絶語的下り 後半戦
2005.4.27 11:29
6−1 これだけ下っても、まだ、途中だった
さて、
全開前回は中途半端に終わってしまったが、今回でビシッと決めるよ。
とりあえず今の現在地は、左の地図をごろうじろう。
はい、めちゃくちゃ山腹にいます。
しかし、この等高線の密度、絶対車道が通るようなムードじゃないですね!
真面目な話、前回ちょっと出た「四十八曲の難所」というは、私の自作ではなくて、本当にかつて峠が現役だった頃はそう恐れられていたそうな。
確かにこの猛烈な急勾配と連続屈曲は、たとえ県道に指定されてはいても、今後も絶対に車が通る日もこなさそう。
ここにヘキサの一本でもあれば、日本有数の道路名所に仲間入りできたことだろう。
たった15分で標高は150mも下ってきた。
それでもまだまだ、遠くの眺めは良好。
斜面があまりに急角度のため、木々もあまり視界を邪魔しません。
向かいに早坂高原を見ながら、下っていく、
と言いたいところだけど、
実際の走行中は、目前のグリップと前輪直前の地面以外に視線を遣る余裕はない。
路面状況としては、それが路面だと言うにはお粗末な枯葉の絨毯や土肌だし、そこに浮き石や枯れ木、倒木などが頻繁に現れては障害物になっている。
そのうえ、予想の出来ない急カーブの連続と、この勾配。
引きっぱなしのブレーキレバーの引きしろが明らかに増えてきている。
それだけ、目に見える速度でブレーキパッドが削られてきているか、或いは固定の甘いパッドがあまりの重圧にずれて来ているか…。
ベーパロック現象が発生しそうだぜ!
(注:作者は自動車学校を卒業した手なので、ついついそういう言葉を使いたがりですが、これは間違った用法なので注意。どちらかと言えば、フェード現象?それも違う?)
ふたたび、石が路肩に並べられている様に見える場所が、あった。
しかし、現在の九十九折りの道筋からは、どうも微妙にずれているし、勾配も緩やかに見える。
あっちの方が、全然良い道ジャン?
かといって、あそこが路面なのかどうかも判然としないのが正直なところ。
あんな緩やかな角度ではとてもこの急斜面は登り切れまいよ。
或いはあれは、道の跡ではなく、急斜面に数段の平場を築いて何らかの施設が存在した名残なのだろうか?
これについては、なお情報を求むと言ったところだ。
そしてはじまった、第二の九十九折り。
最初の九十九折りに勝るとも劣らぬペースで、落ちるように斜面を下っていく。
カーブの先端部分だけ地面が掘られているところが、無理矢理感でいっぱいだ。
ここは、ボブスレー競技コースの廃墟か?
なんつー県道だ。
6−2 沢の音が聞こえてきて…
いつ転倒するかとヒヤヒヤしながらも、もう楽しくて仕方がない私が居る。
そこに、確かに道の痕跡は存在し、その跡を辿る度に、衝撃的な、非常識的なカーブが次々と出現しては、私の中の常識を打ち破ってくる。
下ってきた道を、振り返ってみた。
そこにあったのは、斜度30%は下らないだろう、まるでスロープか、インクライン跡のような道だった。
この道を、下から上へと上れば、足がめちゃくちゃ太くなっちゃいそう。
…
nagajisさん、いかが? こんな苦行好きそうだけど??
いよいよ、この超絶下りにも終着地点となりそうな場所が見えてきた。
細い木々の向こうにキラキラと白く光る水面が見え始める。
それと共に、ザーザーという水音が届いてくる。
沢の名前は不明なれども、地形図にも描かれている、馬淵川の支流の一つだ。
県道は、最後はあの流れに沿って、下流の小屋ノ畑集落に下るはず。
だが、最後の下りも気が抜けなかった。
実況中継を、見ていただこう。
道を走っているようには見えないかも知れないが、一応、県道ですんで念のため。
(左の画像をクリックし、ダウンロードしてお楽しみ下さい。
動画はavi形式で、QuickTimeにて再生できると思います。WindowsMediaPlayerの場合は、コーデック次第で再生可能です。)
これは、あまり見たことのない缶コーヒーだ。
サッポロビールは、「JACK」という缶コーヒーブランドを展開しているが、あまり人気がないのか、ローソンでは一度も取り扱った記憶がないし、街角で出会うこともない。同社のコーヒーでややメジャーなのは、「かぶ飲みミルクコーヒー」の方である。
峠で拾った缶は、その「JACK」でもないようだ。
裏蓋には、「950610」の刻印があり、95年頃のものと考えられる。
レトロさで言えば序の口だが、現在は市販されていないコーヒーと思われる。(定番のロング缶「ジョージアオリジナル」を差し置いて発見されたのは衝撃的だった。)
なお、このほかに空き缶などのゴミの発見は皆無だった。
沢底が近づくと、ますます斜面は急になった。
道の痕跡は、斜面に刻まれた起伏だけである。
九十九折り一つで、3階建てのビルくらいの高度は一気に下っている。
ここまで、奇跡的に序盤の一度しか転ばなかったが、少しでもオーバースピードでカーブに突入すれば、間違いなく斜面に放り出された上に、林立する木々に強かに身を打たれることだろう。
みっ、見えたっ!
