廃線レポート 藤琴森林軌道 粕毛線  <第 5 回/>
公開日 2005.9.21


  危険領域 其之一 
 2005.5.29 15:05

5−1 隠された踏み跡


 現在地点は、東又沢を跨ぐガーダー橋を渡った右岸。
ほぼ閉塞した小隧道を突破し、その暗がりの向こうには、まだ見ぬステージが。

 この先については、ほとんど何の情報もない。
言えることは、この先の軌道については記録に残されていないと言うこと。
当時の地形図にも、営林局の資料にも、だ。

 果たして、この軌道跡はどこまで通じているのだろう。

持参の地形図のコピー(右)を広げると、そこには無尽蔵に思えるほど、山と谷だけが、犇めいていた。
ちょっと、頭痛がした。
 

10:19

 「3号隧道」の上流側坑口の様子。

なんだか、ただならぬ雰囲気である。
坑口は崩れ落ちた瓦礫でほとんど天井まで埋もれているし、手前の軌道跡も土砂や倒木で相当に埋もれている。
しかし、よもやこのような場所で、コンクリート製の擁壁が見られるとは思わなかった。
苔に覆われてこそいるが、山側ののり面は、コンクリートで固められていた。

 ここは、ただの作業支線などではないのだろうか?
立派なガーダー橋が架かっていたことを考えても、それなりの規格で建設された物なのかもしれない。
 

 一列となり再び歩き出した我々は、かすかな踏跡を辿った。
その路肩は、コンクリートで固められている。
軌道跡は、緩やかに登りつつ、東又沢を眼下に見ながら、先ほど分かれた粕毛川本流へと戻っていく。
読者の見た粕毛川上流の軌道跡は、現実の物となりそうである…。

 地形図に点線ですら描かれたことのないこの道に付いた踏み跡の主は、果たして何者なのか。
粕毛川上流から源流にかけては、無車道地帯もいいとこで、それこそ一つ尾根を登ればあの有名な「世界遺産登録地域」である。
沢沿いの入山は禁止こそされていないものの、日帰りでは接近できるような場所ではない。
そして、アルピニストや沢屋よりもむしろ、太公望の聖地とされている。

 ただ、源流と言われているのは、さらに我々のいる場所から10km近くも遡った一帯であり、そのアクセスとしてはむしろ、源流の尾根を超えて海側から入るのが主流とされている。
今我々の歩いている軌道跡もまた、釣り人達の道でないとは言い切れないが、さすがに釣果を持ってこの道を延々と歩くのは如何だろう…。



 先ほどまで歩いてた東又沢左岸(対岸)の様子。

こうしてみると、どこに道があったのか分からぬ有様だ。
良くあんな場所を越えてきたものだと思ったが、本当の難所は、この先だった。



 思いがけず文明の気配。

 …ただし、その匂いは薄れ、消えかけている…。


 左の看板は「森林生態系保護地域」と書かれており、営林署で指定した保護地域の説明となっている。
本文の一部を抜粋すれば
「原生的なブナ天然林を保存するために設定した(中略)。貴重な動植物を守るため入林を禁止しています。」
添付の図を見る限り、赤い実線で囲まれている「保存地域」(立ち入り禁止)はかなり源流部に近い方で、今我々がいるのはその周囲に緑色で区切られた「保全利用地域」となる。
なんとなく世界遺産登録地域としての「核心地域」「緩衝地域」の関係に似ているが、この両者には関連性はない。
さらに調べてみると、この森林生態系保護地域は大正4年に国有林独自の制度として制定されたもので、平成15年時点で全国26カ所が指定されている事が分かった。

 右の標柱は劣化著しく判読が困難であったが、「砂防指定地」云々と言ったことが書かれているようだった。

 


 隧道坑口から歩き出して10分、ここまでの距離は200mほど。
山肌に続く進路が北寄りに変化し、粕毛川本流沿いに戻ったようだ。
しかし、驚くほど河床からの高度差がある、水面から50mは離れているのではないだろうか。
これでは、対岸から軌道跡らしきものを見つけられなかったわけだ。

