廃線レポート 八幡舘インクライン  最終回
2005.2.7

八幡舘鉱滓投棄場
2005.1.30 9:10

 我々は、遂にインクライン跡を発見し、これを上り詰めた。

そしてたどりついた場所は、釜石製鉄所が鉱滓を投棄していた、八幡舘という、広大な土地である。

そこはもはや、人が訪れる場所では、無くなっているように見えた。

早速、ご覧頂こう。



 まず、我々が登り切って、満足げに休憩した場所は、コンクリ一枚の下に、広い空洞があった。
一部のコンクリが抜け落ち、その内部の空洞が見えていた。
また、空洞へと降りる階段は見あたらなかったが、その中を覗くことは容易に出来た。

そこは…。



 おおよそ2階建ての高さを持つ、地下の空洞になっていた。

中は蛻の空で、寒々としたコンクリの床が、2階分見える。

見た限り、高さはあるものの奥行きはなく、インクラインを稼働させるための動力が設置されていたスペースと思われる。
あの定義のインクラインと比較しても、この釜石のものは、傾斜延長で2倍以上あり、高度差も同様だ。
そして、主な荷は、材木よりも遙かに重い鉱滓(鉱滓は石の中でも特に比重が大きい)の塊であったことから、どれだけ強力なウィンチが利用されていたのだろうか、見てみたかった。




 上の写真とは別の角度から、内部を覗いてみる。

まさに、コンクリの廃墟そのもの。
生活感などまったくない、捨てられた工業施設である。
街中の廃墟であるにもかかわらず、不法投棄物の粗大ゴミはおろか、小さなゴミ一つ落ちてはいない。
やはり、地元のイタズラッ子たちにしても、この八幡舘に登るというのは、タブーなのだろうか?
異様な孤独感に覆われた廃墟を足元に見下ろしつつ、我々のなんつー場所へ来たのかという感慨は、ますます深まった。





 インクラインは、この八幡舘の北側にある。
そして、この眺めは、北東側の崖からのものだ。

北東側は、ちょうど釜石市街の中心部から、釜石港を見渡す。
大げさでなく、マジ絶景!
リアス式地形による複雑な山岳海岸の一画に、甲子川の堆積により出来た狭い三角州。
そこを埋め尽くす釜石の街並み。
鉱業斜陽といわれつつも、なお三陸有数の重工業都市は、漁業やスポーツに新しい活力を見いだしている。
そして、この街には、他の街が手に入れたくても決して手に入れることが出来ない、歴史がある。
日本一、日本最古という、いくつもの歴史が、眠っている。

ここ八幡舘は、その名の通り、かつて戦国の代には釜石三館の一つに数えられた山城であったといわれる。
納得。
掛け値無しに、素晴らしい、眺め。
ここに立てば、本当に街を征服したような気持ちに、なる。



 細田氏、釜石の街並みを足元に、最高の一杯を満喫中。

背後に写る鋸の刃のような稜線は、鳥谷坂峠。
その向こうは釜石市両石町である。

三陸海岸らしい、海岸すれすれにまで張り出した山嶺だ。


 そしてこれは、上の写真とは反対側の、西側の景色。
甲子川の流れに沿って街が続いている。
そして、山裾もまた、川の蛇行にあわせて、緩急をつけ街に迫っている。
その奥の方は、急速に霞んで見えなくなっている。
まず間違いなく、山間には雪が落ちているのだろう。
この、北国の冬特有の、赤みを帯びた空に降ろされた帳のような雲こそ、一冬に何度か訪れる大寒波を知らせるものだ。
猛烈に発達した低気圧が、この日の釜石地方を、いや、北東北全土を、覆い尽くそうとしていた。

我々が、陽の光を浴びれたのは、本当に、このあともう僅かな時間だけであった。






 下界からは、まるでグランドキャニオンの様にも見えた、あの大断崖の上に、我々は立っていた。

何というスケールの大きな景色なのだろう。
釜石という街を見るのに、これ以上の展望台は無いに違いない。
この時、この広大な八幡舘の全てが、我々だけの特等席であった。

