大峠道路 2005.9.24
1−1 出発
6:45
私が念願の大峠攻略の起点に選んだのは、国道121号線新・旧道分岐点のやや米沢よりに位置する、八谷ロードサイドパークだ。
山形県米沢市から約16kmの地点にあり、海抜は約500m。
峠を睥睨する位置にある、ドライバーのための一里塚のようなものだが、この片隅に車を置き、チャリを降ろす。
天候は生憎の曇天。しかもときおり霧雨が舞い、9月末だというのに肌寒い。
無論、高度差700mにも及ぶ峠の稜線はミルク色のぶ厚いベールに覆われ、全く伺えない。
午前6時45分。
ゼロ・スタート。
私が出発した地点は、「大峠道路」として国による権限代行工事で建設された区間のなかでは、最も米沢よりの「山形2工区」の中程である。
(国道121号線全体は県によって建設・管理されている道だが、「大峠道路」は権限代行工事として建設省が建設にあたっている。前後のアプローチ道路を整備したのは、県である。)
道は、小樽川に沿って幅広の長大橋をくねらせるように連続させ、主トンネルである大峠トンネルへと素直に接近していく。
写真は、百子沢橋(橋長179m)。
どの橋にも、対応する極短旧道区間が山肌に沿うて見られるが、著しく取り付けを破壊されるなどしており、現道から一望できるが接近は難しい。
出発から1.5kmほど、山形2工区から同1工区にバトンタッチする。
間もなく普洞3号橋を渡ったところで、左に旧道の分岐地点があり、ここまでは旧道を破壊しながら突き進んできた現道とは以後22km以上の別れとなる訳である。
本レポートの主目的は旧道にある大峠であるが、チャリによる周回探索となる性格上、いや、それ以前に、近代道路工事の結実が謳われた現国道「大峠道路」もチャリによって“肌に感じたい”と思っていた。
当然、まずは現国道による大峠攻略にチャレンジする。
チャレンジなどというと大袈裟かも知れないが、チャリ乗りの感覚とすれば、全長4km近いトンネルは、場合によって十分“最期の地”に為りうる、緊張の場なのである。
普洞2号、1号と近代的な橋を連続で跨ぎ、橋の連続地帯は終わる。
普洞沢の幽谷を右に見つつ、いよいよ完全にトンネルを前提にしたような取っつきの直線的上りである。
この日は土曜日とあって、出発地点に降り立つ以前に通り過ぎた「道の駅」などでは早朝からなかなかの賑わいを見せていたものの、走り抜ける車は多いとは言えない。
長大トンネルをチャリで攻略するときの一番の怖さである、大型トラックとの遭遇の頻度は、幸いにしてすくなさそうだ。
1−2 盟主を攻略
7:02
スタートから3.2km、わずか15分ほどで呆気なく大峠トンネルが姿を見せた。
駐車スペースと公衆電話ボックスに加え、トイレまで設置されたトンネル前の敷地。
かつては長大トンネルの象徴となっていた坑口上のビルディングは無く、至ってスマートな外観をしている。
昭和55年に着工し、3940mもの山体をたった5年で掘り抜いている。
しかも、『東北地建のトンネル(U)』刊によれば、全てをこの米沢側から掘り抜く、片押し施行であったという。
地質的には比較的恵まれていたせいもあるが、これが日本の世界に誇るトンネル技術の粋であることはいうまでもないだろう。
オールグリーンを現示する未点灯のトンネル内信号。
いまや、峠を越える準備は全て整った。
漕ぎ出せば、4kmの地中走行となる。
しつこいようだが、チャリにとっては結構緊張するものだ。
急いで漕いでも10分は地中の人となる定め。
その間、トンネルによって程度の差は大きいが、排気ガスと粉塵の混じり合った空気を呼吸し、ドライバーにはナトリウムネオンによって側壁と著しく同化した姿を晒さねばならない。
歩道があると心配は一気に減るのだが、坑口を見たところでは、どうも期待でき無さそうだ…。
銘板によれば、1985年9月竣功。
延長3940m、幅7.5m、高さ4.7m。
完成当時、一般道路のトンネルとしては東北第一位の延長を誇り、全国でも第5位(現在7位)であった。
なぜか、銘板の延長の部分だけが、鉄製プレートが剥がされたようになっている。
7:05
坑口周囲を一通り観察し、いよいよ内部へ。
