廃線レポート 和賀仙人計画 最終回
2004.7.17
山行が史上最難の踏破計画、和賀計画発動。
僅か5km半径の地域内で行われた二つの大冒険が、遂に終わりの時を迎える。
和賀計画、最終回。
和賀ダム監査廊
2004.5.30 15:17
ダムサイトの中腹に口を開けた空洞は、地山を掘った隧道ではなく、明らかにダム堤体に設けられた内部通路である。
通常一般の人が入れる場所ではないが、我々の前に現れたその入り口は、扉こそ閉められていたものの、施錠されていなかった。
この意味は、どういう事なのだろう?
まさか一般人がこのダムの中腹まで来るわけがないという判断で、敢えて鍵をかける必要がないとされているのだろうか?
まあ、どちらでも良い。
今まで経験したことのない経験をする、いい機会だ。
われわれ3人の中には特に反対意見がでることもなく、そそくさと扉を潜るのであった。
30mほど真っ直ぐの通路が続いたが、そこに分岐があった。
真っ直ぐ続き、その先で直角に右へ曲がる通路と、この写真の鉛直通路だ。
この直上へと3度のハシゴターンで登る通路は、流石に遠慮した。
ハシゴは錆まみれで、しかも至る所に欠けがある。
上部に見える足場も、明らかに危険だ。
おそらくは、ダム堤体内部の別の回廊に続いているのであろうが、現在では利用されている気配が全くない。
真っ直ぐの通路に進むも、直角コーナーのすぐ先で行き止まりになった。
というか、実は通路自体は真上に続いているのであるが、今度は工業用エレベーター以外で上り下りできない。
しかも、やはり完全に錆び付いており、操作パネルなども見あたらなかった。
現役には、ちょっと見えない。
ダム内部のこれ以上の探索は諦めざるを得なかったが、廃墟ではない巨大ダムの内部に、このような廃通路が存在するというのも、なかなかに興奮できるシチュエーションである。
もちろんここまで、人の気配や、点灯している照明などはなく、廃地下道といったムードである。
沈黙したままのエレベーターの上に広がる垂直空洞。
4、50メートル上部にうっすらと天井が見えており、そこから脇に延びる通路も確認できたが、この先はちょっと無理だ。
さて、監査廊を脱して、今度はダムの放水路、つまりは谷底へと進む。
これは、谷底の和賀川を渡渉して対岸の駐車場、つまりは「終点」に向かう行動の一環であると同時に、敢えて堤体を登ってダムサイト上を通り終点に向かわない訳があった。
それは、くじ氏が偵察で発見した、「謎の隧道」の正体を確かめる事である。
さあ!目を醒ましてください!
和賀計画のいよいよ最後の盛り上がりですよっ!
おきまりの文句、「謎の隧道」が出ましたぞっ!
などと、流石に長くなりすぎたレポをまとめる気力が底を尽きつつある自身を駆り立たせる。
そんなことは、どうでもいいって?
明らかに一般向けではない上下通路を通り、ダムの直下の河原に下りた。
階段を下るのは楽なのだが、終点の駐車場は遙か頭上になってしまった。
もう、我々の足には殆ど酸素が供給されていない。
足が、逝きそうだ。
既に半日以上 廃道や山を 歩き通しだし。
おっ、あれだな!
なかなか、いいムードの穴ではないか。
しかし、河原に空いた穴というのは、どんな由来があるのだろう?
自然に出来たんじゃないの?
接近。
河原の謎隧道
15:27
内部には、高さ2m、幅奥行き共に3mほどの、小部屋が一つあった。
というか、これ隧道でなくて、凹みじゃないか?崖の。
だが、仮に成因は川の流れだとしても、確かにかつてここに何かが納められていた痕跡がある。
余りにも風化しており判然としないが、雑多な木片や柱の残骸、トタンの切れ端などが、散乱している。
何か小さな小屋…お堂?か何かが納められていたっぽい。
ダム直下という場所柄、なにか安全祈願などで工事中に祀られたものなのかも知れない。
…しかし、隧道ではないな。これは。
私が穴に首を突っ込んでいる間に、彼らはもう先へ行って休んでいた。
彼らの背後に見えるコンクリートの橋台のようなものは、一体何だ?
