第三次 日原古道探索 江戸道 第5回

公開日 2007.7. 12
探索日 2007.2.21
東京都西多摩郡奥多摩町

下降の試み 

再び 死亡遊戯に耽る


 2007/2/21 14:20 

 今回もここへ来てしまった。
約一ヶ月ぶり、我が人生二度目の4期道。

最初の予定では、谷底から江戸道へと上り果せる道はあるはずだった。

だから、今頃はもう凱旋の途に就いていてもいいはずだった。
だが、そうはいかなかった。

結局、最初の予定通りになど行かず、予定に無かった“上からの”アプローチを模索する羽目になった。
おそらくこのアプローチは成功し得ないだろうと、内心そう思っていたが、次にその根拠を説明する。



 これまでも散々紹介してきたが、またこの写真を使う。
余りにも垂直に近い地形ゆえ、地図ではいくら引き延ばしたところで実感を伴う図を作り得ない。

私が「江戸道」であると信じ、もし仮にそれが誤りであったとしても、それでもなおその場に立ちたいと願ってやまない道形。
崖に刻まれたその姿は、最初に見たときこそ信じがたいと思ったが、今となっては、そこに何らかの道があることは確かと思える。

 そして、今度はこの道と4期道との“位置関係”が重要なのである。

この画像のどこに4期道が写っているかって?

例によって、カーソルを画像にあわせてみて欲しい。

 …。

そう。
おそらく無理なのだ。
とてもではないが、この高低差。
これは埋まらない。
この高低差を前回の探索で目の当たりにしていた私にとっては、今回最初にそれを狙ったとおり、下からのアプローチの方が、よほど現実的に思えたのである。




 もっとも、全く勝算が無いというのではない。
もしそうならば、わざわざ苦労して4期道に登ってまで再挑戦しようとはしなかったろう。

4期道と江戸道は、かつて繋がっていたはず。

その、ほぼ確定的な推論から、両者の最も接近する場所をアプローチに利用しようとするのは、当然だった。
(残念ながら、既にまともな形で道が繋がっていないと言うことは、前回までの探索で判明していた)

そして、その最接近のポイントというのは、江戸道に見える隧道(もうはっきり見えちゃってます!)の近くである。

…どうして最初からここを使おうとしなかったのか、そう疑問に思うくらいの絶好地に見えるだろう…。


 この場所… 確かに近いは近いのだが…

  …レポで追って紹介する……


 前回の探索で撮影した上の写真をA4に引き延ばして印刷したものを、今回持参していた。
私はトリ氏と休憩しながらそれを見て、今後のアプローチのルートを相談した。そして、だいたい上に書いたとおりのルートが第一ということになった。

あとは、現地でその可能性を確かめることになるわけだが…

私は、どうも乗り気がしないのだった。

前回の探索時にだって、私はどこかに江戸道に下れそうな場所がないか、けっこう本腰を入れて探して歩いていたのだ。
それに、この写真だって事前に十分に検討していた。
そして、それらの結果として、「上からは無理っぽい」と思ったのだから、そう簡単に気持ちは変わらなかった。




 しかし、時間は待ってはくれない。
現在時刻は午後2時20分過ぎで、日没まで2時間半ばかりとなった。
先月の探索時よりは幾分日は長くなっているが、それでもまだまだ冬の日だ。
もう間もなくすれば、この抜けるような晴天の色は、急速に褪せ始めるはずだ。

 我々は再び歩き出した。
そしてすぐに「死亡遊戯」こと、4期道最大の難所であるガレ場斜面横断の道に差し掛かる。
しかし、一度通ったという安心感は大きく、前回はあんなにドキドキした場所なのに、二人とも自信を持って通過した。
無論、最大限の慎重さを伴って。



 彼女はこう見えて実は、先頭を歩きたがる。
そして、グループの中でも真っ先に「発見」をモノにしたがる。

つまり、 オブローダー向き… といえる(笑)。


彼女の前方に見える茂みの中が4期道である。
この茂みには、激烈な高度感がもたらす恐怖を大幅に軽減するという、重要な効用がある。




 駒止が設置されていない場所は、どこもこんな感じになっている。
長年の土砂崩れと路肩決壊の積み重ねにより、みな谷側に向けて傾斜した横断勾配となっている。
当然、歩くときには最大限の注意を要するし、このせいで未だかつて誰も(おそらくだが)、この辺りから崖下を覗き込んだ者はいない。



 もし覗き込んだとしたら、左の写真の矢印のような視線で谷を見下ろせるのだろう。

想像しただけでタマが縮み上がるな。

…で、でも見てみたいなー。
誰か、絶対に信頼できる人に手をつないでもらって(無論、握力への信頼が絶対必須)、見下ろしてみたいな。
でも、足場が崩れるかも知れないしな…。

やっぱり、やめておいた方が無難だな(笑)


 「神の橋」を渡り、いよいよ江戸道が崖下に存在するエリアとなる。
この先は、下降できそうな場所を前回以上に真剣に探しながら進むことにする。

写真は、4期道の最高所となる峠部分。
ここは駒止が存在しているので、恐い者知らずの人は「こんな事」が出来る。




← こんな事 

 恐くないのか…??

