残念ながら、ボートを駆使しても、水没した仙人隧道の奥を極めることは出来なかった。
我々は、一定の達成感を感じつつも、悔しさの方が多く残った。
もう5mも水位が下がれば、或いは解決を見ただけに、自分の力ではどうにもならないダム水位に、行き場のない悔しさを感じた。
だが、時刻はまだ正午前。
和賀計画はまだ終わらないのである。
次に我々が向かったのは、前回の和賀計画で最も印象に残った難路、仙人鉱山軌道の、未探索部分である。
左図の中で、緑の実線で示した部分が、仙人鉱山軌道である。
その謎の多い経緯などについては、前回の和賀計画レポを参考にして頂きたい。
仙人駅が置かれていた下流の製鉄所のあったあたりから、湯田ダムのダムサイトに呑み込まれて消えるまでの区間は、探索済みである。
残りは、ダムの上流、通常は水没しているであろう区間なのだが、距離は1キロメートル。
仙人山北側の急峻斜面に張り付いて進んできた軌道が、最後にやや蛇行して終点仙人鉱山駅へと上り詰める部分だ。
途中、最も南よりの部分には、恐らくこの特別水位の汀線付近に、埋められたと思われる仙人隧道横坑が、あるはずだ。
大正13年頃には早々と廃止されたと思われる同軌道の、その終点駅は、果たして現存するだろうか?
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