なんと、こっちが正真正銘の隧道だ。
大部分が河原の石に埋もれているものの、その円弧のサイズを見るに、かなり大きな断面がありそうだ。
坑門には扁額など、その正体を表すものは何もない。
とりあえず、端正なコンクリの坑門であることと、道路の存在が考えにくい河原に対し口を開けていることが、特徴である。
なんだろう、これは?
くじ氏も偵察事に発見したらしいが、彼は灯りがなく、内部は探索できなかったそうだ。
なんか、くじ氏の足元に茶色のものが、写っている。
あれは、なーに。
それは、山積みの石の隙間に覗くレールだった!
しかも、驚いたことに、このレール。
JRなどの線路で普通に見られる、通常サイズのレールである。
林鉄などでお馴染みの小さめサイズではない。
くじ氏の足と大きさを比較して欲しい。
なぜ、こんな場所にレールが…。
とにかく、隧道内部に行けば何か分かるかも知れないと、疲れた足にむち打って、
最後の入洞!
ちなみに、ポカリがぶ飲みとなったパタ氏は、私にライトを託して残るそうだ。
謎の隧道 内部
15:32
入り口は意図的なものか、ほとんど岩石に埋もれていたが、内部には立って歩ける広さがあった。
しかし、一目見て奇妙なのは、天井の弧の大きさに対して、高さが極端に低いと言うことである。
立っては歩けるが、手を伸ばせば天井に届く。
しかし、幅は広く、自動車がすれ違えると思われる。
足元の様子も普通ではなく、点々と
枕木の埋められていたような凹凸
がある。
枕木らしき材木すら、僅かに見えているではないか!
じゃあ、レールが敷かれていたのか?
しかし、この天井の低さでは、小さなトロッコくらいしか往来できないのでは?
もし軽便鉄道程度の小型車輌が往来する隧道であったと仮定して、では、意味ありげに坑門付近に散乱していた標準サイズのレールはなんなのだ?
もう、ハテナマークで一杯になってしまった。
30メートルほど進むと、足元が一段低くなる。
その先には枕木などもなく、バラストにも思えた砂利もなくなる。
泥っぽいが、乾いた洞内。
真っ直ぐで、風はなく、出口も当然のように見えない。
まあ、どこかに続いているとは期待していない。
なにせ、ここは谷底だし、この方角に和賀川谷底より低い場所など、向こう数十キロ以上無いのだから。
天井や壁は美しい円弧を描いており、その施工に感じられる安定感は、そう古い物とは思えない。
入り口から段差までにはレールが敷かれていた?
だとすれば、河原から内部へと、何かを運んでいたのか?
しかし、現在残っている隧道は、僅か50mたらず。
そう、入り口から50mほどで、唐突に隧道は終点を迎えたのだった。
コンクリを流して固めたような、固い壁。
その中心部から突き出す一本の排水管らしいパイプと、なぜか天井に打ち込まれた大きなアンカー。
この場所で、果たして何が行われていたのだろうか?
位置的には、河原から、ややダム堤体側に向かって進んでいたので、この直上はダム堤体の一画だと思われるが、定かではない。
もっと長かった隧道を、コンクリで埋め戻した様な印象を受けたが、余りにもヒントが少なく、確信は持てなかった。
出来れば、皆様のお知恵も借りたいが、本当にこれしか我々が得たヒントはなく、これでは推理も難しいだろう。
それでも、私の推論を述べさせて頂ければ、以下のような隧道だったのではないか?
出口が河原であることから、通路であったとは思えない。
また、坑門などの施工方法を見た限り、比較的最近のものと思える。
となると、ダム工事に関した隧道ではなかったのかと考えられる。
そして、ダム堤体付近にあって河原に続く隧道と言えば、一番考えられるのは、ダム建設中に和賀川の水流を逃がすために利用した導水隧道ではなかったかと言うことだ。
そして、ダム完成と同時に不要となり埋め戻されたのでは?
また、この埋め戻し作業の際に、ダム工事で生じた残土などを河原からトロッコで運び込んでいたのかも知れない。
現在の洞内延長は短すぎるので、わざわざトロッコというのも不自然だが…。
或いはダム建設時には、どこか別の場所からトロッコがここまで敷かれていたのか…?
