廃線レポート  
玉川森林鉄道  その2
2004.3.7



 前回に引き続き、玉川森林鉄道跡を、先達から田沢に向かって追跡する。



先達
2003.11.19 9:01


 小先達の交差点を少し過ぎると、先達川を渡る。
国道と、旧国道の橋が並んで掛かっており、旧橋の右後方の山体斜面には巨大な発電用送水パイプが銀の巨躯を曝している。
この先達川に沿って、上流の鶴ノ湯温泉方面へも支線軌道が延びていたらしいが、未探索である。




 
田沢湖高原スキー場のゲレンデは、上部からうっすらと雪化粧を始めていた。
かつて、一般県道194号線「西山生保内線」が、第二の仙岩峠としてあの山越えを志したが、現在では路線名だけに隣県の地名が残る。


軌道がこの先達川を渡っていた痕跡も、微かだが残っていた。
現国道から下流を見ると、強固に固められた護岸が目に付くが、向かって右の壁に、他の部分とは異なる石垣がある。
古い地図とも照合してみたが、この地点を軌道が渡っていたと考えて間違いないだろう。
軌道の橋台と前面を合わせるようにして、あとからコンクリートの護岸が築かれたのだろう。
取り壊されなかったのは、奇跡かもしれない。
元来の川幅が不明だが、対岸の壁には痕跡は残っていなかった。


 さて、この先達川橋梁跡から先は、いよいよ山中に舞台が移る。
国道の新先達橋を渡ってすぐ左に曲がる。
そこには、奇妙な形をした石が、祀られていた。

まるで、ピョン吉の目玉のように、大きな石のてっぺんに二つの真ん丸な石が張り付いている。
絶対に不安定な形のはずなのに、なぜ転がらないのだろう?
人工物なのだろうが、かなり古ぼけており、石碑としてみても奇妙だ。
陰刻された文字や、近くの案内板を見ると、戊辰戦争での戦没者に対する慰霊碑らしい。
こんな奇妙なオブジェである理由が、全く分からないのだが…。
ちょっと、不気味かも。




 うおーーー!
凄い軌道跡を発見!!!

というのは嘘。
これは、軌道跡の小道と直角にクロスしつつ、そのまま玉川の対岸に渡り隧道へ突っ込んでいる水路だ。
地図を見ると、この隧道、このまま田沢湖の外輪山を貫通し、湖水に注いでいるようだ。
隧道全長は、2km以上ある。
後補のものと思われる橋梁部はさておき、石垣などを見るに、新しい建築物ではない。
見たところ、この水路は先達川の水を分流し、田沢湖へと注ぐ働きをしているものだが、河川開発や電源開発の世界の事はよく分からない。
ただ、軌道などよりもさらに巨大な土木建築が、殆ど一般に知られぬままに存在し、働いている事は間違いない。



 ここで、二本の秋枯れしたマムシ草を発見。
余り群生しているのを見ない植物だけに、二本まとまって生えているだけでも珍しい気がした。
なんでマムシ草の話題が出るかと言えば、私がファンだからだ、マムシ草の。
触る気にはならないが。

軌道跡は現在通るものもなく草むしているが、田圃の畦として真っ直ぐ続いている。
特筆すべきは、軌道跡を避けて、水路が地中を迂回している点だ。
水路の竣工時期が不明だが、当時は軌道も現役だったのか?


玉川一号橋梁付近
9:17

 見通しの良い畦区間は、国道で迂回させてもらった。
ここを過ぎると、一本の舗装路にぶつかる。
この舗装路、まっすぐ行けば玉川を渡り、そのまま作業林道になって終わる。
軌道跡は、舗装路を平面交差して、そのまま玉川に河岸に迫っていく。
点々と電柱が続いており、現道利用が期待されるものの、通行量が少ない事は、この畦道の様子から容易に想像できる。

この先はしばし国道から離れるので、迂回せず、直接探索する事にした。



 畦道は川岸で唐突に終了。
さらに電線は川岸に続いているが…
手持ちの道路地図では車道として描かれているのに、なんたる惨劇。

この先は、起点から延びてきた軌道が初めて玉川を渡る部分にあたるが、やはり橋は現存しないのだろうか…。
直接接近してみないと、判断は出来ない。(対岸側からのアプローチも考えたが)
チャリに跨ったまま、電柱を頼りに、軌道跡と思われる凹地に進む。