坑門の形状を含め、坑口は下半分が「ハ」の字の特殊な断面をしているが、これは内部へ入るとすぐに通常のトンネル断面に戻る。
案の定、歩道は存在せず、車路を通行することとなる。
3940mの全長のうち、米沢側から3904mまでは緩やかな上り坂である。
勾配は0.8%(8‰)と緩やかであり、ほとんど体感できないレベルだ。
線形的には完全な直線であるが、出口はまだ見えない。
4km近い長さがあり、多くの車が時速80kmを超える速度で巡航していると思われるが、それでも通行には3分ほどかかる計算になる。
実際、喜多方側から車がトンネル内に入ると、トンネル全体に走行音が響き始め、大反響と風を纏い私の隣を通り過ぎやがて背後からトンネル外へ消えていくまで、騒音は延々続いた。
逆方向の車についても同様だ。
これで通行量が多ければ、どれほどの音禍に悩まされるかと戦々恐々とするところだが、幸いにして、通行量は想像以上に少なく、4kmを完走する間にすれ違い、または追い越していった車は10台を上回らないだろう。
ふたたび『東北地建のトンネル(U)』の資料に頼れば、本トンネルには非常設備として、
非常電話19箇所、押ボタン79箇所、火災検知機はなんと、521箇所も設置されている。
消化器も79箇所あり、方向転換所(右写真)も、3箇所ある。
万全の安全対策と言いたいところだが、避難通路はない。
高速道路トンネルではこの規模になると、まず本坑とは別に用意されている物だが、もしこの4kmのトンネルで重大な車両火災が発生した場合、避難者は最悪3km以上も隧道内を歩かねば脱出できない。(もっとも、排煙装置が在るので、煙に巻かれてしまうことはないと思われる)
写真の転回所についても、規模は小さく、緊急時に殺到する車を捌けるかといえば、まず無理だろう。
坑口から2100m強で、県境を迎える。
一直線の上りが続く途中であり、峠という印象は無い。
県境より先は「福島3工区」であるが、実際に工事においても本トンネルが山形側からのみの片押しで施工されたのは、前述の通りだ。
旧道の大峠よりは北西に5km近くも離れていて、従前の大峠とは異なる鞍部を貫通しているわけだが、それでもトンネル名としては当初から大峠トンネルとして計画されていた。
それだけ、この峠の名前には拘りがあったと言うことかも知れない。
そういえば、「アレが無いなー」なんて思いながら、淡々とこぎ続けているうちに、いよいよ出口と、トンネル内の峠が見えてきた。
そして、アレも、まとまって現れ始めた。
アレとは、近代の長大トンネルにはまず間違いなく存在する、“ジェットエンジンのようなもの”、その名もジェットファンである。
トンネルの天井に設置された写真の物体、あなたも見たことがあるだろう。
このトンネルの場合は、全部で6機存在するジェットファン(口径1030mm)が、全て喜多方側坑口付近に集中して設置されており、前述の通りほぼ片勾配になったトンネル内の送風換気を行っている。
こうして6機が一望の下に設置されているのは、壮観である。
7:18
下りに転じると、すぐに出口である。
通過には、途中数回写真撮影で停まりながらだが、18分を要した。
ほとんど車とは行き違わなかったので、恐怖を覚えることはなかった。
これならば、チャリで通る身としても、敢えて旧国道を選ぶ必要性は無さそうである(笑)
なお、この喜多方側の変わった形をした坑門だが、漢字の「山」の字を図案化したものだと聞いたことがある。
山行がの“山”だ(笑)
いろいろな坑門を見てきたが、文字をモチーフにした坑門は初めてである。
意外に違和感なくそこに納まっているのも、可愛らしい。
1−3 レインボートンネルからの逸脱
大峠トンネルを脱出すると、長い長い下り坂が麓まで続く。
トンネル内の県境から日中トンネルまでの8kmが福島3工区として施工された部分で、一番の難工事であった。
緊急性が低いために一次開通区間から外れ現在も施工中である福島2工区を除けば、一番最後に完成した工区でもある。
この区間の特徴は、大桧沢の峡谷から100m以上も高い山腹を多くのトンネルと橋の連続で駆け下ることであり、大桧沢下流にある日中(にっちゅう)ダム建設事業(農林水産省管轄)とは同時施工であった為、工事には必要な調整がなされたと聞く。
