廃線レポート  
森吉森林鉄道 奥地編 その2
2003.11.4



 近年舗装され、県道として立派に任務を全うしている砂子沢峠を越え、いよいよ探索の舞台、森吉町最奥の地、大杉へと入る。

いまだかつて無い行為が、行われようとしていた!!

大杉地区
2003.10.30 8:57


 砂子沢峠から森吉側の下りは直線的であり、道幅も広く、あっという間に大杉のT字路まで駆け下りた。
ここには県道らしい青看が設置されており、なんとなくほっとさせられる。
なんせ、この大杉は、既に廃村となって久しい場所であり、しかも、小又川を下ればまもなく太平湖に阻まれ、背後には今越えてきた険しい峠が迫るという、ちょっとやそっとでは脱出できない山深き地なのだ。
青看に従えば、右が阿仁前田へ続く県道であり左は、「夜明島」へ続くとされる。
もっとも、この夜明島への道は今なお林道そのままの隘路であり、鹿角市への道中は命懸けである。

まずはここを右折し、県道を進む。


 大杉集落は、延宝3年(1675年)開村と伝えられる歴史ある集落だったが、昭和28年に、やや下流にあって現在太平湖に沈んでいる砂子沢集落とともに集団移転の適用を受け消滅している。
砂子沢と異なり、大杉は水没を免れる位置であったものの、ダム湖による孤立のため村落としての機能を維持できないと判断されたらしい。
その判断が正しかっただろうことは、現地を訪れてみれば、よく理解される。

さて、そんなことを語っているうちに、既に路傍には軌道跡が出現してきた。
これは、六郎沢第1号橋の脇にある軌道橋と思われるもので、コンクリート製の細い橋桁はしっかりとしており、両岸から森に浸食を受けているものの、保存状態は良い。
古い地形図によれば、森吉森林鉄道の終点はこの辺りにあったはずであり、この遺構が、現在確認されている最奥のものである。

ここから、今回の探索は始まった。


対岸へ…
9:12

 そこから小又川の渓流に沿って穏やかな道を下ること1kmほど。
無名の沢が対岸に注ぐ地点は、森吉山付近の渓谷風景として代表的なものである巨大な“ナメ”となっている。
そして、この出合い地点のやや下流に、かつて対岸へと軌道が渡っていたポイントがある。



 ご覧いただけるだろう、水上に突き出した三本の橋脚を。

この状況は、まさに恐れていたもの、そのものである。
この地点で対岸に渡らねば、この先の湖畔の付け替え軌道跡の探索は絶望的となる。

いや、この状況を覚悟してもいたので、最後の手段として、もう一つのアプローチルートを考えてはあったが、そのルートは、余りにもハイリスクなのだ。
(安心してほしい…最終的にはその“ハイリスク”なルートも紹介するので…)

対岸へと渡る橋は4連の木橋であったと思われる。
コンクリート製の橋脚はいずれも健在だが、そこにあるべき橋桁は全て遺失していた。
この橋が付け替え部分の一方の端であったと考えられるので、すなわち、「7号橋梁」ということになろうか。
以下ではこれを、7号橋梁と称するものとする。




 橋桁の無い橋を渡る術は無い。
そんなことは百も承知だが、50mと離れていない対岸には目指すべき、そして、求めて来た軌道が確実に存在しているのだ。
これは、簡単に諦められる物ではない。
まずは、前後の区間に渡れそうな橋が無いかを探索したが、これはあえなく失敗。
となると…。

7号橋梁のすぐ50mほど下流には、県道から川原に降りれるようなスロープと、ボートでも収納していそうな小屋があった。
このスロープは明らかに自動車も通った形跡がある。
そればかりか、この轍…対岸にも続いているではないか?!

私の注目は、橋など無い川原に向けられた。



 川幅は10mほど。
その水深も30〜40cmくらいと見える。
あきらかに、対岸へ向けて轍は続いているのだ。
もっとも、現在の水量では自動車での通行は無理だろうから、普段はもっと浅いのだろう。
昨日から降り続く雨が、今になって真に憎たらしく思えてきた。

この水量では…この道は断念せざるを得ないだろう …か?



 対岸に目を凝らすと、そこには軌道跡に間違いない苔むした橋台が見え隠れしていた。
この先に目指すべき物があることは、間違いが無い。

この水量。

引くのを待つか?

そんな物は当てにならない。

やはり、断念か?


私が、私のこれまでの経験と勘の全てを動員して審議していた議題は一つ。
歩渉が可能であるかどうか、だ。

もちろん、渓流のプロから見れば、こんな物は屁でもない、或いは、危険だから止めるべき。
結論はすぐに出たに違いない。
私にとっては、長靴以上の流水を超えるというのは、初めてのチャレンジなのだ。
だが、経験が無いとは言っても、考えなしに踏み込めるほどに容易くないであろうということ、読みを誤れば一発で死ねるであろうことは、早瀬となった流れを前に感じていた。



 結論は出た。

瀬となった部分は迂回し、やや深く、歩渉距離も長くはなるが、速度の少なそうな部分を狙って、歩渉を開始する。

まだ旅の序盤で靴を濡らすのも嫌なので、おもむろに素足となって、荷物は全て背負った。
真夏の晴天下なら、ここも良い水遊びの場となりえただろうが、時は10月も30日。
しかも、上がりつつあるとはいえ、雨。

