主要地方道久慈岩泉線 滝地区旧道 前編  

探索日 2006.05.03
公開日 2006.08.10
周辺地図

 『道路トンネル大鑑(土木界通信社発行)』巻末の昭和42年の道路トンネルリストによれば、当時岩手県主要地方道久慈岩泉線には、3本の隧道があったようだ。
そして、平成18年現在でも道路線は名前も変わらずに存在しているのだが、地図で見る限り隧道はかなり増えているようだ。
机上での調査を行った結果、リストにある3本の隧道はいずれも旧道上に取り残されているであろう事が判明。
現地調査と相成った。

 レポート範囲は右の地図の通りである。
私はここを北側からチャリで通過しつつ探索した。




隧道を探して旧道を巡る旅

湖底に眠る旧県道

 鯉のぼりがかわいいこのダムは滝ダム。
ここが今回のスタート地点だ。


 滝ダムは、変わった景観で知られる。
このダムの堤体から下流を見下ろすと、手に取るほど近くに市街地が見える。
それだけでも珍しいが、その向こうには、大きな入り江に小島が浮かぶ久慈湾が鮮明に見える。
ここは、全国でも珍しい「海が見えるダム」なのである。

 ダムサイトの駐車場に車を止め、この景観を背にして上流へと走り始める。
旧隧道3本を探しに出かけよう。



 主要地方道久慈岩泉線(岩手県道7号)は、昭和57年に完成した滝ダムの脇を、いくつかのトンネルと橋梁で通過している。
そこに敷かれた道は、いかにもダムのために付け替えられた道らしい、ありきたりなもので、自然と私の興味は湖に沈んでしまっただろう旧道に注がれる。



 しかし、険しい長内川の谷底に満ちた湖は深く、その水面さえ道路からは遙か下方にある。
鏡のように静かな湖面には、近付きがたい空気が満ちている。



 だがよく見てみると、こんな険しい湖岸にも、かつて道が存在した痕跡は鮮明に残されていた。
今や近づく術のない対岸の崖に、掛けられたままになった落石防止ネットの姿。
あの下の濃い緑の底に、一車線の狭い県道が眠っているのだろう。
そのすぐ先には、掘り割りによって取り残された小島らしき物も見える。
水位が下がれば、或いはたどり着くことも出来るかも知れない…。  



 滝ダムはそれほど大きなダムではなく、それが形作る湖も、痩せたサツマイモのような形をしている。
そして、ダムサイトから1kmも県道を走れば、もう水面は川の姿を取り戻しはじめる。
ちょうどその境の辺りにあるのが、湖を一跨ぎにするこの白山大橋である。
そして、橋を渡るとそのまま滝トンネルに続く。

 この場所からは、離水したばかりの旧道が水面ギリギリの谷底に見えている。
しかし、橋からは着水地点まで一望できてしまうため、むしろ行ってみたいという衝動は湧きにくい。
旧道は湖底の泥によってかなり埋もれているようだが、歩くことは出来そうに見える。



 私と同じ年生まれの滝トンネル(全長378m)を潜り抜けると、そこは大変な断崖の縁に取り付けられた道である。
そして、ここから谷底を覗き込むと、既に渓流の姿となった長内川が波濤をあげている。
この一帯は長内渓流と呼ばれる景勝地で、辛うじて水没を免れた。

 そして、この滝トンネルが短絡する断崖を迂回するようにして、旧道上の2隧道はある。
それぞれ大滝第一、第二の隧道である。
廃道であることを覚悟(=期待)してきたが、ちらりと見えた崖下の道の様子は、ちょっと違うようだ。



 滝トンネルを出た時点では、旧道と現道とはかなりの高低差があるのだが、200mほど進むと旧道が強引に現道の高さまで登ってくる。
そしていよいよ旧道へと戻るようにして入っていくわけだが、分岐地点は立派な東屋の建つロードサイドパークに整備されているばかりか、思いがけず「遊覧船のりば」の横断幕が。
さっきの小さな湖は、ちょっとそんな賑わっている雰囲気ではなかったが…。マジでやってんの?
駐車場にも車一台駐まってないんですけど。(ちなみにこの日は土曜日)



 あったー! けど…。
正直、探してきた物とは違うな〜(苦笑)


 公園道かよー(落胆)

