道路レポート  
旧国道13号線 栗子峠 “万世大路” 
福島側 その1
2003.5.8



 憧れの長大旧国道峠、「万世大路」。
昭和41年に廃止された道は、静かな山中に延々と遺されていた。
そして、遂にたどり着いた峠の隧道は、崩落により沈黙していた。

 まだ、万世大路の攻略は終われない。
福島側にも、山形側以上の長い旧道があるのだ。
往復が宿命付けられた困難な探索に向け、再びペダルに力を込める!

<地図を表示する>

 
山形県米沢市 川越石
2003.5.1 11:00
 栗子隧道から、約45分を掛け現国道へと戻った。
全線が下りであったことを考えると時間が掛かっているが、残雪ゾーンや倒木ゾーンでは、下りとはいえ徒歩になり、こんなに時間が掛かった。

 そして、現国道に戻った後は、再び県境に向け登りである。
勾配は緩やかだが、冗長な登りは面白みに掛け疲労し易い気がする。
断続的に登坂車線が設けられており、そういう場所ではまるで競争であるかのように、車たちが次々と追越しを繰り広げていた。
 写真に写っている標識には、峠区間(19km区間)の連続降雨180mm以上での通行止めが告知されていた。
他に迂回路の無い天下の国道13号線にこういう区間があるのは意外である。
実際に封鎖されることもあるのだろうか?

西栗子トンネル (延長2675m)
11:17
 ご覧の大カーブの先は、いよいよ県境の長大双子トンネルの片割れ「西栗子トンネル」である。
周りの風景は山岳そのもの、しかし道路上だけは都会のような喧騒に包まれている。
竣工した昭和41年ごろは、まだ環境保護の叫びは小さかったのだろうが、生態系を分断する巨大な帯である。


 遂に目前に迫ったトンネル。
坑門に覆いかぶさる巨大な送風施設は、正にこの時代の長大トンネルのシンボルである。
はっきり言って、私などは胸がときめく。
幼少の頃、家族旅行で通った仙岩トンネルの威容が、私のトンネル好きの原点かもしれないのだ。
今日では技術の進歩により、地上にこのような巨大な施設を要さないので、こういった光景は今後再生産されないものだ。

 道行く私たちを見下ろす坑門。
その姿は、なんとも誇らしげではないか。
実用上存在する物なのだが、何かそれ以上のコダワリを感じてしまう。
「俺がこの山をぶち抜いているんだ!!」 という自信に満ちた姿だ!

 そして、これまたこの時代の長大トンネルではおなじみの、天井の平らな独特の断面。
実際こういう形に掘られているわけではなく、天井の平らな部分は蓋であり、その上、もともとの円弧断面との間には、送風装置や電源系統などが格納されている。

 昭和41年竣工といえば、全国に2kmを越える道路トンネルが県境部を中心に次々と掘られた、その始まりの頃である。
安全規格も今日のそれよりも遥かに貧弱であり、まだまだ、通れればよいという時代であった。
それでも、昭和54年の悪夢のような「日本坂トンネル大火災」以降、あと付けではあるが、いくつかの防災施設が追加されている。
 とはいえ、実際に通行してみると、危険極まりないなという印象。
大型車にとっては一杯一杯の車線の外には僅か30cmばかりの路側帯。
一応Uターン横坑があるものの、2675m中に、上り下り車線それぞれ一度きりで、しかも、大型車は利用できない狭さ。
非常電話も少ない。
 まあ、昭和41年竣工といえば、ともすれば古隧道として当サイトに紹介されてもおかしくないような年代モノなのだから、大目に見るべきなのか。何かあってからでは、遅いのだが…。
 東栗子トンネル (2376m)
11:35
 そして、排ガスにもまれ、車にもまれ、騒音にもまれ、へなへなになりながらもこれを突破。
現道では、西栗子トンネルの福島側坑門付近が最高所(標高670m、旧道マイナス200mほど)であり、トンネル内は長い長い登りであった。
 トンネルを出ると、数件のドライブインが路傍に立つ中、結構な勾配で下ってゆく。
普段ならうれしいが、今はこの下りは複雑な心境だ。(あとでまたこの分は登らされるので)
すると、あっという間に県境と、東栗子トンネルが見えてきた。
いま、初めて福島県に入りますー。

