道路レポート 清川村道 土山高畑線  第1回

公開日 2008. 3.25
探索日 2007. 1.10

 <周辺地図>

 首都圏を代表する水瓶の一つ、宮ヶ瀬ダム。
神奈川県の中北部、丹沢山系の麓に県内最大級の貯水池「宮ヶ瀬湖」が湛水を開始したのは、平成10年のことである。
都心からわずか50kmという好立地に加え、豊富な自然が色濃く残っていることから、現在では「ダム湖百選」にも選ばれる一大レクリエーションゾーンになっているのだが、この巨大な人造湖の湖畔に通常では辿り着く術のない…“不思議な橋”がある。
そしてこの橋は、観光客や釣り人など湖を訪れる大勢の目に、大変奇異な光景として映っている。


 私が“この橋”について興味を持ったのは、かれこれ5年以上も前のことだ。
当時の私は当然秋田に住んでいて、また、20年ほど前まで横浜に住んでいた時分には、この宮ヶ瀬のまだ沈んでいない道を走った事はあった筈だが、ともかく、見ず知らずの「宮ヶ瀬ダム」が興味の対象になる環境ではなかった。
それなのに私が“この橋”について知り得たのは、掲示板にある一枚の写真が文章と一緒に書き込まれたからだった。

 残念ながら当時の掲示板の過去ログは失われており、その写真も記憶の中にしかない。
だが、その印象は頗(すこぶ)る強烈であったために、ずっと忘れることが無かった。
そして、昨年1月4日に関東へ引っ越してきてから自分の足で最初に探索した1月10日、その行程に“かの橋”はあった。
まだ廃道というものへの興味さえ固まっていなかったの脳裏に染みついた、奇妙な橋の光景。
それは、廃道に生きることを決め関東へ越した私の目に、何を見せたのか…。


 いざ、わすれじの橋へ!



闇の向こうのルートエンド 

湖畔を行くと、見るからに怪しいゲートに遭遇


 右の写真は、湖畔の数ヶ所に設置されている案内板である。
このように、宮ヶ瀬湖の周囲には全て車道が通じており、その周回の距離は約25km(地図上より算出)である。

 これを見る限り、湖畔の道に途切れている箇所はない。
5年前ならばいざ知らず、現在では「辿り着く術のない橋」も、“開通”してしまったのでは無いか。そういう疑惑がまずあった。
東京へ越してきて1週間も経たない時期での探索であったから、特に下調べもしていなかった。
取りあえず、足慣らしを兼ねて湖畔を一周してみれば、何か手掛かりが掴めるのではないか… そんな目の粗い作戦であった。

 このままでは記憶の中の光景が幻で終わってしまう… そんな焦りを感じつつ、湖畔周回の行程を半分を終えようととしたそのとき、“怪しい光景”が目の前に飛び込んできたのであった。




 2007/1/10 12:57

 主要地方道70号「秦野清川線」の終点で、かつて水没する前の宮ヶ瀬の中心地に近い「宮ヶ瀬北原」交差点から、ダム湖の西岸を南下すること約2.5km。
途中一本のトンネルをくぐって進んでいくと、ご覧のゲートで封鎖された道が左に別れる。

 柵には「立入禁止」「ブラックバス放流禁止」といった主旨の二枚の看板が取り付けられており、しっかり施錠されている。
だが、隙間から奥を見ると、大きな橋が架かっていて、その上から釣り糸を垂らす数人の姿が見えた。
私も負けじとチャリを担いだまま高い柵を乗り越え、いざ村道「土山高畑線」へと踏み出した。




 釣り人が侵入しているとはいえ、見たところ冒頭のゲートはかなり堅牢な造りのもので、今まで様々なゲートを見てきた中でもかなり“本気度”の高いものである。

 そしてゲートを越えると、すぐにこの長大な橋で湖を渡る。
路幅は1.5車線で橋上に意匠らしい意匠のない極シンプルなものだが、この規模である。
どう考えても、莫大な予算をつぎ込んで建造された立派な橋である。
銘板が存在していて、「村道15号橋」という、余りに素っ気ない名前が示されていた。
もっと、“ふれあい”だとか“こもれび”だとか名付けそうなものなのに、意外である。

 釣り人の邪魔をすると良くないので、不本意ながら橋の上では撮影を自粛した。




 橋を渡ると、道は岩盤に突き当たって左へ折れる。
そして、県道の対岸を下流へ向けて湖畔に沿って進む形となる。
少し進んで振り返ったのがこの写真で、村道15号橋の極めてスリムなコンクリートアーチを一望できた。
橋長は約120mもあるが、このようにワンスパンで豪快かつスマートに渡湖している。
この日は見るからにダムの水位が高かったが、低水位をとったときには、相当に高さも際立つ橋になると思う。

