ルートレポート 国道107号線 奥ヶ沢地区
2002.10.30


 国道107号線の本荘市内にある旧道を辿る今回のレポートも後半戦。
今度は、本荘市大簗地区でいよいよ石沢川の渓谷地帯に分け入った国道が、一帯で最大の急流となる奥ヶ沢地区を経て、東由利町宿地区に至るまでの部分である。
 この区間の現道は比較的最近になって完成したものであり、旧道も険しいというほどものではない。
しかし、大方トンネル化された現道にはない、渓谷美を独り占めできるという感激がある。
幹線国道の任から解き放たれた、穏やかな旧道は、心地よい。

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本荘市 大簗
2002.10.24 8:22
 大簗には数件の民家があり、国道沿いに商店もある。
名勝石沢峡や日住山登山の起点であり、景色的にも見通しの聞く場所だ。
しかし、国道を横手方向にさらに進むこと1km、あたりの景色は一変する。

 石沢川の両岸は岩場が目立つほど険しく、切り立った山肌の裾を洗っている。
国道は流れに従い蛇行しつつ、進行する。
道は程よく整備されており、通り過ぎる車の中からは決して気づかなそうではあるが、沿線の景色は深い山容を成している。
 国道から見られる美しい渓流の様子。
紅葉が始まっていたが、あたりは全山広葉樹であるから、時期にはさぞ見事な紅葉が楽しめるだろう。

 それよりも、私が以前より気になっているものがある。
それはこの写真にも、しっかりと写っているのだが…。
私が捨て置けぬもの…旧道らしき痕跡だ。
ちょうど、水面から1mほど上部の岩肌に、水平に削り取られたような痕は見えまいか?

 これは、道ではないかと思う。
…いつの時代のものであろうか?
非常に風化しており、現在ではまったく危なっかしい代物であろう、というか、命がけの道であろう。
それなりの装備と技術を持つ同士がいれば、ぜひ、この地を訪れてみていただきたい。
このような痕跡は、の辺りまで、点々とだが確認できる。
長いスノーシェード
 そして、この一帯のシンボルと私が思っている、長い長いスノーシェードが現れる。
2本のスノーシェードが連続しており、この景色こそが、国道107号線らしいと思える。好きな景色である。
というか、国道107号線って、横手北上間の錦秋湖付近といいここといい、長いスノーシェードが多い道である。

 スノーシェード内からの渓谷の眺め。
対岸には、やはり、気になる痕が続いている。
 旧道分岐点 
 現道と、旧道の分岐点。
青看も立っており、分かりやすい。
右の“奥ヶ沢”と案内されているのが、旧道である。

 いよいよ、進行!

 と、入り口で迎えてくれるのが立派な水色の鉄橋。
『ものいいはし』という名なのだが、銘版が一部失われているために、漢字表記は不明。(物言橋?)
昭和33年竣工である。
親柱など経てきた年月相応に痛みが進んでいるが、鉄橋は比較的きれいである。

 この旧橋の袂には、風化しほぼ形を失ってはいたが、さらに古い時代の橋台が残されていた。
 奥ヶ沢棧道橋
 旧道は鉄橋を渡るとすぐに右折する急坂と分かれる。
この坂の勾配はかなりきついが舗装されており、登りきると山内の集落がぽつんと現れる。
道はさらに続いており、そのまま進むと再び国道に戻ることになる。
 旧道は直進で、少し進むとこの変わった名の橋に遭遇する。
その名は、『奥ヶ沢さん道橋』という。
“棧道橋”というのが聞きなれないが、これは、川や湖でなく、山裾を越える橋のことを言う。
”跨道橋”や“跨線橋”という言葉が、不自然な平仮名化されつつも(『こ線橋』などという表記を見たことがあるだろう)、ちゃんと残っているのに、この“棧道橋”という言葉は今日、このような立地の橋は決して少なくないにもかかわらず、(少なくとも名称などには)殆ど利用されていないようだ。
 こんな部分にも、この道が旧道であることを感じられる。
 この部分からの現道の眺め。
現道は石沢川の対岸を、やはり“棧道橋”と呼べる橋梁を交えつつ、緩やかなに上っていく。
この後まで、次第に旧道との高度差は広がっていく。
現道の下をくぐる
 ここは非常に好きな景色である。
旧道は、石沢川の女性的な美しさを見せる渓谷の脇を、見通しが利く緩やかな曲線を描きつつ往く。
そして、その先には先ほど分かれた現道のコンクリートアーチが見えている。
このまるで良く出来たジオラマのような、小憎たらしいほどに完成された線形美である。
 迫ってきた現道のアーチ。
そう、現道はアーチで石沢川と旧道を一気に越え、そのまま長いトンネルへと吸い込まれていく。

 旧道は通る者も殆ど無いが、状態は良く、快適なドライビングを約束してくれると思う。
とくに、紅葉の時期は最高であろう。
 これが現道の銀河トンネル(1994年竣工、延長753m)の坑口。
橋の上をびゅんびゅんと車が頻繁に車が疾駆する。
大下橋
 さらに川沿いに直線を少し進むと、再び鉄橋が現れる。
鉄橋の対岸上部には赤茶けた露頭が威嚇するように、その姿を曝しているが、この辺りには何箇所かの採石場があり、ここもそのうちの一つと思われる。
 この鉄橋は『大下橋』。
一見、面白みのない鉄橋のようだが、少し後に、きっとあなたもこの橋が好きになるだろう。
竣工は昭和35年である。
 もはや、誰も辿り着けぬほどに、自然と同化してしまった遺構。
写る景色一つ一つが、この道を走るのは数度目だというのに、新鮮である。
この美しい旧道の情感に、完全に虜にされてしまった。
 もはや何も言うまい。

 大げさだろうか?

私の貧弱な語彙では、この景観は、“絶句”というのがふさわしい。
そうすることが、もっとも、感動を伝えられると思う。
それほどまでに、美しい。
ここは、別に観光地でもなんでもない、ただの旧国道の眺めである。
より一層、私がここに惹かれる理由はそこにある。
道は、年を重ねるごとに、美しくなるものなのか?
大下集落
 この集落が、この旧道が封鎖・破棄されることなく現役であり続ける為の要である。
しかし、廃屋が目立ち、その存続が心配である。
大下からは、東由利町であり、旧道にも控え目ではあるが、境界の表示がある。
また、ここから左に分岐する砂利道は、7kmほどで滝温泉に通ずる林道で、一部の勾配が厳しく一般向けではない。

 ここから先は、川からすこし離れ、辺りの景色もやや開けてくる。

現道との交差点
 そしてじきに、この交差点で現道と合流する。
 交差点の、それぞれ左右の眺め。
右は、銀河トンネル。
左は、童画のトンネル(竣工1994年、延長248m)という。

 さらに旧道はこの交差点を突っ切り、直進するが、ごらんの様な崩落に遮られている。
簡単に脇を通り抜けることが可能であるが。

 この先、旧道は石沢川の蛇行に沿って、杉の美林を対岸に眺めつつ進行するが、まもなく再び現道に合流。
さらについ最近旧道と化したばかりの道は、畑村、船木を経て、郵便局もある宿へ、その後も延々、新旧様々のバイパスと幾度も交差しつつ、当座の目的地である蔵に向けて続く。

 が、この部分は、やや冗長かも知れない。
今回のレポートは、一応ここで終了としたい。




END



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