廃線レポート 和賀仙人計画 その11
2004.6.21



 山行が史上最難の踏破計画、和賀計画発動。

現在、和賀軽便鉄道跡を追跡中。

大荒沢隧道を突破し、仙人鉄山跡に到達。



仙人鐵鉱跡
2004.5.30 14:17


 グロッキー状態となっていたパタ氏は余り動かず辺りを探索し、私とパタ氏は野ウサギのごときに斜面を上下し鉱山街の跡と思しき一帯を散策した。
ひとしきり散策し、パタ氏と合流した。
これからどこへ進むかだが、軌道跡は2〜30mほど下方にあり、いずれはこれに戻りダムを目指すこととして、まずはこの高度を維持して斜面をダム方向へと往くことにした。
全員疲労の色は濃く、出来る限り急な上下移動は避けたかったと言うこと、それと、この高度にはまだなにか人工的な痕跡が残っているムードがあった。



 和賀川へ落ち込む崖に面した一角に、瓦礫を敷き詰めた平坦地があった。
おそらくは、鉱山のズリではないかと思われる。
そして、この平坦地には一台のボイラーのような機械が放棄されていた。
付近にはこれ以外にも、機械の破片と思しきものや、軸と車輪が一体となったような金属片などが多数放置されていた。
先ほどの和賀仙人鉱山の傍にも、同様の機械の墓場があったが、まただ。

そして、この場所に苦い思い出を持つ男がいた。

くじ氏である。

彼は半月前の偵察時、まずは平和街道を単独踏破し、その足でこの軌道跡に挑んだ。
高いところへ抵抗があったせいかは分からないが、今回の調査とは反対に、このダム側から和賀川を渡渉して軌道跡へと辿り着いたらしい。
そして、彼は間もなくこの場所へ到達した。
そこで彼はこの赤茶けた物体を目撃した。
早速の発見にちょっと気合いが入り過ぎたのか、彼としたことが、ここで転倒したらしいのだ。

で、打ち所が悪く膝がパックリと開き、大流血。
結局、彼は探索もそこそこにここから撤収したわけだが、帰宅後6針も縫う治療を受けたそうだ。

くじ氏の顔が、ここへ来て浮かない感じがしたのには、理由があったのだ。


 このタンクのような機械は、やはりボイラー?

詳しい人の考察をお待ちしております。





 この場所からは、久々に対岸の視界が開けた。
そこには、遂にというか、目指すダムの一端が見えていた。
我々の終着点であるダムの駐車場が、良く見通せる。
直線距離であと500m程度だが、まだまだ、波乱があった。


 かつては道の跡だったと思われる通路状の平坦地を、ダム方向へと進むと間もなく、迫り出した山肌に遮られて終わる。
その終点で、先行していたパタ氏達が止まっていた。
なんだ、なんかアクシデントでも発生したのか?
そう思って近づくと、二人ともじっと山肌の一点を凝視しているではないか。

そこにあったものとは?




 も、もろ坑道だ。

施錠され、比較的厳重に塞がれている穴は、まさしく坑道の姿。
地下水が流出しているらしく、坑口前一面は沼地となっている。
膝まで泥沼に浸かりフェンスの奥を窺う。
当然稼働している雰囲気はなく無音だ。風も、無いようだ。
もの凄い冷気が頬を撫でる。

古い地形図に、この鉱山は描かれている。
名は仙人鐵(鉄)鉱。
現在の地図には表記はなく、鉱山跡を取り扱ったサイトなどにも情報は見あたらない。
見たところ、塞がれずに奥まで坑道が続いているようだ。



 入洞!

というわけには流石に行かず、鉄格子の隙間から奥を覗いた写真。
ほんの数メートル先からは素堀のままだ。
一面は澄んだ地下水に浅く沈んでおり、やはりかなり奥まで続いているような感じがする。
隧道では見られない照明や手すりと思われる構造物も、そのままになっている。

内部が気にはなるが、鉱山は守備範囲外と言うだけでなく、坑門に鍵が掛かっていては仕方がない。
3人はここで少し時間をつぶし、やがて軌道敷きへと下った。




軌道跡、いよいよダムへ…
15:07

 約1時間後、我々は軌道跡へと下りて、いよいよ最後の区間に挑んだ。
どういう訳か、ここで私の足が妙にもつれた。
何度も転びそうになりながら何とか二人に遅れまいと斜面を下ったが、軌道敷きに降りてすぐに、靴を脱いでびしょ濡れの靴を少ししぼろうとした。
事件は起きた。

私が脱いだ運動靴は、地面に落ちても動きを止めず、とてもゆっくりとした速度で崖下へと転げ落ちていったのだ。
一瞬、何が起きているのか整理が着かなかった。
もの凄く、時間がゆっくりと流れている感じがした。
最速で手を伸ばせば届いたはずなのに、疲弊した私の神経は、それを許さなかった。
身じろぎ一つ出来ぬまま、3人の視線の先で私の靴の片方は、木々の茂る急斜面に吸い込まれていったのだ。

す、すまない。

みんな…すまん。

私の靴を、崖下まで取ってきてはくれまいか…?



  3人の中で最も疲労の色が濃いパタ氏までが、崖を下り、私の靴のために奮闘してくれた。
くじ氏は、さらに下まで行き、情けない私めの靴を拾い上げて下さった。
ありがとうございました。


全くもって、
けしからん靴である!