 初め笹藪に足を取られたが、間もなく地肌が現れた。
杉が密集しているが、すぐ左には玉川独特の入浴剤を垂らしたような緑の水面が見える。
橋までは、思っていたよりも距離があるらしい。



 進むうちに、路面状況は劣悪になってきた。
浅い切り通しが仇となり、足下は泥濘に支配されている。
一見普通の枯れ葉の路面も、足を踏み込むと、泥水を吹き出しながら20cmくらい沈み込む。
迂回路が無く、どこを歩いても、足下は悪い。
しかも、再び笹が蔓延りだした。
チャリが、邪魔である。

あと少し行って橋がなければ、チャリを置き去りにしようかと思い始めた矢先。


 川に面したやや広い場所が現れた。
そして、その向こうには、コンクリートの建造物が見え隠れしている。

橋なのか?!

さらに接近。


 橋だ!
でも、
橋桁がない。

わたれなーーーーい!

落胆は隠せなかったが、国道からは窺い知れない橋梁を確認できただけでも、まずは成果とせねばなるまい。
しかし、想像以上に現地は自然に還っているという印象だ。
この様子では、橋が落とされた、もしくは自然に落ちたのは、かなり前だろう。
最新地形図ですら描いていない軌道跡を、あたかも車道のように描いている人文社よ…、相変わらずだニャ。
好きだぜ。人文社。




 足下には橋台も残っていた。

廃止後40年近くを経た建築物は、地の一部となりつつあるようだ。


 芦原に起立した橋脚は、全部で二本。
この形状は、通常の橋脚ではない。
その間隔も等間隔ではなく、川岸から、短長短となっている。

確証はないが、ここに架かっていた「玉川一号橋梁」は吊り橋だったのではないだろうか。
振動に弱い鉄道に吊り橋と驚かれるかもしれないが、当時まだ大径間の桁橋が困難だった事もあり、林鉄にはいくつもの吊り橋が利用されていたのだ。
現存するものでは、同じ田沢湖町の抱返渓谷にある神の岩橋(竣工15年)なども、元は林鉄用であった。

その姿を、一目でも見たかった。

さて、引き返して、対岸の軌道跡の探索に移ろう。

銅屋
10:13

 廃橋を確認後、国道へ戻り対岸を目指し北上する。
有名な清水である「茶立ての清水」を過ぎて間もなく、銅屋集落の直前で左に分かれる砂利道があり、この道を進むと、玉川の対岸へ進む事が出来る。
実は、この移動中に一つの廃道探索を挟んだ。
この詳細は、ミニレポート「その40」をご覧頂きたい。



 対岸に渡ると、田畑が山際まで広がっている。
生保内以北の玉川右岸には殆ど集落はなく、この銅屋地区の場合も、集落はない。

軌道の停留場がどの場所にあったのかは、まだ判明しない部分が多いので、今後の机上調査が必要である。



 真っ直ぐ山際に近づくと、T字路にぶつかる
これが、軌道跡である。
まずは左折して、落橋が確認されている一号橋梁の、此方岸を確認しに行こう。
この先、橋までの区間、往時の地形図には一つの隧道が描かれている。
これを以後、一号隧道と呼ぶ事にする。



 隧道は、切り通しとなっていた。

地形図との照合の結果からも、ここに隧道があった事は間違いない。
軌道跡が車道として転用された際に、開削されてしまったのだろう。


 車道よりも幅広く開かれた切り通し。
斜面はコンクリートのように堅い粘土質の岩盤である。
見たところ、隧道は50m足らずの短いものだったようだ。
この先道は、橋梁が現存しないためにすぐ行き止まりとなる。
しかし、いち早く隧道を潰し拡幅したのは、将来的に新道を建設する構想があるのだろう。
実際、国道341には並走路がないので、私もその必要性を強く感じるところである。


 切り通しの先は広場になっていて、車道は行き止まる。
そこには、2台の自動車が放棄されていた。
あきれるほど巨大な不法投棄物だ…。




 終点の先にも、さらに盛り土が続き、軌道跡を示している。
この先が行き止まりだと判明しているので、チャリを置き徒歩で進む。
暗い森の底には僅かしか光が届かず、辺りじゅう羊歯植物が繁茂している。

歩きにくいのを我慢して歩くこと、300mほど。



 一号橋梁の橋脚がそこにあった。

ここに橋があった事を知る人も、かなり減っている事だろう。




 次回は、見附田を経て田沢に向け、引き続き国道から離れ右岸の軌道跡を探索する。

そこで出会う、発狂寸前の展開…、お楽しみに!





その3へ

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