道路レポート 新潟県道71号 小千谷川口大和線 蘭木〜小栗山間 第1回

所在地 新潟県小千谷市
探索日 2011.05.15
公開日 2023.08.09


この県道には問題がある!

“新潟県道71号小千谷川口大和線”は、新潟県中越地方の山あいを縫うように通じている全長約36kmの主要地方道だが、自動車で起点から終点まで通して利用することは出来ない。その問題がある経路を、右図を使って紹介しよう。

起点は小千谷市小栗山の国道291号上にあり、そこから東山丘陵に点在するいくつかの集落を経由しながら魚野川に面した長岡市川口(旧川口町)で国道17号に出るまでが序盤戦だ。続いて川口橋で対岸へ渡って魚沼丘陵へ分け入り、小さな峠を越えて魚沼市(旧堀之内町)内で国道252号にぶつかるまでが中盤戦となる。さらにすぐまた山へ入り、大きな峠を越えて魚野川上流の南魚沼市(旧大和町)浦佐で国道17号に再会して終点を迎えるまでが終盤戦である。

この県道が抱える最大の問題は、上記の“序盤戦”、“中盤戦”、“終盤戦”の全ての区間に一つずつ、自動車の通れない区間が存在することだ。

一本の県道が抱える未開通区間の数は1つもないのが正常で、2つもあるのは珍しく、今回のように3つ以上になると相当稀だ。

こんなにブツブツ途切れていたら、1本の県道という路線のアイデンティティを獲得することは難しく、それゆえか、地図上に見える長さに対して圧倒的に存在感の乏しい県道だと感じる。もちろん、長い経路の途中には、それなりに活躍している区間もあるのだが、多分その区間を利用しているドライバーの誰一人として起点も終点を知らないだろうと思ってしまう。

右の地図を見れば明らかな通り、この路線を起点から終点まで通して利用したいという需要は、既に別の経路によって大方満たされてしまっている。すなわち、起点付近と終点付近を結ぶ経路として、信濃川および魚野川に沿って通じる国道17号と関越自動車道が既にある。もちろん、県道71号が非の打ち所がない道路として開通すれば、国道17号から転換される交通があるだろうし、あるいはそういうことを期待して県はこの長い県道を設定した(そして国は主要地方道に指定した)のかもしれないが、現状は繋がってなさ過ぎて、とても国道の迂回路にはなり得ない。


私は、このダメな主要地方道の全線を走破ないし踏破する用意があるが、いきなり全部を紹介すると長くなりすぎるうえ、景色も全体的に似ているのできっと飽きられてしまう。
なので今回のレポートでは、3つある未開通区間のうち最も起点に近い“序盤戦”の区間を採り上げることにする。

序盤戦は、起点の小千谷市小栗山から、長岡市の飛び地にある川口地区の川口橋で魚野川を渡るまでの約17km(距離的には全長の半分近い長い区間)であり、右図はその地図だ。

概ね北から南へ東山丘陵を横断する経路ではあるが、細かな曲折が多く、他の県道や市道との分岐も沢山ある。そしてアップダウンが忙しい。
途中に、蘭木トンネル、塩谷トンネル、木沢トンネルという3本のトンネルがあるが、これらは全て別の峠の頂上に掘られている。

この地図上でも妙な存在感を示している、川口市街地での地形を無視した激しい迂回など、いかにも県道として管理される道路を少しでも増やしたいという地元自治体の恣意を感じる部分もある。

前述した、頂上にトンネルを持つの3つの峠越えのうち、未開通区間に絡んでくるのが、起点の小栗山から蘭木トンネルに至る区間だ。
そこに今回紹介する未開通区間がある。

未開通区間の周辺をさらに拡大した地図を、次にご覧いただく(↓)。




左上に見える起点の小栗山を出発した県道は、激しい九十九折りを描いて一気に200mの高低差を駆け上がる。
そして「若宮山(海抜333m)」を頂とする南北方向に延びる稜線へ取り付く。
同山の山頂を掠めるように尾根沿いを南下し、徐々に高度を下げながら蘭木トンネルの上にある峠に達すると、また九十九折りで蘭木集落へ下る。
ここまで約4.6kmの経路である。

(←)道路地図大手の昭文社が市販している『スーパーマップルデジタル』の最新版(2023年版)だと、この区間は、狭いながらも車道が開通しているように描かれている。「冬季閉鎖」のマークはあるが、この地図の表現から、実際は車の通り抜けが出来ない区間であることを察知するのは無理だろう。

