旧東京府道242号 日原氷川線 通称5期道 第2回

公開日 2008. 2.23
探索日 2007.1.23および2.21

カオス・オブロード

都道の下に隠された断絶廃道


2007/2/21 9:32

 都道のすぐ下に隠されていた、途切れ途切れの日原5期道。
日原側から侵入し150mほど進んだ地点で、思いがけぬ障害物に遭遇。
わずか1.8mという路幅を塞ぐだけでは飽きたらず、足りない分の土地は空中に無理矢理求めて建てられた3棟の家屋。
いずれも著しく荒廃していたが、我々はこの廃墟群を、文字通り“突破”せねばならなかった。

 そして辿り着いた、一原桟道下。
が、スズメバチのものらしい蜂の巣がたわわに実っており、ここでも足は止められない。
そのまま、一原へ向けての後半戦へ突入した。




 プレハブ廃墟を後に、都道下の荒廃した5期道を東へ進む。

石灰質の大岩盤から荒削りに削りだしたような5期道は、すぐ上に都道を作ったときに無造作に崩土を落としたものか、至る所で埋没し斜面と化していた。




 日原の崖というのは、独特だ。

通常、これだけの傾斜で、しかもこの“裸”ぶりならば(手掛かりになるような植物が少ない)、まず横断は出来ない。

だが、日原の斜面は余りに風化が進んでいるせいか、急斜面でも乾いた土のようなクッション層が存在する。
これがあるお陰で、足がズボズボと埋まるような感じになり、普段なら恐ろしくて横断できないような場所でも意外に渡れてしまう。
自分が山歩きの超人にでもなったのではないかと、そう錯覚するほどである。




 ほとんど道の痕跡らしいものはないので、単純に斜面を水平に横断することを心がけた。

そして小さな尾根を巻くと、視界が一気に開けた。

相変わらず、そこに5期道の続きは見えない。

見えないのだが、なぜかまたしても家が、ポツンと一棟…。


伝説の高山都市マチュピチュの日本版があったら、こんな景色だろうか。

いくら平坦な土地が少ないからといって、なぜ敢えてこの崖に家を建てる必要があったのか。

どう見ても、見間違えではない。
そこには確かに、青いプレハブ屋根の家が一軒建っている。
都道の真下、おそらく5期道のあっただろう延長線上に。






 見れば見るほど、凄い家である。
残念ながら既に廃屋のようだが、さほど崩れている様子もない。
堅牢そうなコンクリートの大きな土台の上に乗せられているせいだろうか。
しかし、家人はどうやってこの家と外界を行き来したのだろうか。
強引に斜面を歩いてこの5期道か、或いは上の都道に出ていたのか。
梯子も階段も見あたらないのだが…。

 玄関先からの景色は、まったく遮るもののない絶景だ。
行く手で旧都道を完全に消し去った大崩崖を見渡せる。
言うまでもなく、5期道もあそこを横断していかねばならない。

 そして、朝日を背にシルエットだけになって見えるのは、とぼう岩に他ならない。
こうやって見ると、それがまさしく日原の“トボウ”(方言で入口のことをトボウという)なのだと分かる。



 斜面の一軒家の下を通りさらに進むと、ようやく久々に道の続きが見えてきた。
5期道の続きが。
ここまで歩いてきたうちの半分くらいは、まるっきり道が存在しないか、何となく雰囲気で感じる程度だった。
こうして明らかに道だと分かる場所が現れるのは、モチベーションを維持するために重要なことである。
ただ斜面を横断しているだけでは何も得られた気がしないのは、道に依存して山歩きを行うオブローダーならではの考え方だろう。

 なにやら、妙に楽しそうなトリ氏の到着を少し待つ。
彼女が斜面を横断している姿を見ていると、それは秋の田で落ち穂をついばむ雀のようだった。




 そしてやって来た、久々の路盤。

垂直に切り立った崖に両側を挟まれた、短い一本道である。

実は、前回の探索でも谷底からもこの辺りの道が何となく見えていた。
しかし、それが本当に道なのかどうかは確信が得られなかった。
実際にこうやって確かめるまでは。


 それがどんな風に見えていたかと言えば…





 こんな風に、見えていた。

(1月23日の探索で、対岸谷底から撮影したもの)


