道路レポート  
国道113号旧線 八ツ口 前編
2004.6.9


 「小国新道」とは、明治の辣腕県令(知事)「三島通庸」が、山形県南部と新潟県とを結ぶために開発した、それまでの越後街道に代わる道だ。
その後、時代が昭和へ移り変わり、急激なモータリゼーションによって道はその至る所で改良工事を受け、概ね、昭和40年代後半には現在の国道113号線の道形が完成している。
現在は、さらなる二次改良工事やバイパス工事などが、将来の新潟山形南部連絡道路の一部となるべく、進められている最中である。

この小国新道の痕跡を辿る旅は、国道113号線の旧道を辿る旅に、ほぼ一致する。
現在通ることが出来る国道の、その殆どの区間に、何らかの旧道が存在しているのであるが、その中でも、探索がとりわけ困難だったのは、つぎの3カ所であった。

一つは、当初の予想通り、全線中でも唯一の峠と言って良い「宇津峠」だ。
そして、これもまた予想通り、難所と名高い「片洞門」。
残るもう一つが、全くノーマークだった、これから紹介する「八ツ口」である。


山形県西置賜郡小国町 玉川口
2004.5.12 14:57


 昼夜車の途切れない国道113号線玉川橋の下には、いまも一対の小さな橋台が、なみなみと水を湛えるダム湖を挟んで対峙している。

ここは、山形県小国町が新潟県関川村に接する玉川口。
この頭上の橋を渡り、次に見える落石覆いの出口付近が、県境となっている。
山形県南陽市からは約50km、新潟県村上市からは35kmの地点である。
いよいよ、新潟県へ入る。


 ここで分かれ飯豊山へと繋がる県道15号線の分岐点の形状は凄い。
わざわざダム湖上に“コ”の字型の桟橋を造っている。
これがなければ、よほど小回りの利く車以外は、今私が向いている方向からこの県道へ入れないだろう。
というか、この桟橋は平成9年の竣工であり、それ以前はどんな交差点になっていたのか、気になる。
かつて小国町を陸の孤島と形容せしめていた地形の困難さは、人の力によって克服されているのだ。


 写真はないがここはもう県境を越えている。
新潟県岩船郡関川村に入って最初の集落、並走するJR米坂線の駅もある金丸だ。(駅名は越後金丸)
しかし、県が変わっても荒川を取り囲む険しい山なみに違いは見られない。
進むほどに高度は下がり、穏やかで広大な越後平野は近づいているはずなのだが、まだその変化が感じられる様になるのはしばらく先なのだ。
そこまでには、まだいくつもの難所がある。

それらも、現在では、いくつものトンネルや橋で克服されているのであるが。
私が往くのは、そんな「現在の道」の影にある、過去の道である。


 金丸の次は八ツ口の集落だ。
この間もさしたる距離はないが、川に落ちる両岸はすこぶる険しい。
その谷底には、のたうつ竜がそのまま水に姿を変えたかの様な、蛇行する長いダム湖が続く。
先ほどの玉川口にある東芝発電所のダムの下流は、すぐにこの岩船ダム湖が始まっている。
ここまでが竜の長い尾であったなら、八ツ口にて一気に川幅が広がり、いわば胴体をなす。

並走する国道と鉄道が相次いで水面を渡り対岸のトンネルへ吸い込まれていく。
これが旧来の道ではあり得ないと直感した。



 旧道は、その橋を潜り、独り左岸を往くのである。
よもや、この舗装路が、

あんな地獄を見せてくれるだなんて…

思わなかった。


八ツ口の旧道へ
15:14

 1.5車線の舗装路を、現国道、そして鉄道の橋と相次いでくぐって進むとすぐ、対岸に点々と集落が見えてくる。
あれが、八ツ口の集落である。
国道も、鉄道も今は向こうに道を置いている。
そして、再びこの左岸へと戻ってくる。
つまり、ここで国道と鉄道は二度、荒川を跨ぐ。
一度目が、先ほど下を通った金丸大橋であり、1.5kmほど先にある八ツ口橋が、二度目だ。
旧道は、一度も荒川を跨がず、執拗に左岸にへばり付いて進んでいた。



 これは、上の写真にも写っている橋で、八ツ口橋という。
国道の橋と同名だが、これは町道で、国道が現在の様に右岸を通る様になる前に、旧国道と八ツ口集落を繋ぐ為に設けられたものである。
狭い橋だが頑丈な造りで、まだまだ現役である。
銘板によれば、昭和44年の竣工である。
ちなみに、足元のダム湖は昭和36年に発電用に建設された岩船ダムによるものである。
ダムが建設される以前の八ツ口橋はもっと低い位置にあったのかも知れないが、痕跡は見あたらなかった。



 旧国道を離れ、町道の八ツ口橋から上流方向を望む。
国道の金丸大橋と、JRの鉄橋が重なって奇妙な姿に見える。
足元の湖も、人造湖とは言え歴史があり、良く風景に調和している様に見える。



 一方、これが下流側の景色。
水面尽きる場所に小さく赤い橋が見える。
それが、国道の八ツ口橋であり、そこまで向かって左側の山中を進むのが、私が難所と記憶することになる、旧国道である。

探索時には、これから紹介する道が本当にかつての国道であったのか、確信が持てなかった。
その理由は説明が不要だと思うので割愛するが、帰宅後、関川村役場に問い合わせてみて、確かに旧国道であったという確証を得られたことにより、やっとレポ化する事が出来たのだ。
実は、同日に攻略した宇津峠以上に、早く紹介したい衝撃的物件であったのだ。