うーん、
これ以上は余りにも根拠のない推論となってしまう。
レールの太さといい、はっきり言って、分かりません。
謎だらけで気持ち悪かったが、もう洞内に調べる場所もないようなので、脱出する。
くじ氏も私も、この隧道がなんなのかは結局分からなかった。
未だに分からない。
実は、偵察時のくじ氏の「隧道発見!」の報を聞いた段階では、レールもあると言うし、もしかしたら、旧横黒線のアノ
仙人隧道
の横坑ではないかと、興奮した。
以前のレポでは触れていないが、仙人隧道建設時に横坑を掘ったという話があるのだ。
その詳細な位置は知られてないが、少なくとも現在人が辿り着ける「白亜の壁」より手前には、その様な横坑との分岐はない。
よって、水没しているだろう部分に横坑の痕跡があるだろうと思うのだ。
もしかと思ったが、残念ながらここで見つけた隧道は、違うものだろう。
帰還の為の最後の苦痛
15:42
さあ、もう帰ろう。
予定していた全行程を終了した。
期待以上に色々な発見があったし、3人という一番団結しやすい人数での探索は、チャリ馬鹿トリオでの探索にも劣らぬ、有意義な時間を私に与えてくれた。
あと、和賀川の左岸(向かって右の壁だ)を登れば、そこに予め移動させておいたくじ氏の愛車が待っている。
擂鉢状になったダムの底は、全くと言っていいほど水がない。
さて、どうやってこの高さを登るか…だ。
殆ど干上がった和賀川は容易に渡渉出来た。
パタ氏の向こうの対岸に見えるのは、謎の隧道の謎の坑門だ。
また、坑門前以外の河原にも、レールの切れ端が散乱しているのを見つけた。
もしかしたら、夢のない話だが、上流から廃レールが流されてきただけなのか…?
実際、ダムの完成前に横黒線の長大な路線付け替えが行われていて、あの仙人隧道が廃止されたのもそれによる。
廃止された路線からはがされたレールの一部がダム湖となった谷底に落ち、その後排水と一緒にダムから放出され、ここに残ったのか。
完全解明とは行かなかったのが惜しかったが、この崖を登れば旅は終わる。
しかし、いくら近道だからって、この崖を直登するのは、どうかと思う。
私ではないぞ。
ここを直接登って国道に戻ろうと言いだしたのは。
くじ氏だ。
もう、我々の誰として、足がまともな人はいないんだからさ…。
いたわろうよ…自分たちの体。
登ることしばし、頭上に国道のスノーシェードが見えてきた。
この先、さらに崖は急になり、いよいよ直登は出来なくなる。
ここで、それぞれが進みやすそうだと思う場所を選んで、登った。
私は、向かって右の藪へ。
くじ氏は左へ。
パタ氏もくじ氏の背後を左に行ったようだ。
私は一人、垂直に近い土の斜面を、木の実木を手掛かりにへつって登った。
弱音吐いてもいいですか?
私の足は、自転車用に出来ているんです。
もう、あるけません。
なんとか、国道の直下にでた。
出たが、国道には届かない。
どうするんだよ。
俺一人、引き返しかよ?
くじ氏は正面の草藪に姿を現した。
そして、そのまま登っていく。
ならば、私もこのコンクリの壁を伝って…。
辛うじて、我々全員が無事にくじ氏の車に辿り着いた。
ここは、数時間前にも居た、ダムの駐車場だ。
遂に計画を全うして、和賀軽便鉄道の軌道上をダムまで踏破した。
もう、二度と… と、私は思ったのだが、
パタ氏はこれ以来、「また行きたい」と連呼するのだ。
パタ氏は、どうも断崖を行くスリルに侵されたらしい。
恐ろしいことだ。
15時56分、 和賀計画 完了。
なお、私は最後の登りで必死になっているとき、パタ氏から借りていた(いつのまに借りていたのか忘れたが)タオルを落としていた。
パタ氏は言う。
ヨッキに物を貸すと、1,壊れる。 2,汚される。 3,無くされる。
のどれかであると。
そして、私は彼の奴隷となったと、彼は言った。
わたくし、一人で旅をしていたら無くさなくていい物を、色々と無くした合同調査であったような…。
特に、威厳とか? イメージとかぁ?
崖からは落ちなかったけど(靴は落ちたけど)
ヨッキれん、和賀で地に墜ちる。
トホホ
そうそう、
パタさまの粋な計らいによって、私には、大切な探索道具であるお気に入りのライトを取り戻すチャンスが与えられた。
車で川べりまで運ばれた私は、強引に川を渡り、あの発電所廃墟に単身再度乗り込み、ライトを奪還したのである。
しかし、ライトは奪還したものの、今度は川で転倒し、カメラを…
カメラをッ…!!
完
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