廃線レポート  
玉川森林鉄道  その11
2005.3.7

旧軌道跡を上流へ
2003.11.19 14:12


 鎧畑ダムによって形成される秋扇湖。
その水際ぎりぎりに出現していた、かつての森林軌道の小さな隧道跡。
玉川大橋に愛車を置き、単身湖畔の人となった私は、危険を冒し隧道に接近した。
されど、それ以上は進めないと判断し、当初の予定通り、大橋よりも上流の軌道跡へと踵を返したのである。

時刻は午後2時をまわり、晩秋の空は早くも鈍色を帯び始めていた。



 玉川大橋よりも上流は、いよいよ玉川の姿も湖のそれから、流れのある川らしい姿に戻る。
ただ、やはりダム水位によっては水没することもあるらしく、一面は葦の原っぱとなっている。
秋枯れのおかげで視界は何とか確保できるが、葦は枯れてもなお鋭く、むやみに立ち入るものの手足を血で染め上げる。
また、所々は湿地となっており、私は一旦山際に避難して、進んだ。

この辺りの軌道敷きは、もともと特定の路盤が築かれなかったのか、痕跡はない。

 山際にも、人の立ち入っている気配はなく、ただの雑木林である。
広い河原の対岸には、旧国道(=付け替え軌道敷跡)の法面のコンクリが見えている。

落ち葉で踝まで埋まる森を、ザックザックと進む。
軌道跡らしき痕跡もなく、徐々に、不安になってきた。



 奇形木を発見。

ほとんど枯れているように見えたが、熊の体躯ほどの太さがあり、覆い被さるような樹形は圧巻である。

一礼して、下を潜る。
おそらく軌道もここを、通っていたのだ。

進むほどに、玉川との距離も縮まり、軌道が取り得た線形の自由度も減っていく。
なにやら、それらしい平場も、見え隠れし出す。


 玉川大橋直下から上流へと森を遡ること300mほどで、玉川は大きな蛇行を見せる。
蛇行の原因は、我々がいる右岸に迫り出した巨大な岩山である。
おおよそ30mも頭上を通る国道は、玉川大橋から続く高森トンネルでこの岩盤を貫通するが、河床に位置する林鉄にも、隧道がある。

古い地形図にも記載されていた、山行が名「 玉川8号隧道 」である。

その黒き入り口が、藪の向こうに見え始める。

危険な… 隧道だった…。



玉川8号隧道
2003.11.19 14:25


 さきほどの湖畔の7号隧道よりは長く洞門というよりかは隧道らしいと、そう思える程度の長さ。
しかし、目測でその延長は30m強か。
決して長い隧道ではなく、すぐ先に出口も見えている。
相変わらず、完全な素堀であり、一切の支保工や補強の痕跡も見あたらない。
林鉄の隧道とはいえ、あんまりにも手がかかっていな過ぎると思ったのは、私だけだろうか。

荒れ放題の隧道へ足を踏みいれんと接近する。



 内部はひんやりとした冷気が詰まっている。
特筆すべきは、その奇妙なシルエットだ。
なんというか、断面がありがちな円形や四角形ではない。
強いて言うなら、不等辺三角形。

この位置まではさすがに水位が上がることはないと思うが、廃止後に転用されることもなく、ここ数年でもおそらく数えるほどしか利用されなかっただろう隧道。
もしかしたら、何十年ぶりの利用者という可能性もある。
そう思えるほどに、辺りには人の痕跡もなく、また隧道も、荒れ果てていた。

 瓦礫がゴロゴロしている洞内。
足下に気を付けつつ、速やかに通行する。
幸いにして、岩盤は現状で安定しているようで、まだしばらくはこのまま存置しそうな感じであった。

そして、隧道を脱した。

だが、
思いがけぬ危険がそのとき、
頭上に最接近していたのである!!


 しかし、そんなこととは知らずに、
私は気楽に、隧道を振り返って撮影に没頭していた。


この隧道の奇妙な断面は、山側の内壁が均等に崩れて洞内を埋めてきた事によって形成されたものと、推定された。

それはさておき、
もし、このとき、私を客観的に見ることが出来るもう一人の私がいたら、

何やっている!!
上! 上! だって!!!

と、声を荒げたに違いない。


 NO!
ハニー!
 


 驚きのため、高校時代に赤点を連続した私の英語力が露呈してしまった。

しかし、こいつには驚かされたぜ。
なんせ、坑門の直上である。
どおりで、チェーンソーの音がさっきからしていたわけだ。
実は彼らの凶悪な羽音だった?!
そういえば、今はもうその音はしない。

後からものの本を読むところによれば、彼らはこんな岩場が好きであるらしい。
また、トンネル坑門も好きで、実際に現役のトンネルでも歩行者が襲われるケースもあるとのこと。
そういえば、ずいぶん昔に協和町の遅沢トンネルにも、結構大きな巣があって驚いたっけな。


 早急に退去しつつも、怖いもの見たさというか、背後に殺気を感じたと言うべきか、つい何度も振り返ってしまう。
しかしそれは何のことはない、彼らのせいと言うよりも、単にこの眺めがすばらしいからだったのかも知れない。
この隧道こそは、玉川林鉄旧軌道のハイライトかも知れないと、そう思える絶景である。

わたしは、もうこの隧道には近づくことはないと思うが…。
当サイトをご利用になっておられる林鉄探索の猛者がたも、くれぐれもお気を付けて。




小扇又沢橋梁跡
2003.11.19 14:31


 まもなく旧軌道跡は笹藪に埋もれかけた橋梁跡にぶつかり途切れる。

上流の国道橋梁によれば、河川名を小扇又沢という。
すっかり橋桁は消失している。

8号隧道を過ぎてから上流の視界は一気に開けており、2kmほど先で玉川を遮るコンクリ堤体が見える。
言うまでもなく、玉川ダムである。





 鮮明な上流側の橋台。 しかし、かなり簡素なもので、しかも石垣の向きから想像するに、すでに橋台自体が玉川へと傾きつつあるのか。
どのような橋桁を乗せていたのかを特定する痕跡はない。
沢の水量のわりに沢幅は広く、途中に木製橋脚を設けた純粋な木橋であったと想像されるが、はたして。

沢底から、上流を見上げると、そこにはサプライズがある。


 国道341号線の小扇又沢橋だ。

珍しい上路V脚ラーメン構造と持つ橋で、近接する大薊橋とともに、対岸の旧国道から目をひく橋となっている。
この田沢湖町には、さらに巨大な同構造の橋がある、国道46号仙岩道路宝風大橋である。


 一方、玉川の川面を挟んで対岸には、旧国道(=付け替え軌道跡)が、木枯らしの森を背後に一人ぼっちだ。

想像以上に、山間の夕暮れは早い。
この日の最終目的地は、一山挟んだ西木村の内陸線上桧内駅であり、行動時間の猶予ももう無い事を知る。


 しかし、玉川ダムは遠くなく、前進を決意する。

そこにレールが敷かれていたことが、俄には信じられぬほどの劇藪と化している。
この辺りまでくると、河原を歩いた方が楽だし、早いと思うが、挫けず軌道敷きにこだわり続けると、間もなくご褒美があった。

もうひとつの、隧道である。
そしてこれが、旧軌道オリジナルとしては、最後の隧道であった。



次回は、第9号隧道より先、
いよいよ長かったレポートも終盤へ。





その12へ

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