道路レポート  
雄勝峠(杉峠) 旧旧道 その3
2005.3.20

 封鎖隧道 そして峠への入り口… 
2004.12.2 9:38


 私は、むりやり斜面をよじ登り、旧国道のヘアピンをショートカットして、チャリを置き去りにしていた二つ目のヘアピンへと舞い戻った。
そして、チャリへ再び跨ると、今度は旧国道の頂上を目指し、ひび割れたアスファルトをこぎ出す。
間もなく、今は封鎖されて久しい雄勝隧道に直接繋がる、最後のSSが現れる。

そのまま、私は薄暗いSSへと入った。


 2年前から、その様子はほとんど…、
いや、全然変わっていなかったと言って良かったかもしれない。
少なくとも、私が気が付いた前回と違う点は季節の違いによるものくらいで、寂れたその様子は、当たり前のことなのだが、全く変化がなかった。

この峠を貫通する初代隧道である雄勝隧道は、昭和30年の竣工と、想像ほど古いものではない。
それまでは、これから私が挑む、明治初期に拓かれた三島の道を利用し続けていたのだ。
そして、やっと貫通したこのトンネルも、僅か27年間利用されただけで、その後は現道に代替えとなっている。
しかし、利用期間は短かったとはいえ、一級国道の栄えある県境隧道であったわけで、
廃止間際まで改良が施されていた様子は、坑門から長々と延長された「雄勝峠スノーシェード」の存在に、知ることが出来る。
銘板によれば、SSの竣工は昭和50年。
廃止7年前の、完成である。


 SSの内側から、沢側を見渡すと、そこに見慣れぬ平場と、それによって切り取られたらしい、切り立った岩場が見て取れた。
これぞ、旧旧道の姿である。
旧旧道は、雄勝隧道には当然入らず、SSの途中から右手の小沢を巻くように、その対岸斜面に移る。
そして、そこからいよいよ、旧道とは全く異なる、峠への単独行が始まるのである。

しかしそれは結果的なことで、この段階ではまだ、その法面がこの先どういう風にして、この旧道と関係してくるのか、分からなかった。


 しかし、カメラのズームを効かせて撮影すると、そこには確かに、路肩を守る石垣が見えた。

これが、ただの作業道などではなく、先ほど目撃した旧旧道の続きの道なのだと言うことが、確信を持って理解された。
まだ、どの様にしてそこへとたどり着くのかは、想像できなかったが…。

SSから、沢の対岸へはどうしても行けず、そのまま隧道坑口めがけ、SS内を走る。




 現トンネルが1300m超もあり、その直上に存在する旧トンネルも、そこそこ長い隧道という印象がある。
しかし、『山形の廃道』様ご提供「全国隧道リスト(昭和42年度版)」によれば、その延長は、235m。
決して長い隧道などではないのである。
まして、昭和30年にもなって県境に掘るのならば、もう少し奮発してくれても…などというのは、素人考えだろうが…。
まあ、この旧トンネルを長いと錯覚してしまうのも無理はないのである。
なにせ、現在では堅く扉が閉ざされ、内部へと立ち入れないし、その上、秋田県側にはご覧の長いSSが続いており、どうしても長いトンネルに見えてしまう。
2基のSSとつなげれば、実際に500m超の延長となるだろうし。


 台形型から半円型に転じたSSは、進むほどに薄暗くなる。
それは、本当の隧道坑口へと、次第に深くなる掘り割りの底に突き進んでいるためだ。
そして、掘り割りが始まる直前、これまではその存在に気が付かなかった(あるいは特に気にとめていなかった)横坑が、ある。

横坑の外は、まさに先ほど目撃した旧旧道へと通じていそうな平場がある。
しかし、その平場には低木が密生しており、もはや道の痕跡ではない。
とりあえず、判断を保留し、さらに隧道へと進んでみる。
もしかして、この2年間で隧道解放という風に変わっていることを、期待してのことである。



 100mほど進むと、あっけなくその期待は潰える。
結局、隧道は閉ざされたままであったばかりか、2年前は確か、鍵が掛かっておらず、引いたら開いてしまった扉も、今回はビクリともしなかった。
まあ、この扉のさらに3mほど奥にももう一枚扉があって、そちらは2年前から開かなかったのだが…。
もしかして、管理人に2年前の私の凶行がばれた?!




