廃線レポート 第二次和賀計画 最終回
2004.12.25

 無 題 
2004.10. 14:58


 当楽サージタンクより大荒沢ダムへと廃止されて久しい水路隧道を辿ること、おおよそ30分。
地の底を1500mほども進む途中、幾つかの発見や驚きがあった。
しかし、それらの記憶を一発で消し飛ばすほどの、強烈な光景が、眼前に広がっていた。

それまでは円形だった隧道断面が、下半分ほど瓦礫や廃材で埋没している。
いよいよ閉塞点へと繋がる予兆かという、当たり前の予想。
だが、それだけでは、終わらなかった。

隧道は、突如分岐していたのである。
しかも、予め存在していた分岐では無さそうである。
内壁の施工が、ぜんぜん違うのだ。
ここまでの隧道は完全にコンクリ覆工だが、脇の隧道は狭く、しかも素堀だ。
どちらの穴にも、風、音、明り、共にない。



 分岐点には、一切案内になるようなものは見あたらなかったので、私とくじ氏はどちらへ先に行くか少し悩んだ。

だが、明らかに本線は直進であり、元来繋がっていた行き先が、今はダムの湖底であることから、そう遠くない場所で閉塞させられていると考えられる、本線を進むことにした。

私とくじ氏は、急に口数が多くなった。
我々の「なんて面白いんだ!」「なんで俺たちの隧道はただで終わらないんだ!」という、歓喜に満ちた叫びが、一気に狭くなった隧道内部に谺した。

それにしても、分岐を挟んだ僅かな距離で、余りにも、隧道の様相は変化していた。

辺りには、まるで工事現場のようなムードが漂っている。
今にも、ヘルメットのオヤジが現れそうだが、我々が消灯すれば、闇の支配は決定的なのである。
人などいよう筈もない。

異常な光景とは、この隧道のような場所を言うのだろう。



 見慣れない英単語が多数ペイントされた缶。
これは食べ物ではなく、工業用ボンドか何かの容器のようである。
この場所で行われた、何らかの作業で、使われたものに違いあるまい。

中は、空になっていたが、何か意味ありげに、一つだけ板敷きの上に置かれていた。




 楽しくて仕方が無い隧道探索者の横顔。

イイ表情だ。

こんなヤツが、各地の隧道に出没しているのだから、笑える。
山行がの真髄は、こんなイレギュラー発生時の隧道探索にあるのかも知れない。

烏滸がましいと叱られるかも知れないが、もし 「山行が的」 と言う言葉の使用を許されるならば、

それは、廃隧道内部で熱狂する男(達)のイメージが、ぴったりな気がする。



 足元は、非常に悪い。

ご覧の通り、コンクリ塊や土砂で隧道下半分は埋没しており、しかもただ埋没しているのではなく、中央には薄い木板で蓋をされた側溝のような水路がある。
出来れば側溝上を歩きたいが、悉く蓋の木材は朽ちており、崩壊著しい。
しかも、側溝は深く、1m程度あるように思われた。

転倒しそうになりながら、左右の壁際に進路を求めながら進む。

分岐から、
50メートルは来た。









…きた。


閉塞。

閉塞点である。

閉塞点の直前3mほどは、水深30cmほどの透き通ったプールになっている。
プールの岸辺には、一本の木の電柱が立てられており、碍子や電線が括り付けられている。

我々は、ある仮説に至る。

隧道の、突然の変貌は、全てこの閉塞に由来するものなのではないだろうか。
閉塞は、湯田ダムの建設に伴うもので、昭和30年代に工事が行われている。
おおよそ、この閉塞地点までの距離は、当楽サージタンクから1550m。
地図上に重ね合わせると、この直上付近には、国道107号線の大荒沢トンネルやダムサイトに付随する管理棟などがあると推測される。
やはり、この閉塞点は、湯田ダムに非常に近い位置にあるのだ。
閉塞工事は、おそらく両側から行われただろうが、残念ながらこの反対側の様子を知る術はない。
深い湖底に続く、残り500mほどの部分は、全く謎のまま残った。
ともかく、閉塞工事には、かなりの土工量を要したはずだ。
ただ塞ぐのみでなく、巨大なダムの水圧に耐えうるだけの強度が求められるのだから。

その工事には、おそらく今まで我々が歩いてきた以外の、作業路が存在していたはずだ。
サージタンク経由の道は、長すぎるし、人が歩くには問題ないが、機械類の搬入は困難だろう。
また、そうでなければ、洞内分岐点を境にして大きく隧道の様相が変わったことや、その分岐先隧道の水路らしからぬ様子を説明しにくい。

もうお分かりだろう。
さきほどの、分岐の先の横穴こそが、閉塞工事に関わる作業路として、開削されたものなのだ(と仮設する)。


 閉塞壁は、やはり『白亜の壁』と呼ぶに足る、巨大なコンクリート鍾乳石の壁と化していた。
その様子は、規模こそ異なれど、北上線旧線仙人隧道仙人側閉塞点に酷似している。

異なる点といえば、壁に赤いペンキで小さく記された「×」の存在。
これは、何を意味しているのだろうか?


