廃線レポート  
錦秋湖 水没旧道 その2
2003.8.20



 錦秋湖の湖底に消えて40年を経過した、旧国道と旧国鉄。
水面ギリギリの戦いをたっぷりとお伝えしよう。

今回は、いよいよ水際の第二話。

   

川尻を発つ
2003.8.14 13:52
 国道107号線の川尻トンネルをくぐると、そこはもう湖畔の風景だ。
和賀ダムによって誕生した錦秋湖を右手に見ながら、東へと進む。
目指すはダムサイトであるが、湖畔に目を凝らしつつ進み、気になる物があったら立ち寄っていこうと思う。

歩道も無く、幹線国道としては決して整備されている方とは言いがたい。
それでも、近年は徐々に改築が進んでいるようだが。
北上線のレールは、国道に寄り添うように、一段下を走っている。
さらに一段下を並走していたはずの、旧国鉄および旧国道の痕跡は、今のところ見当たらない。
 
廻戸まっと
13:54
 トンネルから1km少々で、ダム湖に注ぐ廻戸沢を渡る。
ここには、国道にはクリーム色のトラス橋が、その脇には鉄道の地味なアーチ橋が架けられている。

まるで箱庭のような美しい情景には、私をひきつける存在が。
それは水際ぎりぎりで、辛うじて水没を免れている一本の橋の姿だった。
 廻戸橋から湖面を眺めると、「それ」ははっきりとそこに見える。

今回初めての水没旧道の姿であった。
それにしても、湖面に張り付くようにして橋上に形成された草原が延びており、あともう1m水位が高ければ、決してお目にかかれなかった橋である。
このギリギリ感が、私に妙なプレミアムを感じさせた。
居ても立ってもいられない。
あの橋に、私が立ちたい!!

こうして、誰も期待していないのに、おもむろに湖畔に下りる道を模索する私の姿があった。
旧廻戸橋へ向かう

 現橋付近をくまなく探索したが、湖畔に降りれるような道は見当たらない。
しかし、諦め切れない私は、遂に決心した。
「もう、どこでもいいから降りちゃおう!」と。

私のこの決断は、完全に素人のものであった。
今回の探索は、実は今までと大きく違う。
それは、チャリでの走破にはこだわらず、探索の為には徒歩を積極的に利用しようと考えていた。
この旧橋探索も早速国道脇にチャリを乗り捨て、身軽になっての挑戦であったが、「どこでもいいから」などというのが、素人考えだった。

私は湖畔に下り立つまでに、何度も、命の危険に晒されたのだ。


 国道から一応は湖畔までのコースの当たりをつけてから、ガードレールを乗り越えたわけだが、北上線のレールを跨いだ先は全くの原野であった。
ご覧の写真の通り、自分の向かっている方角すら分からない猛烈なブッシュである。
しかも、私のいでたちと言えば、上半身は半袖シャツ一枚である。
これは、大失敗である。
活き活きと天に伸びたススキの葉は、まるで日本刀のような切れ味をもって、進路を切り開こうと必死でもがく私の両手を瞬く間に真っ赤に染めた。
そしてこの切り傷は、まだ私の両手にはっきりと残ったままである。

しかしもう、私には戻る方向すらわからなくなっていた。


 傷つき疲れ果て、何とか水際近くに達した。
そこからは目指す橋も間近に見えたが、この眺めは、自分が今立っている場所へ改めて戦慄を覚えさせた。

遠くからは気が付かなかった断崖絶壁が、青々と水を湛えた湖面に向けて、一直線に落ち込んでいたのだ。
一歩足を踏み外せば、確実に湖に投げ出される。
かといって、剣山のような草むらに戻るのも、また地獄。

後悔してももう遅いということを、嫌というほど思い知った。
チャリならば、いくらなんでもこんな場所までは来ようも無い。
これこそが、徒歩ならではの恐怖。
徒歩ならではの命のやり取りなのだということを、初めて知ったのである。