 町道が分かれると、間もなく旧国道は砂利道になる。
あっけなく。

既にこの遠方の地で15時を回っており、当然日帰りが要求される身としては、もうそろそろ遊びは終わりだ。
だが、この先、国道に再び合流するまで、地図上で1300mほど。
その地図に点線で示された区間が1kmほどあるのが不安材料なのは確かだが、まあ、チャりだし問題はないだろう。

突入である。


廃道
15:17

 


 湖面を右に見下ろしつつ、ゆるゆると砂利道が続く。
いや、砂利が敷かれていたのは最初だけで、すぐに土の上に轍が刻まれただけのこんな道になったが。
しかし、この程度の道は予想していた。
むしろ、この先の地図上で点線の部分も、このまま行ってくれればどうって事無い。



 轍ぎりぎりまで藪化しており、その姿に気づかず通り過ぎそうになったが、小さな橋が架けられていた。
湖に注ぐ小川を渡る短い橋だが、林道ではまず見られない、重厚な親柱と欄干を有している。
残念ながら、扁額は全て欠損していた。
この発見が、この道を旧国道ではないかと考えるきっかけとなった。

さらに進む。



 おおっ!
これは、スノーシェード!

その先の道に期待をふくらませつつ、スノーシェードの前に進み出た私だったが…。

スノーシェードは高い夏草の藪の中にあった。

この手前に車が転回できるだけのスペースが設けられており、車道はスノーシェードに立ち入ることなく終了ということらしい。
なんなんだ。
まじで、廃道かよ。

…時間が時間だし、場所が場所だけに、笑えねー。
並走する米坂線はあんまりにもダイヤが薄く、この後の時間のどの列車に乗っても、結局今日中には秋田に戻れないのだ…。
自力で、18時までに村上まではどうしても走らねばならない。
それが出来ねば、発注が飛ぶ。
クビだ。おれ。




 ここでベストの選択は、500mほど戻ることになるが、さきほどの町道の八ツ口橋を経由して、現国道へと逃げること。
それが素直に出来るのが、賢い旅人である。

それが出来ないのが、愚かな旅人。
またの名を、「チャリ馬鹿」だ。

はいな。
私は皆様の期待通り後者ですとも。
進歩無いですね。


廃道に散るひとひらの朱
15:21

 目の前にこんな遺構をちらつかせられて、おとなしく引き下がれる奴は、馬鹿じゃない。

俺は馬鹿なんだ。
どう見ても、この先へ進んでしまえば、廃道三昧が約束される展開だというのに、入ってしまう。
無論、チャリ付き突破が絶対という、最も困難な条件もありだ。



 “廃道軽トラリスト”も、ここで力尽きたらしい。(←違うと思うぞ)




 スノーシェードは延長30mほど。
路面にはまだ砂利が残っており、コンクリの法面など妙に白くて新しく見えた。
この施工自体は、そんなに古くない様な気がする。
ちょっと、現道への切り替え時期を調べていないのだが、昭和50年以降の建設ではないかと思われるのだが…はたして。

そして、恐れていたとおり、スノーシェードの日陰を抜けると、そこは緑の世界だった。




 湖面は結構下にある。
ダムによって旧道が水没廃道化するケースは多いが、ここは例外的だ。
元もと旧道は水面よりはるかに高い断崖上にあり、ダム湖が出来ても、そのまま道は使用され続けたらしい。
現在のバイパスが完成するまでは。

ガードレールも消え、いよいよ、皆様の期待する展開間近。



 美味しい”さしぼっこ”が成長すると、こんなメンケクね(=かわいくない)原っぱになる。
これが、オオイタドリの群生だ。
道じゃなく、オオイタドリの畑か、ここは。
幸い、こいつらは見た目ほど強靱ではなく、前輪を砕氷船の舳先のように先行させ、強引に切り開けば道は私の後に容易に出来る。
本当に恐ろしいのは、オオイタドリなどが作る廃道化の初歩的草むらではなく、その奥に控えている…。



 こんな藪である。

やばい。
ここはマジで踏み跡もない。
道の形は地形で判別できるが、雑草のみならず、雑木林となっている。
しかも、棘のある植物がおおいし。
タラの木に野バラ、それにアザミ、さらに鋭く尖った枯れ草の芯。
皆、露出した私の足をちくちくと刺激する。
でも、私の臑を一番多く傷つけたのは、愛車自身だった。
押すときに空転するペダルが、臑に刺さるのだ。
自傷事故多発警報発令中。



 ヨッキれんはマゾか?

そうではない。

なら、なぜ、長ズボンをまくし上げたままで廃道に突入しているのか?

決まっている。
アツイからさ。
アツすぎんだよ!この道。

いつだったか、メールで「ヨッキれんが廃道にまみれている姿を、また見たいです」と送ってきてくれた人がいた。

見てくれ!





 しかも、道は登りである。
急な河岸の断崖を少しでも逃れようとするかの様に、上へ上へと登っていく。
ガードレールの支柱だけが、藪の中残る。
路肩の一部は、石垣になっている。
眼下の水面までの比高は、30m以上になった。
落ちれば一巻の終わり。
逃げ場無し。

時間もどんどん経過ししていく。
チャリを殆ど押し、いや、引き摺り、担ぎ、振り回しながら進む。
この道、期待以上の上物ネタになりそうだが、これを持ち帰れずに死亡する懼れすら感じていた。






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