このことは、道路地図帳としては致命的な誤解を利用者に与えかねない誤った表記だと私は思うが、実は平成12(2000)年に発売された初代の『スーパーマップルデジタル』から、この表記は変化していない。
もしかしたら、23年ものあいだ同社に修正の必要性を認識させるようなクレームが届いていないのかも知れない……(利用者皆無?!)。

チェンジ後の画像は、やはり最新版の地理院地図だ。
こちらも「軽車道」の記号で県道を描いている部分が多いが、若宮山の山頂付近にごく短い(150mほどの)「徒歩道」を意味する点線の区間がある。
したがって、車が通れない区間であることを察知することが出来ると思う。
まあ、短いので、強引に突破出来るかも知れないと期待するドライバーもいるかも知れないが…。

ちなみに、先ほどから「未開通」という表現を何度か使っているが、これは道路法的には特別の意味のある言葉ではない。そもそも、ウィキペディアのこの県道の解説ページに、「この間未開通区間あり」と書いてあるのを見つけて、ここを探索することにしたのだが、道路法的には(おそらく)この区間は「供用済」である。だが、供用されている道路の状態が、とても自動車の通れるものではないことを指して「未開通」と表現したのだと思う。道路法施行規則が定める【自動車交通不能区間】未改良道路(供用を開始している)のうち幅員、曲線半径、勾配その他道路状況により、最大積載量4トンの貨物自動車が通行することができない区間なのだとも思うが、資料がなく確定は出来ていない。



wwwwwwwwwwwwwww大草原wwwこれはヤベー線形だ!

上述した“未開通区間”を抜けると、小千谷市の蘭木(うとぎ)という強烈な難読地名の集落へ降りてくるのだが、

降り終わって、

「ここが蘭木だー」

ってなった瞬間に、

突然150度後ろへ折れて、九十九折りで降りてきたばかりの峠をトンネルで返して荷頃へ出る。

普通にめっちゃ遠回り。
普通に意味が分からない。
普通じゃねえ!!!

おそらく、蘭木トンネルが整備される以前の旧道を一部利用した経路なんだろうけど、誰が見ても明確に遠回りなので、なぜこの経路が県道になっているのか謎である。

なにがなんでも県道を蘭木集落経由にしたかったのか。

……いや、たぶんこれは……。


いろいろな推理が脳裏を過るが、……今はそれよりも、まず現地だ。

現地探索イクゼェー!



 荷頃から蘭木へ、夢とロマンの大動脈


2011/5/15 9:09 《周辺地図(グーグル)》

この日、朝日が上ると同時に長岡市川口より県道71号の旅をスタートさせた私は、同県道の「起点」を目指して走ってきた。(冒頭の前説では起点側からルートの説明をしたが、探索は逆方向だ。)
ここまでいくつか小さめの寄り道はしているが、出発からおおよそ3時間半で、小千谷市南荷頃(みなみにごろ)にある荷頃集落(=現在地)に辿り着いた。
ここまでの県道の様子は、1.5〜2車線の常識的なものだった。

目の前の丁字路を左折するのが、県道71号のルートである。
行先を案内する青看はないが、角に卒塔婆型の県道標識だけはあり、左折が県道71号であることを案内していた。(ただし左折以外の方向にはこの標識もない)。
ここから目指す「起点」である小栗山までは、県道71号を忠実に辿ると、約5.5kmの距離が見込まれる。

私はもちろん左折するが、直進の道についても少し説明したい。右の地図を見ながら読んで欲しい。

直進の道は、県道339号小栗山川口線といい、路線名に小栗山があることから分かるとおり、この道を選んでも、県道71号の起点である小栗山へ行ける。
というか、普通はそうやって行く。

この荷頃から小栗山までの距離は、左折して県道71号経由だと(前述の通り)約5.5kmあるが、直進して県道339号経由だと、2.6kmで済む。
しかも、途中には余計な峠越えも、自動車の通れない区間もない、全線真っ当な2車線道路だ。そのうえ下り坂なので、たぶん自転車でも10分くらいで着けるはずだ。