 とりあえず、想像通り、これ以上の前進は不可能。
たった2百数十メートル先には、山形県のアスファルトが通じているというのに…、無念である。
旧旧道などというものは、さすがにチャリで通れる様子ではないと思われ、峠を目指すにしても、精々徒歩だ。

はぁ、(戻りが)めんどい・・・。
しぶしぶ、私は引き返し始める。

なお、ここでの使用を最後に、私の2代目“SF501”(高性能&高価格のマグライト)は、永久に私の前から姿を消すことになる。
確か、ここでポケットにライトを仕舞ってから、戻り始めた筈。

この山中の何処かに、きっと今もSF501一本が転がっているのだろう。



 とりあえず、SSの横坑にチャリを停め、藪の中を観察してみる。

先ほど沢の対岸に見えた道筋は、どうやっていくのだろう?

また、この藪の中を、SSに沿って進めば、今まで決して見ることが出来なかった、雄勝隧道本来の坑門を外から確認できるのではないか?

私は、以上の二つの謎を解明するため、チャリを捨て、藪へと突入した。
まずは、坑口の確認だ。


 雄勝隧道 その坑門の意匠 
2004.12.2 9:48


 鋼鉄製の半円形SSの外観。
コンクリートの基礎の上に、明かり取りを兼ねた側壁フェンスが乗り、さらにその上に、防音効果のある波形鋼鉄板を半円形に成型したものを、天井を覆うように乗せている。
細部に違いはあれど、豪雪地ではよく見られる、何の変哲もない半円形SSである。

肝心なのは、その先、果たして、本来の隧道坑門部分はどうなっているのかだ。


 藪が少し五月蠅かったが、労せず坑門へとたどり着く。

やはり、SSから隙間無く隧道が続いていた。
これでは、光一条通さぬ訳で、当然昭和50年から今日に至るまで、路上より坑門を見た者もいなかったはず。
もしかしたら、SS完成以来誰一人目撃しなかった坑門かも知れないと思うと、なんかゾクゾクした。

さらに接近。



 ピンポイントに峠の鞍部のみを貫いた、延長235m。
竣工昭和30年と、古参中堅どころの雄勝隧道。
しかし、その今まで隠されていた坑門の姿は、昭和初期のものと見紛う、威厳を感じさせるものであった。

やや大きめで角を残した石材を、モルタルで目地を埋めながら積み上げた石造りで、その両隅は、同じ構造の翼壁に直角に交わる。
坑門の面積は広くなく壁柱や帯石こそないものの、坑口上に黒御影石の扁額と、上端には笠石が見られる。
また、坑口のアーチの存在感は控えめで、特殊な意匠は見られない。
無粋なSSさえ視界に入らなければ、落ち着いた印象の、美しい坑門だったと想像される。


 望遠で撮影された、銘板の姿。

さすがに、左書きである。

戦前の日本では、右書きが一般的であったが、戦後左書きに統一するように徹底された。
雄勝隧道の竣工した昭和30年は、すでに三大紙も左書きに改められた頃で、この銘板もそれに倣っている。

なお、写真では見にくいが、隧道名の下に、やや小さな字で「昭和三十年竣工」と記されている。
かなり達筆な筆さばきである。
秋田・山形どちらかの県知事の直筆なのだろうか…。



 ちょっとはりきって、坑門の上に登ってみた。
そこからの眺めは、これまで見たことのない、新鮮な景色だった。

気になったのは、眼前に続くSSの一部が色違いである点だ。
SSの昭和50年の竣工後にも、一部は改築されたということなのだろうか?


この、山中のたうつ大蛇のようなSSを最後に、
私と、この旧国道との結びつきは、急激に薄れていくことになる。

この後の私に待ち受けていたのは、
廃道という言葉すら生ぬるい路であった…。

本当の戦いは、ここから、始まるのだ。






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