道路レポート 十和田湖八甲田山連絡道路 その4
2004.6.25


 松森のヘアピンカーブ  地図で確認
2004.6.16 10:42


 上のマークをクリックして、是非地図をご確認頂きたい。
この松森のヘアピンカーブは、御鼻部口から11km地点にあり、どちらから入山しても、もっとも遠い場所になる。
一帯には一切の分岐や間道はなく、この地点より先に進めば、もう「戻る」という選択は、殆ど現実性を失うだろう。
考えるだけでも、いま来た道を戻るのはゴメンだ。
入山から、すでに4時間42分を経過している。

なんという、凄まじい難道なのだ!
自己ワーストの更新は、ほぼ間違いないだろう。

 山行が史上、最も難しい道。

道半ばで、もうその称号を手にしてしまった十和田八甲田連絡道路、果たしてこの先どうなるのか?!
その行く末にいちばん戦々恐々としていたのは、ほからなぬ私自身であった。


 180度ここで進路が転換される。
まさに、いかにも車道らしい大ヘアピンカーブである。
そして、ヘアピンの先には、遂に車道時代の遺構として、決定的なものを発見した。

いや、もうそれは大きなものであり、発見というよりも、遭遇という方が相応しいだろう。



 石垣である。

まだ芽の出ていない日影の木々の向こう、山側の路肩を形成しているのは、明らかに石垣である。
しかし、この石垣は崩落が進んでおり、今にも崩れ落ちそうな有様だ。
確かに、放置された時間が相当に長いという事もあろうが、もともと丁寧な石垣ではなかったという印象を受けた。
というのも、使われている石が不揃いだし、石と石との間にも隙間が目立つ。
明らかにテキトーな感じに積まれている石もある。

これまで、これと同じか、或いはもっと古い由来を持つ石垣を多数見てきたが、それらはどこも丁寧な仕事ぶりが印象的だった。
職人らしさを感じたものである。
しかし、ここは荒っぽい。



 各地の古道の石垣と、この道の石垣、その施工に感じられる印象の違いは、おそらく、工事を担当した人間の違いだろう。
例えば、立派な路傍の擁壁が大変に印象的な福島山形県境の万世大路。
施工は同じ昭和の初期だが、競争入札に勝利した一流の職人達が工事にあたっている。

一方、この道の由来を思い出して欲しい。

そう。
昭和初期の飢饉に端を発する農民達の貧困を救うため、県が「救農事業」として、雇用の創設を図る目的でここに道を通す工事を興したのだった。
穿った言い方になるが、この道が永く使われるかどうかなど、当事者達の興味の対象ではなかった可能性すらある。




 呪われている…

この道は、呪われている…。

ヘアピンの先に進もうとする私を、まるで鞭のような小枝が邪魔をする。
足元の踏み跡もますます曖昧になり、広かった道路のどこを進めば楽なのかも、自分で見極めて進む必要がある。
そして、その見極めの結果はひとつ。

どこを通っても、まったく楽ではないということだ。
地道な、ひたすらに地道な、1分で数メートルという苦行が、再開された…。



 ヘアピンカーブの先は、いよいよ黄瀬萢(おうせやち)に向けての登りとなる。
大きなS字カーブの2kmを全うすれば、そこが黄瀬萢。
廃道区間の脱出ポイントと目される地だ。
まだまだ登りは緩まないが、そんな勾配など問題ではないのだ。
とにかく、道がしっかりと存在することが第一で、第二には、出来る限りチャリに跨って進める区間が多く存在すること。
時速1km程度のペースがこのまま続くとすると、本当に日暮までに脱出できない恐れが出てくる。
それでも突破できれば良い方で、万一道を失うようなことにでもなれば、遭難死という最悪の結果も充分あり得る。

私は、必死だった。
マジで。




 ヘアピンから30分を経過した午前11時10分、私は、おそらく500mほど進んだだけの地点にあった。
余りにも速度が出せないことと、藪が深すぎて景色が全く見通せないことから、掛かった時間と推定される時速から算出した走破距離だ。

大谷地以来久々に、空が開けた場所に出た。
しかし、それはさらに困難な道を予感させるものだ。

灌木帯ほど漕ぎにくい藪はない。

それが、私がこの日これまでで学習した、藪術の一つであった。



 黄瀬萢への登り  
11:17


 森林限界が近いのかも知れないと思った。
この場所の標高は、1100m近い。
私が山チャリを覚えた頃によく登った秋田市の太平山では、標高1100mを越えたあたりに森林限界があり、鬱蒼としたブナの森から笹原に景色が一変するのを思い出す。
この八甲田に於いても、同様の景観が展開される可能性は高い。

そうなると、この先に待ち受けるのは、「最も困難な灌木帯」ではなく、「突破不可能な笹藪」(←経験上、密度の濃い笹藪はチャリでは絶対に突破できない!)だと言うのか!

それだけは、勘弁して欲しい。
もう、私には戻る時間がない。 冗談抜きで!