道だ!
谷底を糸のような急流が白く流れている。
その隣には、灰色の路面が見える。
砂利道が、直ぐ下まで来ている!
やった、とっぱだ!!
6−3 車道への生還
眼下に車道を見つけてからさらにヘアピンを1つ。
そして、遂に私は、谷底へと降り立った。
写真は、谷にぶつかる最後のヘアピンカーブ。
現在の下側からの車道の終点は、このヘアピンの10mほど下流である。
ここまで来ても轍一つ見あたらず、やはりこの「四十八曲の難所」は、これまであらゆる車輌を拒み続けてきたのかも知れない。
これが、葛巻側から登ってくる車道の終点である。
車数台分の駐車スペースがあるが、全く人気はない。
山菜採りのシーズンには、或いは入山する人もいるのだろうか。
山腹の随所には小さな福寿草が黄色い花を付け、木々の枝には蕾のような新芽が無数に膨らんでいる。
山が一斉に緑の守りを固める前に、私は山頂から、さながら春一番のようにに駆け下ってきた。
おそらく、雪解け直後のこの時期だけが、この道を探索する唯一の適期だったろう。
今下ってきたばかりの斜面を見上げてみる。
そこには、そう言われなければ分からぬほどに僅かであるが、たしかに道の痕跡が見て取れた。
斜面をジグザグに往復する、県道の姿だ。
現在地点の海抜は、約620m。
峠(海抜880m)からの距離は、おおよそ1km。
単純計算でも、その平均斜度は、なんと、26%にもなる。
この数字が、何よりも雄弁に、この道の真実を物語っているだろう。
葛巻町 小屋ノ畑
2005.4.27 11:41
7−1 最後の下り
最後に、今一度車道の終点を振り返る。
前々回紹介したばかりの、黒森峠頂上の終点には、インパクト抜群な通行止め標識が通せんぼしていたが、こちらにはそんな茶目っ気はない。
単純に、ドライバーが「こりゃ無理だな」と諦めるからだろうが、標識標示等は一切無し。
三方を急な斜面に囲まれた行き止まりである。
もし、あなたがこちら側からのチャレンジをするならば、登り口は…
この写真に写る巨石の裏にある。
この巨石を巻くようにして、一つめのヘアピンカーブが始まるのである。
オススメはしないが、わずか1km耐え抜きさえすれば、あの稜線に立てるのである。
天空の眺めも、一望に出来るのだ。
私は、今でもまだ、黒森峠からの景色が脳裏をよぎるときがある。
あの透き通る空を駆ける天風の音… それは、白昼夢の世界に私を誘いさえするのだ。
現在時刻は11時42分。
黒森峠を発ってから随分と走った気がしたが、実際には僅か30分足らずの出来事であった。
さて、この葛巻側の車道であるが、ここもかなりの急勾配である。
私の使い物にならなくなったブレーキでは十分に制動できず、なんどか足裏を地面にこすって制動するハメになった。
路面には砂利が敷かれており、さらに側溝まで用意されている。
だが、それだけ、である。
険しいのり面はなんら補強されるでもなく、並走する谷川の路肩もただ洗われるに任されている。
おそらく、かなり昔に県道としての最小限の改修はされた様子がある。
だが、素人目にはとても、延伸の見込みがあるようには見えない地形だ。
おそらく、改良工事も中途半端に終えられたのだろう。
最後のムービーは、峠の猛烈な下りを終えて、私の率直な発言が納められている。
このとき、私の愛車の後輪のパッドはゴムが殆どすり切れて、基礎部分の金属が直接車輪に触れていた。
結局、この事が原因で車輪側がすり減ってしまい、後遺症を残すこととなった。
くれぐれも、替えのブレーキパッドを持って旅をしたいものだ…。反省。
(左の画像をクリックし、ダウンロードしてお楽しみ下さい。
動画はavi形式で、QuickTimeにて再生できると思います。WindowsMediaPlayerの場合は、コーデック次第で再生可能です。)
来たぞ来たぞ!