 全く同じつくりの東栗子トンネル。双子のようだ。
今度は、トンネル内も下りが多くさっきよりは楽だが、大型車を先頭に続く車列には軽く恐怖を感じる。
まるで、首都高速のトンネルにでも迷い込んでしまったかのように錯覚する。
まったく、自転車など部外者のような空間だ。
歩道も無く…、と言いますか、本来歩道として利用させても良いはずの側溝の蓋部分が、なんと路床から50cmもせりあがっているのは、どういう意図?!
狭すぎて歩けないのは已む無いとしても、車道の隅を走らされるチャリにとっても、邪魔すぎるし、危ない。
その上、白線の外は悪路、白線上は凸凹、車道はビュンビュン…。

 と、自転車にとっては全くいいとこなしのトンネルなのですが、ひとつ、面白い話があります。
私がここでヒーヒー言っている最中、トンネル内ラジオにて、『こちらは国土交通省です。現在、このトンネルに自転車が通行しています。スピードをひかえめに、注意して走行してください。』と言う放送がされていた可能性があります。
というのも、以前のことですが、このトンネル内でそういう放送を聴いたという証言がありますので。
これが事実なら、なんか、嬉しいけど、恥ずかしいナァ。


 二本合わせて、5000mをも越える長大なぶち抜きであった。
しかし、このおかげでほぼ、奥羽山脈の貫通は終了したと言える。
あとはこのまま緩やかに下ってゆけば、いずれ福島市に…。

 となるのが、普通のドライバーさん。
私には、このあと仕事があるんです。
トンネルを出た、まさにこの場所。
ここから、再びあの閉塞隧道へ向け、長い長い廃道探訪が、始まるのである。

 いざ、セカンドステージ!!

万世大路への道 入り口 (標高500m付近)
11:48
 東栗子トンネルの福島側坑門にある送風施設脇の駐車スペースから伸びる悪道が、万世大路への主要なアクセス手段となる。
と書いたのは、この道自体は。まだ万世大路ではないのだ。
この道の正体は、追って記すとして、とりあえずここから万世大路へと向かう。
ちなみに、世紀の万世大路ももちろん現国道と接点を持っている。
その場所の現状は、本レポートの最後に紹介する。

 そういうわけで、ここから林道に入る。
さっそく、険しい登りが待ち受けている。
 で、この林道は至って普通な山岳道路。
強いて言うなら、勾配が相当にきつい。
万世大路も険しい山道とはいえ、そこにはやはり国道としての良心が感じられた。
しかし、この道は全くの林道で、「ああ、林道だな」って、嫌でも再確認させられるような道。
幸い、そう長くは無く、約1kmで100m以上の高度を稼ぎ(平均勾配10%以上!)、万世大路へと合流する。

 この現道と、旧国道を結ぶような林道の正体だが、元々林道ではなっかたらしい。
ここに何があったのかを、九十九折の林道と幾度と無く交差する朽ち果てた索道が、何よりも雄弁に語りかける。

 ここには…、そう。

スキー場があった。
そして、この道はゲレンデ管理用の作業道路だった。
「栗子スキー場」といったそうだが、なにぶん情報が少なく、一体いつ頃まで営業していたのかは不明だ。
木々の生い茂る斜面に遺された無数の索道用の塔以外には、何一つとして当時を物語る物は残っていないことから、現国道が開通した昭和41年以降だとは思うが、相当に古い時期の廃業だと思われる。

再び万世大路へ (標高600m付近)
12:02
 ふたたび、幅の広い道が現われた。
これが万世大路だが、現国道へと続いているはずの道は轍も僅かで、人通りが無い様子。
このみちは、帰りに辿ることとして、今は峠の隧道へと先を急ぐ。
ここまでの林道がそうであったように、この先の道にもしっかりとした轍が続いており、まだまだ現役で利用されている雰囲気がある。
広い道の狭い道
12:07
 林道を走ったあとだと、廃されて久しいとはいえ国道のありがたさ、立派さが肌で感じられる。
勾配は緩やかであり、カーブも幾分は緩い。
なによりも、幅は現在の規格に照らしても十分と思われるほどに、広くとられている。
その道の中央付近に、車一台分の轍が続いている様は、なんとも錯誤的な魅力がある。
これぞ、「廃れ」といった感じだ。


