廃線レポート  
森吉林鉄粒様線 「最奥隧道計画」 その3
2004.10.16

 滝を越え
2004.9.22 13:08

 入渓してはや2時間43分。
これまでになく水面から高い位置に、崖を削って築かれた細い軌道時敷き。
そこを怖々と進む我々は、地を裂くような轟音を谺させる滝に遭遇した。
粒様沢の、下流より数えて第一の滝である。
落差は3m程度だが、幅広い本流が僅か2mほどの幅に圧縮されて落ち口に向かっている。
そして、まさに放水するダムの吐水口のように、真っ白い波濤となって、滝壺へと注いでいる。
凄まじき水圧と、風圧、そして、音の圧迫感に、吸い込まれるような目眩を感じた。
対岸には稜線まで続く大スラブになっており、とりつく島もない。
この前後の500mほどの区間は、軌道敷きがそれまでよりも多くの踏み跡によって、生きている。
僅かな往来の全てが、ここを通っているせいだろう。
たとえ増水していなくとも、滝は直登出来ない。

ここで、5分ほど休憩した。
写真は、HAMAMI氏の後頭部越しに、ふき落ちる滝の狂濤。



 滝を過ぎても、暫くは水面からの高度差があり、比較的鮮明な軌道跡が続く。
そこには、犬釘も刺さったままの枕木も点々と続いていた。
こんな場所にも、空きペットボトルや、“でん六”のパッケージが落ちていた。
残念ながら、どれも新しいもので、価値のないゴミだ。
拾って歩く余裕までは、持ち合わせていない我々だった。

ところで、今も昔も、森吉散策では“でん六”を食べるというしきたりでもあるのだろうか…。



 この秋は、各地でキノコが豊作だったという。
夏の猛暑と、秋の多雨が、キノコ達にとっては絶好の成長環境となったのだろう。
そして、この森吉でも、恐らく例年以上に多彩なキノコが、少し怪しくて、どこか楽しい、キノコ王国を形成していた。

色々なキノコが発見されたが、このひときわ目立つキノコは、「キホウキタケ」という、毒キノコだそうだ。

う〜ん、私は自信たっぷりに、くじ氏にたいして、「これは珍しいキノコで、美味しいから、見つけたら舞い上がるほど喜ぶ物らしいぞ」 と、かなり嘘をこいてしまった。
しかも、その説明は「マイタケ」だし…、キノコは難しいですね。



 さらに進んで、13時38分。
水面との高度差は減り、再び蛇行を初めた沢から少し離れて、軌道敷きは直線的に森へと突き進んだ。
さっきまで鮮明だった軌道跡は、恐らく多くの遡行者が滝を過ぎたら再び水際へ降りてしまうのか、不明瞭になった。

川の音が、遠くなり、やがて聞こえなくなった。
長い雨のせいか、鳥の声はなく、蝉の音も聞こえない。
しんとした森に、枝葉から我慢できずに落ちてくる大粒の水滴が、微かな水音を立てる。
目映いほどに鮮やかな、緑の森。
生命の拠。

道無き道となった軌道跡を、大体の勘で探し、突き進む。
とても一人では耐えられないだろう、圧倒的な森の深さ。

自然と一体になるイメージは、こんな森に入れば誰でも体感できる。



 そこが軌道なのか、自信の無いままに進むと、一条の小川が行く手を遮った。
森を分ける小さな沢を刻んでいる。

そして、そこにはかつて木橋を形成していただろう丸太が3本ほど、並んで転がっていた。
やはり、この森に軌道は通っていたらしい。
しかし、至って簡易な施工だったことが感じられる。

橋台すら木製で、朽ちるに任せている。




 今回の調査で、唯一発見された碍子。
碍子があったことに驚いた。
これまで発見されている最寄りの電気関連の遺構は、土沢林道沿いだ。
粒様沿いには、一切架線柱らしき痕跡は残っていなかったし、碍子もこれが初めてだ。
地面に一つポツンと落ちていたもので、必ずしもここに由来があるものとも限らないが、こんな重い陶器を物好きで持ち込む者もおるまい。

果たして、粒様沢の上流にも、営林署の詰め所など、電気や電話を引いた施設が存在したというのだろうか…。
余りにも山深く、かなり考えにくいのだが、この碍子の存在は説明できない。



 そして、鬱蒼とした杉林の底に、これまででは最も鮮明な軌道跡が出現した。
レールさえ敷いてあれば、現役と見まがうだろう端正な掘り割り。
まるで計算されたかのように路盤と水平に渡された倒木は、これぞ天然の車高制限という奴なのか?