 前方の谷間に見えるスカイラインは、青森との県境であり、世界遺産地域でもある。
初夏の頂には、残雪が見える。
一つ地続きになっているのに、今の我々には、果てしない遠方のように見えた。

 以後、二度とその頂が見えることはなかった。


5−2 林鉄とは かくも美しく…

10:34

 粕毛川本流の様子。

地形図では、ちょうどこの辺りに小さな湖が描かれている。
それは、おそらく砂防ダムなのだが、なんと今回、ダムは決壊しすっかり消失していた!
水面まではこの高さであり、さらに木々が邪魔をしたために鮮明な記憶では無いのだが、決壊しほとんど水嵩を失った淵がちらりと見えた。
それが見間違いであったとしても、地形図に描かれたような湖は存在しない。
故に、その気になれば河床を歩いて上流へと辿ることも出来るだろう。

 今回の情報を提供してくださった読者は、自身が沢釣りをする課程で、もう10数年も前の粕毛源流を見たが、当時は砂防ダムが幅を利かせ、軌道跡がその迂回路となっていたようだと語っていた。
しかし、その読者の記憶も、この先どこかで沢へと降りたようで、軌道跡のそれでなくなる。



 本流を登り始めて僅か、

ひときわ谷が険しくなってくる。

そして、
 前方に暗がり!


 

10:35

  来たーー!!

 隧道ダァー!

隧道がある!!

まだ見ぬ隧道!

地図にない隧道!!



 ダブルだー!!


 な・なんと、

隧道は2門連続していた。

手前の隧道などは、それこそ門と言った方がしっくり来るほどに、短い。
計ってみたでもないが、2mもあるかどうか。
一応は「4号隧道」と命名したい。

 そして、続く「5号隧道」であるが、

暗いぞ。

長いのか?   それとも…。

 



   なにか、背筋にジトーッと、
嫌か予感が…。


 私はざくざくと接近しつつ、誰に聞かせるでもなく、言った。

「抜けていてくれー!」

 抜けてくれていないと…。

どう見ても周辺は断崖の巣である。

迂回なんて、ちょっと考えたくない。



  暗すぎる…。


 地形的に、そう長い隧道が掘られているとも考えにくい。
目の前の岩の張り出しを貫通するだけの隧道で、用は足りるはずなのだ。
あるいは、危険な場所を隧道で一気に抜けてくれるというのか…?

 一般的には、放棄されて灯りも無い隧道など、明かり区間(地上)よりも危険な場所だと考えられているだろうし、心情的にも、うす暗い隧道は好まれまい。
しかし、この軌道跡のように、いつ転倒・滑落となるかと怖々歩くような場所では、私は隧道が現れるとホッとする。
隧道には、壁があり、どうやっても谷に落ちることはない。
生き埋めになる確率なんかよりは、足を滑らせて死ぬ方がよっぽど現実的だろう。

 そのように、私にとっては危険な探索中のピットとなる隧道の存在なのだが…。



 あわわわ…


 まさか、マジで閉塞ですか…。

ここまで来て、隧道閉塞。


勘弁して。

何となく嫌な予感があったから、見るともなしに見ていたのだが、隧道の外はちょっと迂回できるムードじゃないぞ…。




 だめだ、今度ばかりは完全に閉塞している。

内部にはこれといった崩壊もなく、ごつごつした堅牢そうな岩盤に守られているようなのに、隧道の最大のウィークポイントである坑口が、直撃崩壊してしまったようだ。

どうしよう。



 


 閉塞ポイントまで、坑口から僅か10m。

坑口で様子をうかがうパタ氏も、なんだかあきらめ顔。

確かにこの場所での隧道閉塞は、痛すぎる。

 まだ未知のエリアに歩き出して20分、300m一寸しか来ていないのだが、逆にそのことが、諦めの気持ちを強くさせた。
正直、我々素人に太刀打ちできる道ではないような気がするのだ。
ここまでの道のりを考えてみたって、隧道や橋が奇跡的にも通じていたから、何とかここまで来られたのであって、いつ断念となっても不思議はなかった。
その上、この先も延々とこんなに「危ない」なら、いつケアレスミスが起きて、この命か仲間の命のいずれかが、失われないとも限らないではないか。