ここは都道が一本通っているだけでも凄い所なのに、まさかそれとは別の高さにもう一本道が有るとは……、

さすが、なんでもありの日原だ。




 断片的に残された5期道の路面に、古いゴミを発見。MOWSON日原店の開店である。

 左写真は、「トレッカ グレープ」という名前の250ml缶ジュース。
果汁40%と書かれている。
ネットで調べてみると、昭和50年に発売されており、当時ファンタグレープと競合する商品だったようだ。
…ということは、かのミリンダグレープともライバル関係だったということになるだろうか。
そして、トレッカは今でもジュースメーカーとして存在している事も分かった。
トレッカのドリンク… 全然見ないけどね。

 口の割れた瓶のほうは、「PEOPLE C」というこれまた謎の製品。
囲みの中の売り文句には「ビタミンP配合」とか書いていますから、果物のジュースだったのでしょうか。
メーカー名は「株式会社福水社」、……ググってもヒット件数が1件だけでした(笑)。
はっきり言って、正体不明です。




 10mほど残った道を歩くと、またも斜面に逆戻り。

それでもめげずに水平移動を繰り返していると…


レール?!
なぜか、地面からレールの先端が突き出ているではないか!








 上方斜面に
…トロッコが散乱…




 カオスだ……。




廃道から廃屋、 そして廃線


それらが一堂に集うここは、さながら

  廃モノ万博…。



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一原にて、都道にエスケープ



 いままで道が見えない所でも水平移動を心がけ、5期道を忠実に辿ろうとしてきたつもりだったが、どこで間違えたのか10mほど下ってしまっていたらしい。
そのせいで、5期道と併用軌道になっている鉱山軌道のレールや、その終点の車止めを突破して墜落した(っぽい)トロッコの残骸を、突然上に見る展開となったのだった。


 誤りを正し、本来の5期道の高さへ復帰した我々を出迎えたのは、見覚えのある風景だった。

1ヶ月前、反対側から5期道を辿ってきた我々は、夕暮れの中ここへ辿り着いたのだった。

いま、道は一本に繋がった。(少し途中が怪しかったが…)



9:48  現在地

 上の写真の分岐を左に折れ、我々は都道へ戻ることにした。

この続きの5期道は、次回第3回からお伝えする。


 都道との連絡路は、岩場に無理矢理刻んだような九十九折りの階段で、その高低差20m強を一気に詰める。
如何にも作業用らしい急な階段で、かなり脚に堪える。
しかし、それだけに途中から5期道を見下ろすと、レールの存在と相俟って非常に美味しい眺めである。
マニアが作る上質のガレージキットのようだ。

 お察しの通り、この近くにも坑道が口を開けている。
それは、奥多摩鉱業が石灰石採掘のために昔掘った坑道だ。
そして、このレールは坑道から導き出された、おそらくズリ捨て用の地上線なのだ。
5期道が廃止され都道が上に移った後、奥多摩鉱業が5期道を作業場として転用したのだろう。
これまで見てきた数棟の廃屋も皆、鉱山関連の社宅のようなものだったと考えられる。




 3度ほど切り返し、最後に一番急な階段が待っている。

階段の段が瓦礫に埋もれていて結構危ない。


 右の写真は、階段から見下ろした5期道の様子。
ついさっき歩いた場所だが、上から見ると、とても歩けそうには見えない。
そもそも、道があると気付くことも難しい。



 息を弾ませて登りきると、ここに出る。

過去のレポでも何度となく通った場所で、日原トンネル西口前に架かる登竜橋のたもとである。
旧都道と、現在の都道とが分岐する地点でもある。
もっとも、旧都道の最初のオブジェである旧登竜橋は既に存在しないので、ここからではどうすることも出来ないのだが。

我々が下から登ってきた階段は、角のガードレールの継ぎ目の向こうにあるが、普通は気付かない。
私も、こうやって登ってきてはじめて気付いた。

 





 最後にもう一枚。

“蜂の巣いっぱい”の一原桟橋から見下ろした、5期道だ。


 5期道の狭い路上を、三棟の廃屋が覆っている様子が分かる。
ここが道だったとは普通思わない。
前後の道を辿ってきて、初めてそれと気付くのだ。

廃道上に建った建物も廃屋になってしまったという現実は、シュールである。




 次回は、残りの区間を紹介する。

アノ大崩崖の底に埋もれた道が旧都道の他にもう一本あったとは驚きだが、そもそも、そのお陰で私は大崩崖を一度ならず二度、いや三度までも横断する羽目になったのだった…。

当初全く頭にないことであった(笑)。




 次回更新までに、こちらをお読みいただく事をオススメする。
5期道の対岸にある3期道を踏破したときのレポートで、対岸に見える景色として5期道のことが度々話題に上がっている。