はっきりした痕跡が現れると、やっぱり嬉しい。
この調子で、しばらく楽させて欲しいな…。
…荷物、重くって…。





 来たー。

入渓から3時間20分。
静かな森の奥に眠っていた、一本の健在な木橋を捕捉。
地形は緩やかで、下を迂回することも出来るだろうが、これだけ原形を留めているというのなら、渡ってやるのが筋だろう。

丸太は太く、長い。
おそらくは、この現地で調達された杉材を利用しているのだろう。
架け替えなどがなかったとすれば、昭和20年以前から、60年以上もここに架かっていたことになる。
橋の両岸には、もうほとんど軌道の痕跡など失せている。
そこに、橋だけが、存在感を示している。

本流からは、50m程度西に離れた場所であり、釣り人達にも恐らく、知られていない遺構だろう。
隠されし木橋である。
 


 橋台は存在がはっきりせず、ほとんど地肌に直接架けられているようにも見える。
南側は平坦面より1m程度滑り落ちており、恐らくもう数年で、沢に落ちて瓦解してしまうだろう。

この危なっかしい木橋を、3人は一人ずつ渡った。
幸い、一人の落下者も出さずに、橋も無事に持ちこたえた。
今日の我々は、少し重い。
私など、もともと体重は52kgしかないが、20kg背負っていたとしたら、やく40%のビルドアップである。
重いし、荷物が各所にぶつかって邪魔だしで、休憩の度に荷物を放りだしてしまう。




 キノコの発見は断続的に続いた。
我々には確かなキノコ知識を持つ者が無く、どんなに食えそうなキノコも、スルーせざるを得なかった。

この雨に光っている小振りのキノコも、いかにもみそ汁に合いそうで、食ってしまいたい!
おそらくは、秋田言葉で「サワモダシ」、本称はナラタケかと思われるが、果たして。



 13時53分、時間は容赦なく流れ去っていく。

次第に本流の力強い沢音が右手に近づいてくるのを感じながら、なおも木々を掻き分けて森を歩いていると、再度小沢が行く手を遮った。
今度は木橋が滑落し、急な斜面の上下移動が必須となった。
ここも大変に滑りやすく、フェルトオンリーの私の沢靴は、用を成さない有様だった。
体重がいつも程度ならば、問題もなかったのだろうが…。

果たして、今日はもう何度転倒したことか…。
情けなくなる。




 再び 水の難所へ 
14:02

 右手から出現し、あれよという間に軌道敷きを崖沿いに孤立させた本流の大水流。
写真のような、崖を穿って作られた狭い狭い軌道跡が数十メートルに亘り続いた。
私の荷物は、リュックに結わかれたテントセットが左右に大きく張り出しており、私の身体感覚よりも遙かに幅が広くなっていた。
それを後ろに背負っているために、思わず立木や崖の岩肌に接触し、その反作用を体に受けることが少なくなかった。
平坦な場所であれば、ムカッと来るだけで済むが、このような狭いバランスを要する場所では、かなり恐かったし、神経を使ってしまった。
引っかかって、滑って、沢に落ちたら、怪我するだろうから。


先細りとなった軌道跡、
遂に。
消え失せる。



 本流によって軌道敷きは流出し、再び水面近くに降りざるを得なくなってしまった。
ここも急な場所であり、大変に滑りやすくて恐ろしかった。

水面上に見えたのは、折れ曲がった一条のレールの姿であった。
この粒様線では、これが最初のレールとの遭遇であった。
しかし、これが最後ではなかった。

再び水中歩行を覚悟して、その前に15分近くの食事休憩を取った。
食事とは言っても、入山前に阿仁前田のコンビニで仕入れたおにぎりを一つパクついて終わった。
時間にも、天候にも余裕はなく、のんびりと食べている気分ではなかった。
相変わらず、足元を洗う水は少し、濁っている。