徒歩ならば、どんな場所でも進めるなんていうのは、全くの驕り。
大きな誤りであった。



 断崖の下に陸地を求め、もはや橋どころでは無く、生きる為の彷徨が始まった。

さらに体の傷を増やしながらも、何とか降りられそうな場所にたどり着いた。
3mほどの断崖の下には、これまでとは明らかに異なる柔らかそうな草が生い茂っている。
きっとここも、時期によっては水没するのであろう。
そして、この崖下の幅3mほどの草地の向こうはそのまま湖に没している。

これこそ、目指す旧国道の痕跡だと確信した。
慎重に崖を降りる。
戻りのことなど、既に頭に無かった…。

旧廻戸橋 探索
14:07
 写真左に写る崖を降りてきて、やっとこの旧道あとに下り立った。
そこから、橋とは反対側を撮影したのがこの写真。

元々未舗装の道であったのだろうが、40年ほど前までここに国道があったとは信じがたいほど、その痕跡は失われている。
この青々と茂る草むらも、半年以上は水中に没しているはずなのだ。
どこか神聖さを感じさせる、気持の良い光景である。
 いよいよ、目的の旧廻戸橋へ向かう。
私が下り立った地点からは50mほどしか離れておらず、足跡一つ無い草原を踏みしめて、遠目からは草に隠され殆ど見えない橋を目指す。
今歩いているここも、かつては国道だったに違いない。
 苦労しただけに、喜びもひとしおである。
遂にたどり着いた旧廻戸橋は、上から眺めたときの印象どおり、ぎりぎり水上に存在する、小さな橋であった。
幅は、僅か3mほど、長さは30mくらいだろうか。
昭和38年に二級国道107号線として認定を受けた翌年、昭和39年に湯田ダムが竣工しており、おそらくその前年から付け替え工事は終わっていたものと思われる。
だから、国道として一般車を通したことは一度も無かったかもしれない。


 橋上には欄干と同じ高さまで土が堆積しており、その上には青々と緑が生い茂っている。
やはり水没することもあるようで、地面は泥質で湿り気を帯びており、植物もどれも若々しい。
残念ながら4枚の銘板は何れも遺失していた。
しかし、川尻側の欄干にはご覧の通り、銘板を取り付けていた釘の痕跡が鮮明に残されている。
欄干は、表面が水に洗われ続けた結果、かなり浸食を受けている。
しかし、全体の姿としては、それほど欠けも無く、良く当時の姿をとどめている。

橋から湖面を眺めると、まるで水面に立っているかのような不思議な錯覚を覚えた。
それもそのはず、通常こんなに水面に近い橋などない。
普通はこんなに水位があったら、洪水警報ものだろう。
この景色を眺められただけでも、ここまでの苦労は十分に報われた。

 しかし、穏やかな眺めとは裏腹に足元には危険も潜んでいる。
岸辺はこのような泥地で大変に滑りやすい上、非常に滑らかに傾斜しており、油断すれば即、湖に引き込まれることだろう。
しかも、一度落ち込んだら、つかまれる様な手がかりも辺りには一切無く、もう二度と陸には戻って来れ無さそうだ。
下手な絶壁よりも、よほど危険な匂いを感じた。



 川尻側から見た旧廻戸橋。

現道を行き交う車の音を頭上に心地よく感じながら、暫し欄干に腰掛け、湖を眺めた。

もう、この橋の虜になってしまった。
私の山チャリのお品書きに、「水没道路の探索」という新しい嗜好が、書き加えられたのを理解した。


前後の道は殆どその痕跡をとどめておらず、この小さな橋だけが、道があったことを今に伝えている。
国鉄の旧線もすぐ脇を並走していたものと思われるが、辺りには橋台すら見当たらない。
水中に没したままなのかもしれない。


 ここからの帰り道は、意外に容易であった。
というのも、6枚ほど上の写真には、川尻側の岸辺から現道のほうへ伸びる踏みあとがくっきりと写っているだろう。
ここは簡単にではあるが下草が刈られており、JRの下をくぐり現廻戸橋の袂まで、普通に歩いて移動できた。
降りてくるときにもここを利用すればなんら問題なかったのであるが、自分の見る目の無さに情けなさを感じた。


