5号橋梁へのリベンジを果たすも、その先の7号隧道の攻略には欠かせないボートの運搬に失敗。
頼みの綱を失ってしまった3人を、夕闇が包んだ。
時刻は、16時5分。
急激に暗くなってゆくなか、我々に許された時間は、長く見積もっても、30分。
それ以上は、再び日が昇るまで探索不能となるだろう。
私の頭には、ひとつの考えが、まとまりつつあった。
それは、ある一つの決心であった。
支えたのは、ほかならぬ、仲間たちの存在であった。
何かを、相談したわけではない。お願いされたわけでもない。
だが、私は、
もう一度だけ、隧道へと向かうことを、決めた。

7号隧道 最終探索
さらに、一歩。
私と、隧道との、我慢比べとなって来た。
へその上の辺りまで水没した私の体。
振り返れば、すぐ傍に、明るいハロゲンの光。
コンクリートの覆工はすぐに途切れ、荒々しい素掘りとなる。
水深は、まだ少しずつ深くなり続けていたが、その傾斜は急速に鈍り、ほぼ、平坦となった。
再び、HAMAMI氏撮影の映像。
この写真からも、水面が相当に迫っているのがお分かりいただけるだろう。
ちなみに、今回のレポートに限らず、隧道内部写真として公開しているもののほとんどは、画像処理によって明るさを増している。
緩い右カーブとなっており、その先には、パタ氏の光も届いていない。
近づくまでは気がつかなかったのだが、コンクリートに内壁が切り替わる直前は、私が伝って来た右側の壁が深く抉れており、口径が広がっている。
半身を沈めても良いと決心したとき、そして、実際に体を沈め、尚も前進できている自分を確認したとき、私は内心、勝利を確信した。
振り返ってみると、自分でも驚くほど、私を照らす明かりは弱々しくなっていた。
内壁は、ご覧のとおり、綺麗な状態。
さらに進むと、また素掘りに戻った。
そしてさらにすすむと、またすぐに素掘りに戻る。
なおも進んだ。
中途半端に、左右の壁だけがコンクリートで固められている。
そこから先、私は光に導かれる羽虫の様に、無心になってその明かりを目指した。
5分後、私は無事に戻った。
喜びを分かち合い。
生還 と 犠牲