと考えている。






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