まあ、いいか。

 国道へ戻る
14:17

 国道へ戻る。
再びチャリに跨り、下流を目指す。


 芦髪沢を渡ると、湖畔には広大な草原が広がっているのが見える。
かつては、この中に国道と鉄道が走っていたのであるが、ここからはその痕跡は全く見られない。
このあたりは、現在の水面からは河岸段丘を2段ほど登った位置であり、まず水没することは無いのであろうが、それでも普通の森とは明らかに異なる景観を有する。
湿原性の景観というべきものか。

奥のほうには森を横切る低い高架が写っているが、これは北上線の物だ。

無地内橋
14:24

 廻戸橋から約2.5kmほどアップダウンの少ない快適な道を進むと、無地内沢を渡る無地内橋に差し掛かる。
ここでは、2000年に完成したばかりの真新しいトラスが途切れぬ車列を見送っている。



 無地内橋の袂に立って湖面を見ると、切り立った無地内沢の両岸に旧橋の橋台を見ることができる。
残念ながら橋は落とされてしまっているが、近づいてみよう。
しかし、例によって、容易に近付く道はなかなか見つからない。
チャリを置いて、身軽になった私は、おもむろにガードレールを跨ぎ…。

真新しい護岸に取り付いた。
ここの斜度は80度位あって、普通なら絶対滑落するような傾斜だが、階段状の凹凸があって移動に利用できる。
高さも相応にあり危険はあるが、利用しない手は無いだろう。

 平坦な部分に降りると、そこはもう旧道と思われる部分であった。
写真は、川尻側の眺め。
かすかな痕跡が続いているのが分かる。


 存在しない無地内橋の旧橋の方へ歩くと、すぐに厚く草に覆われた橋台に達して行き止まりとなった。
身を乗り出して覗き込んだ眼下には、青々とした湖面が涼しげに漣を立てていた。

これ以上先に進むことはできないので、再び護岸を登り現道へ戻った。  
旧無地内橋 北上側橋台跡
14:31

 上の二枚の写真は、ほぼ同じ一から撮影した物であるが、右のものは2000年の夏に撮影された物だ。
当時はまだ、現在あるトラス橋は建設の真っ最中であり、その脇に狭くて大変だった旧無地内橋が架けられていた。
この旧橋は、現在の橋が開通して間も無く跡形も無く取り壊されてしまい、今では橋台すら残していない。

よって、足元に橋台だけを残す先ほどの旧橋は、旧旧橋ということになる。

 また、現橋の北上側からは、旧旧橋を全体像を良く捉えることができる。
もっとも、橋の姿は大部分を脳内で補完する必要があるが。
それにしても、現役当時はかなりの長大橋ともてはやされ、或いは恐れられたのではあるまいか。
水面下にもかなりの高さがあったと思われ、それこそ橋からの眺めは足がすくむほどであったろう。
現在では痕跡を見出すこともできない国鉄の橋もきっと間近に見えていたはずだ。
それに、現在は無人の原野と化している湖岸の広い段丘上には、大荒沢や大石といった鉱山に由来する集落が点在していたはずで、正に現在とは隔世の眺めがあったことだろう。

橋台のみを残して消えた橋は、私の塑像をかき立てる。



 北上側はチャリごと橋台に近付くことができる。
国道から砂利道が段丘上に降りており、これを利用した。
比較的新しい自動車の轍が一条、或いは二条ほど残されていたが、既に橋は無かっただろうから、やはり物好きは居るようだ。
まだ橋があると思って突進したのだったら、ご愁傷様だが。

…そう考えたら、怖くなってきた。
車通りは皆無とはいえ、遠くから見たらなまじ橋台上の欄干が立派なだけに、夜間など橋が存在するように見えるのではないだろうか。
一切の車止めも存在していないが、万が一が起きてからでは、遅かろう。
景色的には、無粋な車止めなどない方が良いが。


 この橋台から北上側には、しばし段丘上の平地が続いており、自動車の轍が無数に付けられているが、旧道の痕跡とは一致しない可能性が高い。
100mほどで深いブッシュに阻まれ、それ以上進むことはできなかった。
再び国道へ戻り、さらに下流へ向かうこととする。


 次回は、更なる橋梁遺構にチャレンジ!
そして、いよいよ湖底に沈む廃線跡へのアプローチが始まる。

その3へ

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