なお、写真に写る橋は、出だしに潜った化成大橋である。
辿り着くのにあんなに苦労した鉄塔達も、いまは小さなものに見える。
そして、足元の異様な造形にも注目である。
まるで、冷えた溶岩流のような、岩肌。
鉱滓という融けた石が、捨てられたまま冷えて固まった姿である。



 断崖の縁に立つと、川上から猛烈な突風がぶつかってきて、押し戻そうとする。
もし逆方向の風であったら、恐くて崖には近づけなかっただろう。
それほどに、強烈な風である。
身体を切るような、零下の風だ。

縁から、南方向を見渡す。

冬山の景色が広がっている。
この山並みを潜るのが、以前紹介した山手東側隧道であり、山の向こうは釜石市平田地区がある。
この景色だけを見ていると、一体どんな人跡未踏の山岳地帯か、ファイト一発のロケ地かと思うが、実際には市中心部の裏山の景色な訳で、本当に釜石は意外性に満ちた面白い街だと、つくづくおもう。



 地形図を見ても、その様に描かれているが、八幡舘の山頂部分はものの見事に平坦である。
その広さは、東西150m、南北400m程度あり、自然地形とは考えにくい。
もともと八幡舘山は南北に長い稜線上のピークであり、南側はそのまま牧根森山へと続いていく、独立峰ではない。
おそらくは、稜線上にあった本来のピークを切り崩し、一定の高さで均したのが、この現在の姿なのだろう。

それはそうと、
積雪により、分かりづらくはなっていたが、至る所に亀裂が走っている。
大きなものでは、幅50cm以上にも広がった亀裂、その奥行きは、覗いてみても分からぬほどに深かった。

 


 このような亀裂が、なぜ生じたのか?
投棄された地中の鉱滓の熱が、冷える過程で、地表を割ったのか。
それとも…?
我々は、常に亀裂に嵌らないように注意して歩く必要があった。

亀裂だけではなく、鉱滓投棄場の地表は火山地帯そのままの姿である。
溶岩流のような模様が、随所に見られた。
 


 しばらく歩くと、南側の稜線に緩やかに接する場所へ来た。
正面左の山が、牧根森山である。
この先は、やっと破壊されていない自然の山のようだ。

これまで外縁に沿って反時計回りに歩いてきたが、今度は中央部分を突っ切って、インクラインへと戻ることにした。
広大な鉱滓投棄場は、やはりただの広大な荒れ地なのだと、この時点では思っていた。

しかし、それだけではなかったのである。


 まるで塚のように、投棄場の平坦地の中央部分には、盛り上がった場所があった。
いやむしろそれば、切り崩された山中にあって、唯一切り取られなかった元来の高さなのかも知れない。
私は、なんとなくだが、そんな気がした。
敢えて盛り土をしたのではなく、元々の山姿をほんの少しでも残す。

それが、増産増益に命を賭けた企業戦争の中にあっても、ただそれだけではない、一昔前の日本人の感性ではないかと、思ったからだ。

そして、そんな私の想像を支持するかのような発見が、小山の麓にあった。


 碑 
2005.1.30 9:25

 広大な鉱滓投棄場の中央付近に一カ所だけ盛り上がった小山。
その麓には、石碑と、小さなお堂が、コンクリート製の台座の上に安置されていた。

なにか、意志を持って人の目から遠ざけているかのように見える、猛烈なツタの乱舞の奥に、訪れる者のないお堂。

この土地から、人の営みが消えてから数十年が経つ。
麓の喧騒とは、全く別世界に見える、古き鉱滓投棄場。
取り残された石碑は、我々の心に突き刺さるように、重かった。



 一礼して、その前に立つ。
心の中で、失礼しますと唱えて、手摺りの朽ちた階段を、登る。
飾り気のない、コンクリートの台座と、お堂。
金属製の扉があったようだが、付け根からすっかりと消失しており、中は空である。
また、山神碑のほうは、自然石に彫り込まれている。
こちらも、簡素な佇まいである。

