廃線レポート  
森吉林鉄 第X次探索 その6
2004.8.21


 大笑いの遊覧船接近から一転、死の臭いが鼻をつく、絶壁の探索へ。


廃歩道へ 
2004.6.13 11:17


 我々は、次なる探索のために地点の東屋跡に戻った。
その時、先ほどの遊覧船が湖面を戻っていった。
再び、山中に我々以外の人間は、いなくなった。


 

 これから探索するのは、東屋跡から現桟橋までの、最新の地形図上にも描かれている歩道である。

色々な推察は可能だが、この歩道がどのような由来を持つ物なのかは、はっきり言って分からない。
遊覧船が就航する以前には、林鉄跡を歩いて小又峡へと向かっていたそうであるから、その当時に東屋などと共に設置された物と推定されるが…。

とにかく、一度歩いてみれば、何か分かるかも知れない。
そんな想いから、プレでは実施しなかった本調査の目玉として、この探索、延長約300mを、実施するものである。




 廃歩道は、東屋の裏手の斜面に入り口がある。
それは、遊歩道といったイメージではなく、登山道さながらの、荒れた道だ。
この入り口は、プレの時にパタさんが発見してくれていた。
もちろん、付近に案内となるような看板などは一切無く、本当にこれが現桟橋や現小又峡遊歩道に続いているかは、まだ分からない。




 道は急で、一気に東屋の高さから30mほど上昇する。
先頭をパタ氏が歩き、その後ろを私が、そしてふみやん氏、細田氏、YASI氏、くじ氏と続いている。
一列でなければとても歩けない、急斜面に沿った細い道である。
だが、道形はしっかりしているというか、踏み跡だけで形成されている道ではなく、固い岩盤を抉りとって歩道が設置されている。
やはりそれなりに利用があった道と感じられる。




 パタ氏は、この道に執念を燃やしているようで、私の予想以上にどんどんと突き進んでいった。
高度はさらに上がり、青い湖面はかなり下だ。
崖を覆い尽くすこの緑のベールがなければ、恐ろしくてとても歩けないような場所かも知れない。
歩道は、長く歩かれていないようで、幾度も倒木に遮られた。
堆積した落ち葉も、踝まで埋まるほどだ。




 木々の間から見える湖面。
切れ切れとなった3号橋梁も、しっかりと見えていた。
森には、ホトトギスの声が響き、いたって平和だ。
森吉では雨に祟られることが個人的に多かったが、今回は天候は申し分ない。
もし雨だったら、この行程はキャンセルしていたかもしれない。



 恐れていた光景が、展開しつつあった。
それまでは、地形は極めて急でありながらも、山肌を覆う木々や草葉のお陰で、手がかり足がかりには不足しなかった。
だが、

痩せ始めた。





 遂に、地肌が現れた。
頭上から湖面まで一繋ぎの滑らかな崖になっているが、道があったと思われる部分だけは土が乗っかり、そこに植物が生えている。
やはり、かなり大規模に歩道整備を行っていた形跡がある。
お陰で、何とか進むことが出来る。







 しかし、先行するパタ氏が立ち止まっていた。

倒木が邪魔で、立ち止まっているのか?


実は、さらに恐ろしい光景が、その先に展開していたのだ!
パタ氏は、固まっていた。




 断崖の廃歩道 
11:24

 特に危険な箇所です。

ここは、高所に耐性のある私でも、背筋に冷たいものが走った。
頼みの綱の道が、すっかりと落ちていた。
残っているのは、崖の上端の植生のみ。
肝心の歩道は平坦部を残しておらず、突破するには、草木を手がかりに、下半身を斜面に支持したまま、約10歩歩かねばならなかった。

こういう場面では、私かくじ氏、いわゆる「斬り込み屋」が人柱となるのだが、今回は、私が踏み込んだ。
パタ氏の“こういう場面でのお決まりのせりふ” 「ヤメロッテ」 が、連呼されている。
それを背後に感じながら、慎重に、一歩二歩…

…大丈夫だ。 行ける!