 大きなスパンの九十九折で、じわりじわりと高度を稼ぐ。
その最中、何度か福島側の視界が開ける。
そこにガードレールなどは一切無く、パノラマを存分に楽しめる。
まるで、スイスの氷河地形のような壮大な谷の眺めに、しばし心を奪われる。
谷底には、昭和50年代初頭まで細々と存続するも、現在では無人となった大滝宿集落が、一直線に伸びる現道の下方に見えていた。
この集落は、明治の万世大路開道工事の作業基地として生まれたという歴史があると聞く。
道が消えれば、人が消え、集落も消えるのだ。
石組みの道
12:07
 九十九折の道は、何度と無く進路を変え、その度に少しずつ景色が変わる。
その変化は、探訪者を飽きさせない。

 そして今、また新しい景色が現れた。
山形側にもあった石組みの法面。
しかし、だいぶ表情が異なる。
必要性があったのか疑問に思えてしまうほどに低い石組が、延々と続いていた。


 自然石が丁寧に積まれた石組には木々が根付き、崩れることなく森へと溶け込んでいる。
その姿に、これまで幾度と無く見てきた、近代的な道を襲った壊滅的な土砂災害の惨状がオーバーラップする。

 私は夢を見ているのではない、近代的な施工の強度が、この石組に劣るはずはないことは承知している。
しかし、設計者の自然地形に対する姿勢の違いは、きっと道の寿命に影響している。
技術で自然を駆逐する様な施工には、遅かれ早かれ破滅が待つのだ。
短絡性や高速性を無理に追及せず、地形の改変を最小限に抑えた道は、100年を経てなお、そこに在り続けている。

 今は、道すらも、使い捨ての時代なのかもしれない。
二ツ小屋隧道 坑門 (標高700m付近)
12:12
 気持ち良く快走する私の前に、福島側の道のりのハイライトの一つ。
明治14年竣工、昭和9年改築の二ツ小屋隧道が、突如といってよい唐突さで現れた。
その、圧倒的な存在感に、しばしフリーズ。


 この凝った意匠は昭和の改築時のものというが、それ以前はやはり素掘りであったのだろうか?
しかし、坑門脇に立派な壁柱を従えるその姿、まさにトンネル建築の教科書のように整っている。
その美しさで言えば、万世大路全体の主隧道であるはずの「栗子隧道」をも凌駕していると感じられる。
これって、不思議なことではないか?
なぜ、この二ツ小屋隧道のみが、これほど瀟洒な姿に竣工したのだろう?

 
 

 立派な銘板は、当然のように右書き。
記された竣工年は、昭和9年である。

 これほどの遺跡が、人の手の届く場所にありながらなお、全くの手付かずで残っているというのが、東北の山河の深さをそのまま象徴しているように思えてならない。
こういう風土こそは、田舎だなんだと馬鹿にされるのかもしれないが、中央にはない宝だと思うがどうか。


 ちょうどこの隧道の坑門の脇に、急な石段が山側に向かって伸びている。
そこに至るには、道路わきの湿地帯が邪魔をしているが、明治天皇のお野立ち(休憩)所を顕彰する石碑と、さらにその上部の山肌に「山神」の石碑が佇んでいる。(天皇の上に、山神…面白い。)

 そこに立ちじっと路面を眺めれば、現役時代の喧騒が微かだが、未だにどこからか漂ってくるような気がした。


――砂埃を巻き起しながら喘ぎ喘ぎ登ってきたのは3輪のトラック。荷台には零れ落ちそうなほどの古タイヤを載せている。
高らかにクラクションを鳴らすと、勢い良くトンネルへと消えてゆく。
 代わりに出てきたのは、白い乗用車。
運転席の男は、二つの隧道を越えやっと近付いた峠の終わりに、ひとり安堵のため息を漏らした…。



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