パタ氏が、ぽつりと言った。

「麓に降ろしてやればいいのに…」

そうだよな。
新日鉄の計らいで、麓に遷座すればいいのに。
ここは、余りにも寂しいだろ。



 山神碑の裏には、建立の記録が残されていた。

昭和十二年四月吉日建之」 とある。

この昭和12年というのは、鉱滓投棄場にとって何か重要な年であったことは間違いないだろう。
インクラインの竣工時期も、この頃なのかも知れない。



 碑は、山神碑だけではなかった。
その隣の、台座の脇にも、一回り小さな石碑が、雪の中からチョコンと顔を出していた。

そこには、「龍神」の文字。
鉱山ではお馴染みの山神碑のとなりに、水神である竜神を祀る碑が建っていると言うことは、珍しいのではないか?
碑の大きさも、台座に対する位置関係も、差異があり、興味深い。
ただ、必然性がないわけでもない。
というのも、釜石市が位置する三陸地方は、歴史上繰り返し大津波に襲われて来た経緯があり、明治29年の大津波では、2万人以上が犠牲になっている。

こちらの龍神碑にも、やはり小さく建立時期が陰刻されていた。
昭和二十八年三月吉日建之





 これだけ放置プレー全開となった石碑にご利益があると思う方が烏滸がましいのかも知れないが、私はしっかりと、今年の山チャリの無事を祈っておいた。
もし今年中を無事完走できなければ、釜石での私の行いが悪かったと言うことにしておく。

それはさておき、写真は、台座の上から眺めた、石碑の正面方向。
ものの見事に、なにもない。
石碑以外には、鉱滓投棄場に何も残されてはいない。

石碑は小山を背景にして、南を向いている。
我々が登ってきたインクラインは、北である。
一通り歩き回ったので、いよいよ帰途につく。





帰り道 
2005.1.30 9:35

 当初、インクラインを戻るのではなく、山手東側隧道方向へ続く稜線を伝って下る予定であったが、この計画は没になった。
いよいよ寒波は釜石の街にまで降りてきて、吹雪が八幡舘を覆い隠しつつあった。
猛烈な突風のなかに、目印乏しい稜線上を進むことは危険である。
それに、日曜日でも工場が稼働しているというのも予想外であり、変なところに降りて、人目につきたくはない。

そこで、我々はこれ以上の計画を断念し、(どんな計画があったのかも、いまはお話しできない。いずれ成功したらね)インクラインを下ることにした。

もう二度と来ることも無さそうな、釜石を見下ろす巨大ズリ山に、敬礼。



 再び落とし穴に気をつけつつ、インクラインに入る。

今度は、延々下り。
下りも楽では決して無くて、雪で段差が見えにくい急な階段を、足を踏み外さないように降りることは、とても神経を使う。
一歩一歩感触を確かめながら、下っていく。

慣れれば、リズミカルに下ることが出来る。

そして、あっという間に、我々が最初にインクラインに出会った地点に戻った。


 最初にインクラインに取りついたこの場所あたりが、全体の半分くらいの位置のようだ。
このまま工場へと降りても、無事に出られる可能性は低いので、再び、梯子を登って、苦しみの雪原斜面へと戻る。

ただ、私一人だけ、全景が見たいと、下りきることにした。
誰にも見つからないことを祈りながらね。
もし私がしょっ引かれても、みんなのことは話さないから安心してくれ(笑)



 緊張で、胸が高鳴った。

ここまで降りてくると、工場の稼働している様子がよく分かる。

あ、目の前の工場の玄関から、人が出てきて、タバコを吸った。

あ、工場の裏に車の出入りが。

あ、 あ、

結構、人目につきそう。
や、ヤバイか。
これ以上は、ヤバイか。




あともう少し。
あと100m。
あと50m。

出てくるな人。
こっちを見るな。
こんなインクライン跡になんて、何にもないし誰もいないから、気にしないでー。
悪気はないのよ。
下りきったら、すぐ帰るからさ。

心中、何事か唱えながら、下りきった。
そして、そのまま物陰に身を潜める。



 そこに置いてある大きな荷台って、きっとインクラインの台車だ。
足回りはすっかり取り払われているが、おそらくは。

さて、満を持しまして、インクラインへと向き直ります。
はたして、どんな景色が見えるのか!



 キター…?





 
 タ
  |
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