 写真は、軌道敷きから見た路肩の石垣。
垂直の路肩には、丸石が丹念に埋め込まれ、未だ健在の石垣となっていた。
これらの材料も現地調達されたものなのだろうか。
丸石は、本流の至る所で大量に散乱しているが。
セメントを使っている様子はないのに、よくぞ丸っこい石だけで地圧を支えているものである。

そう言えば、石垣もここまで来て初めての発見だった。



 さて、一旦は水面傍に降りて見たが、軌道敷きはどこへ行ってしまったのか分からなくなった。
ここで再び対岸に渡っていた可能性もあるが、確信はない。
引き続き右岸にも森が続いているようだったので、そこへ分け入った。

鬱蒼とした杉の植林地にも手入れの気配はなく、自然のままに任せてある。
ちょうど、杉の林は下草が少なく視界も良いので、好んで歩いた。
川原の傍には葦原やススキ、イタドリなどの大型の植物が繁茂し、完全に視界を遮っている。
軌道敷きを捜索するどころではない。
上流へと速やかに進む目的で、杉林を選んで前進する我々だった。

そこで遭遇した数々の巨木。
その中でも、杉としては一番大きかったのが、この写真の一樹だ。
周囲の杉が細いわけではなくて、充分に成木である。
おそらくは、日本中の奥地の森には、いまだ行政には知られていない、こんな巨木が無数にあるのだろう。
付近で集材にあたった者など、ごく限られた人たちにだけ知られている、隠された巨木は多いと思う。

この杉も、まさに圧巻のサイズだった。



 再び、軌道敷きらしい凹地が現れたが、はっきりとはしない。
ぬかるんでいて歩きにくいので、少し迂回した。

敢えて森の中を選んで歩く理由は、この地に分け入る人間の圧倒的多数である釣り人達には無いわけで、ほんと寂しげな森が続いている。
一人では、長くは耐えられまい。
立ち止まったら、前後も分からなくなりそうだ…。



 そして、15時07分、再び本流にぶつかってしまう。
前方には激しく蛇行し、内州を大きく見せる流れ。
川幅はかなり広く、渡ることも出来そうだ。
見たところ、ここで渡らないと、右岸は淵となって進めないようだったので、再び渡渉を企てた。

それにしても、時間の経過がいつものレポ以上に大胆である。
別に、サボっているわけではなくて、写真を撮るためのストップ以外は、そうそう休んでいないのだが、歩みはやはり遅いのだ。
チャリでの旅とは全然違う。
あの八甲田でも、もう少し速度感があった。

もう3時だと言うのは、太陽が見えないだけに実感が湧かなかった。
もう僅か2時間後には、宵となり、間もなく逃れられぬ山中夜となる。
そう考えると、本当にこんな山奥で我々は寝るんだなと、しみじみと思った。
もう、今から引き返したって、明るい内に出られやしないしな。

まだ、今の私の精神力じゃ、こんな森に一人で来て、一人で寝泊まりするのは…難しそうだ。




 さらに20分間あまりの苦行にも似た歩行の後、もっと大変な難所に遭遇した。

ここは、かなり川幅が圧縮され、水深、水圧ともに、かなりのものがある。
悪いことに、水面が白くなるほどに雨が落ちており、今にも水量が増えそうな気配だった。
淀み気味の岸辺付近でも、思いがけず深い場所が隠れていたりして、危うく転倒しそうになる。
ドプンと、いやーな浮遊感を下半身に感じながら、そしてへその辺りに真水の冷たさを感じつつ、バランスを整え整え慎重に渡渉した。

この日の中でも、ここが一番コワイ渡渉だったかと思われる。
最後は、HAMAMI氏を誘導するために、先行したくじ氏と私で手を繋ぎ、川に人間橋を架けた。

5分後、無事に左岸に移ったものの、この後もしばし水圧に苦しめられ続けた。
雨も、降り続いた。




 早瀬となった流れ。

水面下には、角が取れた滑らかな石がゴロゴロとしており、滑りやすい。
また、非常に細かく淵や瀬があり、思いがけず深いヒヤリや、足を取られる流れに遭遇することも多かった。
水面は沢底全てを覆い、これを克服せぬ限りは先へと進むことは出来ないのだ。

