秋田県一般県道200号 矢坂糠沢線 前編

公開日 2006.10.17
探索日 2004.04.21

 秋田県一般県道矢坂糠沢線の路線番号は200。
各県に何本かずつはこんな“キリ番”県道があるはずだが、秋田県ではこれが唯一のキリ番らしいキリ番県道である。(100号や300号400号などは存在しない)
そんな訳で、長年秋田県内の地図を見続けてきた私にとっては少し気になる道だった。
 さらに、よく調べてみると、この路線は県内に合計13本ある不通区間を持つ県道“不通県道”の一つであることが判明。
不通が地図上で余り目立たないのは、その不通と指定されている延長が860mしかないためである。

 この路線の全体像を簡単にお伝えしておこう。
県の道路調書によれば、起点は山本郡藤里町矢坂、終点は北秋田市綴子(つづりこ)糠沢(ぬかさわ)である。
経路は右の地図の通りだが、全体を見ると、米代川沿いの平野部の各地方都市を最短で結ぶ国道7号に対する別線(迂回路)としての性格が見て取れる。
人口の減少が著しい山間部の小集落を一筆書きで繋ぎ合わせたような路線指定だが、県道に指定されたのは昭和49年と比較的古い。

 少し前になるが、2004年春、雪が消えたばかりの不通区間を調査するべく、私は現地へ向かった。
起点の矢坂からスタートし、不通区間を越えて最初の集落である田子ヶ沢まで行くつもりであった。
以下は、そのレポートである。


キリ番県道の憂鬱

白神山地の玄関口


 県道200号の起点は、白神山地の秋田県側玄関口として知られる藤里町の南端、能代市と境界を接する矢坂地区にある。
数年前まではこの辺りの能代市は二ツ井町と呼ばれており、いまも地元ではその名前の方が通りがよい。
ここは、二ツ井町を東西に縦断する幹線国道7号から北へ約4kmほどの地点で、国道からここまでは県道317号二ツ井西目屋線を利用する。

 写真は県道317号から見る起点の交差点。
行く手には白神山地が控えているが、まだ些か遠いので、近くの小山に隠され見えない。
県道200号はここを右折するが、青看には「矢坂」とだけ行き先が書かれている。



 このT字路交差点には、最近立てられたらしい立派な看板がある。
そこには県道200号の早期開通を訴える内容が書かれている。
この県道では近隣市町村が参加して早期開通期成同盟会が組織されており、県内の13ある不通県道の中では最も活発な陳情活動が行われている。
白神山地とまだ新しい秋田北空港とを結びつける路線という触れ込みのようだが、経路的にちょっと無理がある気もする。
また、不通区間だけが改良されれば良いという物でもなく、本来の県道としての機能を発揮するにはまだまだ改良するべき区間が多すぎる状態である。
その辺のことも、走っていけば自ずと分かる。



 前述の通り、秋田県内では唯一のキリ番県道である。
ヘキサ(県道標識)に書かれた数字が、目に新しい。
ちなみに、県内には国道を含めてもキリ番らしい路線は他にない。

 始まったばかりの県道200号は、2車線には僅かに足りない道幅で用水路と田んぼの中を北東に進む。
通行量はきわめて少ない。



 矢坂集落内を右左と折れながら進むと、起点から900mほどで県道トレースの最初の難関が訪れる。
集落の外れに写真のT字路があるが、県道はこれを右折せねばならない。
ただし、そこには県道を示す標識はなく、実際の通行の流れも直進メインなので間違い易い。

 正しく右折すると、そこはすぐ橋になっている。
しかし、ここでちょっと寄り道。



夫婦杉と古橋のある八坂神社


 T字路の向かいには杉の木立に囲まれた丘があり、村社八坂神社という石標が建っている。
この神社にはオブローダー的に2つ見どころがある。

 まず一つ目は境内の入口に架かるご覧のコンクリートの古橋だ。



 小ぶりながら風格のある親柱には、4箇所の扁額が取り付けられていた痕跡を有するものの、現存するのは一箇所のみである。
そこには、昭和7年5月という、思いがけず古い竣功年が刻まれていた。
幅と長さが殆ど同じくらいの小橋であるが、村人たちが寄進し合って橋を勧進したものであろうか。
昭和初期にコンクリート製の永久橋が主要街道ではない場所に架けられたというのは珍しく、銘板によってはっきりと起源の分かるこの橋は貴重である。
これが村道や県道と言った扱いではなく、神社に行くためだけの橋と言うところに、昔の人の信心深さを感じる気がする。

 なお、写真奥に見える白いガードレールの長い橋が、県道200号のこれから渡るべき橋だ。



 名称不明橋(矢坂橋?)の全体像。

 サラサラと爽快な音をあげて流れる水路に架けられている。

 訪問の時期と天気に恵まれたか。
 何の変哲もない景色のようだが、うーん気持ちいい!!



 そしてもう一つ、この神社の驚きポイントは これ!

杉の巨木に挟まれた、幅50cmほどの隙間が参道になっているのだ。
お相撲さんは通行不可?!



