愛知県道424号振草三河川合停車場線は、大都会名古屋を擁する愛知県にあって、その貧弱さを一目を置かれる県道だ。
全長21〜22kmの路線なのだが、途中に二つも自動車が通れない不通区間があり、起点の東栄町振草(ふりくさ)と終点の新城市川合を結ぶ役割は全く果たせていない。
さらに供用中の区間についても、他の県道や国道との重複区間を除けば(実は重複区間もそのほとんどが)1車線の山岳道路であり、まさしく“険道”である。
これが最近認定された路線というわけでもなく、認定は昭和47(1972)年なのだが、未だにこのような状況だ。
ここでいきなり本題とほとんど関係ない話をするが、この県道の終点は、JR飯田線の三河川合駅である。
そしてこの終点付近の道路地図の切り抜きを左に表示しているが、見れば分かるとおり、実はこの県道、ギリギリのところで国道151号とは接続していない。接続しているのは、国道151号の旧道である。だからなんだと言うことだが、小縮尺の地図だと国道151号から分岐しているように見えるのに実際はそうではなく、目の前の国道にそっぽを向いて不通区間へ旅立っていく経路の面白さを伝えたかった。
ちなみに起点も国道151号の近くにあるが、やはり直接接しておらず、路線番号的には格下である県道431号を少し介して接続する形になっている。結局この県道が接している国道は中間部で出会う国道473号だけだが、その前後は不通区間である。侘しいことこのうえない。
この侘しき県道については、平成25(2013)年にほぼ全線の探索を終えているのであるが、レポートは未作成である。
そして今回紹介するのは、この県道の不通区間ではなく、この県道が認定されるより前(昭和47年より前)に廃止された区間である。
廃止の理由はズバリ、ダム湖への水没だ。
@ 地理院地図(現在) | |
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A 昭和46(1971)年 | |
B 昭和26(1951)年 |
二つの不通区間で細切れ状態であるこの県道だが、最も終点寄りの区間は、鳳来湖に通じる道路として唯一無二の存在である。
現在の新城市東部にあった旧鳳来町の名(有名な鳳来寺山があるところ)を冠するこの湖は、昭和33(1958)年に豊川水系の宇連川を堰き止めて完成した宇連(うれ)ダムの人造湖だが、湖面を取り囲む巨岩聳立する山々の景観や、行き止まりの県道でしか辿り着けないプチ秘境感などが愛されており、知る人ぞ知る“映え”のスポットになっている。
元は国営の大規模灌漑事業である豊川用水の水瓶として整備されたダムであり、現在も主にその用途に使われているが、大きな人造湖ながら水没戸数はわずか6戸と、はじめから交通不便な山深い山峡の地に築かれたダムだった。
右図は3世代の地形図を比較しているが、B昭和26年版だけがダム以前の地形風景である。
後に湖底となった範囲には、道路が1本描かれているくらいで、これといった集落は見られないし、地名の注記もない。
ただ、この道をさかのぼっていった上流、不通県道の終点がある設楽町の区域内に、同町の中心市街地からは二つも山を隔てて遠く離れた宇連集落がかつてあり、湖底の道路はそこに通じる唯一の車道だった。ダム完成時に道路は湖畔へつけ替えられたが(それが後に県道に認定された)、現在は宇連集落の人口はゼロである。
今回探索するのは、この宇連集落へと通じていた、県道に認定される以前の道路であり、その在処は干上がった湖底である。
昭和33年というかなり早い時期にダムの湖底となったこの道だが、宇連ダムにはしばしば激しく渇水して湖底をたくさん露出させる悪癖があり、特に昭和60年と令和元年には、禁断の貯水率ゼロとなったことが知られている。
特に令和元年5月19日の貯水率ゼロ時には、SNSなどでその風景の“映え”が広く拡散されたこともあり、ニュースとして報道されるほど多くの見物人が訪れた。
私も貯水率ゼロには大いに興味を引かれたが、ニュースで見たあまりの過熱ぶりに尻込みし、その後少しだけ貯水量が回復した5月23日に訪れたのが、このレポートである(案の定少しでも水位が回復した後は、見物人の姿は全く見えなかった)。
それでは、貯水率10%の宇連ダムに露出していた、古き良き名も知らぬ道の景色を、ご覧いただこう。