とにかく、一歩一歩、少しでも歩きやすい場所を求め、確実に歩を進めるだけだった。
泣き言を言っても、取り残されるだけなのだ。
どう足掻いても、あともう一時間以上は進めない。夕暮れだもの。
だから、あと一時間ぐらい、足に鞭を打ってでも突き進むつもりで頑張った。
もう、ここまで来たら頑張るしかないんだよな。

沢登り… …山チャリ並みに、地味で、大変な苦行だぜ。
終わった後の充実感も、山チャリに負けて無さそうだな。
はやく、テントで寝たいぜー。



 15時36分、この日一番の苦行地帯の終わりは、二又だった。
だが、これは目指す粒沢と様ノ沢の二又ではない。
本流自体が、一旦二つに分かれ、そしてまた一つに戻るという、奇妙な二又だ。
通称「ニセ二又」と呼ばれる場所で、ここで野営する人もあることを聞いていた。

…と、そう思っていたのだが、実はこれはニセ二又ですらなかったのだ。
ニセ二又は地形図にも載っている本流の地形で、そこから本当の二又、この日の目的地までは15分程度だと言われていた。
しかし、我々が頑張ったという自負以上に、沢は長く、我々は遅かったのだ。

実は、ぜーんぜん、ニセ二又にも遠い場所で、我々は夕暮れを目前にしていたのである!



 運命の 出会い 
15:45

 二又にて左岸の森の中に軌道跡らしき痕跡を見つけ、再び陰鬱な森へと入った。
どうやら、この辺で軌道はまたも右岸から左岸へと渡っていたようである。

入山時から、ほとんど小康状態であった雨は、3時頃から再び本降りとなっていた。
天候は午後から改善という予報も、雨雲の巣のような森吉山地では無意味だったらしい。
これからの増水の危険を感じ、出来るだけ川原を歩くことを避けるようになった。
時間的にも、もう30分以内には、テント地を決定せねばならぬだろう。

そんな思惑で、敢えて藪の濃い林の中へと分け入った我々に、この3分後、発見があった。
大きな大きな、発見が。






 

我々は、この場所で確かに、
秋田県内では初めての発見例と思われる、しかれたままの軌道を、目撃したのである。

くじ氏が最初に発見したものだったのだが、私とHAMAMI氏の感激は、皆様の想像を超えるものであった。
HAMAMI氏など、予め今回の参加に際して、こう述べていたほどである。

『今回一緒に行かなければ、二度と(一人では)行けないと思うから。どうしてもレールが見たい』 と。

その情熱が、叶った瞬間なのである。
私も、秋田県内に限らず、森林鉄道のレールが現存する姿を、初めて目の当たりにした瞬間だった。

この鬱蒼とした森の底、幾ばくかのレールが、撤去を逃れ、残されていたというのか?!
余りにも、感激的な遭遇であった。



 暗い森の底に響き渡る歓喜の雄叫び。

ヤッタよ。
やったんよ、俺たち!
やったー!

これで、半分は目的達成だ。
これが見たかったのだ、何よりも。

理解できない?

私は、秋田でこれが見たかったんだよ。
敷かれたままのレールが残っている林鉄を秋田の地で見つけたいという気持ちは、青森や木曽の著名な林鉄に残されたレールを、本などで見るに付け、増幅されてきていたのだ。
全国一の林業王国秋田の底力を、私は見たかったのだ。

やったよ。




 錆びきったレール。

見渡す限り、十メートル以上が、藪から藪へと渡っていた。

数本の枕木が、そのままレールに繋がっていたが、地面は浸食されてしまったのか、レールはほとんどが宙ぶらりんになっている。
保存状況としては、悪いと言わざるを得ない。
しかし、残ってくれていたことが、何よりも嬉しかった。

もう、充分だよ。





 しかも、現れたレールは、この限りではなかったのである。

 以下、いよいよ宵を迎える三人だけの探険隊。

 “神の谷”へと繋がる、日本最後の林鉄王国、

 その軌条の誘い。







その4へ

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