 パタ氏は特に、暗黙のリーダーとして場のムードを察したのか、

「そろそろ頃合いだ」という顔をしていた。


5−3 かくも…危ない

10:40

 冷静になって、周囲を見回してみる。
突破口を探すため。

 しかし、私の探し方は、どこか消極的だったと思う。
私は、1人だったらここで引き返しただろうから…。

 読者の皆様は意外に思うかもしれないが、私は実は人並みに臆病であり、いつも胃が痛い気持ちになりながら、崖をへつり、谷を渡っている。
それでも、理論的に可能だと思うなら、それを実践しているのだ。(と、自分では思っている)
そして、今私の置かれている状況は、論理的に、引き返すに十分すぎるのだ。

 地図にない道で、先がどうなっているのか全然分からない。
 進めば進むほど引き返す道が長くなる。
 戻るにしても、安全に戻る道がない。

これだけ悪条件がそろっているのに、その上仲間もいないと来れば、確実に私は「本地点での撤収」を回答しただろう。
帰宅後に山行がでレポするにしても、ここまでの成果で十分に思った。
有りの侭を語れば、読者も納得するに違いない。

…こうして帰路を見ても、どこにも安全な道など無いのだ。
見ているだけで、ウンザリだ。



  行けるんでねスか? とくじ氏。

 おいおい!

 ここ見ていっているのか。
おまえは、ここを見ていっているのかーー!


 正直、私とくじ氏のキャパシティの違いを初めて感じた瞬間だった。
最近ロッククライミングを習い始めたくじ氏。
少なくとも出会った最初の頃、私と彼は断崖を進むか引くかの判断において互角だったはず。
高所になれていただけ、私の方が先導していたとさえ思っていた。

 しかし、彼は成長していた。
ここを行くというのか…、…おい、
…もちろん、俺、自分の身は自分で守るんだよね。

 ミスしたら、どうなるんだ…








 ミスしたら、おそらくあそこへ直行だ…

 うわー!
皆さんを煽るわけではなく、ここはマジぶち切れ怖い!!


しゃれならんて…くじさんよー。
それなのに、思わず私、間髪入れずに言っちゃったモンな。

  んだな、何とかなりそうだな。

  タラーーーッ(冷や汗)


バカバカ、強がっている場合ではないというか、思わず考える前に言っちゃったよ〜。
彼が行けるというのなら、私だって行けるだろうという、深い意味も根拠もない思いこみだ。
俺だけ、行くんじゃなく “逝く” になっちゃうかもしれねー。


 だ…だが、大丈夫だ。

こういうとき、パタ氏はきっと反対する。
いままでのパターンからいっても、ここは絶対に反対するはずだ…。
 



  正気かよ!!


 実は、この写真は戻りに撮った物。
だから、最後に越えてきたパタ氏を撮影する余裕があった。
行くときも同じ事をしたわけだが、勿論、こんな物を撮っている余裕はなかった。
当たり前だ(怒)!

 今回の無茶は、俺のせいでないよー。
くじだからなー。
くじがよー、行けるって言うからよー。
掲示板で俺のこと叩かないでね。くじだからね。
あと、パタさんも何故か止めなかったけど、何故なのかは分からない。

 後で話したことだが、私もパタ氏も、もうここには行かないと言うことで、意見が一致した。

 そうだよな。
こんな場所を無装備で歩いていたら、おそらく10往復に一回は死ぬ。
人は誰しも、ミスをするのだから。

※いや、この行動の責任は3人それぞれにありますんで、上のは冗談です。



 隧道迂回は、尋常ではない道なりだった。

つーか、道はない。

断崖の起伏を見て、木々の張り出し方を観察し、手懸かりを求めながら、全身を使ってなんとか水平移動をする試みだ。

すぐそこに間違いなくある“死”をカムフラージュするかのように、辺りは傾斜の割に深いブッシュとなっており、期待しうる限り最も恐怖を緩和してくれた。
もし、ここに必要最低限の手懸かりしか無ければ、さすがにギブアップだ。