県道71号を忠実に辿ってみたいと考える“道路マニア”以外、わざわざ県道71号で小栗山へ向かおうとする人はいないだろう。

このように、真っ当な道路利用者の強い味方である県道339号だが、チェンジ後の画像に、同県道のルートをピンクの線で強調して表示してみた。
ウィキペディアによると、県道339号の起点は、路線名にあるとおり「小栗山」で、県道516号の起点と同一の位置だそうだ。
だが、この起点からしばらくは国道291号に重複していて全く姿を見せない。そして「岩間木」の交差点から初めて単独区間が始まり、現在地の「荷頃」に至る。今度は県道71号と重複して「蘭木」まで一緒に行き、そこでまた単独区間が再開し、終点の川口(牛ヶ島)へ向かうというものになっている。

一見して、この起点の位置には不自然さを感じる。
黙って「岩間木」を起点にしても良さそうな経路なのに、なぜわざわざ県道516号と繋がる位置に起点があるのだろう……。
ただ路線名に合わせるために、無理矢理小栗山まで起点を引っ張っていったらそうなったのか?
……正直、気になることがいろいろとあるが、この辺のややこしい疑問については、最後の「机上調査編」で改めて挑戦するとして、まずは現地調査だな。

左折して出発!



左折すると、直ちに橋を渡る。
橋の名は蘭木大橋といい、角のバス停の名前にもなっている。
この先、蘭木集落までは上り坂で、手前で小さな峠を越えるのだが、橋もその一部としての勾配と曲線を兼ね備えており、なかなか雄大さを感じる道路風景だ。

(→)橋の四隅にある親柱も勾配に沿って少し傾いており、そこに取り付けられた銘板も傾いている。

曰く竣工年は昭和55(1980)年8月で、新潟県の橋らしくついでに教えてくれた道路名は、「一般県道川口岩間木線」という聞き慣れないものだった。
この路線名を持つ県道は現存しないので、おそらくこれが主要地方道小千谷川口大和線になる前の一般県道だった当時の路線名なのだろう。




9:14 《現在地》

蘭木大橋から300mほど進むと、トンネルが現れた。蘭木トンネルである。
坑口前には、いかにもそれっぽい旧道との分岐がある。
旧道も封鎖はされておらず、ストビューで風景を見られるが、このような狭い舗装路である。

チェンジ後の画像は坑門に取り付けられていた銘板で、トンネルの完成が平成元(1989)年10月であったことや、全長が590mあることなどが分かる。

この先の県道は、トンネルが潜っている尾根の上を目指すことになる。
ここを右折して旧道を行くのが尾根上への近道だが、県道はトンネルを一旦潜って蘭木集落へ行ってから、反対側の旧道を経由して尾根へ上る。そのため1km近く道のりが長くなっている。

オブローダー的には旧道を選ぶのがセオリーとなる場面だが、今日は県道71号を追いかける旅なので、直進してトンネルへ。



コメントに困る、普通のトンネルを、潜る。

チェンジ後の画像は、迫る出口だ。

間もなく、県道71号の“最大の惑わしポイント”が来るが、変な予兆は全くない。



9:19 《現在地》

地上へ出ると即座に交差点がある。またここが一連の上り坂のピークになっている。右に見切れてバス停が見えるが、蘭木バス停だ。ここが蘭木集落の入口であり、交差点を右や左に行くと集落内へ入ることが出来る。

県道71号は、ここを右折するのが順路(正確には逆路だが)である。
例によって青看はないが、卒塔婆標識だけは建っていて……、でもその内容も少し足りない。
この地点を境に手前側が県道71号、奥側が県道339号(の単独区間)であることは正しいが、右折も県道71号であることが表示されていない。

さらに、画像左の外側に注目すべきものがあるのだが、その説明は画像1枚分だけ保留する。




HENTAI!!!

私が突然イングリッシュスピーカーオブローダーになったら、そう叫んだことだろう。

これは同じ交差点を振り返って撮影したのだが、なんて変態的な県道のルート指定なんだ!!
トンネルで潜ったばかりの峠の頂上へわざわざ旧道を利用して戻っていくとか、不自然にも程がある。
峠道の新道と旧道の両方が県道に指定されている(二重路線)くらいだったら驚きはしないのだ、一筆書きのルートでこうなっているのが変態過ぎる。

