第三次 日原古道探索 江戸道 第1回

公開日 2007.7. 5
探索日 2007.2.21
東京都西多摩郡奥多摩町

幻の江戸道へ接近せよ!

伝説の旧都道を 駆け足で踏破


    2007/2/21 10:15 【現在地

 今回も日和は快晴。
前回と同じ日原集落内の無料駐車場を出発した私とトリ氏は、途中多少の寄り道をしながらも都道に沿って歩き、午前10時過ぎには日原トンネルの入り口付近に着いた。

ここから、日原探索の最初の舞台となった旧都道を歩き、その採石場に削り取られた突端まで進む。

左の写真は、日原トンネル前の新旧同分岐地点100m手前から、旧道が沈む大崩崖を望む。
ちなみに、前回は右の谷底対岸を苦労して歩いた。

また、右の写真はほぼ同じ地点から大崩崖上部を望遠で撮影したもので、その斜面の途轍もない規模が分かるだろう。




 ここへも来るのも約一ヶ月ぶり。
最初の遭遇時には、まさかこんなに何度も足を運ぶことになるだなんて、全く思ってなかった。

そして、この旧日原隧道は施錠されており通れないので、例によってこの坑口前から右に分かれる旧旧道へ進入。
この辺りは最初の探索と同じコースである。
違いと言えば、今回はトリ氏を伴っている事くらいだが、まあ大崩崖にはルートを見付けてあるし、彼女なら大丈夫だろう。




 スタスタスタスタ。

斜面が大好きなトリ氏を先頭にして、大崩崖を横断中。
彼女は放っておいても踏跡を見付けてくれたので、私もそれに着いていくだけ。

下を見ると相変わらず恐いのだが、何度も渡っているうちに慣れてきたのも事実。
ただ、楽勝かと言えばそうでもないし、いつ上から石が落ちてくるかは分からないので、速やかに通り過ぎるが吉。

 え?
あんまりにも最初のレポの時と違うんじゃないかって?


……最初はこの踏跡が見付けられなかったもので…。


 それに、今回の盛り上がり処はまだこんな所ではないわけでして…。




 私称 「伝説の100メートル」。

確かにここは凄いところだ。
前回のとぼう岩の上の道も凄かったが、この道はまた別の凄さがある。
明らかにそれが都道だったと分かる、自動車道だったと分かる、それが廃道になっているというカタルシスは、この「伝説の100メートル」に勝る場所はないであろう。

ここは、日原の廃道の中でも一番か二番に好きな場所だ。


今回は気持ちに余裕があったので、トリ氏と一緒にかなりたくさん写真を撮ったりしたのだが、

レポは江戸道へ急ごう。





 前回はここまでレポするのに6話も使ってしまいごめんなさい(笑)。
でも、今回はこれだけで旧都道の終点に到着です。

ちなみに、要した時間は70分強と、前回よりも10分近く多くかかっていた。
これは、前回の探索時に、いかに気持ちに余裕が無かったかを現している。
前人未踏と思えた立ち入り禁止地帯を探索している緊張感から、私は写真も最小限しか撮らないなど、とにかくゴキブリのようにちょこまかと動き回っていたのである。

今回は二度目という安心感から、じっくりとここまで道を堪能し、写真を撮り歩いたので、余計に時間がかかった。


 ん ? ますます最初のレポが詐欺っぽいって…?
それは言わないでー。



 11:29 【現在地

 約1ヶ月前のあの日、初めてここに辿り着いた私は、有頂天を極めていたことを思い出す。

だがその傲りは、深い日原川の向かいの断崖絶壁を目の当たりにした瞬間、凍り付いたのであった。

なぜならば、そこに私の知らない、そして到底辿り着けそうもない、そんな道が、見えていたからだ。

案の定、その日は辿り着くことが出来なかったその道。
しかし、一週間後に私は再訪し、そして一応は歩き通した。




そうにもかかわらず、

 まだ、私の敗北感は埋まっていなかった。




なぜなら、

 いまだ真に私の心を捕らえた道へは、
  全く辿り着けていなかったからだ。



 今回は、ここからその因縁の道、「江戸道」を目指すことになる。

だが、谷は強烈な陰になっており、私のコンパクトデジカメでは対岸は真っ暗に写ってしまうほどだった。

肉眼でもはじめ、この写真と大きく変わりのない強いコントラストを感じたが、流石に人間の目は高性能である。しばらくすると、目が慣れてきて、次第に対岸の様子が見え始めた。




 …このように。

写真は明度をかなり操作して得られたものだが。


ともかく、私が江戸道であろうと疑わないその崖道の痕跡は、今回も当たり前のようにそこにあった。

隧道が疑われる地点も、やはりどう見ても隧道のようである!




