道路レポート  
国道106号旧線 大峠 その2
2003.9.24




 大峠。

それは、閉伊川が北上山地に穿った幽玄な峡谷を越える、陸の難所である。
 

旧道へ入る
2003.7.17 12:18


 大峠は、現道ではご覧の大峠トンネルであっという間に通り過ぎることができる。
一方、トンネル開通以前の旧国道は、トンネルのすぐ手前から、山肌に沿って右へと伸びている。
その入り口はガードレールで塞がれており、大変分かりづらい。
たとえば、私のようにチャリと言う低速な乗り物を利用し、かつ、旧道を探すと言う目的を持って走行している、
そんな状況でなければ、まず気が付くまい。
 

 チャリを担いでガードレールを乗り越える。
そこは、辛うじて砂利が下草の合間に覗くだけの廃道である。
旧道化した後も一時期は、自然歩道として開放されていたらしいことを近くの集落に残されていた案内図から知ったが、もう利用されている形跡は無い。

ちなみに、写真の右のほうに写るコンクリートの物体は、大峠トンネルの坑門の側面である。




 旧道入り口のすぐ下を、国道をくぐる形で山田線の線路が通っている。
そこに見えるトンネルで国道同様、あっという間に大峠を越えていく。

岩肌を削った古道
12:21

 入り口から数メートルほど進むと、もう辺りは森の中である。
人の手が及んでなさそうな自然のままの森の奥へと、斜面を削り取った旧道が伸びている。
路面には何十年分の落ち葉と、それが変化した土が軟らかく堆積し、確かに森へと還りつつある。
ほんの1分前までは国道の喧騒に包まれていたことが嘘の様に、そこは静かであった。

蜘蛛の巣はびこる古道を、チャリに跨り奥へと進む。
楽しくて、思わず顔がほころぶ。


 しかし、ハイキング気分で旧道を楽しめたのは、ほんの僅かな距離であった。
勾配やカーブは殆ど無く、ただただ山肌にそって進むだけの道だが、進むにつれ急速に下草が繁茂してくる。
それだけじゃない。
写真にも写る左手の切り立った岩肌をご覧頂きたい。
元国道の法面とは信じがたい、いかにも人の手で彫られたような岩肌だ。
そして、それは先ほどよりも確実に険しさを増しているではないか!

死の断崖に向かって、道は一直線に進んでいた。




崩れ去った道
12:22


 恐れていた光景がそこにはあった。
入り口から100mほどで、道は哀れにも夥しい瓦礫の下に消えていたのだ。
崩れ去った道にもなみなみと落ち葉が積もり、その経過した時間の大きいことを感じさせる。

左手の岩肌から崩れ落ちた岩石は道を覆いつくし、元々は水平であったはずの道全体を崖側に傾斜させている。
崩れてから時間が経過しているようだが、この瓦礫の上をチャリごと通り抜けて無事で済む保証はどこにもない。
そんなことは、当たり前のことだが…。

どうするべきか、暫し逡巡した。




 私を躊躇させたのは、崩落だけではない。
いつの間にか閉伊川の削り取った峡谷は限りなく垂直に近い懸崖を成しており、已む無く近寄った路肩から見えたのは、目も眩むほどの落差の向こうの渦巻く波濤であった。
水量が多く、落ちたらまず助かるまい。

背筋にゾクゾクとする嫌な感触が付きまとう。
足が竦んでいては、とても先へは進めない。
冷静に、辺りを観察し。

冷静に、判断。

…ゴーだ。

現れた旧道の痕跡
12:23


 命懸けで崩落地を突破する。
距離は短く、時間はかからない。
ただ、正確に足元を選び、歩を進めるのみだ。


 その先に現れたのは、変わり果てた旧道の姿であった。
この朽ちかたは、衝撃的ですらある。
そして、これこそが私が捜し求める“廃美”と言うものである。

人類の安全や利便のため拓かれた道が、ひとたびその手を離れたとき、 自然と言う、静かだが決して留まることのない大いなる流れによって、
少しずつ少しずつ形を歪められ、
ついには元の姿へと還っていく。

このことは、人類の生きると言う行為自体が、この地上の摂理とは相容れないのだろうかとさえ思わせる。
だが良く考えてみれば、もしそうでなければ既に、世界は雑多な物で溢れてしまっていたはずだ。
きっと、塵に埋もれた人類は、それ以上進歩することができなかっただろう。

そう考えれば、この廃の摂理こそ、自然の恵みそのものなのだと思う。




 もはや用を成さなくなったガードレールの向こう、切り立った断崖との境目になにやら人工物が見える。
あんな場所に何があるのだろうか気になって、危険を承知で接近を試みた。