集落が見えてきた!
ヤッタ オレハヤッタンダ!
黒森峠を、攻略シタンダー!!!
チャリを必至に制動しながら、相変わらず留まるところを知らぬ急な下り坂を、砂埃を後に下った。
7−2 コヤハタ村
黒森峠の前後共に、葛巻町である。
しかしながら、峠の西の吉ヶ沢と、東の小屋ノ畑との間には、900m近い稜線が聳えていた。
いま、その峠を1時間半をかけてやっと、突破したので ある。
馬淵川に臨む急な斜面の一部を切り開き牧野とし、川岸の狭い平地に数軒の民家を連ねた小屋ノ畑集落は、きわめて牧歌的でまるで絵本のような長閑さ。
そして、国道281号線が通過しているこの集落こそ、長かった主要地方道30号(葛巻安代線)の起点なのである。
この、唯一の脱出口に現れたゲートは重厚なものであったが、意外なことに解放されていた。
ゲートを振り返って撮影。
ゲートの先は、行き止まり地点までの800mほどがノンストップの急坂である。
終点にも一応Uターンできるスペースはあったが、この場所で引き返せよと言う内容の、吉ヶ沢側にもあったのと同じ大きな案内標識が立てられていた。
さらに、ゲートが閉められた場合に露出するように、ゲートには予め、別の看板が取り付けられていた。(次の写真)
冬期間の4ヶ月間は積雪のため封鎖されるとのこと。
積雪が無くとも通り抜けは出来ないわけだが、これでも県道と言うことで、岩手県ではちゃんと律儀に冬期閉鎖と解除の管理をしているようである。
このあたりは、秋田県も同じように丁寧な仕事をしていると思う。
そして、馬淵川の河畔にまで下ると、海抜はおおよそ400m。
峠との比高は450mを越えている。
これだけの高度差を、たった2キロと少しの道のりで駆け下ってきたのであるから、まともな道であるはずがなかったのである。
少し考えれば、分かりそうなものだが、やはり実際に来てみないと断定は出来ない。
なお、この黒森峠はこれまでのレポートや地図を見て分かるとおり、必ずしも地形的に緩慢な場所を選んではいない。
むしろ、黒森山という一帯の最高所を掠めるようにして峠越えしており、周囲の枝道が迂回路として車道化しているにもかかわらず本来の峠道だけが未だ不通であることからも、それが分かろう。
なぜこの位置に峠を置いたかだが、この道を主に利用した南部牛方にとっては、勾配の緩急よりも、その距離の短さこそが最も重視されていたようである。
なにせ、荷物を運ぶのは人力を遙かに上回る駆力を持つ牛。
さらにその積み荷は、太平洋岸から内陸へと回送される生鮮品が多かったのだ。
本県道の最終場面である。
それが、この民家の軒先をすり抜けて続く、国道までの僅かな住居連担区間だ。
この景色、
まさしく、一昔前の日本の道の景色ではなかったか?
現在では、殆どの民家の軒先まで舗装路が延びているわけだが、この小屋ノ畑では、いまだに砂利道が村内のメーンストリートである。
しかも、県道なのだが…。
7−3 国道281号線合流 県道の起点
黙っていても顔がほころんでくるような村の道は、100mほどで終わりを迎える。
そこで待ち受けていたものは、日本中のどこにでもある景色。
国道の姿であった。
そのアスファルトの感触に、私は長い戦いが終わった事を、実感するのであった。
そして、その余韻を確かめるかのように、最後に今一度、県道30号線の入り口を確かめる。
国道に対し、T字交差点で接続している県道30号線。
信号は当然なく、青看板すらない。
だから、国道を車で走っていれば、気がつかないドライバーも多いだろう。
それでも、一応ヘキサが立てられている。
律儀である。
そして、その表示内容を見ると、一度は満たされたはずのオブローダー魂が、再び燃え上がるのを感じるのだ。
僅か200m先で行き止まりと宣告を受けた県道。
忘れてはいけないのが、ここが起点だと言うこと。
すなわちこの主要地方道葛巻安代線、起点から200mで通行止めなのである。
そして、実際に1kmと少ししか車輌が進むことは叶わない。
あの、難所。
黒森山東壁が、絶対比高300mを持って、立ちはだかっているからである。
国道から見る、黒森山の姿。
その頂近くには鉄塔が見えるが、その景色、ほんの1時間前には間近で見ていた。
僅か2kmの道のりだが、それは万里にも思える隔絶であった。
峠をわたる天風の音、その冷たさ。
春の暖かさに覆われた集落にいて、それを想起させるものは、未だ雪に覆われた稜線と、大空を流れる雲の意外な早さだけであった。