道路レポート  
鬼ヶ台と小又沢峠 最終回
2004.4.5



 僅か標高150m。
出羽丘陵の片隅に、忘れられた旧道がある。


小又沢峠
2004.3.24 12:52


 旧道に入ってから、この峠まで僅かに300mほどの距離であったが、ほんの1mもチャリに跨ることは許されず、たっぷり20分を要した。

痩せた稜線を、深い切り通しで貫通しており、峠となっている。
ここまで特に道路構造物といえるようなものは見あたらなかったが、この切り通しだけはコンクリートの擁壁に支保されている。
それでも、瓦礫の道幅の半分くらいは埋もれているが。

期待以上に、峠らしい峠の景色に、満足。


 峠から振り返ると、かなりブルなど重機に踏みにじられて荒れていることがわかる。

先人曰く、この先の下りは、轍のない完全な廃道で、藪化著しいという。

この季節、藪は衰えているはずで、道形を観察するにはもってこいだ。


 脆い砂礫の切り通し。
私が撮影している最中にも、断続的に小石が落ちてきた。
切り通しの深さだけを見ると、トンネルという選択肢もあったように思うが、この地質では無理だったろう。


 峠で重いリュックを置き、窮屈なかんじきを脱ぎ、一休憩。
確かに、切り通しには背丈ほどの枯れ草が茂り、この先は廃道らしい。
しかし、相当量の不法投棄物が南側の斜面に散乱しており、峠の道が旧道化して暫くは、不逞の輩のゴミ捨て場となっていたようである。
エンジンのようなものから、家財道具まで、ありとあらゆる粗大ゴミが、原型を失いつつも、消えることも出来ずに散らばっている。
残念な景色だ。


 驚いたのは、コンクリの擁壁よりも道側にこの様な太い木が生長していたことだ。
直径20cmは優にある。
この道が廃止されたのは現道トンネルが開通した後、つまりは昭和57年以降であると思われるが、この様子では現役当時から路上に木が生えるような利用頻度だったのかも知れない。



 峠から先の新田側の下りは、基本的には登ってきた道と同様の、斜面に沿って蛇行する無理のない線形をとる。
しかし、通るものがなくなって久しいようで、路面に微かに残る轍の跡も枯れ草が覆い被さり判然としない。
南側斜面と言うことで、残雪は幾分少なく、重力に任せチャリに跨り進むことも出来る。
ただ、枯れ草のみならず、鞭のように撓る枝もまた路上に多数張りだしていて、のんびり下っていれば、たちまち顔面はミミズ腫れとなる。
巧みにこれをかわしながら、当然路上の瓦礫や倒木にも注意しつつの下りとなる。
容易ではないが、最も面白いライディングのシーンとも言える。
なによりも、乗れるというのが幸せである。
夏は、こうはいかないようだから。


 峠から少し下ってくると、最後にもう一度だけその切り通しを振り返ることが出来るポイントがある。
この辺りの斜面や路上にも、冷蔵庫やらタンスやらバケツやら、色々なものが散乱している。
写真にも、木々の隙間に白く写っているものがあるが、それらは雪ではなく、全部ゴミだ。



 さて、さらに下るとヘアピンカーブの山側の斜面が大きく崩れ落ち、従来の路幅の半分くらいを埋めている。
この部分を、夏の先人は、瓦礫の崩落面を敢えて進んだようであるが、それはやむを得ない選択肢だったように思う。
今は枯れ草の原となっている残された路面だが、夏場は一面のススキの樹海であり、とても踏み込めるものではないからだ。
むしろ、たとえ不安定でも斜面の方が進みやすいと言うことは、私も経験がある。

まあ、あの松の木を制圧した“彼”であるから、この程度の斜面は、ウキウキだったのかもしれない。



 出羽丘陵はドングリの背比べのような低山の広がりであり、なかなかその山中では眺望に恵まれないのだが、この様に季節を選べば、それなりの眺めもある。
写真は、枯れススキの向こうに見る黒森山(右)から東光山、さらに日住山、そして鬼倉山へと続く、本荘・大内の境を成す小さな(でも出羽丘陵では高い)山脈だ。




 幾らも行かぬうちに、再び瓦礫が道の半分を埋めるカーブ。
やはり残された道は、チャリに乗ったままでは進めないほどの深い、枯れ草地となっている。

あぁ、夏に来た人の苦労が、偲ばれます。

残雪さえなければ、この時期の廃道探索には、余裕がある。



 峠から300mほど下ってきた。

相変わらず山側の斜面は痩せており、もう崩落は止まることが出来ないようだ。
これは、ここに一旦道を拓いてしまった人の罪である。
崩落斜面は、ますます拡大し、いずれは道を埋め尽くしただけで止まらずに、稜線まで崩してしまいかねない。

この様な悪地であれば、人が道を放棄したのは当然であったろうが、もう二度と元の姿には戻れないのだ。


 さらに進むと、若い杉の植林地に入り、やっと崩落斜面から離れる。
やや急な下りのまま、キツいヘアピンカーブを数度こなすと、眼下に舗装道路が見えてくる。
現道の姿である。

旧道には、峠の切り通しを除いては、ガードレールや標識などの道路構造物はない。
元々が町道であり、予算の都合もあったのだろう。
いくら低山とはいえ、この様な道ではとても安心して利用出来ないので、トンネルの開通は最も正しい解決だったろうと思う。


 で、現道に合流して終了。
旧道は峠を中心に、合計1kmほど。
トンネルの現道は、ほんの200mほどで通過できる区間である。
目立たないが、トンネルの有効性をまざまざと感じさせる峠であった。



13:11 旧道を終了。

合流点から峠方向を見れば、そこには現道のトンネルが見えた。


こうして、辺鄙なダムの廃橋群と、忘れられた廃峠道の探索は無事終了した。









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