茨城県道61号 日立笠間線  前編

所在地 茨城県日立市〜常陸太田市
公開日 2007.6. 5
探索日 2007.4.14


 主要地方道日立笠間線は、茨城県北最大のまち日立から、常陸太田を経て内陸の笠間市までを結ぶ、全長約50kmの県道である。
このうち、起点に近い日立市大久保から常陸太田市亀作までの約7kmは、丘陵的な山地帯を横断する区間で、市境を跨ぐ約800mの不通区間がある。

 右の地図を見て分かる通り、この不通区間を含む山越えの区間は、日立市と常陸太田市を結ぶ最短ルートにあたり、古くからその必要性が認識された道であった。
そのことは、昭和27年に現行の道路法が施行された最初の府県道認定時において、既に、「一般県道132号常陸太田多賀線」として、現在の日立市河原子〜常陸太田間が指定されていることからも伺える。

 だが、未だにこの県道は開通していないという。
はたして、この僅かな不通区間はどのようになっているのか。
芽吹きのシーズンに合わせ、日立市側から不通区間を目指した。


短い不通区間に何があるのか。

日立市大久保 


2007/4/14 10:48 【現在地

 この県道61号の起点は、海岸に沿って走る国道245号の河原子交差点であるが、不通区間の入り口となるのはそこから1.7kmほど内陸へ入った、この大久保交差点である。
県道はここで地域最大の幹線である国道6号を横断するが、ほんの50mほどだけ、国道と重なっている。
そして、この国道6号を挟んで、県道61号は、まるで別の道になる。
不通区間を後方に控えている、大久保から西へ向かう分岐には青看一つ無く、そこは地元の車が出入りするだけだ。



 交差点から入ってすぐの景色。
国道との交差点には、なかなか青にならない交差点があり、県道の側に車がよく並んでいた。
道は2車線ギリギリの幅しかなく、その為かセンターラインは描かれていない。
実際の山間部へ入っていくまでは、ここから1kmほどある。
残念ながら、辺りには特に、県道であることを示すようなものは見あたらなかった。



 入り口から200mほどで、丁字路に突き当たる。何の案内もないが、地図に従って左折する。
その先もいくつかの交差点があるが、いずれも直進する。分岐を過ぎる度に通行量が減っていくのが、目に見えて分かる。

その途中、こんな変わった看板を見付けた。
なんだか、最近激減した頑固爺の作っぽい。良いダシが出ている。



10:54 【現在地

 出発から1kmで写真の分岐点に着く。
ここを右折するといよいよ山間部に入る。常陸太田市との市境となる峠までは、ここからさらに2.5kmほどある。
ここまで県道を示す標識は何もないし、ただの市道と区別が付かない。
それに、この先は通り抜けできないと言った告知も見られない。



 目指す峠の標高は270m。そこまでの標高差は約240mほど。
分岐の先は、最初こそ厳しい勾配があったが、配水場への分岐を過ぎて杉林に入ると、比較的緩やかとなる。
ゴミの不法投棄対策で、道路端に鉄パイプのフェンスが組まれているのは残念だが、鬱そうと茂る杉林はミントのようないい匂いに満ちており、私を爽快にしてくれた。

林をひとしきり走ると、またキツイ登りが現れ、病院との分かれ道がある。その辺りにある数軒が、沿道最後の民家だ。



 突如豁然して、道路ごとに谷を跨ぐ巨大な橋が現れた。

私は少し気圧されながらも、手許の地形図から、これが常磐自動車道の高架橋であると理解。
だが、それは勘違いだった。
実は、最新の地形図にも描かれていない道が、ここに生まれつつあったのだ。



 また、この巨大橋の真下には、初めて通行止めの予告標識が現れた。
「どんと来い!」 そんな気持ちである。



 頭上の橋が常磐道のものでないと分かったのは、その橋の目と鼻の先に、改めて、谷を跨ぐ2本の橋が現れたからだ。
そして、この2本の橋の上には見慣れた緑色の標識があり、たくさんの車が駆け抜けていく。

であるならば。
今くぐってきた方の橋は、一体何だったのだろうか。
地図にないのが気にかかる。



 例の橋の下まで戻り、周囲を見渡してみたが、頭上の橋の正体は分からなかった。
また、私のいるこの道とどこかで繋がっているかとも思ったが、そんな場所もない。
ちょっとむかついた。
だって、俺は県道…それも、その中でも格上の主要地方道だぞ。
それが何だ。
なぜみんな俺を無視するんだ。
高速はまあ仕方ないとしても、この頭上の橋は何様のつもりなんだと。
せめて、取り付け道くらい作りやがれ。



 不通であるゆえに冷遇されているであろう、可哀想な県道に要らぬ肩入れをした私は、この“偉そうな”橋の正体を確かめるべく、強引によじ登ってみることにした。
そして、これは思った以上に困難だった。
まだ出来上がって間もない橋らしく、つき固められたばかりの法面をよじ登るのは、大変に骨が折れた。

 苦労して橋の上に来てみると、そこはまだ開通していない道だった。
橋だけはすっかり出来上がっていたが、その前も後ろも、まだ工事中だった。
この日は工事は行われていないようだったが。

橋の名前も分からずに撤退したが、帰宅後調べてみて、この橋ならびに道の正体が分かった。

 右上の地図で赤い点線にて示した道は、現在不通である県道61号のバイパス計画路線である。
高萩土木事務所のHPなどによれば、このバイパスの計画が現在進行中であり、特に大久保から石名坂までを優先して整備するとのこと。
一部区間では既に工事が始まっており、それがこの橋の正体だった。