 途中、最後尾のパタ氏が先頭を行くくじ氏を大声で呼んだが、全く返事はない。
藪が深く、地形的な制約も極度で、視界が聞かず、先頭の声のする方に進路を求めようとしたのだが、それも叶わず、我々は自分の目を信じて崖を歩いた。

 「くじぃー!!」の絶叫が幾度も虚しく谷に反響し、パタ氏のいらだちは私にもよく分かったが、もはやどうしようもない。
とにかく、自力でここを越えねば救われないのだ。

一挙手一投足に、全身全霊を賭けるとは、まさにこのことだった。
この緊張感が続いているうちに突破できねば、不意の事態もあり得るぞ。



10:46

 終わった。

 6分間の命のやり取りに、全員が勝利。

このくじなる男の凄さをマジマジと見せつけられたお礼に、顔出しプレー全開である。
この男、岩手に生息していながら、休みのたびに秋田県内の怪しげな谷間に出没しているらしい。

 軌道跡も、再び変わらぬ姿をそこに見せた。
振り返ると、坑口跡が斜面に埋もれているようだが、痕跡はない。

 これで煉獄は終わりなのか、はたまた始まりに過ぎないのか…。
ともかく先へと進むしかないだろう。
今すぐに引き返せと言われても、ちょっと緊張のひもが切れてしまった今ではきつい。

少しで良いから、安寧の時が欲しいと願った。

前進、再開。



5−3 林鉄の 目的

10:51

 私は、気が気ではなかった。

またいつ、先ほどのような難所が現れるかと。

進退を窮することになりかねない。

そして、実際にいつまた再び難所が現れても、全く不思議はないような、荒れた軌道跡が、細々と崖に刻まれていた。
 


 ここも、難所に近い危険な場所だった。
しかし、感覚が麻痺していたのか、少々の崖では冷静さを失うことはなかった。

 なお、我々は全員、沢装備であった。
くじ氏は全身タイツで、私も半身タイツ、パタ氏も然り。
各自沢靴であり、特に私の履いているフェルト履きは、岩場ではいいものの、土や草地がすこぶる不安定で怖かった。
まさか、これほど沢から離れた場所を辿る軌道跡だとは、思っていなかったのだ。
装備が装備だけに、夏さながらの気温に怒濤の汗をかいたが、この暑さと、装備選択のミスが、一人の男の命を、危険へと近づかしめていたのだった…。

 まだ、当の本人すらそのことに気がついては、いなかった。




 浅い切り通しを抜けて、景色に変化の時が訪れた。

どうやら、ステージが変わったらしい。

地形図で確認すると、現在地点は橋から700mほど。
粕毛川左岸の河床からの高度40〜60mにかけて、やや平坦になっている。
そこには、帯状に「針葉樹」の記号が続き、ピンと来た。

 そうか、ここが軌道の目的だな!

 

11:03

 そして舞台は、静かな森へ…。


木漏れ日の林間は、地獄を乗り越えてきた者だけのオアシスなのか。


なんか、難所の後に穏やかな森という展開は定義に似ているような…。

しかし、それもそのはず、林鉄とは木を伐るために敷かれた鉄道。
なればこそ、豊富に木々の生えた場所を目指し、多少の困難は勇気と英知で突破して来たのだ。
その目的が、粕毛林鉄延長線においては、この森なのだろう。





 見事な杉林である。

 地形図上ではさして広いようにも見えない森だが、確かに思いがけず平坦な地形が、まるで隠されていたかのようにここだけにある。
しかし、こんな白神の奥地に、かような杉林があったとは…。
植えられたのは、いつ頃なのだろう?

だが、今後の手入れはどうするのだろう。
既に長らく手入れはされていないようで、下枝も伸び放題となっている。
黙っていても、杉は土地に馴染んで青々と茂るが、収穫を目論んだ人間達は、もはや容易に近づけなくなってしまった。
足という問題もあるし、そもそも今ではここは白神山地の一等地。
伐採できるのだろうか?

 少し雑然とはしているが… これが白神唯一の杉並木道だ!




        なんかもー、引き返せない場所に来ちゃったような…





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