そう判断した私は、わざと元気に明るく声を張り上げる。

「足元は滑らないから、しっかり手がかりを掴めば、難しくないぞっ!」


結果、自己責任の下で進んできたのは、くじ氏、パタ氏、そしてふみやん氏であった。
細田氏とYASI氏は、ここで待機との決断に至った。





 危険箇所を振り返る。

説明は不要だろう。
約40m下方の湖面まで、一直線。
我ながら、ここまでストレートな断崖というのは、胸がすく思いだ。
ここの突破は、崖が完全に乾いていた為に可能となったと言って良い。
少しでも滑るようなコンディションならば、流石に断念したことだろう。





 森吉特有といえば言い過ぎかも知れないが、少なくとも、森吉の特徴的な光景となっている滑らかな一枚岩。
小又峡は、まさにこの様な景観が名勝となっている場所である。
その入り口である、この湖畔もまた、湖が出来る前にはいくつもの滝や、淵があって、風光明媚な場所であったという。
失われた渓流は、足元の穏やかな湖面とは余りにもかけ離れた、恐ろしい断崖を、我々4人の前に示したのだ。

この断崖を横断すれば、丁度現桟橋の直上に至る。
もう、一頑張りなのだ。
それは、分かるのだけど…。

 い、行けるか?!

※右の写真にカーソルを合わせると、歩道の位置が表示されます。


 湖が小さな湾のようにへこんでいる場所、それに合わせて崖の廃歩道も大きく迂回する。
先ほど一望できたよりも、実際の距離は長く感じた。
写真の場所は、断崖の途中ではあるが、歩道の痕跡と思われる僅かな平地に植生が根付き、危険と恐怖をカムフラージュしてくれていた。
そして、意外な発見。

車道の法面などで昔よく利用された、Iビームの鋼材である。
歩道に一本、突き刺さっている。
しかも、緑色に塗られていた形跡がある。

滑落防止用のフェンスなどが以前は設置されていたのかもしれない。



 特に危険な箇所です。

 そして、この廃歩道探索のハイライトシーンが、訪れた。

歩道探索を開始して15分後の11時32分。
はっきりとは分からないが、恐らく歩道はここだろうという想像のまま、歩ける場所が限られるので、それを繋ぐような感じで進んできた。
断崖に体を寄せて慎重に歩いているのは、ふみやん氏。
一枚岩ということで、手掛かりは少なく、バランスを崩せばフォローが効かない。
そう思われるから、崖を横断するときは、本当にスリリングだった。

写真奥には、待機中の細田氏とYASI氏の姿も、写っている。
この崖を越えて、いよいよ現桟橋の直上と思われる小沢に差し掛かる。



 絶叫の正体 
11:33


 やっと木々の間に入り込み、滑落の危険から解放された。
しかし、ここで植生が深くなったこともあり、完全に歩道跡を見失ってしまった。
振り返れば、少し遠くなった3号橋梁の姿。
距離的には、この辺りの直下に桟橋があると思われたが、地形は複雑で、足元の湖畔は全然見えない。
これ以上歩道を探すことを断念し、直接下降することにした。

小さな沢があったから、この沢沿いに下れるところまで下った。




 10mほど滑るように下ると、微かに道の跡と思われる踏み固められた小道に遭遇した。
恐らくこれが歩道だとだと言うことは、再び発見された半ばまで埋もれたまま直立するIビーム鋼材より推定された。
先ほどの断崖からこの場所への急激な歩道の高度低下は、どのような道筋で成されていたのかは分からないが、私たちが自然にそうしたように、歩道もまた、崖を過ぎてからは滑るように下っていたのかも知れない。

そして、巨大な倒木などにより、再び道を失いかけていた我々の背後から、絶叫が!

いてー!
   痛てー!
 イテーー!
    イテッ!
  痛てェー!
     痛てー!!
 
パタ氏は、私たちが駆け寄ると、もはや前後不覚になっていた。
半錯乱状態で、痛さを訴える「いてー!」の叫びを連呼していた。
私たちが、何事かと駆け寄っても、彼は「いてー!」「いてー!」を連呼するばかりだった。

なにか、ただ事でないことだけは、理解された。 いてー!

だが、この時彼に何が起きていたのか?!いてー!いてー!