 そこにあったのは、紛れもない欄干であった。
コンクリートと鉄管を組み合わせたその造型は、先ほど通り過ぎた岩井沢橋と瓜二つだ。
地形的に、これが橋の欄干とは考えにくいので、だぶん、ガードレールが設置される以前の転落防護柵と思われる。
岩井沢橋との造型の酷似から無理やりその竣工年を推測すれば、昭和3年ごろと言うことになるだろう。
もし、当初の道幅がこの欄干まであったとすれば、かなりの広さ(5〜6m)である。
これは、あの万世大路をも髣髴とさせる、主要街道の姿では無いか。



死の断崖を乗り越える
12:25


 これより先、道の痕跡は殆どない。
ただ、垂直に近い山肌に、明らかに人工物と分かる石垣が点々と姿を見せている。
分かってはいる。そこに道があったと言う事は。
だが。

だが、ここを進むと言うのは、余りにも危険である。
余りにも無謀。
かつて松ノ木峠で私を襲った恐怖と反省が、今再び、私の決断を迫ってきた。




 己の胴回りほどもあろうかと言う生木が、崖に張り出したような道の縁を支えているように見える。
写真の奥のほうには、本来崖を支えるべき石垣が写っているが、もはや所々に残るだけの欄干同様、役目を成してはいない。
ただ、成長を続ける木々の根によってのみ、瓦礫に埋もれたかつての国道が支えられているのだ。
こんな道のどこに、私の進める場所があるというのか。

自問自答してみる。


そして、
答えは出た。




 大峠旧道中で、最も酷い部分がここであった。
ちょうど現道からはもっとも離れ、蛇行する閉伊川の流れが最大に切り立つ場所だ。
ここで死すれば、まず、永遠に発見されないだろう。

写真とおり、道は無かった。
ここの崩落は、今なお収まってはいない。
まさに、あの“松ノ木”の再来だ。
一体どれだけの時間がここまで崩壊を進めたのか分からないが、現道の大峠トンネルの開通は昭和40年代である。
私がこれまで生きた時間よりは長いが、それでも、藩政時代より続く街道の歴史の中では、僅かな時間と言えまいか。
ならばなぜ、近年になってこれほどの崩壊に見舞われたのだろうか?

ひとつは、管理する人、通る人が無くなったと言うこと。
それともうひとつ、私が感じるのは、
ここが細々と人馬の通うだけの道ならば、これほどの“逆襲”を受けたりはしなかったのでは無いかということ
昭和に入り、自動車交通の要請を受け無理な拡幅工事などによって、この崖の重力バランスは致命的な崩壊を迎えたのではなかったか。

松ノ木も然り、
信じがたいような崩落には、無理な開発が付きまとうのだ。


あくまで冷静に、私は歩みを進めた。

そして、
生きて、ここを突破した。
大峠
12:26

 おぞましい崩落地の先には、嵐のあとの透き通った青空のような、穏やかな景観が待ち受けていた。
そしてここが、大峠である。
殆ど高低差は無い大峠だが、その中ではこの地点がもっとも高い。
この先は、緩やかな下り坂が続く。

遥か足元から届く川の音。
森の生き物たちの歌う声。
足元の淡い緑から、遠くの山並みの深い緑に繋がる、精細なグラデーション。
ここが国道としての役割を失った後、自然歩道として利用しようとしたのも頷ける。
だが、ピクニックの家族連れの姿をここで見る事は、もう無いに違いない。

楽園は、とり残されたのだ。


進路を塞ぐ倒木の山
12:30

 一休止の後、峠を後にした私だが、すぐさま困難に突き当たる。
地形的には先ほどまでに比べ幾分おとなしいのだが、岩石の代りに、無数の枯れ木が道を埋め尽くしている。
まるで、意思を持って私を妨害しているかのようにさえ思えてくる。

徒歩ならまだいいのだ。
チャリを引き連れてここを越えるというのは、ただ汗まみれになるだけでない危険を孕んでいる。
すっかり渇いて軽そうな枯れ木でも、もしバランスを崩して私へ向かって落ちてきたら、ただではすまない。


 難所は断続的に続いたが、何度かの担ぎの先で、やっと道が判然としてきた。
そして、そこには一台のテレビが曝されていた。
紛れもない不法投棄なのだが、見たところ辺りにあるゴミはこれ一つだ。
くだらない感情論だと笑われるかもしれないが、投棄した人は、なぜ、こんなふうに岩の上に置いて立ち去ったのだろう。
それはまるで、団欒に囲まれたテレビの「楽しかった時代」を反芻させるかのようだ。
かつてどこかで、無限の世界を映して見せただろうブラウン管は無く、代りに枯葉の数枚が収まっていた。

奇妙な空間を、一台のテレビが作り出している。


第14閉伊川橋
12:35

 峠から500mほど下ると、川面との比高も小さくなって峠は終わりを迎える。
だが、トンネルを越えてそこにあるはずの現道が現れない。
代りに眼前に現れたのは、山田線の鉄橋だった。
殆ど轍の消えた廃道だが、それでも国道時代の痕跡なのか、高さ制限のバーが設置されていた。
そこをくぐって、鉄橋の下に差し掛かる。