読者さんは意外だと思うかも知れないけど、私は「こんな事」をすることは少しも考えなかった。
何が恐いって、この得体の知れない駒止に体重を預けて前屈みとか、有り得ないから。
路肩に寄るだけだって私は命がけの気持ちなんだから…。

トリ氏って、実は私より度胸あるのかも…。




ここからの下降は不可能です サー!


…… あまりにも、当たり前の結果であった。

とりあえず、駒止にがぶり寄りのトリ氏はして先へ進むか。





 道は下りに転じ、間もなく解体されたポニートラス(?)の橋を越える。
そして、「死亡遊戯」に次ぐ難関といえる、土砂に埋没した傾斜面の横断となる。
この辺りは路肩に高い石垣が築かれており、路上の傾斜も相まって近づくには勇気が要る。

それでも、生えている木などを手掛かりにして覗き込むと…



ここからの下降も不可能です
 サー!


またしても、確かめるまでもない結果…。

とてもじゃないが、こんな滑りそうな斜面を下降して、見えもしない江戸道へ近づくのは、絶対に無理だ。
つか、やらないぞ。

江戸道との距離は、もう相当に縮まっているはずなんだがなー。
見えるわけ無いのか…。



 周囲にみえるヒバの木などから、現在地を推定。
目指す稜線上の「アプローチ案」ルートは、かなり近づいている。
だが依然として、全く手も足も出なさそうな崖が、視界の全てを支配。

おそらくこの直下あたりに隧道が存在するのだが、この崖の下に道がもう一本あるなんて、とても信じがたい景色だ。
もし、これから行くアプローチもこんな景色だったら、その時点で江戸道到達は夢に消えることになるだろう。




 更に進む。

トリ氏がだいぶ前を歩いている。
私は、かなり慎重に下降できそうな場所を探しながら進んだが、未だ、GOと言えるような場所はない。

そして、遂に辿り着いた。
前回も前々回もそこで引き返したという、まさに、我々の日原探索におけるターニングポイントだ。





 江戸道への下降


 14:40

 アプローチポイントに到着。
前回の探索も、この斜面を見てから、満足して引き返している。
ここから先、前々回の探索の最終地点までの20mほどの道は、ごっそりと谷に落ちてしまったようで、現在は岩盤の上に落ち葉が薄く堆積しているという、歩くには大変心許ない状態となっている。
だが、よく見るとこの斜面にも一条の踏み跡と思しきラインが見える。
そのことには前回の探索で気付いていたが、敢えて危険を冒し、この踏み跡を確かめることはしていない。



 我々は、とりあえずこの「不通区間」に臨む地点を拠点として、江戸道へのアプローチを図る事にした。《現在地》

私は間を置かずすぐ、先ほど写真のコピーを見ながら考えたアプローチルートを確かめるため、4期道がここで跨ぐ小さな鞍部から谷側へ嘴のように伸びる稜線へと、その歩みを進めた。
ここに稜線が存在していることは、前回も目にはしていたはずだが、今回初めてそれを意識した。
そして、この稜線を下降すれば、そのまま江戸道を横断するという具体的なイメージも、前回は持っていなかった。
いわば、前回はその場で目に見えるものだけを頼っての捜索であったが、今回は、もっと多元的な視座をもって望んだわけだ。

 そこに、果たして活路は見出されるのか!

いよいよ、日原みち最後の挑戦!!




 と、勇んだはいいが、いざ稜線から下るとは言っても、考えられるルートは3本ある。

左か右の急斜面を下るか、正面の鞍部に沿っていくか。

一見正面が一番緩やかそうだが、まるで橋のように狭くなった突端まで行くと、このルートはまず除外された。
とてもじゃないが、その先は下っていけない角度だった。

左か右かと言えば、これは文句なく左(Aルート)だろう。
隧道があるのがこの方向だし。
反対の右側は日影で湿気っており、斜面も岩場が多く滑りやすそうだった。


トリ氏を鞍部に残し、下降の第一歩を踏み出す。
もっとも、下降ルートを見出したら、一度トリ氏を呼びに戻ってくるつもりだった。




 今自分がいる場所を考えると、この一見普通の斜面であっても、必要以上に緊張してしまう。
それに、この辺りからだって、恐怖の片鱗は十分に覗かれる。
なんというか、この木の生えた斜面というのがずっと下まで続いているのではないということが、鮮明に分かる遠景なのだ。
もっと具体的に言うと、少し遠くの景色がすっかり抜け落ちてしまい、あとはもう明らかな遠景だけ、白んだ景色だけという。


ここが平坦ならばいいが、斜面だと言うことで、やっぱり恐い。
足を滑らせれば、あの白い場所に連れて行かれかねないと思うからだ。




 ダッ ダッ  だめっ!

