道路レポート  
鬼ヶ台と小又沢峠 その2
2004.4.2



 なぜか水を溜めていない鬼ヶ台ダム。
その上流には、本来ならば水没しているべきなのかもしれない廃道が、日の元に晒されている。


鬼ヶ台
2004.3.24 11:48


 ダムサイトを後にして、湖底であるべき谷底を葦原に変えた小関川の右岸を上流へと進む。
ダムの付け替えによって建設された道はどこも立派だが、ここもご多分に漏れず突然2車線の舗装路となった。

って、待てよ。
このダムは竣工昭和44年頃。さすがにこの道は新しすぎるだろう。 どうも、ダムサイトからすぐ先で川の方へと降りていく、この写真の道こそが、元来の道のようである。
しかし、見るからに、あやしい。


 川へと降りる道は、すぐに小関川を渡り右岸へ行ってしまう。
その行く手には、残雪が残る廃道らしき地形が、等高線に沿って続いている。
とりあえず、現在でも対岸の農地に行くのに利用されてはいるようであるが…。
この道については、現道からしばし様子をうかがうことにした。

なんか、あの濡れた残雪が、いやなんだよね。(←へたれ)


 現道を進むこと500mほど。
相変わらず寒々とした枯野に、やはり寒々とした2車線路が続くが、ここで再び分岐だ。
左は、真新しい青看が示すとおり、現道だ。
となると、やはり旧道は右?
さっき対岸へと分かれた道の行方も気になりつつ、今度は覚悟して右へと進むことに。

すると、すぐに廃農機小屋が一軒と、その脇に小さな墓地。
さらに下ると…。


 夏場はススキに覆われていそうな怪しげな道が出現した。
対岸には、もう道の姿は無い。
さっきの橋の先は農地で行き止まりだったようだ。



 そして、我らが怪しい道も、小関川を渡っていくようだ。

これって…、なんかますます怪しい展開だが、萌えるっていえば萌える。
そして、この橋が、見れば見るほど、萌え萌えだった。



 この橋は、きわめて素朴な造りである。
橋桁として板チョコのようなコンクリートを、細い橋脚に渡しただけのもので、かなりガタが来ているのか、それとも、元もとこんなにアバウトだったのか、写真の通り、橋桁の一枚一枚には隙間が目立つ。
下の川も浅いし、高さもないから、もし崩れても笑えるかも知れないけど、いやマジで、自動車はどうなるか分からないぞ。
辺りに制限標識も何もないし。
手持ちの地図だと、この道が小関川沿いの唯一の道として描かれてるけど…。

こんな橋をペコペコ言わせながら(笑)、車が往来していた景色を、見たかった。

 対岸から、今来た方を振り返る。

イイ感じでしょ?

奥に見えるのは、僅か数軒となった鬼ヶ台の民家である。
橋は、親柱や銘板を持たず、簡素な姿。
建設当初、この道は集落道に過ぎない町道故、外見などにコストをかけている場合ではなかったのだろうか。
しかし、過疎化が進んだ今頃になって、あの立派な道。
本道路を取り巻く環境は、ますます不要不急を増していそうなのだが…。



 怪しい橋を渡り、今度は左岸。
写真は、振り返って橋を撮影。
なんか、時代劇っぽい?!

先日まで残っていただろう雪の重みが、路上の雑草を押し倒してくれてはいるものの、かなりのブッシュになってきた。



 嫌だった残雪が出現し始める。
諦めて突っ込むも、やっぱり進めるものではなく。

チャリを押して、さらに前へ。
なにか、電柱と寄り添う小屋が見えてきた。



 がびーん。

橋がない。
地図には載っている橋が、無い。
代わりに、対岸の山際(写真よりも左側)では立派な橋が沢を渡っているのが見える。
ススキの中に、コンクリートの橋台の残るを確認し、撤収する羽目に。
消えた橋の袂には、揚水ポンプが備えられた小さな小屋が建っていたが、電線は電柱から引かれておらず、廃止されている模様。
もう、左岸には生きた農地はないのかも知れない。