 なかなか間近で見る事は少ない山田線のトンネルだ。

山田線は盛岡から宮古を経て釜石に至る路線として昭和14年に全通している。
特に盛岡宮古間はその前年に開通していた。
それを踏まえてこの坑門を観察すると、面白みのない昭和中期以降の造型ではなく、大正期からの続く石組に近いことがわかる。

また、山田線は未曾有の災害と不通を経験してきた路線でもある。
昭和22年にカザリン台風で一部区間が不通に。
その復旧の最中であった、翌23年には三陸地方に壊滅的な被害を与えたアイオン台風が山田線を完膚なきまでに叩きのめした。
このときの不通区間の延長は合計45kmにも及び、29年に再開通を迎えるまで、三陸地方は再び陸の孤島へと逆戻りを余儀なくされたと言う。
アイオン台風で不通となった区間にはここも含まれており、心持ち橋台が新しいようにも見えるが…。
果たして。



 橋脚には『第14閉伊川橋』という名称の他、ある“お願い”が、他の現役のガード下にあるものと全く同じ文面でしたためられていた。

 お 願 い

橋げたに自動車等が衝突したのを見た方は、至急下記までご連絡願います。 云々…

この橋脚にぶつかる自動車はもう、いないだろう。


 ガードを潜っていくらも行かぬうちに、今度は真紅のアーチを潜る。
これが、現国道のものである。

ちょっと、予想外の比高になっている。
どうやって現道に戻るのだろうか…。
来た道を戻るのだけは、勘弁して欲しいのだが。

とりあえず、突破を信じ、先へ進む。

キノコの泥沼
12:37

 かすかな轍を頼りに、緑一色の森の中を、閉伊川の渓流に沿って進むこと200mほど。
左手の山肌が、明らかに人工的な石垣で固められているのに遭遇した。
ちょっと、驚くべき規模である。
まるで、ピラミッドか何か、古代の遺跡を発見したような気分だ。

実はこの上には、旧道と現道とを結ぶアクセス用の狭い道が通っていて、石垣以外に施工手段がないほど古い時代の物とは思えないのであるが、節約の為にこうなっているのか、それとも…?
全く持って謎の多い巨大な石垣である。


 なおも進むと、足元には深い泥の地面が広がっていた。
そこは、分解されずに残った落ち葉が黒く粘土状に広がっていて、それは底なし沼のよう。
チャリでうっかり侵入したのだが、あっという間に速度を奪われ、ついには停止させられた。
そして、案の定、体を支える為に地を突いた足はくるぶし以上まで泥の海に沈み…。

嫌なムードが私を覆った。

 しょぼくれた私の目を楽しませてくれたのは、無数のキノコたちである。
どうやらこの沼は、菌類の培養地として極上らしく、沼に落ちた朽木のどれからも、夥しいキノコたちが顔を出していた。
きっと、ここはキノコ名人も知らない隠れたキノコスポットである。
それは言い過ぎか?
でも、とにかく凄いキノコ沼であった。

 そして、この沼は執拗に私を困らせた。

あれほどの断崖には、持ち前の経験と度胸と意地で立ち向かった私だが、この沼地には戦意を著しく損なった。
一体、どこまで続くのか。
一体、どれほど深いのか。
一体、この道は無事に現道に出られるのか。

多くの不安は皆、私にギブアップを要求してきた。
そして私はそれを、受け入れることにした。

残念ながら、この先は未知の世界となってしまった。
多分、キノコ沼はさらに100mほど続いているのだろう。
その先は、地図上は現道に吸収されて消えている。

生還
12:41

 実はキノコ沼には分岐点があって、崖上に登る道は200mほどで現道の大峠トンネルの袂に続いていた。
おかげで、あの地獄に戻らずに済んだ。

ああ、助かった。
正味、旧道を走っていたのは30分足らず。
距離は1kmに足りるかどうかという程度だった。
数字的には、やはり小さな小さな峠である。
それでも、私の記憶に記されたそのインパクトは大きく、まさに“難所”大峠となったのである。

あっという間に通り過ぎてしまう現道の影に、
忘れえぬ景色が眠っていたのだった。


 現道の、先ほど下を潜ったばかりのアーチ橋から、キノコ沼付近を見下ろす。
見覚えのあるガードレールが護岸の上に見え隠れしている。
自分があんな場所にいたのだと思うと、チャリの踏破力と言うのも馬鹿にできないなと思ったりして。



 今回の長かった梁川〜区界峠〜大峠のレポートもこれで終了だ。
しかし、目的地宮古はまだまだ遥かに遠い。
先ほど見た閉伊川橋は第14だったが、宮古湾付近の、最も海よりの閉伊川橋は第34なのだから…。


おそるべし、区界峠。










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