遙かな地中、誰の目にも留まらぬことが必然だったろう。
廃止された発電水路の、その奥の奥に、我々は、
巨大ダムに命を奪われた、隧道の最期を見た。





 電柱から閉塞壁に繋がれた電線。
その途中に、冬枯れのカラスウリのように、だらしなくぶら下がった一つの電球。

その赤茶けた内部にまで、茶色の水が溜まっている。

背景は、“白亜”とは些か美化しすぎの感がある、茶色っぽい壁。
著しく異形となった造形は、壁に起きている静的な破壊の作用を想像させるが、その強度に不安を感じる必要はないのだろうか?
仙人隧道もそうだったが、このようなクリティカルな場面まで、特に装備を持たぬ一般人でも辿り着けることが、面白くもあり、恐ろしい。





 閉塞点で、我々に長居をさせるものはなかった。
普通であれば閉塞点から来た道を戻るだけの単調な復路に、多少のうんざりを感じたりするものだが、今回は、まだ発見は終わった気がしない。

ある程度存在が予感されていた閉塞点以上に、さきほど、この50mほど手前で遭遇した、素堀の分岐隧道の存在が興奮の対象となった。

もう二度と来ることも無さそうな地中の行き止まりに別れを告げ、我々の進路は反転した。


和賀計画は、予想外の最終フェーズへ突入する!


 地中の小径 
15:10


 閉塞地点から、おおよそ50m当楽側にある洞内分岐点を、閉塞側より撮影。

地面は均された痕跡がある。
同じ洞床の高さで、壁に穿たれた風穴の奥にも、闇は広がっている。

奥行きは、灯りの届く範囲までは間違いなくある。

地底1500mからの分岐、
いざ前進である。


 こッ これは!

 壁だ。

上部はコンクリート、下部は木の板で塞がれている…。
そして、木の部分は腐食し、崩壊している。
しかし、自然に崩壊したには、やや不自然な崩れ方…。
何かが蹴破って、あちら側からこっちへと入ってきたような不気味さがある。

いったい、この不自然な閉塞の痕跡は、何を意味しているのか?

熱狂に包まれたまま我々は、カビくさい小穴を潜り抜ける。

その次の瞬間。
さらなる衝撃的光景を目撃する!!



  あ 明りだ!

うそだろ!?


坑道そのものの荒々しい施工の奥。
小さな光が見えていた。

横穴は、外へと通じているというのか?!

水路隧道の閉塞工事用の作業隧道として掘られたことが、決定的になった瞬間だった。
まさか、元来からあった坑道に、たまたま水路隧道が通じていたというのは考えられないだろう。


 今潜り抜けた遮蔽部分を振り返って撮影。

工事終了後、
もう二度と利用しないつもりで、塞いだのだろうな…。

しかし、今また一人、
いや、二人、
この穴を利用して、地上へ戻ろうとする男がいる。





 内部は、非常に崩壊が進んでいる。
洞床にはコンクリが敷かれているが、支保工を無視して内壁の岩盤が大量に崩れ落ちて、その洞床を埋め尽くす。
閉塞するほどの崩壊が、いつ起きても不思議はないほどの、酷い有様だ。

これが、作業用に建設された程度の、簡易な隧道の末路なのか。

写真の箇所は、待避箇所だったのか、多少広くなっている。
となると、洞内鉄道(トロッコ)を通している時期があったのだろうか?



 最期まで、崩落箇所が続く。

この横穴は、本道から出口まで、完全な直線である。
その延長は200m程度だったろうか。
地底1500mから始まったわりに、短かった。

いよいよあの愛しい陽の光の元に戻れるかと思われたが、小さなただ一つの出口には、忌々しい鉄格子が見えて来た。
ここで引き返しだったら、泣く。



 一回り狭い出口。

何処かの断崖絶壁に面しているムード。

色々な想像が、頭をよぎる。

国道よりも、恐らくは下だろうな。
ダムよりは下流だろうし。
和賀川に面した断崖の何処かなのだろうが、今までその様な穴を見たことはなかった。

もっとも、和賀川両岸は以前の仙人鉱山軌道の探索で思い知った通り、非常に行動の制約される断崖地であり、今まで我々の目に留まらなかった穴があったとしても、不思議はない。