 「やられたー!」
というのが私の感想。
一歩遅かったぽい。
おそらく、数年前までは廃道かそれに近いような道だったと思われるのだが、NPO法人「やませデザイン会議」によって社会実験としての「滝ダム湖遊覧船事業」が行われているのだ。
旧道の再整備は、この遊覧船乗り場へのアクセス道路として行われたのではないかと思われる。
 なお、この遊覧船は平成18年の4月〜8月と12月の一部期間に就航の予定となっている。
 …失礼だが、周辺施設も全くないこの山中のダム湖で、お金かけてまでやるほど需要あるのかなと思ってしまう。
ま、だから社会実験なのだろうけど…。



 旧道の線形や2つの隧道の見え方、足元の渓流の美しさなど、素質は十分によい。
それだけに、旧道感というかわびさびを感じさせない再整備の有り様にガッカリさせられる。
いやほんと、景色は申し分ないんだけどね〜。
おそらく読者の皆様の多くもそうだと思うのだが、この景色はどうも熱くないんだよな…。
一流の素材で料理したのに、味付けが悪いって感じ?



 鋪装された下り坂を滑るように走っていけば、あっという間に一つ目の隧道が現れる。
トンネル大鑑によれば、これが大滝第一隧道である。
(大鑑では名称がそれぞれ「大滝一」「大滝二」となっている、これが誤植でなければ、変わった名の隧道と言わざるを得ない) 全長は25m、幅4.3m、高さ3.3m、素堀未舗装と記録がある。



 どうにも遊歩道感を拭えない洞内の様子。
素堀にコンクリ吹きつけの不気味さも乏しく、路面も綺麗すぎて萎える。
せっかく再整備したのだろうけど、願わくば現役当時の姿を見たかった。
この狭さから言って、かなりエキサイティングな隧道だった可能性もある。



 そしてすぐに大滝第二隧道が現れる。
かなり荒々しい坑口であるが、本来の岩盤の色合いは坑口左側の岩場のようであって、坑口上の岩場はすべて薄くコンクリートが吹き付けられている。
この程度の吹きつけでは、根本的な危険回避にはなり得ないだろうが、とりあえず旧道らしさを隠そうという配慮は徹底している。
観光客を呼ぶには、雑然とした廃道や旧道などマイナスでしかないと考えられているのかも知れない。
もっとも、そうではないと熱弁をふるう気にもならないが。
 こんなに小綺麗に生まれ変わった旧道を見ていると、この道が昔生み出されてより、険しい地形の中に黙々と役目を果たし、遂にそれを全うしたという歴史が、うわべの化粧によって隠されてしまった虚しさを感じる。
この道には、秘めたる歴史が感じられないのだ。



 無論、上記のような私の意見など、懐古主義の戯言でしかないことは、百も承知だ。
いままでだって、こんな風に私の気持ちにそぐわない姿に変わってしまった旧トンネルを無数に見てきた。
そして、そんな物の大半は、こうして山行がにも紹介されることなく、没ネタとなっている。
それだけのことだった。



 ちなみに、この大滝第二隧道は延長20m、幅員などは第一隧道と同様である。
ご覧の通り、かなり狭い隧道であり、大型車は通ることが出来ない。
滝ダムが起工する昭和47年前後までは現役だったと思われ、岩手県内の北上山地には比較的随所に見られる素堀隧道のなかでも、かなり狭小な部類に入る。
なお、トンネル大鑑によれば、第一第二隧道とも竣功年は不明とのこと。
 一帯はかつて南部牛方と呼ばれた馬商集団が闊歩した地域であり、彼らが生活のために山河に張り巡らせた道の一部は、現在の幹線道路となっている。
南部地方の主要な町であった久慈(太平洋岸)と、内陸の中継地岩泉を結んだ長内川沿いのこの道も、かなり古い歴史を持つものと考えてよいだろう。
民間の施工によった為か、土木工事として記録に残っていないこんな隧道の起源は、思いのほか古いのかも知れない。


 ……。

 管理人らしいオヤジ一人と、所在なさ気に浮かぶスワンボート2匹に屋形船一艘。

寂しすぎる!

俺の楽しい廃隧道をダメにしてまでやるほどの遊覧船なんなら、もう少しがんばれよー(涙)。
客はどこなの? 客は。

 なんだか、あんまりわびしい景色で、船頭らしいオヤジが気の毒になってしまい、真っ直ぐ水没ゾーンに続く廃道には行きませんでした。(というか、さっき白山大橋から見た景色で全てなので)
誰も見なかった、来なかったことにして、私は引き返したのであります。
社会実験という名の墓標を我は見たり。


 次回後編では、残る一隧道の捜索を行う。
 私の期待に沿う景色の出現に、血踊り肉湧き上がる?ので ちょっと期待してマテ。