はだしの足裏に感じられる、新鮮な石の感触は、かつて無い行為に及ぶ前の緊張感を、いやがおうにも高める。
愛車を起こし、
愛車と私は、慣れた位置関係を取る。押しの姿勢だ。

そうだ。
私は、チャリごと対岸へと行くことを企てていたのだ。



死 闘
9:24


 1分後。
私の愛車と私は、まだ共に在った。
半分川の中に落ち込んだまま棄てられたチャリと、なぜか脱ぎ捨てられたスボンが、その戦いの激しさを物語っていた。
このとき、私はフトモモも露に川原に立っていたことになる。
一体、彼に何が起きていたのか。

彼は、ズボンを着用したまま、ただし膝上まで捲り上げてはいたが、はだしになってチャリとともに進水した。
始め3m、水嵩はすぐに脛を超え膝下まで来たが、流れは穏やかであり、刺すような水の冷たさには驚いたものの、冷静さを失わず、対岸を見据えて進んでいた。
そして5m、中央部が近づくと、流れが急激に速まったことと、ますます深くなってきたことを、膝下全ての皮膚の感覚器が私の脳に伝えてきた。
次の瞬間、

   「 あっ 」
          「 あっ 」

  「 うっ  うおっ 」

 私は、全身をこわばらせて、水流に耐えていた。
私だけならば、この、最も急な水流にも立っていられただろう。
だが、問題は愛車であった。
水流に対して垂直方向に大きな面積を持つ愛車が、私をも巻き込んで川下へと流れていこうとしたのである!
やばかった。
なにか、今すぐに対策しないと、私はチャリを失うか、はたまた、チャリごと転倒し瀬に飲まれるか。

咄嗟に、私はチャリを流れに任せた。
いや、正確には、流れに逆らう部分が減るように、流れに任せながら自然と水上に持ち上がってくる様に持ち替えたのだ。
すぐにチャリは水面に対し平行に近い状態まで浮いてきた。
あとは、そのまま両手でチャリを保持しつつ、私自身も最大限に慎重に歩みを進めたのである。




 そう。

私は、超えた。

たった10mの水流に翻弄されつつも、愛車を守り、生きて対岸に達したのである。

今回の暴挙は、自己採点すると、まずまず評価できると思う。
君子危うきに近寄らずの例えを持ってすれば、増水時の歩渉自体が過ちとなるかもしれないが、それでも、最大限に危険性を予見し、経路も選んだ。
松ノ木のときは、運良く突破した後に自己嫌悪に陥ったものだが、今回は、チャリの挙動にはひやりとさせられたし、早くもズボンが水浸しになったのは、大きな、大きな大きな痛手であったとはいえ、充実感があった。

これで、私はやっと、軌道跡へのパスポートを手にした事になる。

いよいよだ。



 下流に向け、軌道跡を利用したらしい作業道が続いている。
足をタオルで拭き、ズボンを絞り、そして履き、靴下も履き、靴も履き、愛車を川原から引き上げ、いざ、侵入。

謎の穴
9:28


 さっそく軌道跡は険しい断崖に差し掛かる。
崖を切り開いてこさえたであろう荒々しい道には、確かに二本の轍の跡が認められるものの、落ち葉が厚く堆積し、まるでふかふかのベッドの上のように走りづらい。
轍の間にも、すっかり冬枯れしているが、背丈ほどはあっただろう雑草が繁茂していた形跡が認められる。
軌道跡を転用した作業道も、既に廃されて久しいように感じられる。
しかし、それにしても、この軌道跡が転用を受けていたのは、意外であった。
はたして、どこまで行けるだろうか。




 100mほど進むと、屏風のようにギザギザした岩肌は天然の物だろうか、岩棚の下に、黒い口が覗いているのが見えてきた。
これは…隧道なのか!

興奮の度合いが一気に高まる。



 穴は、全くの素掘りであり、隧道らしい断面ではなく、まさに自然洞窟のように見える。
しかし、ちょうど軌道が川に沿ってUの字を描く内側に穴はあり、遠めには隧道のようにも見える。
内部は、3畳ほどの空洞になっていたが、光の届く範囲ですぐに行き止まりであり、やはり人為的に開削されたようには見えなかった。
どうも、これは自然洞窟に過ぎないようだ。

しかし内部には、かつてこの穴に何らかの神格を感じていた人物がいたことを証明する物体が、残されていた。



 滑らかな内壁に1箇所、人為的っぽい窪みがあって、そこには…。


なんだこれは、醤油瓶??
んな訳は無いだろうから、多分、酒か。
未開封のようであったが、内部の液体は熟成されすぎたのか、真っ黒であった。
また、妙な生々しさがあり、とても手に取ってみようという気にはならなかった。
どういう経緯で、誰が、いつ頃これを置いたのかは分りかねるが、多分、自然に生じたこの穴に、山神信仰が重なり合っているのではないだろうか?
これ以上に“霊場”を暴くのは気が引けたので、行き止まりであることを確かめると早々に撤退した。

橋も落ち、容易には近づけなくなった場所に、なんか気になるものを見つけてしまった…。



 内部からの眺め。

坑門は広くはなく、立っては入られない。
やはり、自然洞穴なのか。


 また、穴は軌道面よりやや高い位置に口をあけており、廃道と化した軌道跡を見渡すことが出来た。


はたして、この先には目指す湖畔の隧道群が現れるのか?
それとも、再び進行不可能な障害が現れるのか?

すでに、背水の陣(文字通り…笑)となっている私は、何を見たか!?



その3へ

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