靴を落とす。 減点−6。


 私のカメラもへそを曲げたのか、まともに像を結ばなくなった。
とりあえず、今もこの症状はときおり出るが、まだ我慢して使い続けている。

写っているのは、上の写真共々、軌道上に建てられていた石柱である。
石柱は大きなもので、そのうち3方の側面には文字が埋め込まれている。
それぞれ内容は、『昭和四十年建設省告示 第九〇一号』
『建設省 湯田ダム管理所起点』
『北上川水系 和賀川』である。

これは軌道とは関連が無く、ダム工事によって軌道敷き上に建てられたものだろう。
いよいよ軌道がダムによって消失するのだという実感が出てきた。



 なおも軌道敷きはガレ場の中に辛うじて人が通れる程度の平地として続いているが、前方の木々の間には灰色のコンクリが立ちはだかっている。
もう、湯田ダムのそこまで迫っている。 いよいよ終点という喜びが手伝い、我々は疲れをも忘れ、跳ねるように前に進んだ。
足元には、いくつもの碍子が落ちていたが、よく見なかった。



 またも軌道上に石柱が現れた。
文字などは何もないのっぺらぼうの物体だが、その天辺の中央には、直径30cmほどの円形のキャップが取り付けられていた。
我々は興味に負けて、何かも分からぬままにこれをこじ開けた。
パタ氏は言った。

「年寄りになっても知らないよ。」

…玉手箱?!



 キャップをまわして開けてみると、そこにはチョコレートが溶けて詰まっていた。

でなくて、未だヌラヌラと役目を果たすグリスだ。

しかし、それだけ?
なに、これ?

パタ氏は鋭かった。
これは、計測器を設置するための台座ではないかというのだ。




 ここにも軌道時代のものと思われる石垣が残っていた。
そして、これが最後の遺構となった。
ここから先、軌道敷きはダムという巨大建築に蹂躙されて完全に消えている。
一応、我々の目的はここに達せられたと言って良い。

ちょっと無理かも知れないと思っていた崖を、3人無事に突破し、地上部隧道部を含め、わずかな迂回部分を除いての踏破と相成った。
軌道は、本来の終点「仙人鉱山駅」を、この300mほど先の大荒沢地区に置いていた。
しかし、現在は大荒沢自体がダムに沈み、地名も廃されている。
渇水期にその痕跡を求める試みは、今後の楽しみとなるかも知れない。

湯田ダムの迫力
15:14

 この先はダム工事によって大規模に地形が改変されたと思われ、軌道の探索は放棄せざるを得ない。
しかし、ここでゴールというわけにはいかず、車の元へと戻るには、ダムサイトを登って行くか、一度河原に下りて和賀川を渡渉する必要がある。
ダムサイトは、はっきり言って登れっこ無いので、一度下りることを選択した。
まずは、ダム直下へ進もう。

写真の崖も、かなり気を遣う難所だった。
木の枝を手掛かりに、いかにも滑りそうなコンクリの法面の上端にへばり付いて進む必要があった。


 最後と思われた難所を越えると、そこは遂にダムの管理道路の端だった。
道路とは言っても、既に放置プレー全開なのか、錆びた鉄橋には落石が散乱しており、危なっかしい。
まあ、これまでの道の危なさに比べれば、これなど公園の遊具の如きである。

くじ氏の表情は堅かったが。

ここにも、さっき見たのと同じグリスいっぱいのコンクリがあった。
ますますパタ氏の推理が的を射ている気がした。
ダム付近の微妙な地形の変状を、これら台座相互に測定器を設置してチェックしているのではなかろうか?
現在もそのチェックが続けられているのかは、分からないが。



 写真は湯田ダムの迫力ある前面像である。
密かにファンも多いと聞く湯田ダムの勇姿だ。
いままで、このアングルから撮影したものは、無かったのではないだろうか?

なお、我々が来たコース上には、ただの一度も通行止や、立入禁止を示す表示はなかった。
故に、全く問題が無いと考え、堂々と管理道路を歩いている。


え?
問題あり?
常識で判断しろ??





 くじ氏にとっては、ここが一番恐かったらしい。
さっきまでの断崖の方が私にはよほど恐かったが…。

どうやら、高所恐怖症というのは現実の危険を測る尺度ではなく、高さをダイレクトに表す特定の「符号」に弱いようである。
例えば、その符号としては、「足元の板が薄い高所」や「狭くて下が見えてしまう橋」など。

彼ならば、今に克服しそうではあるが。

私も、最初は狭所・高所・暗所、全部恐怖症だった。
でも、ある時から吹っ切れた。
頭のネジが飛んだとも思われる。



 今日は、一切放水をしていなかった。
淀んだ川は、少し下流なら容易に渡れそうである。
しかし、あそこまで下りるには、この写真に写る屋根付き歩道を通りたい。
立入禁止でなければ、いいのだが…。

なお、対岸上部には管理事務所があり、ここは有人である。
発見されれば叱られると思うので、もし来るなら、軌道経由でお願いします。

軌道側からは、一切立入禁止の表示がないので、シラを切れると思われる。


 狭い橋を渡りきると、そこはダムの中腹。
上に行くにも、下に行くにも、屋根付き歩道以外にはない。

と思ったら、ちょっと上に 穴!

まさか扉が開いていると言うこともないだろうが、一応チェきりに行く。



 …開いてますけど、 とびら…。


おい、どーするよ。

これはマズいだろ。
隧道じゃないだろそもそも。
これは、ダムの管理廊というものではないのか?

でも、一度火が点いた好奇心は燃え尽きるまで消せないのであって…、

言い訳はいいから、見つかる前にさっさと入れ。





というわけで、

 次回、最終回。

  どーなるんだ、こいつら…。






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