 塵一つ無い境内。
ほどよく手入れされた緑。
信心など持ち合わせていないような自分でも、自ずとこうべを垂れたくなってくる。
そんな、穏やかで優しげな神域のムードが充ちている。

こんな景色は、一つでも多くこの国の残さねばならない…などと、柄にもない事を。春うらら。



湍流を越え 野に放たれる県道


 先のT字路を右折すると、すぐに長い橋を渡る。
これは大沢橋で、白神山地の美谷方々から集められた水が一年中豊富な水量をもたらす藤琴川を渡る。
特にこの季節は奔流をもって米代の大河に辷り込んでいく。

 大沢橋もまた、一目で印象に残る姿をしている。
橋の中央部に控えめな離合スペースが設けられているが、県道の橋にしてはかなり狭い。
そして、長い。
欄干がちょっと、うっとうしい。



 鋪装も欄干も凄く新しいようなのだが、親柱が無く直接欄干に取り付けられた銘板を見ると、竣功は昭和40年となかなかの年代物。
狭さも納得というわけだ。
橋の前後が直角カーブだというのも、古びている。

 ちょうど、この橋を渡りきった所に「1km標」が立っている。
このデザインの距離標は、現在の所秋田県でだけ確認されているもので、道路については決して先進県ではない秋田が全国に誇って良い、県道歩きの重要な目印である。
起点と終点にも路線名を書いた同じ標柱が立っている場合が多い。



 少し離れて振り返ってみると、そこにはあの狭い橋桁を支えるにしては大袈裟すぎるほどの膨大な数の橋脚の列!

 橋の形式的な古さを感じると共に、この川が県内稀に見る暴れ川であったことを再確認する。
そういえば、昭和40年に架けられたというこの橋だが、時期的にピンと来るものがあった。
おそらく先代の木橋は、この前年の、記録に残る大洪水で流出してしまったのだろう。
藤琴川流域では、家屋や人的な被害もさることながら、交通網の断絶著しく、当時築かれていた一大森林鉄道網の命運を断ったりもしたのである。




 あおー!!

 そう叫びたくなるほど、爽快な景色。

淡く色づき始めた枯草の河原、田んぼ。そして、未だ来るべき季節を拒絶するかのような白神の峯々。

県道200号は大沢橋を渡るとすぐ、本来あるべき道幅を取り戻し、最初の難関を乗り越えたことを誇らしげに宣言するのであった。



 名不知  …無人の村


 橋から600mほど道なりに田んぼの中を進むと、山を背後にした帯状の集落に突き当たる。
大沢の集落だ。
県道は、この突き当たりのT字路をまず右折。
標識などは一切無い。


 県道は次いで、すぐにこの十字路を左折する。
標識の類はやはり無い。

 ここの鍵型の道路線形によって、地図無しで県道を追従することは困難となる。 この不案内ぶりは、そのまま不通区間の存在を暗示しているようだ。



 大沢集落を出るとしばし進路は北東に固定され、藤琴川支流の大沢川に沿って源流を目指すことになる。
県道が不通であるためこの川沿いは巨大な袋小路となっており、立派な道幅に対してその通行量は極端に少ない。
農耕車が堂々と車線の中央を走っている。
沿道の民家も、程なく途切れた。

 やがて、冬期閉鎖の予告標識が現れた。
大沢から不通区間の始まりとなる市町境までは地図上で7.5kmである。



 ぽつりぽつりと家屋が点在する谷筋は、徐々に狭まりつつある。
茶褐色ベースのくすんだ景色の中に、目立ちすぎる道路情報板が現れた。
2km先の冬期閉鎖を宣言される。
2km先といえば、まだまだ峠までには距離がある場所だ。
時期的にもう積雪はないだろうが、一抹の不安が過ぎる。



 やはりぞろ目は美しいもので、ある度に写真に収めてしまう“ヘキサ”。
何本目かのそれの補助標識に書かれていた地名を見て、ふと漕ぎ脚が止まる。

    名 不 知

 なんて寂しい地名なんだろう。
極端に道路に近い場所に、全ての窓が冬囲いされたままの古民家が一軒だけ建っている。
その主らしい老夫婦が、近くに車を停めて農作業をしていた。
秋田 消えた村の記録』という本によれば、この名不知(なしらず)集落は昭和55年に全戸が移転し廃村となって久しいそうだ。
かつては、18軒もの民家が道路沿いに軒を連ねていたと言うが…。
村が消えてしばらくたってからようやく県道が拡幅舗装され、こんなに立派な道になったということに、更なる寂しさを感じる。

 そういえば、沿道でここまで見た家々の大部分に、人の気配がなかった。
でもそれは、秋田の山村の末端では見慣れた景色でもあって、訝しくは感じなかった。
前出の書によれば、この大沢川やその支流沿いに名不知のほか、一の又、二の又、大川目、奥滝ノ沢などの廃村があるという。
袋小路の不便さ(特に冬期間)を解消するはずの道路の改良が、遅きに逸したのだ。