この先しばらくは、福島県熱塩加納(あつしおかのう)村に位置し、元来の大峠が直接喜多方市に届いていたのとは異なる。
ただし、本村は近年中の喜多方市への合併が決定している。
大小の橋が連続しているが、そのなかでも写真の大滝橋(180m)は大きなものの一つである。
崖下の大桧沢源流には、「大滝」なる滝が地図上に描かれており、実際に谷底からそれらしい音は届いてくるのだが、ガスがもの凄く、全然見えない。
崖下を覗き込むと、まるで現実感というか、高度感が感じられないほどに、均一な白が広がっている。
道は平然として、いくらかの車をこの隔世されたような山中を運んでいる。
福島3工区は完成後、ちょっとした観光色を打ち出している。
それは、写真の「虹のトンネル」というアイディアで、3工区にある7トンネルが、それぞれ虹の一色ずつに対応していると言う案配だ。
もっとも、具体的に何が虹に対応しているのかといわれれば、トンネル前に上下線1箇所ずつ設置の案内標識の配色、それのみだ。
やや無理がある気もするが、無味乾燥な画一的デザインのトンネル群に、少しでも個性を持たせようという配慮は悪くない。
なお、対応するトンネルは次の通り(米沢側から順に)
高倉トンネル(127m・紫)/御手窪トンネル(325m・青)/
探トンネル(130m・水色)/大倉トンネル(508m・緑)/
石楠花トンネル(106m・オレンジ)/地蔵トンネル(253m・黄)/
不動トンネル(633m・赤)。
(なぜか黄色とオレンジが逆である。)
虹のトンネル一つめの高倉トンネル。
このように、トンネル名を記した標識が、それぞれ虹の色で塗られている。
紫色の標識って、なんか気持ち悪いな、
この後で見た黄色よりはマシだったが…。
大峠トンネルを貫通し、すでに私の闘いはひとまず終結しているはずなのに、何かひっかかりを感じる。
緩いカーブと橋とトンネルばかりが続く快適な下り坂を爽快に下っているのに、気持ちよくない。
おそらくそれは、この凄まじい霧に覆われた峠を、数時間後には上り直さねばならないのだということに起因していただろう。
登るのは覚悟も出来ているから、まだ良い。
とにかく、この霧である。
一体、頭上600mの山中は、どのような天候になっているのか…不安すぎる。
トンネルと橋がとにかくすし詰め状態で連続しており、トンネルが終われば橋、橋が終わればトンネルという風に、道路構造物が大半を占めている。
なお、後日、車で走ったところ、この道の巡航速度は80km以上と速いのだが、日常的に遅い車をトンネル内で追い越す光景が繰り広げられていた。
確かに、トンネル外だけでは車を抜ききれずトンネル内に架かってしまうなど、法に則った追い越しが困難な道と感じた。(なお、登坂車線などは道中に一度もない)
写真奥の大倉トンネルの標識は、緑色!
高速道路以外で紛らわしい標識って、つかっていいのかなぁ?
っと、このまま下っていけば、おそらくもう3分で3工区を終え、日中ダム付近に至れるだろうが、私は見逃さなかった。
いや、むしろその脇道が、私を逃してはくれなかったというべきか。
地蔵トンネルと石楠花トンネルの間、薬師橋の袂から山側に分かれる脇道は、入口からしてご覧の有様。
地図にも記載されているのだが、日中ダム湖に沿ってダムサイトまで下れる、国道とは平行する道だ。
この道は、現在はダムの管理道路となっているが、もともとは国道の工事用道路でもあった。
レインボートンネル7本を含め、トンネルと橋がとにかく多いこの工区を素直に麓から作っていては工期が長大となることから、このような工事用道路で幾つかのトンネルを先回り迂回しつつ、両側からの施行を行ったのである。
後半には、一足先に完成していた大峠トンネルさえ、この福島3工区の工事用道路として利用されていた。
7:28
特に通行止めとは書かれていないが、明らかに歩行者以外を通すまいと設置されたバリケードによって、現道とは切り離されている。
しかし、これは山チャリストとしては看過できぬ道である。
霧の海に沈み込むように現道と分かれる、工事用道路。
まずは、大峠道路の舞台裏を、見て進ぜよう。
まだまだ、私のレポが旧国道の大峠に立つには遠そうでござい…。
どうか、気長にお付き合いください。