 それにしても、この高さへ釣られる魚は辛い。
途中で針から逃れても、結局墜落のショックで死にそうだ。




 橋を渡って左に折れるとすぐに未舗装となった。
だが、路面はよく踏みしめられており、チャリでの走行には何ら支障を感じない。
ただし、そこはかとない“未完成臭”を感じる風景である。
というのも、例えば路肩にガードレールが無く、それを差し込むための穴だけがあったりする(上の写真にも写っている)。

 冒頭に紹介した湖畔に散見される案内看板では、この道は村道土山高畑線といって、私は高畑側から侵入したことになる。
そして、約4.7kmで県道64号「伊勢原津久井線」に土山峠で合流するように描かれている。
しかし、同じ道を最新の地形図を見ると、状況が少し違っている。


 はじめ見間違えかと思ったが、やはり地形図だとこの先で一部道が途絶しているところがある。
それは全長4.7kmのうち、いま私がいる高畑側から3.2kmの地点から先、たった300mほどだが道は描かれていない。

 これを信じるなら、この道は未開通であることになる。
しかし、そうであるとしても、「どちら側からも辿り着けない橋」というのは想定しがたい。
やはりこの5年余りのあいだに、どっちかからは接続されてしまったようなのである。

 まあどちらにせよ、通行止めにされている道の最後を見届けたいというのは、私の基本的な探索姿勢である。
このまま3kmほど先にある、地形図上の最終地点まで行ってみよう。




 路幅には余裕がない。
1車線の林道規格といった感じで、風光明媚な湖畔道路とはいえ、観光的な用途は余り考えていないのかも知れない。
いずれ供用されるにしても、せいぜい一方通行での利用に限られるだろう。
それに狭いだけでなく、湖面に直接落ち込む断崖絶壁の険しく切り立ったところを横断していくので、その光景はなかなかにアグレッシブだ。
未完成のせいかガードレールは全くなく、一般車を立入禁止にしているのも頷けるところである。




 将来的には待避所になるのか或いは駐車スペースなのか、岬状の地形を大分削り取って平坦地がこしらえられていた。
だが、道の左右で法面の施工が違うあたりも、やはり未完成を感じさせる。

 そして、この深い掘り割りを抜けると、道は再び狭くなって、二本目の橋に取りかかる。




 橋自体はすっかり完成しているが、今度は銘板が無いので橋の名前は分からない。
しかし、かなりの確率でこれは「村道14号橋」なのだろう。
これもまた、規模の大きな橋である。
渡られているのは、支流の「ハタチガ沢」で、この日は湖面が水面が橋の直下にも届いていた。

 なお、橋の取り付け部分(橋台と一体である)は、橋と同じ幅の狭い突堤のような所で、まだガードレールが無いので非常に恐ろしげだ。
やはり、この道は完成一歩手前といった感じである。




 14号橋よりダム湖方向を見下ろした眺め。
工事用道路と思われるスロープが、藍色の湖面に静かに呑み込まれている。
湖面は基本静まり返っているが、しばらく見ていたら、鯉か何か大きめの魚影が跳ねた。



 同橋よりハタチガ沢上流方向の眺め。

一本の林道が斜面にへばり付くようにして奥へ続いているのが見えた。
深い山は見慣れたつもりの私だが、こんな都会に面した山でもさほど変わらぬ深みを感じるものだと思った。



 橋を渡るとすぐに右へ一本の林道が分岐する。
「ハタチガ沢林道」の木製標柱が立っていた。

 地形図で確かめると、3kmほど谷を遡って行き止まりのようである。
こちらは村道で、向こうは林道である。管理者が違うのだから、冷静に考えればおかしな事ではないのだが、それでも未舗装路から舗装路の枝が分かれているのには違和感がある。

 私は、湖畔の村道を直進した。




 道は再び広くなる。
しかし、相変わらず周囲はよく切り立っていて、湖対岸のさっき走った県道が手に取るように見える。
この道に入って、人と会ったのは最初の釣り人たちだけであった。



 そして、小さな沢筋を二つはさんだ向こうに、灰色の坑門が見えてきた。

地形図にも描かれている「清川トンネル」に違いない。
それは結構な距離があるようで、なんだかワクワクしてきた。




 いよいよ接近する清川トンネル。
トンネルを掘削したズリで沢を埋めたらしく、この坑口前は特に広い空き地となっていた。
それにしても、…何となく不自然というか、景色の中で納まりが悪い坑門だ。

 そう思わないだろうか?