 上の写真に写っているのは、黄瀬谷を挟んで反対側にどっしりと構える乗鞍岳(1450m)だ。
この先越えねばならぬ地獄峠とは、この乗鞍岳の裏側だ。
もちろん、正面切ってこの山に登っていくわけではなく、まだしばらく先のことなのだが。

よく見ると、その乗鞍岳の山腹に、まるで鏡のように光る水面があるのを見つけた。
鬱蒼とした森の中に輝くそれは、近づいて見たらばどんなに美しいのだろうかと期待させる。
それが黄瀬沼と呼ばれていることは、登山地図を見れば載っている。
メーンの登山道からは離れた場所らしい。
あれは遠くから見るのが一番幸せなのだろう、きっと…。

そんな気がした。




 草地というのは、藪としては派手だし、一見難しそうだが、足元の確保さえしっかりすれば、意外に容易にチャリでも突破できる。
灌木は、背が低いのでまずまずの視界が確保され道を把握しやすいという良さはあるが、突破は想像以上に難しい。
下枝が払われていれば切り株や出っ張りだけに気をつければいいのだが、このように全くの放置となると、枝がチャリに絡みついてきて漕いでは進めない。



 もう、じたばたしても始まらないので、午後12時30分を黄瀬萢到達目標時刻として、時速1kmを確保して進むことに専念した。
このあたりに来ると、もう大概の藪の景色が、今までの繰り返しにしか見えなくなっており、突入に躊躇する様な場面はない。
とにかく、時間と体力さえ持てば突破は出来そうだという見通しは立っていた。
問題は、正にそこなのだが…。
とにかく、この道の藪の傾向が分かった。

その傾向とは、「とにかく足元を見よ!」 である。

一見して道が判然としない場面でも、地肌を見れば、そこに踏跡が確かに続いているのだ。
一年間で見ればここを通る物好きは少ないだろうが、その歴史の長さ故、草など刈られなくても踏み跡だけは結構はっきりとしている。




 しかし、そんな悟ったような私でも、冷静ではいられない「発狂ゾーン」も確かに存在する。
写真のような場所がその典型例であり、チャリが完全に絡み取られ、もう前にも後ろにも動けない。
こんな時、怒りに身を任せてチャリを引っ張っても余計疲れるだけであり、絡んだ紐を解くように、一つ一つの枝を解除していく。
とにかく、時間が掛かる藪である。
忍耐の藪である。


 

 ああ、何故チャリと一緒に来ているんだろう。

独りだったら、それなりに気持ちのよい登山になっただろうな…。

チャリ、邪魔だし。
間違いなく、チャリ邪魔。

でも、いつかみたいにチャリを放棄するわけにはいかないのだ。
ここでチャリを捨てれば … …

「ねえ、ママ。」
 「なあに、ぼうや。」
「なんで、こんなところに自転車が置いてあるの?」
 「それはね、昔、ヨッキれんという人が、遂に耐えられなくなって乗り捨てて逃げ出したのよ」

「(プッ)恥ずかしいね、ママ。」
 「そうね。」

などと言うことになるのは目に見えている。




 私は、余りにも代わり映えのない藪がひたすら続く中でも、写真だけは撮り続けた。
もう、二度と来ない事が、間違いない道だからだ。
こんなに自然に還ってしまった車道には、もう出会えないかも知れない。
ヘアピンを越えて最初こそ石垣があったりしたが、森を出てからは殆どどこまでが道路敷きだったのかすら分からない場所を、赤テープや踏跡に導かれて、それだけを頼りに進んできた。


 ここまでの6時間弱で、私の下半身は、今まで見たことがないほどに汚れた。
靴がグチョグチョなのはいつものことだとしても、ズボンの汚れ方など、膝下全体が、汚れが刷り込まれて別の色になっている。
ちなみに帰宅後、このズボンは予後不良となり処分された。

この状況で、私はボイスを吹き込んでいた。
ここをクリックして聞いて欲しい。

やばかったんだなー 俺…。(しみじみ)
我ながら、自分の声じゃないみたいだ。



 午前11時49分。
湿原に近い、草地が路傍に出現した。
その向こうには、前回見たときからビックリするくらい近くになった櫛ヶ峯の、残雪に覆われた山頂が見える。
いよいよ、黄瀬萢が近いことを感じた。

それにしても、この櫛ヶ峯の接近は衝撃的に嬉しかった。
なんせ、前回この山を見たのは、の大谷地辺りで、それから3時間半も経っている。
今や手が届きそうなほど、その山頂は近くになったのだ。




 まだまだ道は困難だ。
だが、ヘアピンの前から、その先のしばらくまでが、精神的には最も苦しかった。

進むにつれ、様々な新しい景色がもたらされ、私の元気はその都度補充されていくのである。





 再び湿原が現れる。
いよいよ海抜は1200mに近づいた。
よもやこんな廃道で、これほどの高所にチャレンジすることになるとは。


 湿原から流れだす小川。
長閑な早春の景色だが、里ではもう夏が近い。

体力的な疲弊は間違いなく進んでおり、その証拠に、私はここで寝てしまいたいという衝動に駆られた。
そんなことをすれば、私は今日中に脱出できなくなる。
この登山コースは日帰りが出来ないと、ガイドには記されている。


 再びボイスを聞いて頂きたい。

ここをクリック!

「足がガクガクしている。」

この発言は、足だけが取り柄の私としては滅多にない、緊急事態である。
過去を鑑みれば、あの主寝坂旧道で同様な状況に陥ったが、それとて、脱出寸前だった。
しかし、いままだ最高所にも到達しておらず、しかも、さらに凶悪な藪が眼前に出現したのである。

その状況で、「足がガクガク」。
本当にピンチだった。


まだまだ苦難は続く。
いい加減、皆様もお腹一杯?

それとも、もっと、藪と戯れて欲しい??
もーかんべんして!







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