というか……、無節操すぎる。(笑)
県道が欲しいという地元の声にたくさん耳を傾けた結果かも知れないが、昭和29年の発令以来何度か改正を受けながら現在も都道府県が都道府県道のルートを決める際の基準となっている道路局長通達「都道府県道の路線認定について」には、その第1条ともいうべき冒頭に、「路線は、交通の流れに沿うように認定するものとする。」と明言されているのに、これは酷いwww 
どこにこういう交通の流れがあるんだよww 
通達読んでるか?w

あっ、“矢印”の位置にあったものの話もしないと。



そこ(蘭木トンネル蘭木側坑口脇)にあったのは、御影石の立派な石碑だ。

中央に一際大きな文字で「報恩道」と書いてあるのがまず目に飛び込んできた。
「報恩道」という表現は初めて見たが、道路の開通記念碑とみて良さそうだ。良いところにあるじゃないか!

しかし、「報恩道」の堅苦しさとは対照的に、「21世紀に向けて夢とロマンの大動脈」という副題?には、微妙な古新しさを感じるな。
世の中のインフラがぜんぶ「ふれあい」のネーミングに支配されるんじゃないかと恐れていた平成初期頃特有のノリがある。

裏側に回り込むと――




ガッツリ書き込んである!

現地では撮影だけして帰ったが、帰宅後に全文を書き出したものは以下の通りだ。
この道が、直接私に語ってくれようとしている身の上だ。耳をかっぽじって聞き、目をえぐり出して読め!

報恩道を讃えて

天正八年(一五八〇)ここ蘭木の郷に灯が点じら れて以来、英知と不断の努力によって今日の繁栄が 築かれましたが、就中、道路改良が最重要課題とな り、昭和三七年、新潟県議会議員高橋虎夫先生を「道」 の師と仰ぐ一方、不世出の大政治家元内閣総理大臣 田中角栄先生のご指導と関係各機関の絶大なるご助 力を頂きつつ、郷土出身者の物心両面に亘るご協力 と地域の先輩諸氏並びに地元住民の渾身の努力が傾 注されたことにより、
 昭和四〇年 一般地方道「小栗山・川口線」認可
 昭和四五年 蘭木・荒谷間全面開通
 昭和五〇年 南荷頃・蘭木・荒谷間無雪道路に昇格
 昭和五一年 一般地方道「川口・岩間木線」に編入
 昭和五二年 蘭木大橋起工(七.五×八四M)
 昭和五五年 蘭木大橋竣工
   同 年 主要地方道「小千谷・川口・大和線」に
 昭和五七年 蘭木トンネル起工(五九〇M) 
 平成 元年 蘭木トンネル竣工
 県道期成同盟会発足から二五年の歳月と二〇億円の 巨費を投入して頂き、「二一世紀に向けて夢とロマンの 大動脈」が完成したのであります。
 この蘭木の郷に、永遠に輝く大きな恵みを与えて 下さった関係諸氏及び今日の日を見ることなく他界 された諸先輩のご功労を讃え、そのご功績をこの碑 に刻して深甚なる謝意を捧げます。

   平成二年 十月吉日
      新潟県小千谷市蘭木町
          星野 夲 謹書

碑文の内容は、いま通ってきた道路が整備された経過を伝えるもので、いわゆる開通記念碑に近いが、敢えて「報恩碑」と題している通り、「蘭木の郷に、永遠に輝く大きな恵みを与えて下さった関係諸氏」への感謝がよく伝わってくる内容だ。そしてその中には、中越地方を最大の地盤としていた「不世出の大政治家元内閣総理大臣田中角栄先生」の名前も、当然のように登場している。
彼の豪腕によって、前述した“道路局長通達”はスルーされたのだろうか。(あり得ると思えてしまうところが恐ろしい)

年表形式に書かれている道路整備の経緯内容については、探索後の机上調査編で重要なソースとして活用させていただくこととして、今は探索を続行する。
ちなみに、「二一世紀に向けて夢とロマンの大動脈」とは、碑文の内容からして、こちらの地図にピンク色で描いた道路、すなわち現在の県道71号(県道339号重複)のうち、荷頃〜蘭木大橋〜蘭木トンネル〜蘭木(現在地)の約1kmの区間をさしているものと思う。つまり、本レポートがここまで辿ってきた区間と同一だ。この約1kmの山越え区間の整備に、25年の歳月と20億円を投入したということらしい。
確かにそれが納得出来るだけの“良い道”だった。

……この先の道路と同じ県道だとは思えないほどにね……。




-->