 二の又 最奥の廃村へ… 


 大沢から5km地点。
ずっと2車線の道が続いてきたが、ここでそれが終わる。
2つの沢が出会う小さな盆地で、道も二本の砂利道となって二手に分かれていく。
県道は右折が正解である。

 そして、ここから先は冬期閉鎖区間となる。
閉鎖の期間は12月10日から翌年4月28日までと、5ヶ月近い長期に亘るものだ。
この探索日は解除1週間前であったが、特に封鎖されている様子はない。ただ看板があるだけだ。
いわゆる、“放置除雪”である。
雪が自然に消えたら自然に開放だけど、冬期閉鎖期間内は一切除雪しませんよ。ということだ。


 いよいよ不通区間の接近を予感させる展開だが、なお県道である事を道は主張してきた。
道端に佇む7kmのキロポスト。
嬉しい誤算という奴だ。



 このT字路には、その山側に大きな切り通しが切り拓かれていた。
将来の県道となるべく造られたことは間違いないが、まだ道としての体を成してはいない。
いまはただ風が通り抜けるのみだ。
狭い現道は、ここを大回りに避けて、いよいよ狭まった谷あいに入っていく事になる。



 耕作を放棄された田畑が谷の入口まで続いている。
この辺りにも昔は集落があったものと想像される。

 短い沢の狭窄部をすり抜けると、再び視界が大きく開けた。
そして、威圧的な急坂が目に飛び込んできた。
その上の方からは、ガガガガガガ…というような、岩を砕く機械の音。エンジンの唸りが轟いてくる。
近くにある看板によれば、ここは地図にも載らない、いわば知られざる鉱山であった。
しかも、現役で稼働している。
掘っている鉱石の種類は天然ゼオライトというもので、日本名は沸石という。
聞き慣れないが、化学反応の触媒などとして工業全般に使われている。

 県道はこの露天掘りの景色を右手に見ながら、左の砂利道へ続く。



 現場を過ぎると、辿々しいながらも鋪装が復活した。
しかし、田んぼの畦道と変わらぬような狭さの道である。
幾らも行かず8kmポストが現れた。
ここも紛れのない現役県道なのである。
そして、県道沿い最奥の集落だった二の又に到着。
だが、この集落も廃村となって久しい。
四方を小山に囲まれた、何とも静かな所である。




いよいよ地図上の県道色は、この辺りで途切れる。
数軒の民家が農具小屋や休憩所として残されたままの二の又集落跡を過ぎても、なお畦道然とした極細舗装路が続いた。



 そして、谷が狭まっても細長く細長く続いていた田んぼも、遂に根負け。
もう谷間に道路一本通す幅もないほど狭くなって、そこで道は二手に分かれた。
右の道は地図にない道だが、鉄塔へ上る管理道か造林作業道っぽい。
ここは素直に直進した。

 遅ればせながら、ここでようやく峠らしい登りが始まることになる。



 上りはそう長く続かなそうである。
なぜなら、登り始めてすぐに空の切れ目が現れたから。
あそこが鞍部に違いない。
粒の大きな砂利がゴロゴロしてとても漕ぎにくい上り坂に息が切れた。
そして、ここにもしぶとく距離ポストが設置されている。
しぶとかったが、もう次のキロポストは見れないだろう予感。
それよりも先に峠の不通区間が始まってしまうはずだ。



 キャタピラの痕が鮮明に刻まれた険しい路面。
砂利の後輪が滑って空転してしまうほどの勾配。
距離は短いが、思いのほかに厳しい坂道であった。

 登り始めて10分足らずで、いよいよ鞍部が間近に迫った。
杉の森が分かり易い“Vの字”に切れ込んでいる。
峠の先に、道はあるのだろうか?



 掘り割りの峠。
1車線幅でしかないが、しっかりと掘り抜かれ、砂利が敷かれ、峠の体裁を整えていた。
この掘り割りの手前で、またも道は二手に分かれていた。
真っ直ぐ進んでこの峠に辿り着いた。
左の道はどこへ行くのか分からない。

 正午を迎える3分前。
私は不通県道の不通区間の端と思われる、無名の峠に達した。
この先は北秋田市、かつての鷹巣町である。



 不通区間の意味はすぐに分かった。
掘り割りからそのまま真っ直ぐ谷底へ下るように予定線を描く地図もあるが、それを信じて道を探してみても、杉の鬱蒼とした林に突き当たるばかりで、その斜面に道らしきものは見当たらない。

 二万五千分の一地形図によれば、この先にも破線の道が存在する。
谷底の林道まで、地図の読みで900mほどである。
チャリ同伴でのこの距離を短いと見るか長いと見るか、私の中でもその難度に関しての予測は一つに定まらなかったが、そもそも入口が特定できないのでは話にならない。



 だが、全くとりつく島もないと言うのではなかった。
行き止まりの左右に、まるで左右対称のような小径が延びていたのだ。
そのどちらも、奥までは轍が付いていない。
車が通るような道では無さそうである。



 このどちらかが、不通県道の不通を乗り越える突破口なのか?!
 それとも、どちらも罠なのか?!

 それを確かめる術は、一つしかない!!