駄目だ。

稜線から、左下へ続く斜面を下るのは、10mほど下降した時点で、ご覧の景色。

これはもうNG。 耐え難い恐怖。 つうか危ない。
手掛かりとなる木や石が無く、下ったが最後、きっと滑落し、しかも、もう同じ場所を登っては来れないだろう。




 とりあえず、期待された稜線というのが実在し、しかも、4期道から僅かなりとも下降できる余地があることを確かめた意義は大きい。

斜面は「線」ではなく「面」であるから、しかも結構な広がりがあるわけだから、一回の失敗にめげず、引き続き降りられそうなルートを探すことにする。

写真は、4期道の石垣の下を水平に移動中。
こんな場所にも、どうにかこうにか歩ける余地があったりして、石垣を築いた職人達の足場と思われる。
そして、再び適当なところから下降へトライ。




 恐い…。

 かなり際どい場所に来てしまったが、見た目の恐怖とは裏腹に、ここはまだ進むことが出来る。
岩や灌木と言った手掛かりが、満遍なく存在しているからだ。
左側はまるでクレバスのようになっているが、この縁に沿って、可能な限り下降してみることにした。
江戸道は未だ全く見えないが、もう比高20m以内にあるはずだ。




 恐い。

またしても、私は凍り付くような恐怖を感じていた。
今日一日で二度目。

今度は、トリ氏の姿も見える場所になく、完全に独り。
もし墜落したとしても、発見されない可能性激高!
まあ、現実問題滑落イコール死去だから、発見されない云々は自分に関係ないような気もするが。


まだ、

 …まだ進めはするが…  すげぇ引き返したい…。




 14:53 アプローチ開始から10分経過。

上の写真から、さらに1m下降。

そこで、足が止まった。


 はい。限界です。

精神力的にも、実際的にも、これ以上はもう下れない。
まだしぶとく灌木や細い木は生えているが、足元の乾いた土が滑りやすい、降りたが最後登って来れなくなるおそれ、万一手掛かりが折れた場合に余りに傾斜が急なためリカバリ出来ずに滑落する可能性が高い、などなど、撤退を決意させる理由は十分にあった。



 ただし、慌てて踵を返すのではなく、まずはここに身体を落ち着けて、周囲をよく観察してみることに。 高度的には、既に江戸道が現れていてもおかしくないと思われるのだが…。


 で、頑張ってさらに1mほど下降(←頑張った!)して、一応の突端と思われる部分からの、上流方向の眺め。

私の足元から滑り落ちた石は、きっと日原川に直に落ちるのではないか。
そう思えるくらいの角度となって、つま先30cm先からは落ちており、その崖も一部しか見えない。

しかし、ここまでしてなお、道などどこにも……






 ん?





  もしやあれって……?


 はっきりと道が見えたとは到底言い難いが、しかし、平坦かつ帯状の地形が、足元5mほど下にあると思う。


 しかし、この僅かな我彼の距離は、如何ともし難いものだった。




 既に、私の足元はこの状態。

既に一杯まで踏ん張っており、移動の自由は効かない。

この上、更に下るなどと言うことは、とうてい無理。

それでも出来る限りのことはしたいから、なんとか身体を捻って、下流側を見下ろしてみた。




 こちらも無理。
下りようがない。

本当に口惜しい。 口惜しい!!

確かに、あると思う。
この3mくらい下には、道があると思う。

写真では、灌木がよく茂っている黄緑色の辺り。
おそらく、そこと足元の崖との間、ここからでは見えない部分に、崖を僅かに削って幅1mくらいの道があると思う。


 しかし…
ここまで近づいても……

どうにもならない距離だった…!(涙ッ)








 14:55 撤収開始。


トリ氏にこの結果を報告すべく、下ってきた斜面を登りにかかる。


道は、確かに足元に存在していた。

しかも、それは私が数時間前に掴み損ねた、あんな怪しげな道ではなく、ちゃんと、人が歩けるくらいの幅がある…。
そして、おそらく隧道もある…… 


 願わくは、あの隧道に到達してみたかった…。

疲れのためではなく、登る私の足取りは、とても重かった。






 江戸道は、いったい私に、どれほどの困難を強いるのか。









次回、女神微笑むとき。  ──第6回。