ただし肝心要、通行不能を解消する真弓トンネル(仮称)のある石名坂〜亀作の区間は、まだ着工の見通しさえ立っていないという。
現状ではあくまでも国道6号の渋滞を緩和する並行路線の整備という目的が大きいようだ。
どうやら、この不通区間はまだ当分残りそうである。




 不通の歴史を感じさせる道


11:08 【現在地

 無礼と思った橋の正体は、実は将来の自分、不通を解消してくれるかもしれないという、希望のこもった自分の姿であった。
しかし、探索の時点ではそれを知らず、将来の改良工事は、足元のこの道をベースに行われるものと疑っていなかった。

 ああ 無情。

この県道は、 いずこへ行くのか。



 真弓神社入り口と書かれた木製の標柱が立つ分岐(上の写真)を過ぎ、いよいよ本格的な山岳道路の様相を呈してきた。
道幅は2車線分あるのだが、当然通行量が少ないので、両脇は泥が溜まっている。アスファルトもひび割れている。
せっかくコンクリートで施工された法面も、まったく清掃されないものだから大変な苔まみれ。
かなり哀愁漂う道路風景となっている。



 うんこくろだ  ムッツリ小又

苔むした壁は、小学生の落書き場と化していた。
しかし、いったい何しにこの奥へ行ったのだろう。まさか通り抜けたのか?



 沢底に敷かれた道は、右に左に蛇行を繰り返しながら、着実に高度を上げていく。
この写真で分かるとおり、結構道幅は広く、殆ど消えてはいるが路肩に白線も敷かれている。
将来的に開通する見込みのない道をここまで整備することは無いだろうから、かなり以前は、このルートを延長して不通区間を解消するつもりだったのだろう。



 道は沢を埋める形で作られているので、側溝は小さな川の役割をしている。
しかし、流れる水は妙に白く濁っていた。
これは果たしてどうしたことか。
行く手に、何かがある?



 さらに進む。
先ほどはコンクリートの屈強な法面があったが、どうしたことか、進むにつれ、険しい法面も地山のままとなった。
敷かれてから、一度も補修されたことがないと思われる舗装は、至る所に亀裂が入り、土を露出させている。



11:19 【現在地

 入り口から2.7km地点。
大きなカーブを境にして、遂に舗装は途切れた。
地図で確かめると、峠まではもう700mほどだが、もう少し先までは県道の色で塗られている。
通行止めが先か、行き止まりが先なのか。



 にしても、未舗装でありながらこの道、異常によく搗き固められている。
お陰でとても走りやすい。舗装とほぼ同じ感覚で走れる。
それに、妙に白い。
白さの訳は、路面に多数の石灰の礫が敷かれているためだ。
もちろん、自然にこんな路面が出来るわけもなく、石灰石で舗装したのだろう。
変わった道だ。



 そして、いよいよ通行不能へのカウントダウン再開。

この道に入って二度目の告知である。
石灰石舗装による白亜のロードが美しく続いているのだが、本当にこの道は終わってしまうのか。
看板には、「この先」と「全面通行止」の活字に挟まれて、手書きの「通行不能」の文字が、書き足されていた。




 上の写真の直線が終わらないうちに、ついに「その時」は来た。

立ち入り禁止のゲートである。

だが、あくまでも「車両進入禁止」のようである。



 さらにゲートへ近づいてみると、手書きの注意書きがあった。

 この道は通り抜け出来ません!!
石の倉鉱山

 「 !! 」の記号の上下が反転しているのはなぜか分からないが、ともかく、この石灰石の舗装の理由は分かった。
単にこの先に、石の倉鉱山という石灰採石場があったのだ。


 道ばたに置かれていた意味深なゴミ。

女児用の長靴1足と、それを取り囲むように置かれた、幾つもの「甘酒」の空き缶。

これは何のまじないか。



 ゲートは驚くほど脇が甘く、やはり自動車以外の通行を阻止する意図はないようである。

越えて100mほど進むと、広場にような場所に出た。
ちょうどゲートの場所で沢を上り詰めた形になっていて、既にここは稜線にもほど近い山腹である。
広場の周囲は若い杉の植林地になっていて、以前はここも採石場だったのかも知れない。



 シャッターの下ろされた小屋のような建物の傍に、この場所の解説板が立てられていた。
曰く、「育種素材保存園( Breeder's stock garden)」という施設だそうだ。
初めて見聞きする言葉だが、下に詳しい解説文があって要約すると、材木として優れた特質を示した精鋭樹のクローンを育てて研究する施設、とのことだ。



 保存園では、数本の細い車道が分かれていったが、最も太い直進の道が県道である。
植林地を過ぎ、緩やかな登りはいよいよ市境に近づくが、依然として幅広のダートが続く。
間違いなくここが県道であるはずだが、何もそれと分かるようなものがないのが寂しい。
辺りには、最もありふれた「石標」(○○県などと書いてあるヤツ)さえ見あたらない。
手許の地図帳では、まだこの辺りは県道として色塗りしてあるのだが… 実はもう私有地に入っているのだろうか。




 地形図を文字通り片手に握りしめながら走る私は、この分かりにくい分岐を、見逃さなかった。

わずか800mほどの不通区間ではあるが、まったく道を失って越えられるほど甘くはないし(チャリ同伴ならなおさらだ)、そもそも、何もない原野を乗り越えてというのは、ロードハンターとして楽しいものでもない。
やはり、かつてはあったかも知れない道。
或いは、地図には明示されないが、不通区間を結びつけるために存在する道。
そういったものを見いだして、峠を越えたい。

そう願うなら、この分岐は見逃してはいけない場所である。

当然のように、ここは左だ。
不通区間突破のステージが始まるのだ。




 次回、 後編。