このまま、進めると思っていたのに、ショックだ。
まあ、5分くらいしか、進んでないけど。


三福
12:05

 現道に戻り、先ほど羨ましく見つめた大きな橋、堀切大橋(平成8年竣工)を渡り、消えた橋の対岸に残っていた、旧道へのアプローチ道へと、降りる。
平成8年頃までは、現役の道だったようである。
ちなみに、新しい橋の名に、地図からは消え去りつつある「堀切」という一帯の大字を持ってきたのは、嬉しい配慮だと思う。


 結構長い橋が架けられていたのだろ思う。
小さな橋台は、川だけでなく、葦原となった広い河原をも跨ぎ、雑草に隠されそうな互い見つめ合っている。

対岸に見えるのは、橋台と、先ほどのポンプ小屋だ。

さらに、上流の三福地区へと旧道を辿ってみる。


 今度は現道と同じ右岸を、川に沿って進んでいくと間もなく、再び橋が現れた。

が、今度の橋は、ますます怪しい。

だって、陸に接してないですけど…。

いいんですか? これは。



 すっかり流出してしまった、橋台を支えるべき地山。

そればかりか、支えを失った橋台自体も傾き、橋をますます歪にさせている。
この橋は、近いうちに落橋するだろう。
下流のダムを見て、治水は不要ともとれるような暴論を吐いたかも知れないが、いやはや、決して川の力を侮れない。
いつぞやの濁流がこの橋台を、ここまで切り崩したのであるから。

地図上では脇道だったらしいこの橋と、その先の道であるが、敢えて渡ってみることにした。
こんな橋を渡るのは、滅多に出来る体験ではないぞ。


 ヨレヨレとなった橋のさきに、まともな道は無さそうだ。

残雪勘弁。
撤収だ。(←へたれ)



 引き続き右岸に続く旧道から、今の橋を振り返る。

いまどき、木の電柱が何気なく立っているし。

ああ、なんか時間が止まったままのような、不思議な場所だ。



 現道との高度差が詰まりはじめた。
そろそろ合流かと思った矢先。
道が、猛烈なススキと葦に阻まれた。

ここまできたら、もう引き返せない。
ガサガサと乾いた音を響かせながら、この短いけど猛烈なブッシュを突破する。
この段階で、残念ながら夏場は通行不能と断言したい。
少なくとも、私はいやだ。このブッシュ。

ノー・ブッシュ。
ノー・スノー。  
ノー・マン。 (=工事関係者)

…これ、今作ったけど、山チャリの『三無い運動』スローガンですから。
頭わるそー何て言うな! 英語苦手なんだから。



 ここを突破すると、すぐに現道に接続する舗装路が、まるで救いのくもの糸のように現れた。
さらにこれを振り切って旧道へ進むも、すぐに砂利道はまともなものとなり、やっと三福の集落が見えてきた。
このあたりで、地籍は雄和町に変わる。

集落前にも、欄干すらない短い“板チョコ橋”が架けられていたが、これは現役のようだ。


 数軒の集落を過ぎると、現道に接続。
接続直後、まるでダム区間だけの短いドーピングの効果が切れたみたいに、現道も古い1車線に戻った。


こうして、鬼ヶ台に残る、風情を体験できる道は終了。

ちなみに、夏場はきっと、汗と切り傷にまみれる、まったく持って不愉快な廃道と成り果てることでしょう。



 ちなみに、この立派な現道に設置されていたもう一本の青看は、レアなものだった。
写真をご覧いただければお分かりの通り、

予告が早すぎだろう!(笑)

高速道路並みの、予告の早さだ。
そしてその意図は、不明だ。



 三福よりさらに小関川にそって蛇行する狭き道を進むこと1.5km。
一帯の幹線であるところの町道「新田・畑・雄和線」にぶつかる。

ここを右折すれば、次のターゲット小又沢峠を越えて、国道105号線へ。
左折は、しばし山間を縫って進み主要地方道10号線に繋がる。

今回は、ここまで。







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