殺風景な鉄格子に、両腕を掛け、体重ごと、押し込んでみる。

…頼む、開いてくれ…。




 無 題  
15:13

 
ブッチン!!
 … ギ ギ ギ ギ …

扉は、錆びて重くなっていたが、無事に開き、我々を闇より解放した。

ここに、大荒沢ダム水路隧道及び作業隧道、今回探索延長1700m余り。
和賀川発電所までの総延長3kmの探索を完了したことになる。

残りは、あの「白亜の壁U」の向こう側と言うことになるが、今のところ手がかりは一切無い。
ただ…、脱出場所の高度を考えると、必ずしも今回の特別水位時においても水没していたとは断言しにくいのも事実である…。
もしかしたら、まだ見ぬ坑口が、何処かに口を開けている?!
再び渇水の時が来たら、是非探してみたいと思うが…いつになることか。



 説明が逆だった。

我々が脱出した地点は、想像通りの場所だった。

国道の大荒沢トンネルやダム管理棟の直下で、ダムサイトからは50メートルほど下流の、和賀川左岸絶壁の、河床から比高50メートル、国道からも比高50メートルほどの位置だった。

今まで、その険しさから踏み込んだことのないエリアである。
このような遺構があることは全く想像していなかった。

写真は、坑口前から、ダム方向へと続く、落石覆いに定義されたような小道。
我々は下流方向へと進んだので、この道がどこへ通じているかは、現時点で不明である。
おそらく、坑口への正規アクセスルートは、この道だろう。
皆の元へ急いで戻らねばならな我々は、考え無しに、下流方向へと進んだが、これは大変だった。



 仲間達を当楽付近の洞内に置き去りにしてから、早くも40分を経過していた。
これはいくら何でも待たせすぎだ。
心配しているに違いないだろう。
なにせ、はたから見れば、我々二人は行き止まりの筈の隧道の奥へ消えたままなのだから。

私は、ケータイで連絡を取ることを考えたが、残念ながらうまくいかなかった。
急ぎ、国道へ戻り、歩いて当楽サージタンクへ行くことにする。


 扁額はおろか、由来を示すようなものは一切無い、無機質的な坑門が、断崖の一画にひっそりと口を開けていた。

もう二度と来ることもないだろう。




 下流側にも、少しの間は小道が続いていたが、すぐに草むらや急斜面に掻き消され、消失してしまった。
それでも、足元には大規模な石組みの施工が見られ、何らかの人手が加わった痕跡は見て取れる。
しかし、石組みであることなどから考えて、隧道とは関係ない由来ではないかと推測された。
遙か上部の国道107号線は、元来平和街道という、明治に開道された道であり、その頃の施工の可能性もある。

 まもなく、一条の枯れ沢にぶつかった。
沢と言うよりも、殆ど滝のような急さで、遙か眼下の和賀川に切れ込んでいる。
これ以上、この高度を維持して下流へ進んでも、国道へ合流できず、埒が明かない。

この沢を強引に遡り、国道へ出ることにした。
もう、時間がない。



 この断崖は、初めてじゃない!

そう言えば、ここは前回の和賀計画でも、最後に国道へと戻る時、懸命に登ったではないか。

二度の和賀計画が、最後の最後で、一つの断崖に収束した。

今度は、私とくじ氏の二人きりだが、やはり辛い登りに違いはなかった。
国道のスノーシェードを目指し、ひたすらに登る。
瓦礫に腹をするような急斜面を、登る。

生還まで、あと一歩だ。


 生 還  
15:25

 
 国道へと、戻ることが出来た。

一息つく間もなく、すぐに国道を下り始める。

ここから当楽サージタンクまでは、国道と林道を繋いで、1.6kmほどの徒歩である。


 鮮明な陰影を見せる、夕刻の和賀谷。

この谷をめぐり、いくつもの冒険譚が刻まれた。

地上にも、地下にも、湖底にまで、めくるめく冒険の舞台が豊富に用意されている。
それが、私の愛する地、和賀である。

決死の断崖も、今は穏やかに見えなくもない。
冒険を達成した男達には、夕日は最高の凱旋曲になる。







 当楽で仲間と合流。
気まずい空気を痛いほど感じたが、仲間達は寛大だった。
ありがとう!

我々は、国道沿いの道の駅に移動し、峠山を背景に最後の記念撮影。

そして、間もなく解散の時は来た。

サラリと集まり、

サラリと散っていく。

それが、山行が合同調査隊。

和賀に、また新しい山行がの歴史が、刻まれたのである。


いい、一日だった。











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