 自分なりに、なぜそう感じたのか考えてみたのだが、よく分からないのである。
坑門につきものの堀割だとか擁壁、灰色の法面なんかが全くなくて、唐突な感じで地山に白い坑門が突っ立っているからだろうか。




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 不通への突堤 清川トンネル


13:16
 高畑ゲートから約1.4kmで、この清川トンネルへ達する。
モミジの葉と降り注ぐ陽光を絵画的に意匠とした、シンプルでありながらセンスの良さを感じさせる坑口であるが、扁額のない所に未完の悲哀を感じさせる。

 銘板によれば、全長653m、幅5.5m、高さ4.5m、1995年の竣工である。
これは、ダムの試験湛水開始の3年前、ダム完工に対しては5年も前の竣工年であり、また起工者が村ではなく「関東地方建設局」となっていることからも、ダム建設に関する村への補償として国で建設したことが窺える。

 トンネルは全くの直線であり、650mも離れた出口が点のように見えていた。
これだけの長さでありながら照明設備は設置されておらず、当然中は真っ暗に近い。



 混じりっけナシの、純粋なトンネル?である。

この650mには、カーブも、分岐も、照明も、待避坑も、非常設備も、何も全くない。
ただ、ただただ長いだけの650m。
廃隧道という感じでもないので、正直自転車でなければ飽きるに違いない。

 洞内には見るべきものが乏しいので、代わりに、対岸の県道から見た外部の様子をご覧頂こう。





 先ほど掲載した地形図とも併せて見ていただきたいのだが、この淡々とした650mのトンネルの外は、もの凄い事になっている。
水面から一挙に落差100mくらいまで、ガチガチにコンクリートの「フリーフレーム工」で固められてるのだ。

 おそらくは軟弱地盤のため、地上に道を通すことが不可能だと判断されたのだろう。
それでも、山腹が崩壊してダム湖へ土砂が流入する危険を避けるため、これほどの大工事が成されたのだと思う。
まったく、「自然破壊」という言葉がちゃちに聞こえるような光景である。




 この日は冷たい北風が吹いていた。
トンネルの北口は、南に向かって湖面が窄まるその岸壁に口を開けているから、漏斗の口に勢いよく水が落ちるように、もの凄い風が吹き込んでいた。
よって、このトンネルをチャリで北上する行為は、エスカレーターに逆乗りするような徒労感を私にもたらした。
出口は、なかなか近づかなかった。



 残り100mほどのところで、コンクリートの路盤に二枚の工事看板が転がっていた。
ますます未開通の雰囲気だが、工事期間を見ると現在(平成19年1月18日まで)も含まれていて、しかも工事の内容は道路工事ではない。
「森林工事」となっていた。
なぜトンネル内に転がしておく必要があるのか、疑問に感じながらようやく長いトンネルを脱した私は、目を疑った!




来ないー!

 オワッター!!

 道が無い。

 まだここ なのに、道がない?!

もう700mかそこいらは進めると思っていたのに、どう見ても道が途切れている。



 はじめは崩れ落ちたのかとも思ったが、道の途絶えた先の斜面にそんな痕跡は少しもない。
やはり、もとより道はここまでしかなかったようなのだ。
それこそ、国でトンネルとトンネルまでの道は作ったけれど、その先は村で勝手にしてね…。
そんな状況なのだろうか。
いずれにしても、湖畔の案内看板も、地形図さえも、オオマチガイということになる。



 湖岸にぽっかり口を開けている北口。

ヤマユリを意匠した瀟洒な坑口も、いまだ工事関係者や私のような道路趣味者だけのもの。
酸性雨によって黒く汚れた姿が痛々しい。




13:23

 トンネル内に看板を残した工事関係者は、この奥にいるのだろうか…。
車も停まっていないので、今日はお休みなのだろうか。

 村道土山高畑線としては坑口先で完全に終わっていたが、その先にも湖畔の斜面に人一人ようやく通れる小径が続いていた。
わすれじの「道と繋がっていない橋」。
それは、この先にある予感がする。
どこにあるのかは分からないが、この歩行路が私をそこまで連れて行ってくれる可能性が高いと考えた。

 チャリをどうするか悩んだが、とりあえずチャリも押して連れて行くことにした。
今思うと、ずいぶん無茶をしたものだ。




 作業路に入ってすぐ振り返り撮影。
坑口前の狭さが分かるだろう。

 これは、県道からの入口で確実に車止めしていて正解だと思う。
地図を見て通り抜けを確信したドライバーなどが入り込めば、勢いよくトンネルを出て眩しさに目の慣れないその瞬間、もう空を飛んでいることだろう。
現実に復ったときには、もう “湖の中にいる”。

 危険極まりないのである。





 う、 うひ──!


  道はあるけれど、
  やばそうだ!


 果たして、
この奥に目指すモノはあるのか?!