 そして、今回私が思い描いてきたアプローチは、谷底より木が生えている斜面をよじ登って、江戸道の下端部に辿り着くルートである。
(左図中ライム色のライン)

見た感じからして、木の生えている場所はおそらく上り果せるだろう。

しかし、その先へ進むには、一目見ただけでも江戸道の中で最も危険と分かる大変な急斜面を上らねばならないだろう。
ちょうどその真上にはクレバスそのもののような切れ込みがあり、その上端部には前回探索でも肝を冷やした私称「神の橋」が架かっているのだ。

アプローチを含め、隧道らしき地点までは差し渡し100m程度の移動だろうか。
道がちゃんとしていれば、あっと言う間に終わりそうな距離である…。




この計画ルートは、ちゃんとした山屋ならば “きっと選ばなそうなルート” だと私は思った。
根拠はないのだが…。


 しかし、

私には前回の探索の経験として、
とても上部から江戸道へと下降できる自信が全然無かったのであるから、 …仕方がない(涙)


 一つだけ言えることは、

今回の探索は間違いなく、私の身体能力的なキャパシティの良くて上限すれすれ…
おそらくは著しく不足するだろうということだ。

未だ敗退したままの あの「神の穴」に近い、 そんな印象があった。






 絶崖の底へ 速やかに下降せよ


 11:34

 まあ、先のことばかり心配していても始まらない。

ともかく、いまはまだスタートラインに立ったばかり。
まずはこの谷を下り、谷底へと辿り着かねば。


いまから、ここを下る。


無茶に思えるかも知れないが、行けると思う。
トリ氏も着いてこられるだろう。

楽な道では有り得ないが、この左岸側から崖下に楽に下れる場所など無いというのが、前回までの探索で導かれた答えだった。
そうだとするならば、もっとも目的地に近いこの場所から下るのが、手っ取り早いという判断だった。



 しっかり靴ひもを結わき、アスファルトが抉り取られた突端から、さらに前進する。

この斜面は、ひたすら巨大なガレ場である。
元は自然に崩れた斜面ではないであろうが、いまは崩れるだけ崩れ、とりあえずマクロなレベルでは安定しているように見える。
ガレ場であるから、足元のレベルではとにかくガラガラと音をたてて岩が崩れ落ちるわけだが。

こんな斜面で最も恐いのは、人災である。
トリ氏には悪いが、私が一定の位置に降りるまで上で待っていて貰うことにした。



 目論見通り、この斜面はどうにかなりそうだ。
いかにも崩れやすそうなガレ場も、その崩れ方を体重の移動でコントロールしながら下る分にはむしろ殆ど体力を消耗せず、浮かんだような感じで下っていける。

途中何度かバランスを崩し、手を地面についたりしたものの、それでも順調に谷底へと近づいていった。



 左の写真は、振り返って撮影。
上の木が生えている辺りから下ってきたのだ。



 続いて、トリ氏も私が視界が消えるほど離れてから、下り始めていた。

しかも、その行動の一部を動画で撮影していたそうなので、その動画を拝借してここに紹介しよう。

動画の途中で足元に写っている足跡は、私が直前に付けたものである。

まるで月面のような景色を、堪能してください。

 →動画(wmv形式)






11:42

下り初めて8分。

高低差約100mをクリアし、遂に谷底へとタッチ。


ここまでは、極めて順調である。

振り返れば、トリ氏も徐々に、そして手際よく下ってきているのが見えた。


写真は、川下方向を撮影している。

谷を渡るように架けられた、一本のワイヤーが見える。

すぐ耳元では、ゴーという渓声が絶え間なく聞こえている。

2月の冷たい空気が、緊張の下降劇で暖まった体から、急激に熱を奪っていった。



いま、ようやく、本当のスタートラインに立ったのだ。




 絶崖の底…  …絶望の眺め


 谷底からの眺め。

まずは、いま下ってきた左岸の様子。

そこには、前回とぼう岩の中腹の道からも小さく見えていた、崩れ落ちた鉄塔が間近に見えていた。

一体どこの廃墟の景色かと思うが、このすぐ上は現役の採石場である。
果たして、この巨大な残骸は作為的にこうなっているのか、何かの事故によるものなのか…。

私にそれを知るすべはないようだ。



 そこから視線を右にずらしていくと…。

やはりここからだと鮮明に見える。

谷を跨ぐ一本のワイヤー。

その行き先は、間違いなく、垂直の崖に口を開ける穴の中である。


…これはいかなる人為の所作なのか…… 唖然だ。





 そして…


大絶壁



 あのさ…


やっぱさ…



無理

  ぽくないか…





 笑えるな。

これが、前回フヒフヒ言いながら辿り着いた、第四期道。

あんな所に立っていたのかよ。俺たち。
この眺めには、今しがた辿り着いたトリ氏と二人、おもむろに笑ってしまった。

なんだか、見覚えのある駒止めとか石垣が見えてるんだけど、
もう一度上の写真と比べてみるとよく分かるけどさ…、

信じられないほど高いよ。





 よく見ると、確かに道はあるんだよ。

江戸道。


いや…、
いくら何でも有り得ない気もしてきたが(笑) 江戸道って。

だってさ、上の4期道って大正6年開通だって話だろ。
つーことは、江戸時代はともかく、日原の人たちは明治時代を通じてこんな、
こんなありえない道を使って生活していたのか?


いくらなんでもさぁ、 ねぇ…。


そして、アプローチが問題だ。
やっぱり、無理だろ。
この「ライム色」のアプローチはよ。

誰だよ、こんなルートで計画したのは…。





 魂のないゾンビのように私は彷徨った。
この険しい谷底の、穏やかな河原を。

何処かしらに、魔法のようなマジカルなルートが隠れていることを、期待して。



だが、そんな行為が実を結ぶ筈もなかった。
この壁には小手先の技、つまらない小細工など一切通用しない、素人には決して攻略できない崖なのだろう。

もしかしたら… なんて思っていた自分が、恥ずかしい。



 それでも私は夢想する。

もしも「B」地点にたどり着けたなら、或いは攻略できるかも知れない。

だが、当初のアプローチ地点である「A」にさえ辿り着ける希望は薄い。
しかも、「A」と「B」の間は… おそらく私には攻略できまい。






 ごめん

 無理だ。