 彼は、服と背中の間に進入した虻によって、一瞬のうちに7回刺されていたという。

虻も必死だったのであろうが、何という早業。

彼は、猛烈な傷みを感じ、それが先ほどのいてー!となって現れたのであった。

我々は、やっと彼の口からいてー!以外の言葉が吐き出されるに及んで、その状況を理解し、また、彼の要請によって、消毒液を彼の背中全体に流すという治療に出た。

結果、1分ほどで傷みはやや治まり、今後の活動が続行可能な状況になった。
パタ氏の“一部で評判の良い背中”は、虻にとっても魅惑的であったらしい…。




 その後、我々は転げるようにして湖面へと下りた。
再度虻に刺されることも避けたかったし、深い藪と急な斜面によって全く道の痕跡を見いだせなくなったこともあり、直下に桟橋があると考えて、強引な直滑降に及んだ。

そして、僅かの後、私たちは、私を先頭にして湖面へとなだれ込んだ。

そこは、目指す遊覧船の桟橋だった。
写真は、そこから振り返る断崖の道。
肉眼では細田氏とYASI氏の姿も見えていた。



 桟橋 
11:44


 約27分間の廃歩道探索であった。

この道は、現役の地形図にも何食わぬ顔で示されているものの、とても一般の観光客が歩ける道ではなかったし、明らかに廃道であった。
また、桟橋側からの登り口は、結局見つけられなかった。

写真は、水位の変化によって位置を変える艀状の桟橋と、艀を接岸させておくスロープ歩道。
写真左側の藪を突き破って、文字通り転げるように脱出してきた我々に、桟橋で遊覧船を待っていた観光客達の平和は乱されかけた。
しかし、私の営業用スマイルをはじめ、皆の笑顔で、緊張は解かれることになる。

初老の男性は言った。

「 熊がと おもっだ」
…ごもっともである…。




 これが、桟橋から上流へと続く、小又峡遊歩道だ。
一般の観光客の終点となる三階の滝までは、片道30分ほどで到達できる。
通常は遊覧船以外に交通の便がないなど、アクセス性は極めて悪いが、逆にそれが秘境ムードを高めていることもあって、私が思っている以上に、多くの観光客が訪れていた。
この時も、桟橋には5人ほどの先客が居た。

しかし、我々の活動の範疇は、ここまでである。
廃歩道の全容を掴んだことで、当初の目的は達成した。
撤収である。


 達成感から気持ちの高まった私は、思わずスロープ歩道の先へと進んでいた。
水に浸かる下半身。
股下まで、ひんやり冷たい湖水に浸かって、立ち止まり、森吉を静かに“感じた”。

この穏やかな湖水が、一時の姿でしかないことは、これまでの何度もの探索で知っていた。
だからこそ、今日のこの最高の空模様は、嬉しかったし、感慨もひとしおだった。

眼前には、我々にとってもはや唯一の未踏破地点となった、3号橋梁が、その一部を両岸から伸ばしている。
二度と繋がらぬ、追憶の鉄橋。


私をここへと誘った、幻の鉄橋に思いを馳せつつ…。





森吉探険第5次探索が、爽やかな幕引きを、迎えたのであった。



                    二人を 崖に残したまま … 








 さて、たっぷり堪能(でも3分間)した我々は、先客達に挨拶を交わし、再び斜面に消えた。

滲む汗に眉をひそめながら、急な斜面をひとしきり登ると、見覚えのある廃歩道に出た。

再び冷や冷やものの断崖を歩き、二人と合流。
二人にも、我々の桟橋にある姿が見えていたという。
また、山中からこだました「いてー!」の絶叫には、しんそこ心配したという。

となると…おそらくは、桟橋にいた人たちにも「いてー!」は聞かれていたのだろう… うふふ。

再び6人となって、細い歩道を戻っていると、いつの間にか桟橋に着いていた遊覧船が再び戻っていくのが見えた。





 12時9分。
我々は廃東屋まで無事に戻った。

写真は右から、
虻に刺された副作用で嘔吐感に苛まれるパタ氏(右手が変だ…心霊写真?!)
仕事がら、落ちていた見積書をマジマジと見つめてしまう細田氏(股間に金色のものが…心霊写真?!)
疲労から錯乱し、リュックとポカリ(500ml)の重さを比較してしまうYASI氏(足が消えている…心霊写真?!)

と思われるが、私自身よく分かって無くてコメントしている。



それはそうと、「いてー!いてー!」書いてる最中、秋田市では近年にない停電に見舞われ、一度それまでの執筆内容を失いました。
台風15号のもたらした夜中の災難でしたが、PCの電源が落ちた瞬間、隧道のごとき闇に取り残された私が、いちばんいてがった!









その7へ

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